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3/3(完)
それから、一度浴槽から一人が出て、交互にシャワーを浴びた。散々色んな事をして、疲れていた筈なのに、マコちゃんの使っているメンソールの入ったボディーソープがスーッと鼻に抜けていくのを感じたら、少し目が覚めた。
マコちゃんの体を水流が滑らかに伝っているのを見ている内、どうしようもないくらいに込み上げてくるものを感じた。ついさっきの、何の前触れもなく、原因も分からなかったようなのとは明らかに違う、明確な感情と意思だった。
今、目の前で無防備な姿をしているマコちゃんに入れたいって、ハッキリと思ったのだ。
頭がその考え一色になって、反響し続けるシャワーの音も、吹き替え映画のワンシーンみたいなマコちゃんの鼻歌も遠ざかっていった。
シャワーを浴びているマコちゃんの背後に立った。声を掛ける余裕すら無い。一週間触っていなかったとは言え、さっき出したばかりだとは思えないほど硬くなったのを、マコちゃんの小さなお尻の下に突き立てた。既に痛いくらいに、はち切れそうだった。後ろから、内腿の間に押し込んで、擦り付けるようにすると、驚いたマコちゃんがびくっと跳ねた。
それからゆっくりと振り向いて、怯えたような目で見てくる。
「知ってたの…?」
この時のマコちゃんが、何についてそう訊いて来たのかは、後になっても分からない。マコちゃんの経験してきたセックスの内容なのか、マコちゃんが本当は受け身である事実に対してなのか。それとも男を性的な目で見ている事さえ、話していなかったから知らないと思われていたのかも。マコちゃんの初恋の人すらも、聞いていなかったから。
でも、何一つ考える頭なんて残ってなかった。
「知らない…でも、マコちゃんに入れたい。」
だってマコちゃんが言ったんだ。ガマンしなくていいのよって。正直なのはいい事ねって。
それにマコちゃんに隠し事なんてできないんだから、言いたいことを言って、やりたい事をやって、自由にしていればいいんだって思った。
自分から言い出したのに、結局マコちゃんに教わりながら、初めてのエッチに突入した。
疲れと焦りと、未体験の出来事だらけで頭は動かないのに、腰はきちんと動いた。形だけのセックスなら、誰が相手でもしたいと思えばできるし、ホンノウってやつは一丁前にあるんだなって感心する。
浴槽のへりに手を突いたマコちゃんに、後ろから入れていた。最初の内はきつくて、何度も抜けそうになったり、押し出されそうになったりした。大きな手の中よりも何倍も熱く、びったりと包み込んでくる内側を走るのに夢中で、相手のイイ所なんて見つける余裕も無かった。
でも、長い脚を少し曲げて、受け入れてくれているマコちゃんの背中が本当に綺麗で、思わず口を付けてしまいたくなるほど興奮していた。後ろ姿でも間違いなく男の人だって分かるのに、角張り過ぎていないなだらかな曲線の下の割れ目に、洗面台の鏡の裏から出てきたコンドームの薄い緑色が前後しているのを見ながら。
「んっ…んっ…」
マコちゃんはなるべく声を出さないようにしているみたいだった。懸命に体を揺すって、こっちを気持ちよくさせる為だけに、しているように見えた。ハッ、ハッ、と少し掠れた息遣いが、にちゃにちゃという粘っこい水音と肌のぶつかる音の合間に聞こえていた。腰に押し付けられる度に少しだけ形の変わるお尻を見ていたら、自分からももっと激しく動きたくなって、マコちゃんに伝えた。
「自分で、自分で動きたい…いい?」
するとマコちゃんは少し動きを緩めて、振り向いた。いつもは涼しい目元がとろんとしていて、落ちかけた瞼の間から流し見てくるその視線に目を奪われる。
「…できる?」
確認されると少し焦ってしまう。動きたいと感じたから口に出したものの、それがきちんと出来るのかは自信が無い。
「分かんない…」
返事に困ってそう言うと、マコちゃんは手を引き寄せて腰を掴ませてきた。それから更に脚を開いて、押し込みやすいように高さを合わせてくれる。
慣れているのかと訊ねそうになったけど、マコちゃんの抱える知らない部分に踏み込んではいけないと思ったし、何より今起こっている現実について行くのがやっとで、そっちに集中したかった。何せ人生で初めて男の人と、しかもマコちゃんと、こんな事になっているのだから。
「いいのよ、動いて。」
一度、前髪を整えるように頭を振り、また向こうを向いてしまうマコちゃん。様子を見ながら、ゆるゆると動き始めた。全部委ねてもらった気分になる。入れたいって言い出したのは自分なんだから、好きにさせてもらえるなら気持ちよくなれるに決まってる。
マコちゃんの腰を両手で掴んで、少しずつペースを早めた。時々膝が浴槽に当たって、ゴンゴンゴンという音がしていた。
さっき出してしまったところで、硬くなりはしたけど、すぐには出そうになかった。マコちゃんはそれを分かって受け入れてくれたのか、単に断り切れなかったのかは分からない。マコちゃんに否定された経験は、一度として無いのだ。だから、こんな事にまでなってしまっている。こんな、ただの仲良しな男同士ってだけなら、明らかにしないような事。優しくて、全部を受け入れてくれるマコちゃん。一緒に居たいと思っていたら、本当に一つになってしまったなんて、少し行き過ぎかも知れない。でも、今更止められそうになかった。
「すげーキモチいい…マコちゃんのナカ…」
びったりと狭くて、熱くて、ジンジンと痺れるように包み込んでくるその内側で、もっとキモチよくなりたいと思った。
細い腰に添えていた手を滑らせる。背骨や肩甲骨の窪みに沿って広い背中を撫でて、舐めて、首を伝って、黒い髪から覗く耳に辿り着くと。
「あっ、」
と、マコちゃんが聞いた事の無い声を漏らした。すごく感じ入ったのが分かってしまうそれは、咄嗟にマコちゃんが口を押さえるほど。
ぐいぐいと深い所を目指して押し込みながら、途切れ途切れに訊いた。
「マコちゃ、耳…好き、なの?」
マコちゃんは答えてくれなかった。代わりに、後ろから見える顔の輪郭を真っ赤にして、突かれるまま、前髪を揺らしていた。
「ねえっ?」
思わず強い調子で聞いて、マコちゃんの背中に胸を付けて顔を覗き込もうとした。長い睫毛が伏せられたのが見えた時、既にギリギリのところまで擦り切れていた目に見えない部分が、ぷちんと切れてしまったような気がした。
広い肩を引き寄せて、腰を引き付けて、舌を出して、めちゃくちゃにした。わざと大きく聞こえるように、チュクッ、チュクッと音を立てると、マコちゃんがびくびくと反応した。
「あっ、あっ、あーっ!」
響くような大きい声を出して、マコちゃんが逃げようと身を捩る。自分より体の大きい男の人を組み敷いているのは、楽ではなかった。
「うっ、動かないで、外れちゃう…!」
マコちゃんの腰を抱え込んで、耳を軽く噛んだ。繋がっていたいって思ってた。
腕をぶるぶる震わせながら、受け入れてくれるマコちゃん。頭を下げて、ふーっ、ふーっ、と食い縛った歯の間から懸命に息継ぎをするのが聞こえた。
両手で掴んでいた腰に、力任せに叩き付けると、マコちゃんが体勢を崩してしまった。膝を折って、へりに肘を突くような形になるから、勢いよく、ぐぐぐと深く入ってしまう。
「あ!あっ!やァ……ッ!」
マコちゃんが上を向いて喘いだ。その体勢のまま、発情した犬みたいにがつがつと腰を振った。やめてと言われても、満足するまで止められそうになかった。溶け出してしまいそうなほど熱かった。汗が吹き出して、裸の上を流れて、ポタポタと垂れていた。濡れた浴槽にしがみ付いて、後ろから掘られるままのマコちゃんが、ひッ、ひッ、と喉を鳴らして息を吸い込んでいるのが聞こえた。
二人して泣きそうだった。キモチよすぎて、止められなくて、このままおかしくなっちゃうんじゃないかって思うくらい。
マコちゃんの背中に、後ろから抱きつくような体勢になっていた。なるべく奥に届くようにギューッと押し付けて、出る、って伝えた。コンドームを着けているし、そうじゃなくても、どうせ妊娠なんてさせられない。もう、そんな事はどうだって良かった。
引き抜いた後、しばらく浴槽に倒れ掛かって、ぐったりとしている時のマコちゃんの背中は、さっきまでより少しだけ小さく見えていた。
後片付けを終えて、玄関で一度煙草を吸って戻ると、マコちゃんはさっぱりとした様子でベッドに入っていた。サイドテーブルのキャンドルは片付けられていたけど、代わりにオレンジのランプが点いているから、眠っていないのが分かる。淡い黒色のタオルケットが、背の高いマコちゃんの体に沿って波を描いている。
窓を開けて換気をした部屋に少しだけ残った、アロマキャンドルの香りを胸いっぱいに吸い込む。
それからベッドに座った。マコちゃんの髪は、ブリーチで脱色して傷め付けたのとは真逆の、綺麗な黒色。指通りの良い短い髪を梳くと、白の枕カバーにさらさらと流れていくみたいだった。
そうしていると、マコちゃんが目を開けて、ちょっと端の方へ詰めてスペースを作って、タオルケットを持ち上げて見せる。
「ほら。」
さっきまで同じベッドの上で滅茶苦茶になっていたのとはまるで別人みたいに、落ち着いた声と、クールな仕草。優しくて、カッコいいマコちゃん。こんな風にされたら、ほとんどの人はその隣に喜んで滑り込んでいくんだと思う。
勿論ちょっと狭いのを我慢して、隣で寝ても良いんだけど。
「いや、向こうで寝るよ。」
そう断ると、マコちゃんは頷いてゆっくりと腕を下ろした。またしばらく前髪を梳いたり、頬や首も触ったりして、その指をマコちゃんの鼻に持っていくと、ちょっと顔を近付けて、すんすんと嗅がれる。ぴよんと生えた細長いヒゲが無いから、擽ったくはない。
「チィもよくやるよね、それ。」
そう言って笑うと、上目遣いになったマコちゃんは少し恥ずかしそうに肩を竦めた。煙草を吸わないのに、指に付いたニオイは平気なのかなぁなんて思いながら、されるがままのマコちゃんを気が済むまで堪能して、ようやく立ち上がる。
「あ、そうだ。」
リビングに行こうとドアを開けた時、マコちゃんが呼び止めてくる。振り向くと、少し体を起こしたマコちゃんの隣の壁に貼られた、ブーメランパンツ姿のイケメンと目が合ったような気がした。
「カレンダーにも書いておいたけど、明日は私、本社の方に行かないといけないのよ。」
普段は家に居る事が多いけど、月に何度かは、こうして仕事で出掛けていく。マコちゃんの仕事のことも、よく知らない。仕事中の部屋に聞き耳を立ててみても分からなかったように、本棚に詰められた背表紙を見ても、頑張って勉強して身に付けた難しい知識を要求されている事が辛うじて分かる程度だ。
「そうなんだ。」
スーツを着てネクタイを締めたマコちゃんは、滅多に見られない。早い時間から出て行って、遅い時間まで帰って来ないのだ。そんな朝は、帰ってくるとリビングのいつもの場所にチィのごはんが少し多めに用意されていて、テーブルの上にはマコちゃんの綺麗な字で書かれたメモがあって、冷蔵庫の中にはラップを掛けられた一人分の朝食が置いてある。
冷たいままのそれを食べながら、今何かとんでもない事をやらかしても、マコちゃんは来てくれないんだなぁと思う。しーんと静まり返ったリビングで、テレビを点けてみても内容は頭に入って来ず、チカチカと目まぐるしく動く光の塊を目に押し付けられて、意味の無い言葉の羅列を耳に詰め込まれているみたいに感じるだけだ。
ソファーで寝て、昼過ぎになると胸の上に乗っかったチィに起こされる。キラキラ光ってシャカシャカ音のする猫じゃらしや、ゲームセンターで手に入れたレーザーポインターで遊んで、ブラッシングをして可愛がっていると連絡が来るから、一度シャワーを浴びて着替えたら、誘ってきた女の人とデートに行く。
大抵は遅めの時間でもやっている見映え重視のランチを食べて、何も買わないショッピングに付き合って、ああでもないとかこうでもないとか何でも似合うねとか言われながら服を選んだり、女の人が喜びそうな恋愛映画を見たり、欠伸をしながら美術館や展望台に行ったり、カフェで甘い物を食べたり写真を撮ったりして、その後はホテルか、相手の家に向かう。
デートする気分じゃない日は、よく行くクラブやバーに行って、常連客や仲間と音楽を聴いて、ショットやダーツ、ビリヤードなんかをして騒いで夜を明かしたり、そこで初めて会った女の人と仲良くなったりする。そしてまた、違う場所で朝を迎える。
マコちゃんが家に居ても居なくても、そんな毎日の過ごし方はほとんど変わらないのに。
「朝ごはん、どうする?」
「いらない。多分、昼まで寝ちゃう。」
マコちゃんはきっと、朝ごはんに何が食べたいかを訊きたかったんだと思う。今の内に確認しておけば、作ってから出掛けられるから。でも、冷たい朝食はなるべく食べたくなかった。
「そう…分かった。それじゃあね。」
そう言って、マコちゃんがオレンジのランプを消そうと手を伸ばす。その前に腕を伸ばして、廊下の照明のスイッチを押した。
暗くなった部屋から出て、もう一度マコちゃんの方を振り向く。ベッドに潜り込む大きな影に向かって声を掛けた。
「じゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
ドアが閉まる直前に聞こえたのは、いつもの低くて優しい声だった。
マコちゃんのことは、何にも知らない。
頭が良くて、色んなことを知っていて、在宅でパソコンを使う仕事をしていて、優しくて、猫が好きで、筋トレが好き。それくらいだ。
年齢を聞くと失礼しちゃうわと怒られたし、何処で生まれて、どんな風に育ったのかも、話した事がない。話し方は少しだけ変わってるけど、気になるような訛りもない。
ポスターの中なんかじゃなく本当の意味での初恋の人、初体験はどんなだったか、好きな相手のタイプはどんな人なのか。記憶力も良いから、たぶん今まで寝てきた相手の顔と名前を全員分覚えているんだろうけど、聞いた事は無い。
どんな場所に出掛けて、筋トレ以外は何して過ごすのが好きで、どういう物を美味しいと感じるのかも。お酒を飲んでいるのも見た事がないから、強いのか、弱いのかも分からない。
家の外にはどんな友達や同僚が居て、その人たちの前ではどう振る舞っているのかを見た事もない。いつもとにかく冷静で、あんまり大きな声で笑ったり怒ったり泣いたりしないマコちゃんは多分、誰に対しても優しいのだ。
それなのに、どうして誰もマコちゃんと付き合わないんだろうか。
当のマコちゃん自身が、恋人が欲しいとは思っていないのかも知れない。ましてや結婚願望はあるのか、どんな家庭を築きたいのか、子供は欲しいと思っているのか、老後は何処に住みたいのか、なんて聞ける日は夢のまた夢だし、マコちゃんに質問できる立場では到底ないのを分かっている。よく聞かれるけど、将来の事なんて考えない方がいいのだ。
それに何より、興味を持ち始めてしまうと、きっとマコちゃんを困らせてしまう事になるから。
何にも知らないけど、あんな見た目なのにエッチの時は受け身で、耳を舐められるのが弱くて、今は恋人が居ない事を知っている。
それを、おかしいとは思わなくなっていた。今じゃ、毎日のように名前も知らない女の人と寝ているんだ。いちいち疑問に思っていたらキリがない。
マコちゃんもマコちゃんで、他人にあまり干渉しない主義らしく、明日の朝食とか、"何か"したかったのかとか、本当に必要なこと以外は質問して来ない。
どこに行くの?とか、誰と遊ぶの?とか、どんな事をしているの?とか、いつ帰ってくるの?とか、さっきのはキモチよかった?とか、私って可愛い?とか、私の何がいけなかったの?とか、どうしてそんな風に生きているの?とか、そんなことは一度も聞かれた事がない。
何の強要も、責任も、干渉も無い生活。それが、今は心地良かった。
明日がどうなっているのかなんて、そんなの誰にも分からないのだから、答えようがないし。明後日、来月、半年、一年後なんて、もっともっと分からない。
ただ、ここに戻ってくれば、優しくてカッコいいマコちゃんという男の人と、ふわふわなチィというアメリカンショートヘアの猫が居る。
それだけが分かっていれば、充分なんだ。
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