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★クラウディオ
無事にヴァンパイアの集落に着き、日光耐性を付けた。
日の光に怯えずにすむ生活の快適さは計り知れなかった。
しばらく滞在したあと、私はヴィンセントと共に旅をすることを選んだ。彼は各地で貴族の支援を受けながら研究を続けていた。
彼の手伝いをしながら私はヴァイオリンの練習を続けた。何もかも失い、私に唯一できることはそれだけだったから。
満足に弾けるようになるまで、それから一年ほどかかった。
各地を転々とし、私とヴィンセントの関係もかなり変わっていった。
相変わらず、彼は貴族相手に自分の身体を捧げていたが、一方で私のことを誰よりも特別に愛してくれた。よく彼は言っていた「誓って君以外のヴァンパイアとの関係はないよ」と。
ヴァンパイアになりたての私にとってすれば、人間だろうと大して差はないのだけれど。200年ヴァンパイアをしている彼からすれば、人間との関係に深い意味は無いらしい。
本心を言えば誰とも関係を持ってほしくなかったし、身を削るようなことを、危険にさらすようなことをしてほしくなかった。
とはいえ、彼の力を持ってして生活できていたし、代わりに私が出来ることも特に無く、ただ受け入れる他無かった。
オーストリアに滞在しているある夏の日のことだった。
「有名な作曲家が今度来るらしくてね、それでよかったらクラウディオも行ってみないか?」
思っても見ないことだった。フランスを離れてから、人前や社交場に行く機会は殆どなかった。ヴィンセントの誘いは非常に魅力的で、共に音楽家の集うサロンに向かった。
そこで1年ぶりに人前で演奏することになった。
演奏に対する反応を眺めながら、久方ぶりに気分がすっとした。耳が肥えている人がいるなかでの好意的な反応は嬉しいものだった。
その後も何度か演奏する機会を貰った。このまま、また元の生活に戻れるのだろうかと淡い期待が胸を占めていた。
しかし、思っていた結果にはならなかった。
社交場の噂話が広まるのは早い。フランスから物理的な距離があるからと安心していたが、あるとき地元の友人が訪れてきた。直接話すことはなかったが顔を合わせてしまった。彼の表情が驚きで固まるのを目の当たりにした。
地元では行方不明ということになっていた。1年もたってしまったのだから死んだものとして扱われていてもおかしくない。それがこうして異国にいたとなれば話は違ってくる。
なんとかその場からは逃げたが、最悪なことに数日後には大々的に捜索が始まった。家族や友人にここまで愛されているのは嬉しかったが、再び人目を避けての生活を強いられた。
今更家に戻ったとしてもヴァンパイアであることを隠し通せる自信がなかった。
「すまない、クラウディオ」
ヴィンセントと共に別の場所に旅立つことにした。
「謝る必要なんて無いよ。もう慣れたさ、こんな生活も悪くない」
「堂々と出来たらいいんだけどね。君が聴衆を沸かせる姿はいつ見てもわくわくするんだ。きっとそこが君のいるべき場所なんだろうな」
ヴィンセントの言う通り、それだけが惜しかった。
弾くだけならどこでも出来るけれど、人々の前で演奏し、頷かせる瞬間に代えがたい。
「ヴァンパイアであることを隠さなくても良ければな」
ふとヴィンセントが漏らした言葉。
理想的だったが、現実味はない。
ヴァンパイアは空想上の生き物という意識はみなあったが、魔女が忌み嫌われたように、多くの人間にとってヴァンパイアは排除し狩るべきもので、相容れない存在だ。
かつてあった、大規模な魔女裁判。そこではヴァンパイアも大勢殺されたらしい。
人は異なるものに恐怖や嫌悪感を抱くものだ。あの夜、私を刺した男のように、未だにヴァンパイアに憎悪や殺意を抱くものも居るのだから。
捜索を逃れながらの生活に疲れた私達は、東欧の人里を離れた森の奥深くにあるヴァンパイアの王都ドルミエンス・スブ ・ソーレを目指した。
そこでの生活は、今でもよい思い出だ。
様々な人種、多種多様な言語に溢れ、どこを見ても美男美女ばかり。石と木で出来た、どこか古めかしい城に家々が立ち並ぶ。止まったような穏やかな時間がそこにはあった。
ヴィンセントと共にそこで長いこと暮らした。
何よりも嬉しかったのは、見返り無く血を差し出す眷属以外に人間がいない世界だったということだ。
ヴィンセントが身を削る必要がない。私以外の誰とも夜をともにしない。そんな独占欲を満たせる場所に満足していた。
とはいえ当のヴィンセントはやや不満そうに日々を過ごしていた。
「ヴィニー、また喧嘩してきたの?」
「あぁ。全く耳を貸さない相手を説得なんて出来るんだろうか」
「お前なら大丈夫だよ。さ、こっちきて」
外ではめったに見ることもなかった、落ち込む彼を慰めるのが日課になりつつあった。玄関先のカウチで彼を抱き寄せて満足するまでよく話を聞いた。
「ほんと頑固親父だ」
「こら、お父様のことそんな風に呼ぶのは良くないぞ」
「僕をヴァンパイアにしたってだけの男さ。第一は守護者の族長様としての役目で、かわいい末っ子じゃないのさ」
ヴィンセントはフィデレス・テネブラルムというヴァンパイアの遺物や遺跡を守護する一族の一人だった。血を分け与えられ、家族の契も結びながらも馴染めずに、その時まで半絶縁状態だったらしい。
「よしよしヴィニー、モン・ベベ」
「もう子ども扱いして」
「私がいっぱい甘やかしてあげるよ?」
「ふふ、クラウ、君に甘やかされ過ぎてわがままになってるのかな」
冗談めかしつつも彼は、彼なりに苦心しているようだった。
ヴァンパイアについて研究していたのも、ひいては彼の父親を説得するためのようだった。当然だ、彼が隠し持つ文献や遺跡はどれもヴィンセントが求めている真実につながるはずだから。
「大丈夫。これだけ熱心に伝えてるんだ、いつか折れてくれるさ」
「あぁ……でも、できるだけ早く成果をださないと」
「何をそんなに焦る必要があるんだ? 我々には時間だけはあるだろ」
「そうだけど、どんどん取り残されていくようだよ。人間社会は目が回りそうなくらい早く進展していく」
「焦れば焦るだけ空回りするもんだよ。置けるだけ布石を置いて、あとは澄まし顔で待つんだ」
ヴィンセントよりずっと短い人生の中で得た、兄弟喧嘩の穏便な締め方。焦って弁解して口を滑らすのが一番良くない。
「クラウ、君は天才かもしれないな」
「やめてよ、真顔で言われたらこっちが馬鹿らしくなる」
「誰よりも才能に溢れて思慮深くて最高の男だよ」
「わっ、くすぐったい!」
顔中にキスをされてくすぐりあって、抱きしめ合ってキスをして――。
穏やかで満ち足りた時間だった。
「おほん、失礼」
開け放したままの玄関先でいちゃついていると、軒先にすらりとした長身の女性が現れる。
「時間を間違えたかしら」
長いストレートの黒髪を靡かせ、やや冷たい印象を受ける面立ちをした30代ほどの女性だった。
慌ててヴィンセントを引き離して彼女のもとへ行く。
彼女の携えるヴァイオリンケースに心臓が高鳴るのがわかった。
「はじめまして、ベアトリス・デュラックよ。噂は耳にしているわ、クラウディオ」
ヴァイオリンの師であり、後に私の養母になるベアトリス・デュラック伯爵との出会いだった。
あらゆる楽器や音楽に深い造詣を持つベアトリスは、厳しくも熱心で多くの生徒や弟子を抱えていた。彼女の指揮のもとでオーケストラが組まれ、祭事や舞踏会などの度に演奏を披露していた。
「では、次のフェスタ・ルナエで私がソリストに?」
演奏の中でソロパートを担当する一番目立つ立ち位置。当然技術や表現力の優れた者が担当する。
「えぇ。そんな堅苦しい場でもないのよ、あなたの技量なら問題なく務まるはずよ。それに、新人の紹介にはもってこいでしょう?」
ここまで評価されるとは思っていなかった。一度弾けなくなってから、昔のような表現力は失ったと思い込んでいたふしがあったから。
「クラウが大舞台に立つ姿みたいな」
ヴィンセントが誇らしげにしてくれるのが嬉しかった。他人から評価されるのも嬉しくはあるけれど、何よりもいちばん近くにいて、弾けるようになるまで励ましてくれた彼が喜んでくれるのが嬉しかった。
ベアトリスの指導もあり、本番は大成功を収めた。王家や貴族が見守る中、オーケストラの一番前で演奏するのは、正直かなり気持ちよかった。演奏中は音に夢中になり、演奏後は拍手喝采に胸が踊る。
人混みの中でヴィンセントを探しあて目配せすると、自分のことのように誇らしげに微笑んで拍手を贈ってくれた。
それまでの人生で一番の大舞台に一番の演奏だった。加えて新たな仲間に歓迎され、尊敬する師のもとで音楽に親しみ、愛しい人に一心に愛されていた。
ここまで、心が満たされた瞬間は、後にも先にもない。
演奏後に急いでヴィンセントのもとに向かった。抱きしめ合って幸せを分かち合った。このまま祭りを抜け出して二人で話したかった。
だが、ヴィンセントは、どこか考え込み思い詰めるような表情をしていた。そして、他の来客のもとに向かい話し込み、満足に語り合うことも叶わなかった。
彼の態度に不満をこぼす暇もなく、私も人々に囲まれ、結局彼とは家に戻るまで満足に話せなかった。
すれ違いや小さな不満を飲み込んで彼に接するようになったのは、きっとその頃からだったと思う。
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