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★クラウディオ  それから数年後。  私はベアトリスのオーケストラで活動していた。  ヴァンパイアの社会は人間の世界よりもずっとのんびりと時間が過ぎていくようだった。変わらない見た目の変わらない面々、変わらない生活……穏やかな平穏は退屈だが悪くはなかった。  一方で、ヴィンセントは積年の願いが果たされ、一族が守り続けていた一部の遺跡や資料を見ることが叶った。議会での動きやヴィンセントの父の心変わりもあったらしいが、根気強く訴え続けた彼の執念の成果だと思った。  原初のヴァンパイアの秘密、ヴァンパイアの王家に関わるような情報も中には紛れていたという。  喜ばしく思う反面、より研究にのめり込んでいく彼を遠く感じるようになった。  実際、私は演奏や練習の為に外に出て、彼も遺跡に向かい、家にいるときは書類と向き合い、前ほど話す時間も取れなくなっていた。  それでも、私は彼を愛していたし彼も私を愛していた。だからこそ、お互いのやりたいことには口を出さず、支援しようと思い合っていた。  けれど、それにも限界はあった。 「また怪我したのか? 服に血が」 「あぁ……かすり傷だよ、平気」  単に遺跡といっても古代の魔術による封印や罠が張り巡らされている危険な場所も多かった。そんな所に足を踏み入れ、毎回怪我をして戻って来る彼を心配せずにはいられなかった。 「無茶しないでくれ。どれだけ私が心配しているか」 「大丈夫さ、事前にしっかりと調査してから深部に」 「そういうことじゃなく……。軽い怪我なら構わないって思ってるだろ」 「それは……ほら、すぐ治るわけだし」  そう、なんでも無さそうに言うヴィンセントが少し嫌いだった。 「昔からそうだ、自分の身体を削って……無頓着で」  ただの道具のように扱う彼の危うさが怖かった。 「大丈夫だよ。ぜったい死んだりはしないから、ね?」  ごまかして笑う彼が憎らしかった。  日に日に、家で彼を待つ時間が増えていく気がした。  相変わらず怪我も多く、家にいても思い悩む姿がもどかしかった。  私に出来ることはなんだろう。探しても思いつかない。助けられない。邪魔しないで見守ることしか出来ない。  そんな生活が何年も続いた。  お互い想い合いつつも、時々溜め込んだ苛立ちをぶつけてしまうことがあった。  その度、彼は静かに笑って大丈夫と言って、そして抱きしめるだけだった。  側にいながらもどこか遠くへ行ってしまいそうだった。  それがもどかしくて、苦しくて、形を求めた。  永遠の誓いというものがある。  家族の契や義兄弟、もしくは結婚。そんな公的に間柄を示すためのヴァンパイア同士での誓いだ。  それで少しでも繋ぎ止めたかった。彼の生への執着を取り戻させたかった。単に安心したかっただけというのもあるだろう。  聖堂で跪き司祭の元で誓いをたてた。  お互いの指先を傷つけ、血を混ぜ合わせる。ヴァンパイアになったあの夜のように血が沸々と煮えるような熱さがある。あの夜から、私にはヴィンセントだけだった。彼が私を救い、導いてくれたから、今ここにいられる。何よりも嬉しかったのは、私を追いかけてきてくれたこと。私との約束を忘れないでいてくれたこと。  誓いの言葉を言い、お互いの首筋に牙を立てた。  ヴァンパイアの血を吸うのはそれが初めてだった。魔力が共鳴し深くお互いの存在が混じり合う。その結果、記憶や感情の混濁を引き起こす。  初めに見えたのは光だった。目がやっと慣れると美しい女性が振り返る姿が見える。  知らず知らず手を伸ばし、そしていつかヴィンセントが話していた彼の亡くなった奥さんだと思った。彼が言っていたように届かない手が空を切り、再び光に包まれる。  そしてどうしようもないくらいの愛が胸を焦がした。張り裂けてしまいそうなほど、苦しいくらいの愛情。  いくつもの断片的な私の姿が浮かび上がる。深く落ち込んで己を傷つけてしまったときも、のびのびとヴァイオリンに触れているときも、彼の愛がこれほどまで深いとは知らなかった。  はっとして現実に引き戻される。古びた聖堂の中、明け方の光が注ぎ込んでいた。  ヴィンセントもまたやや呆然とした表情で、二人で顔を合わせながら微笑みあった。初めて繋がったときよりもずっと深く交わったような感覚だった。直接的にお互いを覗き込んだのだから、当然だけれど。  これで、少しでも自分の身を案じてくれると思っていた。  しかしそんなこともなく、数年後のある日、とうとう彼は家に帰ってこなかった。  なんでもないいつものことのように外に出て行き、一晩二晩……数日間音沙汰ない。  最初の夜から知人に聞いて周り、捜索をお願いしていたが思っていたよりも危険な遺跡を探索していたようだった。  やっとのことで彼を見つけたとき、怪我と飢えで身動きの取れないヴィンセントを見たとき、何かがふつりと途切れるような感覚があった。 「ごめん」  その場で応急処置をして、やっと動けるようになったヴィンセントを家のベッドに寝かせた。数日間胸を支配していた不安や心配はけして解消されなかった。 「クラウ……」 「……毎回、今回こそは死んでしまうんじゃないかって思うんだ。私達だってなかなか死なないだけで、死ぬんだから」 「泣かないで」  頬に伸びる手を払って睨みつけた。 「お前が泣かせてるんだ。お前のために泣いてるんだ。するななんて言わない……ただもう少し自分の身を案じてくれよ」  払った手を両手で包み込みぎゅっと握りしめた。そこにいてくれる感覚にやっと少しだけほっとできた。  けれど、ヴィンセントも頑固だった。 「これは、僕がやらなくちゃいけないことなんだ。僕が」  どうやったら離れていってしまう彼を繋ぎ止めていられるのか、私にはもうわからなかった。彼の手を強く握った。握っているはずなのに、どうして心が近くにいてくれるような気になれないのだろう。  二人で楽しく暮らしていたはずなのに、いつしか孤独が胸を支配しているのだろう。  今の私には家族と呼べる人はヴィンセントだけなのだ。きっと彼にとっても私は特別で大事な相手なのだと、誓いを立てたあの時に感じられたのに。 「私にはお前だけなんだ。お前がいなくなったら……」  今回こそは、死んでしまうのではないか。孤独以上に彼を失うことの喪失感に耐えられそうもなかった。生きるのに必要だった。空気のように、当たり前にそこにいて、私を支えてくれている存在だった。なくなってしまったらどうやって息をすればいい? 「大丈夫。ベアトリス様もいるし、友達だっているだろう?」  ヴィンセントはそう言って微笑む。  涙が溢れて苦しい。  どんな言葉なら彼に伝わるのだろう。 「私には……私が家族と思える人は……」 「うん、僕もだよ。僕にとっても君だけが唯一の家族だ。だから、僕は僕の出来ることをしなくちゃ」  彼の手が優しく髪を撫で頬を撫でた。  いつも通り優しいのに、突き放すように冷たい。 「もう……たえられない」 「うん……」  溢れ出る涙を指先で拭うだけで、それ以上なにもヴィンセントは言わなかった。 「引き止めもしないんだな? 私ばっかり、こんなに取り乱してバカみたいだ……いいさ、もう好きに」  唇を塞がれ、言葉をせき止められる。 「ヴィンセ、んんっ」  深く口づけされ思考が止まりそうになる。けれど、これだけで許せるほど小さな問題ではなかった。  彼を突き放して目を見つめながら口を開いた。 「お前がなに考えてるのか全然わかんない」  震える声で言いながら、これで最後にしようと自分に何度も言い聞かせた。離れがたくて何度も何度も見ないふりをして、誤魔化してきた。けれど、いつまでもこんな心配や不満を溜め込んだまま彼の側にはいられるほど鈍くも無かった。  ヴィンセントは何も言わずに、困ったように小さく微笑んでいるだけだった。 「クラウ……」  やっと口を開いたかと思うと、縋るように手を握って名前を呼ぶだけ。  込み上げてくる気持ちを整理しきれないまま、涙だけが溢れ続けていた。 「こんなに、好きにならなきゃ、愛しく思わなきゃ、きっと側にいられたのにな……」  初めて彼を見たときから、彼は私にとって特別な人だった。命に替えても助けたいと思える人だった。全てを受け止めて愛してくれる人だった。いつしか空気のように、生きていくのに無くてはならない存在になっていた。  だからこそ、いつ失うかという恐怖と隣り合わせの生活は気が狂いそうだった。  単純に私が弱かっただけなのかも知れない。ヴィンセントに見合うだけの器量のない男だったのかも知れない。  別れてからもずっと、忘れられなかった。  血を分け与えられ、私の中には彼がずっと存在するのだから当然のことなのかも知れない。  私はベアトリスの養子になり彼以外の家族を得た。彼女のもとで音楽を続け、フェスタ・ルナエでの演奏も毎年のようにこなした。  世界は目覚ましく近代化へ進み、数度の大きな戦争を経て平穏の兆しを見せていた。  運の良いことに、私はヴァンパイアになってから300年近くの時を過ごした。  それでも、それだけの時を過ごしても彼を失った痛みをけせないままでいた。  普通に生活して、普通に笑える。けれど、心には埋まらない穴が空いたままだった。

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