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第9話 さわりたい。

※夕視点です  陽也のハルは春じゃないけど、ハルは本当に春みたいな人だった。  暖かくてふわっとしてて、優しい。一緒にいると気持ちが良い。曇り空の合間を縫って優しくさす日差しだった。  陽也と名前をつけたご両親はすごいなと思う。あまり仲良くないと言っていたけど、ハルをこんな名前の通りに育ててすごいなって思ってた。  ハル。  ハル。  ハルが好きだった。  ハルとずっと一緒にいたいのに、ハルもそう思ってくれているのに、一緒にいるって難しいものなんだなって初めて知った。恋愛ってもっとキラキラしててただ楽しいものかと思ってた。 「ハル」  という語感が好きで、俺は一人でいても時々ハルの名前を呼んだ。ハルに触らないで欲しいと言われてしまってから、その回数が増えた。  ハルに触りたい。ハルに触られたい。でもセックスはしたくない。こんなことがこんなに障害になるとは思わなかった。  だって子供を作るわけじゃないし、射精するだけならいくらだって方法はある。する必要がない事でこんなにすれ違ってしまうなんて付き合う前は本当に思わなかったのだ。  付き合う前が一番楽しかったかも、なんて一年前のことをよく思い出す。ハルと動画をだらだら見て、ゲームとかしてそんなことをしている時間が一番楽しくて幸せだった。  一緒に暮らしたらそんな日々がずっと続くのかと思っていた。今思えば自分のその想像上の恋人との生活はひどく幼稚だったとわかる。  でも仕方ない、知らなかったのだから。セックスという行為が介在している関係なんてハルしか知らない。自分は男とも女の人とも付き合ったことがなかったし、好きになったことも好かれた事もなかった。  ハルと出会った頃に戻りたい。    一年前に戻りたい。そしたら俺はハルとは付き合わない。付き合わないで友達でいたい。親友でいたい。恋愛じゃなくて憧れのままハルを好きでいればよかった。そしたら楽しい事だけを共有する仲でいられたかもしれないのに。  でもハルはそんな関係いらないかもしれないな。ハルは多分友達はいっぱいいる。俺に遠慮してるみたいで全然遊びに行ったりしないけどよくメッセージアプリの通知が来る。たまに電話もくる。  だから、恋人じゃなかったら俺は要らないかもしれない。いや、こんな状態ならもう恋人としてだっていらないだろう。ハルは俺と付き合っているメリットが何もない。  今、ハルに別れたいと言われたら、俺は分かったと言うだろう。言わざるを得ない。  嫌だ。    お願いだから別れたいとか言わないで。ハルに捨てられたらどうやって生きていけばいいんだろう。俺はもうハルと出会う前の自分がどうやって生きていたのか思い出せない。  じわっと涙が出てきた。ハルに「くっつかないで欲しい」と言われて以来、俺は部屋に一人でいるとたまに泣いてしまう。今まで滅多に泣いた事がないので泣くのに慣れていない。  鼻がツンとして苦しい。ハルのせいでしんどいのに無性にハルに慰められたい。ハルに大丈夫だよって言われたい。ハルに背中を撫でられたい。  俺はハルしか知らない。  俺にはハルしかいない。 「ハル」  どちらが悪いとかじゃないのはわかってる。ただ原因は俺にある。俺がハルを拒んでるせいだ。ハルをずっと我慢させてきたんだから、俺も我慢するべきだ。   「ただいま」  と言って俺は誰もいない部屋の電気をつける。 俺が家に帰ってくる時、ハルはいつも家にいた。だからこの暗さにまだ慣れない。  最近ハルは夜遅くまでバイトに行ってしまうことが増えた。夜ご飯を作り置きしてくれる時もあるし、してない時もある。今日は何もなかったので適当に余ってた冷凍ご飯と卵とウィンナーを炒めて食べた。  自分で作ったご飯ってなんであまり美味しくないのだろう。食にこだわりがない俺でもそう感じる。かと言って外食したいとも思わなかった。早く家に帰りたい欲が強い俺は、基本的に一人で外でご飯を食べない。  けれど、ハルのいない家で一人で美味しくない自分のご飯を食べるの、嫌だな。と思う。ファミレスにでも行って課題やればよかった。    俺と顔を合わせたくなくて深夜のシフトを入れているのはわかるけど、あからさますぎないか?でも俺のせいだから仕方ない。俺が拒んでいるせいだ。だけど俺がセックスをしたくないのは俺のせいじゃないはずだ。そういう体なんだから仕方ない。    と、俺は5秒おきに怒ったり凹んだり悟ったりを繰り返す。最近ずっとこうだ。  ハルは寂しくないんだろうか。セックスできないなら、指一本触れないなんてあまりにも極端すぎる。  朝だって俺が寝ている隙に仕事に行ってしまう。そして昼に帰ってきて家事をしてまた夕方に家を出ているようだ。そこまでして俺に顔を合わせようとしないとことか、そこまでするなら家事なんか放り出していいのに、きちんとやるところもなんだか嫌だ。  俺がいることをまるで無視して一人で暮らしてるような素振りを見せるのは、ハルなりの反抗なのかもしれない。俺はハルが本気で怒ったりハルに愛想をつかされた経験がないので、どうしていいのか分からずだいぶ弱ってしまっていた。  そもそも俺は人間関係のあれそれをずっと面倒くさがって、人と喧嘩もしたことなければ当然仲直りもしたことがない。人間同士のやりとりを全てハルから教わってきた。  だからこういう時どうしたらいいのか教えてくれるハルから何も教えてもらえなくて行き止まりに佇んでいる。  だんだんと冷え込んで冬の気配が近づいているのも相まってとんでもなく寂しい。この家はこんなに寒かっただろうか。  ハルに触りたい。  ハルに触られたい。  この日、俺は意を決してハルの部屋でハルを待っていた。0時を回ってしばらくしたら玄関がガチャガチャと空いた。 「ただいまー」  間延びした声が玄関から聞こえる。ここまでは昔と一緒だ。でもここ最近は、帰ってきたハルを捕まえて少し話したいとか言っても明日も早いからごめんねとかなんとか言われてそっけなく追い返されてしまっていた。  でも今日は逃がさない。 「うお、夕いたの」  俺がハルの部屋で憮然と座っていたから、ハルは素で驚いたようだった。 「おかえり」  と俺はハルを見たが、ハルは俺の目を見てくれない。視界から俺を外してカバンやジャケットをハンガーラックにかけている。 「どしたのー。早く退かないと襲っちゃうよー」  冗談めかした口調で言ってるが、早く出て行ってくれと体全体で告げているようだった。  俺はその態度が悲しくて全身が冷えたようにぎゅっとなる。でも久しぶりにハルを見れて嬉しいとやっぱり思ってしまった。こんなふうになって10日くらいしか経ってないが、体感数年ぶりにハルに会ったような気がした。  俺はハルに聞こえないように軽く深呼吸をする。そして、 「いいよ」  と言った。 「ん?」  そこで初めてハルは俺を見てくれた。俺も真っ直ぐにハルを見る。 「しようよ。ちゃんと最後まで。俺、頑張るから」  俺は立ち上がってハルの腕を掴んだ。ハルが驚いてずりと後退りをした。でも俺は手を離さなかった。 「え、でも……」  ハルの瞳が困ったように揺れる。ハルからしたら予想外の展開だろう。どうしていいのか分からない表情をしていた。  いつもと立場が逆だなあと思った。ハルはこんなふうに煮え切らない俺にずっとモヤモヤしていたに違いない。  俺はこのまま逃げ出してしまいそうなハルをぎゅっと抱きしめて捕まえた。そしてハルの口にちゅっと唇を押し付けた。  背筋をちゃんと伸ばすとハルの方が小さい。ハルの柔らかい唇に久しぶりに吸い付く。気持ちがいい。俺の腕の中でふっとハルが脱力するのがわかった。 「んっ、っ」  ハルが空気を求めるように俺の口から逃げた。でも俺はハルの唇を追いかけた。 「ハル」  ハルの呼吸を奪うように何度もキスをした。ハルはされるがままという感じで抵抗こそしなかったが、舌を入れても絡ませてはくれなかった。  俺はキスをやめるとハルを敷きっぱなしのマットレスに無理矢理引っ張った。 「あ、ちょっと」  急に引っ張られてバランスを崩したハルはマットレスに上に膝から崩れ落ちて座り込んだ。 「夕、どうしたの。何かあった?」  ハルが不安そうな目をする。なんだか俺はその目に無性にイライラしてしまう。この期に及んですっとぼけなくていい。 「何言ってんの。ありすぎでしょ。俺わかったから、ハルの気持ち分かったから。今までずっとこんな気持ちにさせててごめん」  ハルは困ったような顔のままだった。喜んではなさそうだった。 「俺、ちゃんと分かったから、もうハルに触りたい」  ハルを抱きしめながらそっと体を倒す。ハルは何の抵抗もなく押し倒されてくれた。ハルの胸に顔をこすりつけるとハルの匂いがする。安心する。 「ハル」  ハルは何も言わない。ハルを見たけどハルは困惑した表情のままだった。ハルは俺を抱き返してもくれなかった。まあもうなんでもいい。今日は絶対に最後までする。具合が悪くなろうがやめない。  俺は珍しく興奮していた。触られる前から勃つ事なんてほとんどなかったが、今は勃っていた。なんだかもうセックスというより殴り合いでもするような昂りだった。  俺はハルの腿に馬乗りになるとシャツを脱いだ。下は最初から下着しか履いてなかったのでほとんど裸状態だ。自分から脱いだのは初めてだった。  ハルの着ていたシャツも脱がせた。ハルの肌にすり、と掌を這わせると少しだけ身を捩った。ハルの肌は暖かくて柔らかい。心臓に耳をつけると心地良い音がした。冷たかった耳がハルの体温を奪ってじんわり温まる。ああ、俺はずっとここにいたい。この暖かくて良い音がする空間にずっと居たい。 「ハル…」  俺はほっと息をつくと同時にハルを呼ぶ。この安堵感とか安心感は他に代わるものはないだろう。俺は絶対にここを手放したくない。離れたくない。  再びキスをするとハルも目を閉じてくれた。首筋とか鎖骨とか胸とかにもキスをする。今までハルが俺にそうしてきたように、してくれたことを返すように唇でハルの色々な場所に触れた。  ハルが何もしゃべらないし動かないので、ハルの吐く息の音で反応を見ていた。俺もハルも呼吸が荒くなっていた。俺はハルのジーンズのチャックを下げて下着ごとずり下ろした。ハルも少し勃っていた。少しホッとする。俺のことが嫌になってしまったわけではなさそうだ。 「あ、俺、シャワー、まだ」  ハルがやっと口を開いた。 「いいよ、別に」  シャワーなんか浴びてる間に冷静になって逃げられたら困る。抵抗はあったけど、なりふり構っていられなかった。 「あ、っ」  俺はハルの柔く勃ったものを一気に口に含んだ。  この時の俺は多分ハルと出会って1番冷静じゃなかった日だと思う。もうこうしないと、無理にでもハルと結ばれないと永遠にハルを失ってしまう、捨てられてしまうと思っていたのだ。  頑張ることと無理することを切り離して考える事ができなかった。セックスさえちゃんとできれば、元通りに戻れるという強迫観念のようなものに頭を侵されていた。    ハルが好きだった。大好きだった。  だから、セックスなんてしなくても、と思っていた。けれど、俺たちが関係を続けていくためには、ハルにとってはなくてはならないのだろう。 我慢とか妥協とかそういうものなしに関係が保たれる事などないのだろう。公平でいられる関係にはきっと努力が必要だ。    もう分かった。もう分かったから。  ハルのそばにいられるならなんでもする。  ハルのためならなんでもできると証明したかった。  

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