9 / 11

#009 Silence

 《翡翠メイ》のインターネット生配信にて起こった怪奇現象は瞬く間にSNS上で広がり、数日前にまとめられたばかりの投稿写真に写り込んだ黒い影についての関連性の考察は加速した。  建巳が代筆をして公式コメントにて騒動の謝罪を行いはしたが、早苗の精神状態の問題もあり《翡翠メイ》本人の口から騒動に対しての説明をするにはまだ時間が必要だった。  もしかしたらそんな日は二度と来ないのかもしれない。一度持ち直した段階で追い打ちをかけるかのような衝撃にただでさえ繊細な早苗の心は崩れる寸前だろうと建巳は想定していた。  高校時代、早苗の周囲だけ空気が澄んでいるような気がして建巳は目を奪われた。しかしその反面話しかけても早苗は碌に目も合わしてくれず、最初は嫌われているのかと思ったほどだった。しかし見かける度に声を掛け根気よく関係性の構築を続けたところ、単純に人の目を見るのが怖いだけだということが分かった。  更に話をよく聞いてみれば早苗は幼い頃から女児が好むようなキラキラとラメが輝く文房具など可愛らしいものが好きで、男でありながらそういったものが好きという自分自身に負い目があり、それが余計に人の目を見て話すことを忌避させていた。  可愛いものが好きという早苗のアイデンティティを肯定しつつ、人と対面することもなく自己を表現出来る方法としてインフルエンサーという道を示したのは建巳だった。  その結果としては見て分かる通り、早苗は《翡翠メイ》という男の娘インフルエンサーの地位を確立し、直接人と目を見て会話する必要もないので一方的に配信をしつつコメントで応援を貰うこの形式は早苗の精神の安定に大きく貢献した。  しかしそれももう潮時なのかもしれない。男の娘である《翡翠メイ》を女性と認識していたのかは分からないが、太郎のような存在が歪んだ愛情を傾け画面の中の存在としては飽き足らず、断片的な情報を繋ぎ合わせて解析し直接目の前に現れたあの一件は早苗の対面が苦手という性質を大きく揺さぶった。  あの時建巳は太郎をストーカーとして警察に通報し、それまで早苗の自宅へ直接届けられていた手紙や贈り物を一緒に提出した。太郎がビルから飛び降りて亡くなったのはその直後のことだった。  《カエサル》が明度を上げた写真に写り込んでいた顔は明らかに太郎ではあったが、その時点で太郎は既に亡くなっていた。コラージュだとするならば非常に悪質であり、現に早苗は精神的に参ってしまっている。  こういった写真の拡散に対して警告を出すことは簡単だったが、火消しに奮闘すれば余計にそれが事実であることを認めてしまうようなものだった。  八方塞がりとなってしまった建巳は頭を抱えながら、打開策はないかと《翡翠メイ》にまつわる怪奇現象のまとめサイトを確認する。  太郎という厄介な《翡翠メイ》のストーカーの存在はファンの間では当時から名が知られており、いつの間にかSNS上から太郎の存在が消えたことを気にしていた者もいたが当時はストーカーとして《翡翠メイ》再度や警察から注意や警告を受けたのだろうという程度にしか認識していなかった。  しかし今回の一件で再び太郎のことが掘り起こされ、太郎の転落死のネットニュースも拡散され転落死直後から《翡翠メイ》の写真や動画に太郎と思われる黒い影が写り込み始めていたという新事実も明らかになった。  それは誰がどう見ても《翡翠メイ》に付き纏っていた太郎が死して尚――それより更に状況は悪く、《翡翠メイ》を自らと同じ死の世界へ誘おうとしているのではないかという飛躍した発想すらもSNSでは散見していた。  何事に関してもそれ自体を好んでいる訳ではなく、その全てを知りたいとして知的好奇心から根掘り葉掘り調べ尽くそうとする考察者の存在は尽きない。  今早苗は引き続き配信部屋のあるマンションで寝泊まりをしているが、寝る時でさえも電気を消すことが一切出来ず、床が軋む小さな足音でも神経質に反応するようになってしまっている。  建巳もなるべく側に居てやりたいとは思っているが、大学の授業やや友人付き合いなどどうしても側に居てやれない時間も多く、建巳が側に居られない時には父親から借りた秘書を早苗の側に置き決して早苗をひとりにしないようしていた。  後から父の秘書に話を聞くと早苗は殆ど配信部屋の布団に包まったまま、一日数度の食事以外は殆ど動くこともなく布団の中で丸まったままぶつぶつと何かを呟くばかりだった。その食事ですら父の秘書や建巳が声を掛ければ漸く食べるほどであり、最初はそれすらも口にするのを拒絶していた。目の前で同じ食べ物を食べる姿を見せることで少しずつ食べられる程度だった。  このままでは遅からず早苗の身体が参ってしまうことを建巳は何よりも危惧していた。  怪奇現象の直後から《翡翠メイ》本人による写真投稿や動画配信は一切無く、それらが余計にファンや考察勢たちの予測を現実のものとしていた。  オカルトの類を一切信じていない建巳だったが、早苗を安心させる為ならばお祓いなどの手段も厭わない心づもりだった。しかしそれは本当に最終手段であり、お祓いで見せかけの安心感を与えたとしても根本原因を取り除かなければ、幾らでも同じ状況に陥りかねない。  百歩譲り自殺した太郎がその直後から《翡翠メイ》を連れて行こうとしてその周囲に付き纏っていたとしても、幽霊に手紙を送ることは出来ないし、フードデリバリーをすることは出来ない。建巳はインターフォンの録画履歴を確認した時その違和感に気付いた。  直近にインターフォンを押した人物の姿は残っていなかった。残っていたのは前日早苗がカフェからデリバリーを頼んだ時の配達員で、その時インターフォンが鳴っていたのは建巳も一緒に確認していた。インターフォンにバーガーを届けた配達員の姿が残っていたなかったということは、バーガーを届けた配達員だけはインターフォンを押さずにオートロックを突破し部屋の前にバーガーの包みを置いたということになる。  勿論偶然他の住人がオートロックを開けた際に便乗して中へ入ったということは考えられたが、バーガーに農薬が混入していたことを考えると十中八九この時の配達員が犯人と見て間違いはないだろう。それは生きている人間であり太郎ではない。  そうなれば太郎の自殺ですら怪しく感じられるもので、もしかしたら太郎が本当は生きていて自らの想いを無碍にした《翡翠メイ》を、愛しさ余って殺害という方面へ思考が飛躍したとも考えられた。しかし建巳はその可能性はだけは限りなく低いと思っていた。  思い悩み続ける建巳のスマートフォンが着信を告げ、表示名から依頼していた探偵事務所からであると認識した建巳は配信部屋へ向かっている最中だったが足を止めて着信に応答する。 「――はい狭山です。お待ちしていました」  着信を受けた後、建巳はその足で配信部屋へ向かう。部屋の持ち主である建巳は当然鍵を持っているのでインターフォンを鳴らさずにオートロックを解錠し、エレベータを使って直接部屋へと訪れる。  ガチャリと小さな音を響かせて扉を開けると玄関先に靴は一組しかなく、入れ違いで秘書が帰宅したばかりであると分かった。 「早苗ー? 俺だけど」  聞こえるように声を掛けながら配信部屋に向かって足を進める。途中で通過したリビングは使用形跡が一切なく、秘書が逐一整えていっている可能性もあったが相変わらず配信部屋から一歩も出ていない早苗の精神状態を建巳は危惧した。  煌々と室内灯で照らされた配信部屋の中、相変わらず布団に包まった姿で早苗の姿はあった。スマートフォンは充電器に繋がれたまま床へ落ちており、デスクの上のパソコンは電源すら入っていなかった。 「早苗」  ベッドの傍らへ屈み込んだ建巳は毛布の上から早苗を撫でる。この状態の早苗を一日でも早く安心させたい。太郎が本当に死んでいることと、早苗の命を狙う人物は太郎ではないことを早苗に知って欲しかった。 「太郎の住所が分かった」  ぴくりと布団の中で早苗が僅かに動いたのが分かった。 「俺がちゃんと太郎が死んでるってこと確認してきてやるから。そしたらお祓いを――」  建巳の手の下にあった布団が内側から捲られ、早苗が顔を出した。その顔色は青白く、少しは食べているがげっそりと頬もこけていた。  これでは一体どちらがお化けなのか分からないと建巳は苦笑しながら顔を出した早苗の頬に手を添える。 「大丈夫だ、お前の不安は俺が取り除いてやるから」 「……たけみ、さん」  自分が目にしたものに関しての報告には嘘を吐かないし、早苗自身を無理やり連れて行くつもりは元々想定していない建巳だったが、予想外に早苗も自分の目で確かめたいと言い出した。  早苗がそうしたいと願うのならば止める必要は建巳に無かったので、それまでに少しは精神状態を整えられるようにくしゃりとそのまま頭を撫でた。

ともだちにシェアしよう!