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★エヴァン
最近は日々、古書の翻訳と内容の確認に追われていた。
待ち望んでいた本の中身はどうやら古代のヴァンパイアの日記のようだった。人間の世界での本の登場は6世紀ごろ。それ以前には古代エジプトのパピルスや羊皮紙などもあったが、こうして冊子としての形ではなかった。
となると6世紀ごろに書かれたか編纂されたもの。もしくは、それ以前にヴァンパイア独自の紙の発明や製本技術があったとも予想できた。古代にこの技術を持っていたとすると、人間よりもかなり進んだ文明を持っていたことになり、大きな発見になるだろう。
加えて、紙を手に入れられ、読み書きが出来、日記の習慣や本の装丁からもかなりの高位の人物だったと予想できる。有力者の日記だ。
求めていたような、その古書の内容に胸を踊らせながらも、ふとした瞬間にレオのことを思い出してしまった。
最近は仕事が忙しいらしく、なかなか家にいない上に、ヴィンセントとの用事を優先してしまいすれ違いが続いていた。
あの夜、彼と過ごした時間が忘れられない。
ひとりで布団の上で横になっていると温もりを恋しく思う。
すぐ照れてはにかんで、困った顔をするレオを見たい。
今日はそんなレオの休日だから、久々に彼と話でもしたいと思ってしまっていた。
こんなふうに誰かと話したいというのも不思議な気持ちだった。
彼から教えてもらったマンガ『クロノ陰陽師』をとうとう30巻まで読み終わり、その感想をまた話したかった。
そわそわと物音に耳をそばだたせながら目を瞑る。
休日でも午前5時にアラームが鳴って、レオは起床する。
待ち遠しい。
だが起きがけにいきなり話すのも良くないだろう。
レオは外に走りにいったり、家事をしたりするし。
もう少し、まとう……。
鳥のさえずりを聞きながら目を瞑る。
はっとして目を覚ますと、カーテン越しにも光が強いのがわかった。
時計をみると8時を回っていた。
ぼんやりする身体を起こしてリビングに向かう。
するとばたばたとレオがバスルームの方から出てきた。
「おはよー!」
ニコッと微笑んで明るい声色に胸が温かくなる。
「おはよう……どこか出かけるのか?」
セットされた髪型に服装も部屋着ではなくカジュアルな装いだった。
「あ、うん! 友達とね、ちょっと遠出するし帰るの遅くなるかも」
その言葉に僅かに残念な気持ちになる。今日は話せると思っていたのだが、と。
「冷蔵庫にパンとサラダとあとハンバーグも作っておいたから、お腹すいたら食べていいからね!」
「ありがとう、レオ」
「うん! ……どうかしたの?」
見上げてくるレオ。
髪型を整えているから可愛く見えるのか、それともこうしてまじまじと見つめるのが久しぶりだからか……愛おしい気持ちが沸き起こり堪らなく触れたくなる。
吸い寄せられるように腕を引き、顔を近づけ、頬に軽く口付ける。
「っ……も、もう」
一瞬で真っ赤になって恨めしそうに見上げてくる。
「すぐからかうんだから……」
まんざらでもなさそうなのがたまらなくて。
顎をすくって、鼻先を擦り寄せる。
「……っ、ん」
おでこをあわせると、まつげが揺れてひとみを閉じる。
そのまま唇を重ねようとする。
と、唐突にスマホの着信音が響いて、ぱっとレオが身体を引いてスマホを取り出した。
「ご、ごめん、友達から」
そう言って通話に出てしまう。
空を切る感覚にもどかしさが募る。
「迎えに来ちゃったみたい、……じゃあ、行ってくるね」
バタバタと荷物を片手に、顔を赤らめたままレオは家を出ていった。
レオがいなくなり、静かな時間。
一人で居る方が普通のはずだったのにどこか落ち着かなかった。
昼過ぎまで翻訳を進めた。進捗はまだまだ4分の一くらいだろうか。
ヴィンセントと2人がかりで作業を進めているが、古代の文献は久々に読むのもあってなかなか思ったようには進まない。資料や辞典の類を取り寄せたが、何しろヴァンパイアの街スブ・ソーレのある東欧からだと荷物が届くのも暫く掛かる。
「ふぅ……」
いつもなら今頃の時間にレオは昼食を取る。レオがリビングでアニメを見ながら食事する横で過ごす時間が嫌いじゃない。
そういえばわざわざ食事を用意してくれていたなと思い出す。ヴァンパイアだから必要ないのに、まるで人のように扱ってくる。
せっかくだから少しだけ彼の真似をして食事を用意して食べてみることにした。
パンとサラダとハンバーグを少しずつ。
毎日一口貰ったりしているうちにだいぶ体も慣れてきたが、やはり美味しいという感覚はなくなっていた。生物的に必要が無いものだから惹かれないのかも知れない。もしくはやはり長い年月で忘れてしまっているのかも知れない。
彼の作ったハンバーグを一口。以前も分けてもらったことがあった、肉に玉ねぎ……ソースはトマトベース。レオが美味しそうに食べる姿を思い起こして胸がじんわりと温かくなる。あの日は作るところも見させて貰って、面白かった。
サラダはレタスときゅうり。みずみずしく、食べやすい。毎回ドレッシングを真剣に選ぶレオがかわいらしい。
シンプルなバケットも口に放り込む。
「……」
ふんわりと過去の景色が思い浮かぶ。
貧しくパンにありつくために必死だった子どものころ。カチカチのパンをスープに浸して、あいつと食べた。あいつ……。
「……はぁ」
500年以上前の出来事だ、忘れていない方がおかしい。そう思いたいが、大好きだった人の名前すら思い出せないのが心苦しい。
レオは今頃友人と楽しく食事しているのだろう。
一人で居ることの空虚さを何故か最近強く感じる。
早く彼が帰ってこないかとそんな事ばかり考えてしまっている。
夕方。思っていたよりも早くレオは帰宅した。
「おかえり。早かったな」
「ただいまー、友達が具合悪くなっちゃって早めに解散したんだ」
「そうか。楽しかったか?」
「うん! 写真いっぱい撮ったんだ見て見て!」
彼の明るい雰囲気に一瞬で寂しさや憂鬱な気分が吹き飛ぶ。
促されるまま、彼のスマートフォンを覗き込む。
「まずここダム! おっきいでしょ」
広々としたダム湖が広がる写真。楽しそうにポーズを取るレオとその友人たち。快晴の青空と青々とした山、湖を背にのびのびとしていた。
「それから鍾乳洞も見てきたんだ。ユウマがさ、暗いからって怖がっちゃって、あ、この黒髪で眼鏡の子」
続いてライトアップされた鍾乳洞の写真。
写真も確かによかったが、声をはずませて彼が話す姿にこちらまで楽しい気分にさせられた。
「ね、すごくない? 鍾乳洞、初めてみたよ。エヴァンは見たことある?」
「いや、実物はないな。イタリアの……名前は忘れたが有名なところなら本でみたことがある」
「そうなんだ? ……じゃあ、その、いつかどこか一緒に見に行く?」
期待を寄せるような瞳に胸を締め付けられる。
「……ヴァンパイアのいつかは、信用ならないものだ」
あぁ、どうしてこうもいじらしいんだろう。
「だから、もう少し」
安全になったら、襲撃がなくなったならレオと一緒に、どこへだって……。
そう言おうとしたタイミングでレオの携帯に着信が入った。
スマートフォンの画面に「はるきさん」と名前が表示される。
「あ、ごめん、ちょっとでるね……はい、どうしたの?」
慌ててレオは電話に出た。
「うん……うん、いいよ。まかせて、すぐ行くから」
ちらりと時計を見て時間を確認する表情はやけに明るい。
「大丈夫、ちょうど休みだったし。じゃあまたあとで、はーい」
電話を切った後も嬉しそうに微笑む彼に胸がずきりと傷んだ。
はるき……男か? なんでそんなに……。
「話の途中にごめんね! ちょっと用事できちゃったからいってくるね。帰り……8時くらいになるかも」
一方的に言うとばたばたと荷物を整理してレオは家を出ていった。
宣言通りに夜8時を回って帰宅したレオは、だいぶへとへとのようで、シャワーを浴びてそのまま眠ってしまった。
結局ほとんど話せない休日だった。
もどかしさが募る。
胸を締め付ける感覚に、寂しさに戸惑った。
あんな顔をして会いに行く相手がいることに胸がざわついた。
ここ一週間くらいはそんな素振りもなかったが……たかが数日でわかるわけもないか。
古書の内容にふれるという当初の大きな目的が達成されてると言うのに、いまいち熱中できないでいた。
レオ……。
傷つけたくないと思いながらもいたずらしたくなる。
俺を好きなことは勘違いだと彼に言いながら、恋をしてるのだろうかと自問している。
不甲斐なくなるくらい人の温もりなど知らなかったのだと今更知って……その温もりを失いたくなくて――。
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