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「そんなに何人も居るのに、全員がパパなのか。」 「いま流行りのシェアリングサービスってやつじゃない?」 自分を商品であるとした前提で、少し自虐的に言い放つ。要するに「パパ」と呼ばれる男たちは、雲雀を"シェア"しているのだ。 彼らは他人に頼らなければ生きてゆけない哀れな少年に救いの手を差し伸べる「パパ」であると同時に、この高級男娼の"予約"を埋め続ける上客だった。 「パパ」の中には顔見知り同士の者も居る。彼らは半ば協力し、半ば競い合うような形で、雲雀に今の生活を提供している。 高い社会的地位を確立し、傍目には人生の成功者ともとれる彼らは、非日常感と癒し、心の安寧を求め、代わる代わる雲雀の元を訪れるのだという。誰にも見せられない弱みから、誰にも相談できない悩み、誰にも打ち明けられない性癖に至るまでを、「パパ」は雲雀の前でのみ、晒け出す事を許されていた。それらを全て許容し、受け入れるのもまた、雲雀の"仕事"の内である。 「エコだか何だか知らないけど、欲しい物は自分で稼いだお金で買うのが一番だと思うな。」 と言っても、外の世界をほとんど知らない雲雀は、ぶらぶらと気ままに店を冷やかして歩くウィンドーショッピングもした事はなく、ずっと欲しかった物を苦労してやっと手に入れたという経験がある訳でもない。 「さすが、高級男娼様は言うことが違うぜ。」 皮肉めいた風で言われ、少しムッとした表情を覗かせる雲雀。自称する分には構わないが、他人から、しかも客ではない相手から言われた事に納得がいかない様子だ。 「でも、ボクが売れるのは身体と愛と時間だけ。どんなパパにいくら積まれたって、心は売れないからね。」 口を尖らせる一方、目には熱を滾らせて言い返した。 「パパ」は雲雀を買っている時間、客としての顔以外にも、自分の趣味を熱く語って聞かせる、ただの退屈な男でしかない一面を見せる事がある。 乗馬、ヨット、旅行、腕時計や外車の収集、希少なワインの飲み比べ、オペラ観劇など月並みなもの。保有財産の資産価値やそれら運用や投資、学会での発表内容、関係者向け試写会での反応など、誰彼構わず他人に口外するのは憚られるもの。雲雀は自身の仕事、そして生きるための術として彼らの話を退屈していない風で聞く事で、彼らを受け入れ、その心を満たしている。 幸か不幸か、彼はヒバリという名前を持ちながら、ニワトリのように三歩歩いて振り向けば今起こった事も忘れてしまうような鳥頭だった。そもそもの理解力すら足りておらず、頭の中にはロクな形で残っていないので、そうして聞いた内容をうっかり口外してしまう心配も無い。様々な事由によって、学校で学ぶという機会を失ない、勉学に励むという経験を現在進行形でほとんどしていない雲雀は、物事の学び方も知らないままなのだ。 無論、同い年の友人というものも彼には存在しない。高級で頑丈な籠の中しか知らず、はばたく事すら知らない鳥は、ただそこに居て、愛想をふりまけば餌を与えられる。世間から見れば恵まれた飼い主である「パパ」の"お陰"で、生活には不自由していないというわけだ。 そうして、恵まれた飼い主と思われるべく社会的地位や権力を持てば持つほど、それらが脅かされる事を恐れ、他人とは表面上仲良く振る舞っていても、心の中では距離を置くようになってゆく。そんな外の世界での戦いで疲れた「パパ」が、何を恐れる事もなく過ごせるのは、まさしく雲雀と居る時間だけらしい。 雲雀に「パパ」と呼ばれる男たちは口を揃えて、価値が分からない者にとっては退屈ともとられかねない様々な趣味の世界に、この愛らしい小鳥を連れてゆくのが夢だと言う。 マンションと病院の往復をして暮らす憐れな少年に、外の世界を見せてやりたいという親心と、美しい人形を自分の隣に連れ歩き、自慢したいという自尊心。少なくともその二つの心に加え、単純すぎるほど性的な欲求も抱えて、男たちは代わる代わるこの部屋へ通うのだ。 「それは、ヒデが一番分かってると思うけど。」 身の上を語る事で、相手に嫉妬心でも抱かせようとしているのか、それとも心から一途な好意を伝えようとしているのか、はたまたそのどちらも含めて駆け引きを楽しんでいるのか。 日出人にはいつからか、雲雀の心の内が見えなくなっているように思えてならない。どれだけ真っ直ぐな言葉を向けられようとも、自身の最も古い記憶の中に居る幼気な男児と、目の前でもはや男とは呼べない姿を晒す少年が重ならないのだ。 それでも雲雀はめげる事なく、まるで呪文のように続ける。 「ボクの心は、ヒデのものだよ。ずっと昔からね。」 他の客や、どんな「パパ」とも比べものにならないほど、長い付き合いがある事。そして、身だけでなく心まで許せる唯一無二の存在であること。それが、雲雀が時々こうして日出人を深夜に呼び付ける最大の理由なのだった。 元はと言えば、雲雀がこの世に生まれ落ちた時からの付き合いと言っても過言ではない。 まだ売春というものの存在すら知らないほど幼かった頃の二人は、親同士が仲の良い友人であり、隣の家に住んでいるだけの、ごく普通の幼馴染だった。 当時の事など見る影もない籠の鳥になってからというもの、陰と陽の両面を孕んで自身に迫ってくる雲雀の真意を測り兼ねているうち、日出人は自身もまた、雲雀に対して陰とも陽とも付かない感情を抱くようになってしまっていた。 「心ってのは、愛とは別モノなのか?」 「そうだよ。世の中には、お金目当てで結婚する人が居るでしょう?それと似たようなもだよ。」 両性の合意に基づいて行なわれる結婚という制度が、雲雀にとってこの上なく縁遠いものである事くらいは、考えなくとも容易に察せられる。 恐らく「パパ」のうちの誰かから聞いたのであろうそんな知識をひけらかし、知った風で世の中を語る、籠の鳥。 「パパ」が披露する知識を右から左へ聞き流しては断片的な知識を得、自身の経験は何一つ伴っていない、言うなれば空っぽの存在。それが今の雲雀だった。 しかし彼の事情を知っていれば、耳年増、頭でっかち、などという言葉を投げ掛けるにはあまりにも酷だともまた分かるだろう。 「心だけじゃなく体もオレのモンだったなら、こんな痛い思いはさせないんだけどな。」 ベッドに腰を下ろした日出人が、おもむろに手を伸ばした。乳首に着けられた環状のピアスにそっと触れる。それだけで雲雀は嬉しそうに胸を張り、女性のように肥大したその部分を強調するようなポーズをとった。 「ボクはパパたちの共有財産なんだ。乱暴な事をする人は居ないよ。でもハードなプレイが好きなら、それはサービスの一部だよね。」 「…バカじゃねえの。」 手を離し、思わず小さな声でそうこぼす日出人。もう自身の無力さを嘆くほど稚拙な考え方の持ち主ではなくなっていたが、やはりまだ年若い。 「オキャクサマだかパパだか知らねえけど、やっぱりイカれてる」 「やめて!」 憎々しげに放たれる言葉を、雲雀がぴしゃりと遮る。 「パパたちの悪口なんて言わないで。」 どれだけ社会的な倫理道徳に背いた行為を好んだとしても、雲雀にとっては命の恩人とも言える。彼らが居なければ、雲雀は生きる事さえままならない。 そんな事は、日出人も理解している。それでも、やはり言わずには居られないのだ。夢見がちな若さは一部においては強みであり、それ以外の部分では弱みとなってしまう。 制止の言葉を聞いて黙りはするものの、不服そうな態度を顕にしたままの日出人に、今度は雲雀が言い返す。 「バカって言ったヒデだってバカだよ。ボクが呼び出したら、こういう事だって覚えらんない?」 先程の、部屋に入ってきてようやく目的を理解した風な振る舞い。苛々と服を脱ぎ捨てていくその様を半ば楽しみながら、実は呆れに近い感情を抱いていたのは雲雀も同じだった。 「ボクの所に来て、シない日が今までにあった?」 「そんなの、あの病院に入るまでは…」 「ヒデ。」 瞬間、日出人を呼んだ雲雀の様子が明らかに変わっていた。 声のトーン、顔付き、纏う空気感までが一気に暗くなり、腹の底から瘴気でも吐き出すかのようなそれは、雲雀自身が最も触れられたくない部分を護ろうとしている事の現れだった。 それまでの可愛げのある雰囲気は一瞬にして消え去り、輝きを失った瞳から氷柱の如く冷たい視線を、突き刺す鋒として構えていた。 「子供の頃の話をするのはナシだよ。今は状況が違うんだから。」 目の前にいるのは、すっかり変わり果てた姿の幼馴染。 そう感じているのであろう日出人の心の内をすべてを見透かす事などできないものの、何を言わんとしているかは、雲雀にも手に取るように分かっていた。同時に、それは彼自身さえ触れる事を拒みたくなるような記憶だ。 「…お前だって、さっき、ずっと昔からって言ったじゃねぇか。」 あからさまな豹変ぶりを見ても尚、ぽつりと呟く日出人。追い打ちをかけたいのではない。ただ忘れる事はできないのだと悔しさを滲ませていた。 そんな物言いに、雲雀を取り巻いていた鋭さが少し和らぐ。 「揚げ足ばっかり取らないでよ…」 また少し呆れたように、しかしどこか嬉しそうに言う雲雀。それから俯き、眉根を寄せて困ったように笑った。 「ずるいよね、ヒデは。ボクの気持ち知ってるクセにさ。」

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