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3/3(完)

両親の居る家に戻ってくるように母から連絡が来たのは、夏休みが終わる寸前だった。離婚は成立し、俺の親権と養育費は母が持つ事が決まったらしい。 当の俺は、立夏との"秘密作り"にのめり込み、村に来た頃は真面目にこなしていた宿題にも手を付けられないほどになっていた。祠の裏での一件以来、立夏と俺は羽目を外したように、山でも川でも家でも畑でも、そこら中で交わり合っていた。誰かに見られていなかったのは奇跡に近いくらいだ。 恐らく夏休みが明けても、勉強になど到底身が入りそうになかった。このまま祖母の家で世話になり続け、二学期からは立夏の通っていたという中学校へ通うため、転校でもするのかと漠然と考えていた。 勿論そういう訳にはいかない事も、頭の何処かでは初めから理解していた気がする。飛躍した想像をしてしまうほど、自分でも不思議なまでに、経験した事のない様々な感情を抱かせてくる少年と、この村での過ごした夏休みは、ひと夏の思い出でしかない。 一緒に風呂に入った時の立夏は、俺の内腿に自分のを挟ませ、擦り付けるのが気に入っているようだった。一度だけじゃなく、何度かやったのだ。 大家族がかわりばんこに使っていたのであろう、広めの浴室の床に仰向けになって、自分で脚を抱くようにして、背中が少しぬるつくのを感じているのは、何とも恥ずかしいような、擽ったいような感じだった。そうしながら、うっすらと立ち込める湯気の中で、額から汗を流して一心不乱に腰を振る立夏を見ていると、胸を締め付けられる気がした。 「秘密だからね、ちゃんと秘密にするよ…リッカ…」 はっはっと息を上げている姿を見つめ、小さく言い聞かせると、立夏は何度も首を振って嬉しそうに頷く。 子分という立場にありながら、彼に求められてこうしているだけであって、強要されているのではない事に安心し切っていた。接し方が対等だったからこそ、立夏の全てを受け入れるような気分になれてしまったのだ。 立夏の裸はランニングシャツの跡も薄くついているものの、本当に日焼けをしていないのは下着の中だけだった。小さくしっかりとした尻だけが白く、剥き出しになった部分は生え揃った毛に覆われて、年上らしく主張しながら、頼りなげな俺の股の間から顔を出したり引っ込んだりしていた。生え始めた毛と縮れた毛が絡まって、ずりっずりっと音を立てる。押し付けられる肉の間にそれが巻き込まれ、突っ張る痛みに少し顔を顰めながら、立夏が自分の腹にぶちまけるのを待っていた。体を揺らす度、腰骨が床に当たるのも少し痛かった。俺も決して感じなかったわけではないが、自分の快感に集中するにはそういった小さな痛みが雑念となってしまっていたのだ。 立夏は満足すれば、起き上がらせた俺の方を手で処理してくれていたので、この体勢の時は下手に快感を追い求めない方が身のためだという事も覚えた。学校の宿題には身など入らず、そんな事ばかり考えては身に付けてしまった。 立夏は俺の少し年上で、親分であり、同時に村で唯一の友達だったが、だからと言って勉強を見てくれるような相手ではなかった。教えてくれたのは、誰とでも仲良くなれる村での過ごし方と、誰にも言えない"秘密"の作り方。それだけだ。 その日も立夏が泊まりに来て、またしても風呂で新しい"秘密作り"を終えた後。 風呂から上がって体を拭きはするものの、いつものように裸のまま縁側に座っていた立夏に、夏休みが終わる前に村を離れる旨を話した。 元はと言えば両親の離婚のゴタゴタが片付くまでの予定だったのだから、ただ当たり前の事を伝えたに過ぎない。その日が近付いて、現実味を帯びていたので、改めて認識しておいて欲しかったのだ。 立夏はしばらく呆然として、言葉を失っているようだった。虫の音が聞こえるほど静まり返った夜の空気を、肌で感じていた。 少し間の抜けた横顔が、雲一つない夜空から下りてくる月明かりに照らされているのを見つめ、立夏の言葉を待っていた。 「…行くなよ。」 押し出すように、立夏が言葉を発した。 「オレと離れ離れになるの、お前は平気なのか?」 大きな体躯とは正反対の、まるで捨てられた子犬のような目をしてそう訊ねてくる立夏を、抱き締めたいと思った。 時々訪れる、親分と子分という関係など逆転してしまうような、腕白で無邪気な立夏を包み込みたいと思ってしまう感情は何なのだろうと、俺はずっと疑問に思っていた。全てを捧げたいと思い、何をされても許してしまうような。 「平気じゃないよ…でも」 「じゃあ行くなよ!」 俺の言葉をかき消すように、立夏が大声を出した。それから、パジャマ代わりにしていたTシャツの胸倉を掴まれ、縁側へ押し倒されて、噛み付くようにキスをされた。唇を覆ってくるのは、癖になるほど慣れ親しんだ感触だった。 立夏はいつも優しかったが、万が一どんなに乱暴にされようと、抵抗する気など微塵も起きなかった。ああ、このまま立夏に食べられてしまえば良いのに、立夏が俺の全部を食べてくれれば良いのに、なんて考えていたのだ。自分の全てを捧げてしまいたくなる相手であって、そんな相手から言われることなら何でも受け入れたくなる。 ただ、いくら自分が受け入れようとしても、現実的には叶わないこともあるのだと理解していたのも確かだ。そういった点では、少し年上の立夏よりも俺の方が大人だったのかも知れない。冷静だったのかも知れない。 顔を離した時、立夏が泣いているのに気付いた。力では敵わないほど体も大きく、逞しく、強いとばかり思い込んでいた彼の見せる涙は月の光を受けて、瞼の先で震えながら光っていた。 「リッカ…」 思わず手を伸ばしたが、立夏は自分の腕で乱暴に涙を拭い、鼻を啜って、睨むような目で見下ろしてきた。行き場を失った手をその頬に添えると、その上から立夏の手が重なってきた。熱い手だった。 「一緒に作った秘密は、守るからね…ずっと。」 風呂でもそうしていたように、安心させるよう言ったのは、ひょっとすると自分自身のためだったのかも知れない。 「…秘密じゃなくなっちまえばいいのに。」 恨めしそうに、立夏が小さく呟いた。 「え?」 聞き返すと、立夏は俺の目を見ないように深く俯いてしまった。目元に影が落ちて、涙は輝きを弱めた。 「村の皆にも、朝比奈のバァさんにも、お前の親にもオレたちのこと話してさ…ずっとここに居られるように…」 徐々に潤んでくる声を聞いていると胸が張り裂けそうになった。 これほどまでに自分のことを想ってくれる相手と離れて、自分を一度厄介者扱いして遠方の田舎へ遣った相手の元へ、また戻らなくてはならない。そんな事実を、その先の人生を、すんなりと受け入れられている俺の方がおかしかったのだ。 しかし立夏の考えを実現させる事にも、賛成はできなかった。 「そんなのダメだよ。」 両手を突いて起き上がり、大きな体に跨られたまま、首を左右に振った。 「せっかく作った、リッカと二人だけの秘密だもん。」 秘密が欲しいと言い出した事で、立夏との距離はここまで縮まった。その秘密が明かされたら、積み重ねてきたこの関係までもが、壊れてしまうように思えたのだ。 「ずっと秘密だって、言ったよね?」 「だからそれを、秘密じゃなく…ああ、もう!」 立夏は苛立ったように両手で頭を掻き毟り、間近で響くような大声を出した。初めて怒りを露わにした立夏が、少し恐かった。 またすぐにキスをして来た。慣れ親しんだ感触に、どことない違和感を覚えてしまったのは、それまでにない立夏の様子を見たからだろうか。 拒む事はしなかったが、今までのような心臓の高鳴りも無くなっていた。 「お前が居なくなったら、オレは、どうすればいいんだよ…」 顔を離して俯き、怒りの中に悲しみを滲ませて訊ねてくる立夏にも、僅かな恐怖を感じた。こんな風にしおらしく、自分を困らせるようなことを言ってくる相手ではなかった筈だ。 震える息を押さえ、言い聞かせるように答えた。 「どうもしなくていい。今まで通り、秘密を守り続けてくれれば…」 つい先程まで、抱き締めたい、自分の全てを捧げたいとまで思っていた相手が、それまでとはまるで別人になってしまったように感じられた。 知っているのは、まるで接待をするように優しく、それでいて幼い頃からの友人のように気さくに、何かと気に掛けてくれる立夏だった筈だ。たまにある不躾な物言いも、彼の裏表の無さからくるものだと思っていた。 「オレは…お前の親分だぞ?」 子分ではあったものの、立夏が俺に何かを強要する事は無かった。それは、彼の中でまだ俺のことを、良いように言えば「お客様」、有り体に言えば「他所者」と感じる意識が抜けなかったからだろう。 そんな立夏が、はっきりとした意思を持って俺を引き留めようとしてきたのだ。初めて、親分という立場を主張して、自分の言うことを聞かせようと。その事実は、彼に求められているという喜びよりも、豹変してしまった彼に対しての恐怖を深く俺に抱かせた。 「…そんなこと言うなんて思わなかった。」 思ったことがそのまま口をついて出た。 「恐いよ。いつものリッカじゃない。リッカ、変だよ。」 責めるような口調でそう続けると、立夏は少し腰を浮かせて俺の上から退いた。傍らで膝立ちになり、悲しげに言い返してくる。 「変なのは…変なのは、お前の方だろ?」 今なら、立夏が言いたかったことも少しは分かる気がする。まだ大人になり切れない彼が、自分の無力さを突き付けられている時に、それをもたらした張本人である俺は至って淡々としていたのだから。 「何でそんな風に…」 立夏は言葉を切って、また睨むような視線を向けてきた。 何を言い返す事もできずに、見つめ返す形になる。 また虫の音が聞こえるほどの静寂。彼の視線が、俺の左右の目を彷徨って揺れているのが分かった。一方で俺の呼吸は落ち着いていた。 立夏はゆっくりと立ち上がると、一度部屋へ引っ込んだ。すぐに服を着て出てきた時には、泊まる際にいつも着替えを入れて持って来ていた、エナメルのバッグも手にしていた。 立夏がどうするつもりなのかは理解できた。中庭は大きな家屋をぐるりと囲む植え込みに開けられた勝手口の方へ続いており、彼の靴は縁側のすぐそこに脱ぎ捨てられている。 声を掛ける事ができなかった。自分の考えていることは全て伝えた上、恐怖すら感じていた相手に、何と言えば良いのか分からなかったのだ。 それまでの人生で経験した事の無い感情がまた一つ増えたのが分かった。それは何とも居心地が悪く、取り返しのつかない失敗をしてしまった後悔のようでいて、自分の力ではどうしようもないと諦めるにしても煮え切らないような、複雑なものだった。そして、立夏との間に、頭を過ぎった事さえも無いほど恐ろしく、悲しい別れが訪れたのだという事を自分自身に知らせていた。 すれ違いざまに、ぽつりと立夏が口にした言葉。 「恐がらせて悪かったな…。」 それは、初めて彼が俺にした謝罪だった。 俺が村を発つ日は、すっかり打ち解けた住人たちが朝比奈のバァさんこと祖母の家まで見送りに来てくれた。 はるばる迎えに来た母は離婚のゴタゴタによる心労や長距離移動による疲れと、俺の知らないところで誰かに何か言われていたのか、やつれた顔をしていた。 それでも、自分の持ってきた荷物以外にも、村人総出で収穫したトウモロコシを山ほど持たされ、しっかりと日に焼けた俺の姿を見た途端に笑い出した辺り、大家族を仕切る肝っ玉母ちゃんだった祖母の血をしっかりと引いているように思えた。 この家に毎日のように通っていた立夏の姿だけが、その場から欠けていた。 あんなに一緒に居たのに見送りに来ないなんて、と口々に不思議がられても、あの夜起こった出来事やそれを含む全ての秘密は誰にも言えなかったし、誰に言うつもりもなかった。それこそが、まるで別人のようになって離れていった立夏と俺の築き上げてきたものを繋ぎ続ける、唯一の方法だと思っていた。 立夏とはそれっきり、何も無かった。 祖母の葬式でおよそ十年ぶりに田舎を訪れた際、すっかり成長した姿を見掛けたが、声は掛けなかった。 喪主を務める俺の伯父に、朝比奈のバァさんには世話になったと悲しそうに語る立夏の隣には、立夏と出会って間もない頃の俺のように色の真っ白な女性が居た。一人っ子であり長男である立夏は、あの時言っていた通り、家を継ぎ、守る事ができているようだ。 そんな立夏を自分が見ているのは、後ろめたい事のように思えた。何年も秘密を守り続けた結果、立夏と俺の関係は誰にも説明できないものだと気付いたからだ。 落ち着かなかった。かつて暮らした家を懐かしむ余裕もなく、仕事の連絡をしているふりをしたり、外で煙草を吸ったりしながら、とにかく立夏から隠れるようにこそこそと過ごした。真っ黒な喪服は暑く、誰かが通り掛かる度に中に入るよう勧められたが、彼と顔を合わせてしまうよりはマシだった。 ちなみにヤマノガミさんと呼んでいた小さな祠は、数年前、傍に立っていたあの大きな木に雷が落ちて、一緒に燃えてしまったと聞いた。元々経年劣化が酷く、土地の管理者も不明で修復の目処も立たないため、近々取り壊されるという話だ。 立夏には何を言うつもりもない。長男としての務めを立派に果たせばいいのだから。 俗に言うひと夏の思い出で、振り返ってみても、誰にも言えない秘密だらけの夏休み。それは誰かに話せば何もかもが崩れてしまうようでいて、誰にも話さなければ無かった事になってしまう程度の存在だった。

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