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第23話
半年が過ぎても雪達の消息は掴めずにいたが、馨は学校と笹倉の事務所の手伝いをその心配を吹っ切るように精力的にやっていた。
悪いことは考えない、悪いことは考えない、そう自分に言い聞かせて毎日を暮らしている。
お世話になるはずだった笹倉の家も倒壊の恐れありということで壊されてしまい、今は笹倉と共に同じ上野だが違う家を見つけて桂香 と名を改めた浮羽と3人で暮らしていた。
桂香も震災後半年ではあまり芸妓の仕事もなく、家で2人の世話をすることに徹している。
「それにしても連絡もつかないとはおかしいな。雪さんの容貌なら、噂くらいは立つはずなんだがな」
夕飯の用意を手伝っている馨のそばで、笹倉が首を傾げていた。
「お悔やみ欄にも名前載っていませんし、どこか違う場所に避難しているかもしれません。いずれ連絡がくるんじゃないかと思っています」
大根の糠漬けを切り分けながら、淡々と薫が言う。
最近の馨はずうっとこんな感じだった。言葉に熱がない。
見た目は普通に暮らしているように見えるのだが、どこか心がここにない感じが時々するのだ。
夜の方も、桂香が声をかけてはみるが、一切断られそう言ったことからはずっと離れている。
「大丈夫かな…」
笹倉もいささか心配で、以前のように夢に向かって邁進するというよりは、何かを吹っ切るために動いているようで、見ている方も苦しかった。
それでも2年生になろうとしている今、成績も随分と上がり学校の皆には追いついたようである。
しかし…お誘いを一切断っているとはいえ、実際は夜になると雪のことが思い起こされ、苦しい日を過ごしているのも事実だ。
やっと抱き合えるようになって、自分の雪への気持ちも確信したばかりだったのに、こんなふうに急に会えなくなったのだから気持ちも追いつかない。
「雪さん…どこにいるのかな…旦那様と一緒かな…トキさんのご飯食べたいな…」
日中は愚痴も言わず涙も見せず、普通を装って暮らせているが、やはり夜は苦しかった。
この苦しみはいつまで続いて、果たして無くなる時は来るのだろうか…そう考えると不安で眠れない日も度々あった。
半年が過ぎたというのに、笹倉にも馨の学校にも連絡がつかない。
頼政はイライラしながら電話の前をうろうろした。
「電話番号が変わったのか…どうしたら連絡がつく!」
開業医である宗時の家には電話が備わっているため、便利ではあるが繋がらない苛立ちも家の中では大きくなってしまう。
「旦那様、落ち着いてください。皆きっと無事で元気ですよ」
あれから少し角膜炎の兆しがあった雪だったが、大事に至らず今は左目に眼帯をして少し光を遮っている状態だ。
外傷性の白内障 を起こしかけていて、それの様子見もある。
体は自由に動けるようになったので、時間がある時は頼政のそばにいつも寄り添っていた。
「ああ、もちろんだ。何事もないに決まっているが…」
一度東京に戻って探してみようかとも考えるが、いかんせん遠くて易々と行ける距離でもない。そうも言っていられない気もするのだが、雪の白内障 も心配で…。
色々なことがまとまらない毎日で少々気疲れもするが、週に3回ほど高崎の父親がやっている医院へ手伝いに行くのは気分転換にもよかった。
研究職だと言うのを生かし、患者さんの質問に深く、そして的確に答えることができ、患者さんからも『説明を聞いて安心したよ』や『ありがとうね』とか言われると、それはそれで嬉しいものだなと、頼政もまんざらではなかった。
父親の智紀 にも内科的なところから雪のことを相談していたりもしていたが、ある休みの日に智紀が宗時の元へ急にやって来ることになった。
「いらっしゃい。珍しいね兄さんが来るなんて」
宗時は母屋の玄関で智紀を迎え、中へ入るよう促す。
兄弟仲良くはやってはいるが、年長者を立て訪問はいつも宗時が行っていたので、自宅に来るのは久しぶりだった。
和室へ通すと、そこには頼政と雪が座っていて、雪は智紀の顔を見ると座布団から降りて深く頭を下げた。
「雪と申します。頼政様には大変お世話になっております」
智紀も初めて会った雪のあまりの白さに申し訳ないが一瞬驚いてしまったが、丁寧に挨拶をしてくる雪に、洋装のズボンの膝を少しあげその場で正座をして
「頼政の父です。頭を上げてください。愚息が不調法しておりませんか?何かあったらすぐに連絡ください」
雪の正面に座ってそんなことをいう智紀に、思わず顔を見てしまった雪は
「いっいえ、いつもよくしていただいておりますので、全く。私の方が不調法を働いているかもで…」
と、少ししどろもどろになってしまった。
「父さん、雪を揶揄うのはやめてください。私はちゃんと暮らしていますから」
智紀は、ーそうか?ならいいがーと口元で笑いながら立ち上がり、少し大きめな和式のテーブルを挟んで2人に相対した。
口髭を蓄えて、髪を全て後ろに流している智紀は威厳があって体も少し大きい。 そこは頼政が引き継いだところかもしれないなと雪は内心考えていた。
それにあの頼政が子供に見えるというのはやはり父親って凄いな、と雪は感心する。
トキは、宗時の妻里美について家の手伝いをしていて、そんなトキがお茶を運んでそれが各々に置かれるのを待って智紀が話を始める。
「目の方はどうだ?」
これは宗時へ聞いていた。
「少し白内障 の症状がでているんだよ。外傷性のね。まだ深刻ではないけど、いずれは進行するかもしれない」
智紀はそうか…と呟いてお茶をひと啜り。
「白内障 が進行したら、今の日本では手術はまだできないからな…」
「まあそうだけど、白そこひは適切な点眼や治療を施せば失明には至らないから…雪さんはまだ若いけれど年齢が行けばなる人も多いし、ある程度は仕方ないと思ってもいいかな…とは思うけどね」
理系人間らしい合理的な考えだが、頼政は
「雪の目が若いうちから白く濁るのはダメですね」
お茶を啜りながらはっきりと言い切る。
「しかしいずれは…」
宗時の言葉に被せるように
「いずれはいいんです。でも…雪すまないな少々言葉を選ばずに話をするが」
と雪を見てそう言い、雪も頷いて前の2人に目をやった。
「この見た目だけで、雪は随分世間から疎まれます。被災した日も避難所に赴いただけで、入り口で断られたりしました。その雪の片目が白く濁ってしまったりしたら、何を言われるか…俺はそれが悔しくて嫌だ。それにこの綺麗な桃色にも見える青い瞳が濁るのも…」
「わかったわかった…」
智紀と宗時は苦笑しながら頼政の言葉を遮る。
「随分と可愛がっているようだな。まあ話の内容は理解できるが、日本では白内障の手術をできるところはないんだ。しかもまだ確定ではないらしいじゃないか。落ち着け」
自分が少し気持ちが上がってしまったことを反省して、無意識に上がっていた腰を正座に戻し、今言われたことを噛み締める。
ーだったらどうしたらいいんだー
「今日私が来たのはな、頼政これを」
智紀は内ポケットから三つ折りの用紙を出し、それを頼政の前に置いた。
「これは?」
置かれた紙を手に取って見ると、英語ではあったがなんとか読解出来ないこともない感じで、ゆっくりだが紙面へ目を走らせる。
「これは…」
「白そこひは昨日今日のことなので、ついでに診てもらえたら…と言うことになるが、最近それを見かけて頼政 に教えてみようと思っていたんだ」
それは、ドイツの病院でアルビノ の症例を集めているという書面だった。
ここで白皮症が研究されていると言うことは、何かの糸口が見つかるかも…ということか…。
「旦那様?」
隣で雪が首を傾げた。
「これはな、雪みたいな体が白い人を専門に研究している所があると書いてある」
ーえーと雪は驚く。
頼政の研究室で、自分と同じような人がいるのは知っていたが、専門機関というのは初めてだ。
「俺も、アメリカばかり注目してしまっていた…そうだよなドイツも範囲に入れておけば…」
しかし白皮症については各機関軒並み声をかけ資料を集めたつもりではいたが、なぜ自分にこの情報が引っ掛からなかったのか…。
それを問うと、
「臨床の医師同士の連絡で得たものだ。研究職などといってあぐらをかいているからそうなる」
ニヤニヤと笑って智紀はお茶を飲み干した。
研究職の方が、論文などでよっぽど名は広まっている筈なのに解せない。
頼政が悔しそうな顔で父親を睨み、茶碗をズズズっと音を立てて吸っているのを見た雪は思わず吹き出してしまう。
「なんだ」
それに気づいた頼政は、不機嫌そうに雪を見てそれでも再びお茶を啜った。
「いえ、初めてそんな表情を見たもので」
可愛らしいことです…という言葉は飲み込んでにっこりと微笑んだ。
「ま、取り敢えず…この情報を伝えたかっただけだ。どうするかはお前次第だな」
智紀は立ち上がって、
「では失礼するよ、雪さんも頼政と一緒に一度我が家へも来てくださいね。妻も会いたいと申しておりましたから」
雪相手にも丁寧に話してくれて、雪もー是非ーと笑って見送りに立ち上がった。
ドイツへは行くも行かないも頼政の気持ち次第だ。
雪は頼政には、何処へでもついてゆく気持ちはもうずっと固まっているのだから。
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