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第24話

 雪の唇が近づいてきて、馨はその両頬を両掌(りょうてのひら)で包んだ。  吐息が生えかけの髭をくすぐり、柔らかい唇が重なって来る。  抱きしめて舌を貪り、長く白い髪を撫でると雪が半身起き上がらせて寝巻きの前を少しずつ開いて舌を這わせてきた。  それに思わず声が漏れるが、 「雪さん…おかえり…やっと触れ合えたよ。嬉しい。もっと俺を感じて」  徐々に降りてゆく雪の舌を感じながら、馨は腰を揺らし中心を含まれて少し大きめな声をあげてしまった。 「気持ちいいよ…雪さん…やっぱり雪さんの…いいなぁ」  雪の髪を優しく掴んで、上下する頭を髪ごと撫で回す、 「でも、もう俺我慢できないから…」  そう告げると雪は起き上がり、馨の上に跨ると硬くなった馨自身に手を添え、そこに自分の尻を当てがいゆっくりと沈んでいった。 「ぁ…はぁぁ…気持ちいい…」  雪のあごが晒され、両手をお腹に付いて腰を上下に揺らしながら、髪を乱して声を上げる。 「ああ…いい…俺もいいよ雪さん…嬉しい…やっと会えて嬉しい…あぁ」  雪の動きがあまりに滑らかで、まだいくものかと思っても馨は 「ごめっはやいっっくぅっ」  下から突き上げるように、馨は雪の中へと射精した。  その瞬間に、はっと目が覚め上にいるはずの雪を確認するが当たり前だが居なく、次の瞬間には股間にヌルついた嫌な感触を感じて嫌な顔をした。  こんな夢を見るのは、今に始まったことではない。  見るようになったのは、雪に会えなくなって1年ほどしてからだ。  誰とも交わらず、清廉に生活をしているがその(ひずみ)は、寝ている時に起きるようになってしまい、これには馨自身も困っていた。  震災(あれ)からすでに5年が経った11月。  お若くしてご崩御された大正天皇の後に昭和と元号も変わり、昭和天皇が即位して3年目の暮れになっていた。  皆の行方もわからぬまま今に至っており、既に22歳となった馨も中学を卒業して弁護士になるための法科専門学校へ進学していた。(中学は5年制)  笹倉の下で仕事を手伝っていたのが功を奏し、学校の勉強がわかりやすく、楽しく学べている。  昨晩の食事時に久しぶりに、頼政や雪の話になった。  笹倉が話してくれる頼政の面白い話や雪があの家に来た頃の様子、研究の内容でちょっと笑えることを教えてもらったとかいう話で、だいぶ吹っ切れてきた笹倉と馨はその話を面白く話し、そして聞いていた。  しかし最後にはどうしても 「あいつら何やってんだろうな…」  ということになってしまっていた。 『心配』というのはもうとっくに無くなり、今は本当にもう『どこにいるんだろう』『困っていないか』と思う方が大きかった。  忘れようにも忘れられない人たちだから、時折胸を掠めては切ない思いに駆られてしまう。 『会いたい…』  自分を地獄から救ってくれた頼政。自分に知らなかった感情や、そして男としての感情を教えてくれた雪。目に見えることや見えないことまでの色々を教えてくれたトキさん。みんな一緒にいるのかな…。      その日の朝は冷え込んでいて、夜には雪が降るだろうと思う曇天だった。  馨は学校帰りに友人と食事をする約束をしていたので、雪が降ったら癖が出てしまうと、朝少し多めに整髪料を使い髪をいつものように後ろへと流している。  銀座の喫茶店で学生服の集団は多く、馨たちは法律などの話を中心に女性の話や今度カフェーに行ってみないか等、年頃の男性なりの話でも盛り上がった。  この頃のカフェーと言ったら女性が席につく、今でいう銀座のクラブのようなところになっていたのだ。  夜も9時になり友達と別れ、銀座線に乗るべく歩いていたら忘れもしない最初に雪にあった場所の近くを歩いていることに気づいた。 「あの時、腹が痛くてうずくまりながら瓦斯灯(ガスとう)に火を入れる点消夫(てんしょうふ)を見つめ、羨ましがってたな」  と思い出した。  雪と出会ったあの場所も近くだったと路地を覗き込み、行ってみようかな、と路地を曲がった。確かこっちの道に…  その時は腹が痛くて寒くて、店の軒下で壁から伝わる熱を頼りに目立たない路地へ入ったんだと思い出す。    笹倉は書斎のデスクで、明日の接見の資料を読んでいた。  絨毯を敷いた畳の部屋に参考資料が積まれたデスクを置き、関係書物などが並んだ書棚が壁にぎっしりと並んでいる部屋だ。  前の家も同じようだったが、先の震災時に書斎にいたら助からなかったかもしれないほどである。  これでも書棚はかなり低くしたつもりだ。  玄関で声がして、桂香が返事をしながら応対に出て行ったのを漠然と聞きながら資料を読んでいたら暫くして後ろから肩を叩かれる。 「ん?どうした?誰だったんだ?」  桂香かと思い不意に振り向いて、笹倉はあごが外れるんじゃないかと思うほど口を開け、その場に立っている人物を見上げていた。 「どんな顔だよ。お前勝手に引っ越すから探すのすごく苦労したぞ」  笹倉が座る椅子の脇で頼政はデスクに片手をつき、その後ろの廊下ではトキが笑って立っており笹倉に頭を下げている。 「お…おまえ…」  笹倉は声もなく口をパクパクさせて、その直後立ち上がって頼政に抱きつく。 「俺が引っ越したって事より、お前はどこにいたんだって〜〜!探しようがなくて俺らはもうさああ〜〜〜」  涙でぐずぐずになった顔を気にもせずに、頼政の肩で泣き喚く。 「|笹倉《お前》も無事で何よりだ。馨のことも面倒を見てくれて感謝する」  笹倉の背を抱き返して、改めて再会した親友の無事を心から喜んだ。  が、少し照れ臭くなったのか 「いい歳した(おっさん)が泣くんじゃない。俺たちもう50近い…」  と、嫌味の一つでもと思ったら、自分で言って年齢に打ちのめされる。  笹倉は雪がいないのに気づき頼政から離れ、 「雪さんはどうしたんだ?まさか…」  そう言って顔色を変えた。 「無事だよ。勘繰るな」  笑って笹倉を引き剥がし、涙ぐんでいた桂香が持ってきた手拭いで笹倉はやっと顔を拭う。 「玄関先で浮羽…あ、桂香さんになったんだったな。桂香さんから馨も無事で今日は友人と銀座で食事なんていう生意気な話を聞いたんで、雪は飛んでいった」  笑って、自分も目を拭う。 「何やってたんだよ」  笹倉は頼政の肩を軽くこづいて、全部話せと向かい合った。  懐かしい路地だった。  今までなんで来なかったかなと思うほど一回もここには訪れず、雪に救ってもらった日以来の道に立っていた。  時期もちょうど今ぐらいだった気がする。  もう瓦斯灯もなくなり、街灯も全てが電気になってしまってあの頃の情緒ある暖かい光ではないが、銀座は相変わらず賑やかだ。  出会った裏道も相変わらず静かだが、あの頃よりは賑わっている気はする。  雪が降ってきた。  見上げると街頭に照らされてふわりふわりと大きな雪が舞い降りてくる。あの日も雪が降ってたな。  こんな場所で雪なんか降られたら、切なくなってしまう…会いたいな…呟いて歩き出した先に、白いひと型が目に入った。  ドキッとした。  あの時のように幽霊と間違えたのではない。  あの時と同じ…雪が…と思ったのだ… 「雪の白皮症のことで、ドイツへな…行っていた」  笹倉の家で、結局お酒を酌み交わすことになり居間に移動して炬燵を囲んでいた。 「ドイツ?何でまた急にそんな事に」  「震災の日に雪が目を怪我してな、すぐに眼科医の叔父の家に行ったんだ、前橋の」 「前橋?そこもよく行けたな」  お猪口を途中で止めて笹倉は驚いた。 「あの時によくまあ」 「運は良かったと思うよ。雪の目が心配な一心でもあったしな。そこで、親父にも会って、親父から白皮症の症例を集めている機関があると聞かされそれがドイツだったんだ。迷う暇はなかった。相談しようにもお前とは連絡つかないし」  苦笑しながら杯を口にする。 「自宅が傾いてな、行政指導で取り壊しになって引っ越しせざるを得なかったんだ。電話番号も変わっちまったからな。で、ドイツではどうだったんだ?」 「まあ結果は、治る治らないで言えば今はまだ…という感じか。しかし雪と同じような子が何人かいて、雪はその子たちと身振り手振りで仲良くなって、あの子なりに…もうあの「子」という年齢でもないが、随分自身のことを理解したようだ。その子たちは何も気にせずに明るく生活していて雪もそれに感化されてきたよ。お陰で今では俺よりドイツ語は上手い」  苦笑する頼政の隣で、だいぶ白髪になったトキも微笑んでいる。  桂香に手伝うと申し出たのだが、ゆっくりなさってくださいと言われ、居心地悪くも頼政の角隣りに座らせてもらってお茶などを頂いていたのだ。 「グーテンナハト」  ニコニコしてトキがそういうと、笹倉は笑って 「トキさんもドイツ語覚えてきたかー」  と嬉しそうに杯を空けた。     正面には薄茶色の着物を着て、肩辺りまである髪を後ろまで切りそろえた髪をした青年が立っている。 「え…」  息を詰めて、その白く輝く(ように見える)者を凝視する。 「馨くん」  そのひと形は笑って自分の名前を呼んだ。 「立派になったね…専科に行ってるって聞いた。頑張ってたんだ…すごい…」  雪は懐かしそうに目を細めて、その目から涙を溢れさせた。 「雪…さん…?」 「うん…うん…会いたかった馨くん…」  一歩一歩雪が歩いてくるのに、馨も一歩一歩近寄ってゆく。  牡丹雪が2人の間に降り(しき)るが、それも見えないほどお互いしか見えていない。  信じられなかった。目の前にいる雪は、いつも見る夢の続きなんじゃないだろうか。皆で食事に行ってお酒を少し飲んだから、今自分はどこかに寝転んで寝ているんじゃないか…だから雪が… 「雪さん!」  確かめたくて馨は走った。  走って雪を抱きしめて、雪の手が馨の背中に回った時に、これが現実だと理解した。 「雪さん!雪さ…」  強く…このまま自分の中へ取り込んでしまおうかと言うくらい強く抱きしめる。  雪が小さく感じた。  自分が雪の背をだいぶ追い抜いたことを抱きしめたことで理解し、時間の長さを痛感する。 「馨くん…無事で良かった…会いたかった…ずっと会いたかったよ…」  どこにいたんだとか、何してた、はどうでも良かった。  今ここにいることだけが全てだ。 「笹倉さんの家に行ったら…桂香さんから、馨くんは無事で今日は銀座でお友達と食事してるって聞いて…」  抱きしめたままの馨に、背中をポンポンしながら話を続ける。 「私も一緒に…と思ってきたんだ…でも食事終わっちゃったんだね。残念」  いつものように…一緒に銀座で買い物をした時のように振る舞おうとする雪だが、声が震えていて涙が馨の学生服の肩を濡らしていた。  雪は震災の日からまた少し以前の精神状態に戻ってしまい、実は馨とのことも頭から遠ざかってしまっていたのだ。  しかしドイツへ行ってから雪を攻める者などいない環境で生活し、徐々にまた取り戻していった時に、猛烈に馨が恋しくなった。  頼政とは、精神状態が不安定な時にまた少しぶってもらったりする交合が続いたが、安定してからはそういうのもなくなり、馨が恋しいのと、頼政に愛されるのを交互にやり過ごしてきた。  今こうして抱きしめられて、雪はどんなにきつく締められようと苦しくなんかない。  離れている間に、馨への思いも強くなっていったから…。  馨はしばらくそうやって雪を抱きしめていたが、落ち着いた頃腕を離し唇を重ねた。  公道だろうと関係なかった。ずっと…ずううっと求めていた感触がここにあるのに、感じない訳にはいかない。  暫く唇を堪能し合い、あの夏の日が…2人が抱き合った暑い日が脳裏に蘇った頃、唇が離れた。  雪は馨の肩に顔を寄せ、馨は今度は優しく雪を抱きしめる。 「嘘みたいだ…ほんとに雪さんなんだね…」 「うん、私だよ…雪だよ。馨くんも…馨くんだね。背が伸びた」 「うん、俺だよ。馨…」  今までの恋しい思いが溢れた。  あの夏に思ったーこのまま時間が止まればいいーとまた思う。  でも、これからは一緒に、本当に一緒にいられるからまだ止まらなくていい…と前言撤回。 「馨くん…」 「ん?」 「ずっと一緒にいられるね…」  雪の言葉に、馨は再び雪を強く抱きしめた。 「同じこと考えてたよ…」  雪もそう言われて背中の手を強く締めて 「一緒にいようね…」 「いようね」  そう言ってまた唇を合わせた。 「色々聞かせてくれる…?会えなかった今までのこと…」  唇を離して、雪の髪に降る雪を払う様に髪を撫でた。気付けばストールは被っていない。 「勿論だよ…馨くんのも聞かせて欲しい…」 「俺は…雪さんと……することばかり考えてる毎日だったよ?」  雪は一瞬馨の顔を見てーもう!ーと照れて胸に顔を埋めた。 「ずっとこうしていたいけど、冷えちゃうから…」  馨はそう言って雪の手を握り、取り敢えず帰るところは笹倉の家だ。  2人は表通りへ出て、電気の街灯の下タクシーを拾い上野の笹倉の家の住所を告げた。  クリスマスの飾りが銀座の街に煌びやかに光って、車内の2人の顔を照らす。  2人は手をずうっと繋いだままその光景を一緒に見つめていた。

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