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第4話

翌朝。  込童は目をさますとシャワーを浴びた。  寝室に戻ると、村上はまだ寝ている。  壁の時計は九時半を差していた。  ウーバーイーツでレストランから朝食を取り寄せる。  コーヒーを淹れながら待っていると、やがてチャイムが鳴り、届いたものをトレイに並べてベッドへ戻と戻った。  村上は、ぼんやりとした顔で、ベッドから半分起き上がっていた。 「村上さん、食べれます?」 「先生……」 「僕は家事が苦手で、これは取り寄せたものですけど。パンケーキとシーザーサラダ。スクランブルエッグはお好きですか?」 ベッドの上に大きめのトレイを置いて、込童はその横へ腰を下ろした。 「コーヒーは僕が淹れました。淹れたてなので、おいしいですよ」 「ありがとうございます。朝食までご用意して頂いて」 「だっておなかすいたでしょう? あんなに激しい夜を過ごして」  込童の物言いに、村上は恥ずかしさでいっぱいになった。 「……え、ええまぁ」 「蜂蜜とメープルシロップ、どちらが良いですか?」  込童はマグカップを手渡しながら、村上の反応に満足する。 「もうおいとましないと……」 「どうして? まだ良いじゃないですか。別にうちから出社しても構いませんし」 「そんなわけには!」 「ふふ、冗談ですよ。何か一緒に映画を見ても良いし、ゆっくりしてから帰ってもいいじゃないですか」 「そうですね……あ!」 「はい?」 「先生が言ってらした、コレクション、拝見したいです」 「あーあ、いいですよ。食事をして一息ついたら、書斎に案内しましょう」       ◉ 込童の家は中庭を囲んで四角く立っており、その中庭の一角に土蔵はあった。  入り口は邸内の回り廊下につながっているので、雨には当たらずに入る事が出来る。  どうぞ、と、入り口の扉を開け──そこは改築され、普通のドアが取り付けられていた。  土蔵の中はぐるりと本棚が埋め尽くし、その正面に大きなデスクが備えられている。 土蔵の脇には階段があり、二階もあるようだ。 「すごいですね」 「ふふ、ばらしてしまうと、ほとんどは祖父のコレクションなんです。だから古いものがずいぶんあって。稀覯本や、発禁本も中にはあるようですよ」 「本当ですね。ああ、すごいなあ。図書室の文庫本でしか見た事がないような名著が、こんなに初版で……手に取っても?」 「どうぞどうぞ。祖父が言っていました。読まれない文字は模様でしかない……って」  村上は目を輝かせて、小説や詩集の豪奢な限定本や凾入りの書物を手に取っては感嘆の声をあげている。  込童は、デスクの椅子に腰掛け、本棚の前を行き来する村上の楽しそうな様子を眺めていた。  外では雨が降り出したようで。  土蔵の小さな窓からは灰色の空が覗いている。  村上が一向に本の世界から戻ってこないので、込童は仕事の資料に目を通し始めた。  小一時間もしただろうか、込童は週明けの心臓手術の術例資料をすっかり読み終えて振り返る。村上はまだ本棚に張付いていた。  込童は立ち上がると、後ろから村上の腰を抱く。 「村上さん、そろそろ僕の事もかまってくれません?」 「あ、ああ……すみません。夢中になって……」  村上は手の中の書物を棚に戻すと、言った。 「こんな小さな四角い空間に、昔からの偉大な書物が全て納められていて、本当にすごいです。こんな中で暮らせたら、幸せだろうなあ。ぼく、絵本を書くのが子供の頃からの夢で……勇気がなくて、どんな賞にも応募した事はないけれど、ここでこんな風にたくさんの本に囲まれて、ぼくのお話を書いて暮らせたら、ホント、幸せだろうなあ」  羨望の眼差しで、書斎を眺める村上に、込童は言った。 「暮らします?」 「え?」 「ここで、僕とふたり」 「ええ?」 「僕の収入なら、ふたりで老後まで悠々暮らせますよ? 貴方はここで、ずっと本を読んで、絵本を書いていれば良い」  込童が嬉々として話に乗ったので、村上は困惑する。 「そんな」 「いいでしょう? ね? そうしませんか?」  熱心に勧める込童の様子は、あながち冗談ではないようだ。 「僕、誰にでもいい顔をする人が苦手で……誰しもが僕と付き合うと、周囲にアクセサリーかハンドバックみたいに僕を見せびらかして……貴方みたいな、僕だけを見てくれる人を探してたんだ、きっと。こんな狭いところに、ふたりでいても、息苦しいなんて思わずに僕だけといてくれる人を」 「先生」 「だめですか?」 「だめなんてことは……じゃあ、聞きますけど」 「なんです?」 「先生こそ、ぼくだけを見てくれるんですか?」  それは、幾度もすがっては捨てられてきた村上の、最も恐れていたことであり、最も望んでいる事だった。  込童は村上を後ろから抱きしめたまま、うーんと唸る。  村上が非難の声をあげた。 「ちょっと、なんでそこすぐに即答してくれないんですか」 「いかんせん、経験がなくて」 「え?」 「人を自分から気に入ったのも、告白したのも貴方が初めてだし、ましてや、手に入れた人だけを見つめ続けるという経験もまるでなくて……貴方に証明できるエビデンスが何一つないんです」  込童はぎゅうと村上を抱きしめた。 「それでも僕がハイと言ったら、貴方は信じてくれますか?」 村上は逆に質問で返され── 「ぼくは今まで人にすがった事しかなくて……嫌われてもフられても、まだどこかで好意を持ってくれているんじゃないかと、相手を信じる事がやめられなくて、だから……信じる事は得意なんです」 と、答えて、込童を振り返った。 「信じますよ?」  村上は振り返って、込童の鼻の頭に、キスを落とした。

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