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マイ・アイディアル 8

 翌朝、実流は真理のマンションに辿り着くと、ドアのインターホンを押した。部屋の内部で人が動く気配がして、ドアが開かれる。 「実流? 何で大阪に?」 「夜行バスでこっちへ来たんだ」  真理は寝起きだったようで、白いTシャツと綿のパンツを着ていた。  すこし鋭角になった真理の頬に手をかける。 「コンビニで食べられそうなものを買ってきた。熱は下がった?」 「だいぶすっきりした。でも今日は休むか」  事情が呑み込めたようすの真理は、眩しそうに目を細めて微笑んだ。 「来てくれて、ありがとう」  後ろ手でドアを閉めると、実流は伸び上がって真理の唇に唇を合わせた。  真理の部屋は細長いワンルームマンションで、セピア色の木材のインテリアが部屋の主の性格を感じさせる。  室内には『マイ・アイディアル』の動画が流れていた。テーブルに置かれたタブレットで繰り返し聴いているという。 「実流の声を聴くと、落ち着くんだ」  テーブルに朝食の準備をしながら、真理は照れくさそうに頬を赤く染めた。 「俺が実流の理想の人だったらいいなって、思ってた」 「真理の目はきれいだって、前から思ってたよ」  実流が歌詞の一節を歌うと、真理は「生歌だ」と目元を和らげた。 「俺はきっと実流の声に惹かれたんだな」  椅子に座って、卵サンドにヨーグルト、コーヒーというメニューの朝食を食べ始める。シンプルなギターのコードに乗せた自分の歌声が、静かな朝食の席にたゆたっている。  髪を下ろした恋人は、普段よりもすこし幼く見えた。自分の目線に気づいた真理が、はにかむように緩く笑う。こんな幸せを毎朝味わえたら、と切なくなる。きっと真理も、自分と同じことを考えている。  朝食を食べ終わると、真理は会社に連絡を入れて、ベッドのシーツを換えた。シャワーを浴びて着替えた実流に、真理がベッドを使ってほしいと言った。 「夜通しバスのなかで、疲れただろう」  俺もシャワーを浴びると告げて、真理はユニットバスへ消える。実流はベッドに身体を沈めると、真理の匂いのするタオルケットに包まれて目を閉じた。  実流が目を覚ますと、となりに寝ていた真理が自分を見ていた。愛おしくてたまらないと澄んだ瞳に訴えられて、胸が甘く疼く。 「よく寝てたな」 「ごめん、せっかくいっしょにいるのに」 「おかげでたっぷり、実流の寝顔が見られた」  幸せそうな真理の笑みに、笑いを誘われる。  真理の匂いに包まれていたから、自分も安心して寝ていられたのだ。 「僕のためにがんばりすぎたんだね」 「自分が弱くて、情けないよ」 「離れてるあいだ、不安だった。真理は僕でいいのかな、ほんとうは奧さんとかわいい子供がいる人生のほうがいいんじゃないのかなって、思って」  真理がふと真顔に戻る。そして、ため息をつくように苦笑した。 「前も同じことを言ってなかったか? もう解決したと思ってた」 「お互いに、まだ自信がないのかもしれないね」  真理は実流の唇に軽いキスを落とした。やわらかい唇の感触に慰められる。 「実流と離れているとろくなことを考えないんだ。実流が鎌田に盗られないか、別の女の子に気を移したりしないかって」 「僕だって同じだよ。スマホじゃなくて直接声を聞きたいって、ずっと思ってた」  真理と額をつけて、笑い合う。自分たちはお互いを好きになりすぎて、空回りしていたのだ。 「好きになったのが真理でよかった」  黒く澄んだ瞳を覗き込んで、微笑む。 「一生好きでいられる人でよかった」  真理の目にふわりと水の膜が張る。キラキラと光を放つ、黒曜石のような瞳。 「毎日ずっと好きでいられたら、それが永遠になるんだね。ようやくわかった」  自分を慈しんでくれる両手を掴んで、キスをする。真理は自分を眩しそうに見ている。 「だからゆっくり、好きでいようと思うんだ。真理のこと」 「やっぱり実流は歌を作る人だな」 「何で?」 「言葉で殺される」  真理の胸にきつく抱き込まれる。肌が軋む感触が心地よい。 「一生、大事にするから――一生、俺のものでいてください」  真理の言葉が直接骨に響く。答えの代わりに、実流は真理の背中に回した腕に力を込めた。

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