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玄関のインターフォンが鳴っても、裸の雲雀 はベッドの中で待っていた。特注のベッドはクイーンサイズで、置かれた寝室はそれでもまだまだ余裕のある空間だ。
しばらくの後、部屋に入って来た顔を確認するなり、にやりと笑みを見せる。
「ホントに来たんだ。」
笑みをたたえ、三日月形に曲がった目元。その中でやや不似合いな青い瞳は、カラーコンタクトレンズではなくレーザー手術によって生み出されたものだった。最近ようやく馴染んできた、否、見慣れたと言った方が正しいのかも知れない。そこから向けられる視線は喜びと共に熱を帯びており、皮肉なほどに妖艶だった。
「ヒデは相変わらずだねー。」
感心感心、と言いながら読んでいた成人向け雑誌を閉じ、サイドテーブルへ置く。
ヒデと呼ばれた青年はそんな雲雀の目的にようやく気付いたようで、不服そうに顔を顰め、頭を掻いた。
「セックスしたくて呼び付けたのか?」
あからさまに苛立ちを見せる態度には、昔から振り回されがちな仲での積もり積もったあれやそれが早くも滲み出ている。
上月 日出人 は、この雲雀という少年に対し、その名の通り月と日、すなわち陰と陽が交錯するような、一筋縄ではいかない感情を抱いていた。
当の雲雀は悪びれる素振りも見せず、肩を竦め、片方の眉を跳ね上げる。
「そーじゃなくても、こんな時間に来てくれんのヒデくらいじゃん。」
紛れもない事実を言われ、今度は呆れて溜息をつく。幾度となく訪れた手前、時計の位置なら把握しているが、わざわざ確認する気にもならない。
雲雀は満足そうに笑い、そんな呆れとも諦めとも取れる表情を見上げたまま、自身の隣をポンポンと左手で叩く。
「チッ」
促され、舌打ちをしてから服を脱ぎ始める日出人。雲雀の態度や振る舞い、そして逆らい切れない自分自身に苛立っていた。
「散々してるんじゃねーのか、オキャクサマ相手に。」
憎らしげに言う日出人の視線の先、サイドテーブルの天板には成人雑誌の下敷きになってコンドームが散らばっている。
ここは、現代における城とも呼ぶべき富の象徴、美しい夜景を見下ろすデザイナーズマンションの一室。
コンシェルジュが24時間待機するエントランスから、エレベーターホール、廊下などの共用スペースまでしっかりと防犯体制も取られていた。その中でもかなり高い階にあるこの部屋は、部外者が誤って迷い込んでしまう事が無いよう、一層のフロアごと借り切られた内の、突き当たりにある角部屋だ。
そんな場所で、落ち合うなり裸を突き合わせたのは、まだ少年と呼んで差し支えない彼と、彼から夜遅くに呼び出された青年。どちらも場違いなのは明らかなのだが、二人はもうその話題について触れる事さえ無い。
新進気鋭の建築デザイナーとインテリアコーディネーターが腕を振るったというその内装は、雲雀曰く上品かつ洗練されており、センスに溢れていた。派手で煌びやかな装飾は却って気を散らす、という考え方のもと、伝統にとらわれないモダン・アートがコンセプトとなっているそうだ。
直線と曲線が描き出す中に赤、白、黒の三色を嵌め込んでシンプルにまとめているが、大理石で作られた玄関からフローリング敷きの廊下、リビング、ダイニングキッチン、ベランダ付きの書斎や"趣味"の部屋、バスルーム、トイレに至るまで、居心地の良さも重視された仕上がりとなっている。照明には柔らかな半間接配光を取り入れる事で、綺麗に片付けられた中でも無機質になり過ぎない印象を与えていた。
なめらかに光を反射する壁や床は防音性と断熱性に優れ、特にベッドルームは一番長く使われる事になるだろうと、様々な意味で快適に過ごせるようこだわり抜かれているそうだ。
赤と黒を基調にした家具も特注で、壁一面をくり抜いた大きな窓から見える昼の太陽とも夜の月明かりとも、勿論その間の夕暮れとも、相性が良くなるよう計算されて設計、配置されたものらしい。
ここでの暮らしは悪くない、と世間を知らない少年は無邪気に語る。
俗世間を離れ、山奥などで静かに暮らす事を「文字高臥 」と言う。世間と関わりを持たず、文字通り枕を高くして暮らす雲雀は、ある意味ではそう呼べるのかも知れない。
「シゴトなの。それにボクはただヤッてるだけじゃなくて、愛を売ってるんだから。」
いたずらっぽく言う雲雀の"仕事"は、この部屋を訪ねてくる男性客を相手に春をひさぐ事だ。
決められた時間をめいっぱい使って、疑似恋愛的な触れ合いを繰り広げ、報酬を受け取る。
その報酬は多額の金銭に加えて、一流ブランドのバッグや香水、ネックレスやピアスなどのアクセサリーなどの身に付ける物、海外を渡り歩く放浪の芸術家が描き下ろした絵画に彫刻作品といった物質主義者を満足させる物、高級レストランから呼び寄せたシェフの振る舞うコース料理や、世界的に有名なピアニスト、ヴァイオリニスト、チェリストの演奏まで付いてくる事もあった。当然ながら、このマンション自体もそうした事への報酬の一部だ。
気高く優雅、上品な様子もまた「高雅 」と表現する。しかし彼を取り巻く環境がどれだけ高雅であろうと、その根底にあるのはお世辞にも上品とは言えない欲望、ただそれだけだった。
「じゃあやっぱりオレは、ただヤる為に呼び付けられたって事だな?」
「ヘリクツ言わないの。ヒデに売る愛は無いよ。」
大きく柔らかい枕に背を凭せ、頭の後ろで腕を組む雲雀。永久脱毛、およびアポクリン腺の除去まで施された両腋には、年齢の若さでは説明が付かないほど一点の黒ずみもざらつきも見当たらない。日に当たらないそこは肌理が細かく、二の腕に彫られたタトゥーが更にその白さを強調している。
「ヒデに注いでるのは、お金で買える愛じゃなくて無償の愛だもん。」
「へえ?」
熱烈な告白とも取れる言葉を受けても、少しからかうような調子で聞き返すだけの日出人。
雲雀からこういったことを言われるのは、初めてではない。むしろ言われ慣れてすらいる。そんな風にして気持ちを知っているからこそ、一筋縄ではいかない感情が身の内に生まれるのだ。
衣服を全て取り払った日出人が顔を上げ、一度軽く頭を振る。精悍な体を包むシミ一つない肌は日に焼け、これでもかと若さを主張していた。日中は建築現場の作業員として働く彼が、収入や待遇で雲雀やその客を超える事はなく、この部屋に客として訪れる事も不可能だ。
しかし他の客とは持ち得ない関わりを持つ日出人を、雲雀はこうして人知れず呼び出す夜があった。
「ボクがヒデから何かを巻き上げようとした事あった?」
この部屋に呼び付けられるのも、初めてではないのだ。リビングにあるウォークインクローゼットには、複数の客から貢がれたと思しき高級品がどっさりと眠っている事さえ、日出人は知っている。
遅番の警備員が待機する裏口は、雲雀を含めた一部の立場にある人物の要請を受けた場合のみ開かれる。そうする事で、エントランスのコンシェルジュにも認識される事無く、今夜ものこのことやって来てしまったのだった。
雲雀が自らの意思で外出する機会は、無いに等しい。
仕事というのは自身の時間と労力を切り売りするもので、例えば彼の瑞々しい時間は、原則として一日単位で売られている。中にはこの部屋に泊まるだけでなく、雲雀を外に連れ出してそのまま外泊を求める客もいるが、その場合は連れ出した日数分だけ報酬を受け取るという仕組みだ。
特殊すぎるあまり商売敵など居ないであろう、そもそも社会的に認められた存在でもない、世間知らずな少年がたった一人で暮らしているだけの売春宿。それは手を伸ばせば空にも届きそうな高級マンションの超高層階に用意された、アンダーグラウンドだった。
紹介を通じて新規客の相手をする機会はあれど、"予約"は常に長年の上客たちで埋まっている。体調を崩して入院でもしない限り、毎日朝から晩まで、毎日違った相手と二人きりの濃密な時間を過ごすのだ。都度都度に客から求められる格好をし、求められる振る舞いで応じているという。
つまりどれだけ高級な品を持っていようとも、高額な報酬を得ていようとも、自らの意思でそれらを身に付けて外出するなどという機会は無い。まさに宝の持ち腐れと言えよう。
「このコーキューダンショーサマに逆指名されて、タダで突っ込めるんだよ?」
もっと有難がってほしいな、と気取った風で言いながら、丁寧に整えられた爪を恭しく眺める仕草をする。切り揃えられただけでなく、綺麗に磨かれ、透明なトップコートを塗られた爪はまるで美しい女性のそれのように縦長で、穢れたモノに触れた事などないようにさえ思わせる。
やや短めに整えられ、根元までプラチナブロンドのように染められた髪の一本一本から、日焼けなどとは無縁の真っ白な肌、細く伸びた足の爪の先に至るまで、籠の鳥は美しかった。
投資として掛けられ、積み上げられた額だけ、消費者の好みに合わせて宝物のように美しくなっていく様子はまさしく"商品"であった。
「どっちが屁理屈だよ。」
「いいから早く!待ちきれないよ!」
掛けていた毛布を勢いよく捲って起き上がり、飛び起きるようにしてベッドの上に膝立ちになる雲雀。その姿を見るなり、日出人は苦々しく顔を顰めた。
「やっぱりお前の体、見てる方が痛い…」
「え?」
日出人の言葉を受け、雲雀は一度不思議そうな声を上げるが、ふと自身の体に視線を落とし、納得したように腰を下ろした。
「あー…」
そうして、少しだけ気まずそうな笑顔を作って見せる。
「慣れれば意外と痛くないけどね。」
環状のピアスを空けられた両の乳首と乳輪は、男性の物とは思えないほど肥大している。胸の間にも二つ、そしてヘソにも銀色の留め具のピアスが着いており、そこから垂れ下がるように小さな宝石が輝いていた。雲雀曰く、名前を出すと叱られるアクセサリーブランドのオーナーから直々にプレゼントされた、上等なダイヤモンドらしい。
加えて、白い肌にはそこかしこに、装飾の施されたハートマーク、可愛らしい星柄、何処の国に伝わるとも知れないトライバル柄、リアルなタッチの獣などを大きく描いたタトゥーが彫られている。
そして、それらの隙間を埋めるようにぎっしりと男性の名前が刻まれているのだった。
有り様を一言で表せばカオス。高級男娼を自身の所有物としたがった男たちの、金を積みさえすれば誰でも買えてしまう程度の愛の証を、雲雀はその全身に刻んでいるのである。
理解できない者には狂気さえ感じさせる無秩序な有り様も、七分丈のシャツを着、アンクルパンツを穿いてしまえば分からない。雲雀が外出する、すなわち衣服を着る機会は限りなく少ないが、彼の身に付ける服装は全て、それらが隠せる事を基準にあつらえられていた。
今は全て透明なパーツで塞がれ、更に淡いオレンジ色の薄暗い照明の中ではよく見えないが、ピアスの穴は雲雀の鎖骨や首、そして顔にも例外なく空けられている。両耳は外耳に沿って六個ずつと、軟骨に一つ。左の眉尻に二つ、右の小鼻に一つ。そして舌は縦方向、下唇は横方向に並ぶよう三つずつだ。
雲雀は、そんな自身の体を愛おしそうに撫でて見せる。痩せた身体が描く不格好な曲線は何ともアンバランスで、その不安定さが病的な色気を生み出しているように見えた。
「ボクを作ってくれたパパ達の名前だよ。有難く受け入れなきゃ。」
投げキッスをするように、一度口を付けた手を、卑猥な落書きとも言える下腹部の一際大きなタトゥーへと持っていく。
雲雀の生活は、「パパ」と呼ばれる男たちが金を出し合う事で成立していた。家賃や光熱費、食費などの生活費は勿論、入院や通院に掛かる費用や、外出する際の交通費に限らず、投資としての美容代やピアス、タトゥーの施術など全てが賄われている。無論、売春宿であり雲雀の自宅であるこの部屋の清掃や、必要に応じて食材やアルコール類および生活用品と呼ばれる備品の買い出しから食事の支度まで、一切の家事を委託する"スタッフ"への賃金なども対象だ。
それだけではない。雲雀が罹る医療機関は、学会でも名医と呼ばれる男が代表を務める大病院で、専属の看護士のついた特別室が与えられている。その名医もまた、雲雀の「パパ」なのである。
雲雀の暮らすこの部屋も、複数のマンションを経営するオーナーである「パパ」から与えられた物であり、外出の際に着る服は下着からアウター、帽子や靴、バッグなどの小物、アクセサリーに至るまで全て「パパ」が世界有数のデザイナーに作らせたオーダーメイド品だと、いつかの雲雀は自慢げに語っていた。
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