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第1話 出来損ないの日常

一昨年頃から会社の業績悪化によるストレスから父はアルコール依存症となり、少しでも気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、暴力を奮うようになった。 母はそんな父に愛想が尽きたのか、夜中に外出することが多くなった。 今はもう、平穏な家庭だった幼い頃の記憶さえ思い出せない。 「晩飯の一つもさっさと用意出来ねえのかよ。役立たずが!亅 飲みかけの缶ビールが力任せに投げつけられる。 残っていた薄黄色の液体が俺の服や床を濡らしていった。 「いくら言っても学習しない奴には、痛みで教えてやらねぇとな亅 父はそう言いながら俺の体を無理矢理引き寄せ、煙草の吸殻を手の甲へと押し付けた。 「…ごめんなさい、父さん。次からはちゃんとやるか ら、…許してください亅 赤黒い火傷がジューと音を立て肌へ刷り込まれる。 熱さと痛みから逃れたくて、俺は必死に謝罪を繰り返した。 「誰のおかげでこの家に居させて貰ってるんだ!次はこれじゃすまないからな亅 最後に一発殴りを入れて、満足したのか父は部屋へと向かっていった。 床に飛び散ったビールを雑巾で拭き取り、食器を片付ける。 静まり返ったリビングに響くのは洗剤を洗い流す水の音。 「…母さんが帰って来る前に終わらせないと亅 昨日は「臭いんだけど。こんな部屋で過ごせとでも言うつもり?」と怒らせてしまったから。 母は暴力こそは奮わないが、味方してくれるわけではない。 「働けないなら、家事ぐらいちゃんとやってよ」 「退学させるわよ」 蔑まれた視線から発せられる言葉の棘が何度胸に刺さっても、学校だけはどうしても辞めたくなかった。 傷つけられ、罵られるのは俺の要領が悪いから。 二人の望む『いい子』じゃないから。 片付けが終わり自室へと戻る。 翌日の学校の支度と宿題を手早く済ませ、押し寄せた疲れに身を任せるようにベットへ横たわった。 「我慢するしかないんだ」 いつものように自分に言い聞かせて電気を消し、瞼を閉じる。 これからも続くはずだった出来損ないの日常が、突然終わりを迎えることをこの時の俺はまだ知らなかった。

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