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第9話 追加の護衛
担当教員の鈴木が智颯から受け取った休暇届けに目を通すと、顔を上げた。
「二人揃ってか、お前たちも忙しいな。気を付けて行って来いよ」
「はい、ありがとうございます」
神代学園は桜谷集落が運営する学校法人だ。一部の教員は13課や惟神の事情を理解しているので、話が早い。
直桜が通っている神代大学も同じ法人が運営管理している。集落の子供たちが関東で進学する場合、この法人系列の学校に通学するのがほぼ義務化していた。
職員室の前で一礼して、扉を閉める。
「峪口君、見ー付けた」
振り返ると、二年生の坂田《さかた》美鈴《みすず》がニンマリとして立っていた。
軽く会釈して脇を通り過ぎる。
ぐぃっと強く腕を引かれて、仕方なく立ち止まった。
「何か、御用でしょうか?」
用件は見当が付くが、敢えて聞く。
美鈴が不満そうな顔で智颯を見上げた。
「だからさぁ、何回もお願いしてるよねぇ? オカルト部、入ろうよ」
わかっていた答えでも、げんなりする。
美鈴の手をやんわりと払って歩き出す。
「何回もお断りしています。忙しいので、部活は無理です」
嘘ではない。学校から帰れば呪法解析部での仕事が待っている。
「峪口《さこぐち》君てさ、成績優秀なのに学校休む日多いよね? なんで? もしかして芸能人とか?」
歩き始めた智颯の後を追いかける美鈴の質問は止まらない。
「成績優秀は関係ないし、芸能人でもありません」
「じゃぁ、学校嫌いな感じ? オカルト部に入ったら、きっと楽しいよぉ。毎日、学校に来たくなるよぉ」
今度は引きこもり疑惑を掛けられた。
とても面倒だが、なかなか引き下がってくれない。入学したての頃から、美鈴はしつこく智颯に付き纏う。もう十一月だというのに、諦めてくれない。
いい加減面倒に思うが、この手の輩を巧く巻く手段がわからない。
「智颯《ちはや》君、用事済んだ? 一緒に帰ろ」
後ろから円《まどか》が声を掛けてくれた。
とても助かったと胸を撫でおろす。
智颯と美鈴の間に、するりと割り込んで、円が美鈴を振り返った。
「坂田先輩、すみません。今日は俺と峪口、約束があるので、失礼しますね」
言うだけ言って、早足で歩き出す。
すぐそこの角を曲がって、空き教室に身を隠すと鍵を閉めた。
「あ! ちょっと待ってよ。ねぇってば! 花笑《はなえみ》くん!」
追いかけてきたらしい美鈴が、智颯と円が潜む空き教室の扉を開けようとする。ガタガタと何度か音がしたが、開かないと諦めたのか、足音が遠ざかっていった。
「行ったかな。もう少し、待ってようか」
「うん。円《えん》、ありがとう」
「今の俺は、智颯君の護衛、だから。これくらい、できないと、ね」
円がぎこちない顔ではにかんだ。
(話し方、いつも通りに戻ってる。やっぱり護衛中は無理してるんだな)
花笑《はなえみ》円《まどか》が智颯の護衛に付いたのは、三日前からだ。組織犯罪対策室の藤埜清人から智颯と瑞悠に護衛を増やすよう、要請があった。
伊吹保輔の狙いが理研絡みの可能性を考慮した結果だ。瑞悠には円の姉である花笑|初《うぶ》と花笑|稀《まれ》がクラスメイトになって、円と同じように護衛に付いている。
(最初は伊吹保輔の動向を探る任務の筈だったのに、だいぶ趣向が変わったな)
今は、伊吹保輔にはなるべく接触するなとの命だ。一応、降りてきた命令には従うが、多少不本意ではあった。
(僕も瑞悠も惟神なのに、信用されていないんだろうか)
自分より後から13課に所属になった直桜は、既に第一線で活躍する、今やなくてはならない存在だ。
自分たちはもっと前から所属しているのに、あまりの扱いの違いに自信を失うし、不満も募る。
(ようやく大きな事件を任せてもらえたと思ったのに、守られる側になってしまった)
智颯と自分の姿を眺めていた円が、小さく噴き出した。
不思議に思い、円を見上げる。
今回の護衛のために前髪を切った円は、可愛らしい顔が顕わになって、見慣れているはずの智颯でも時々、ドキリとする。
「あ、ごめん。同じ制服着て、智颯君と同級生、できるなんて、なんだか、不思議だなと、思って」
「確かに、そうだな」
十一月の部署編成で、円には呪法解析室改め呪法解析部の責任者の内示が出た。
歳は智颯の一つ上で、学校に通っていないのが不思議だったが、今回の護衛をきっかけに円の学歴を知った。
十歳の時に渡米して十四歳でボストン大学を卒業しているらしい。本人は「草の修行から逃げたかったから」と話していたが、そういう問題じゃないと智颯は思った。
(瑞悠が言う通り、円は能力が高い人だ。そんなの、一緒にいる僕が一番よくわかってる)
解析術は勿論、再開した草の修行も忍と始めた直霊の強化も、順調どころか進みが超人的だと聞いた。円が本気を出せば凡人など遥かに凌駕する。
(そんなに凄い人が、僕なんかのバディで、恋人で、本当にいいんだろうか。僕なんかのために、こんなに努力してくれて、僕にそんな価値、あるんだろうか)
惟神だというだけで、自分には他に何もない。
(円に見合う僕になるには、どうしたらいいんだろう)
円の腕が智颯の腰に回った。突然の行為に驚いて顔を上げる。顎を指で持ち挙げられて、口付けられた。
舌先で口内に割り入って、舌を吸われる。ちゅっと小さな音を立てて唇が離れた。
「制服で学校でちゅぅとか、憧れる。しかも誰もいない教室とか、ちょっとドキドキしない?」
円の瞳が間近で智颯を見下ろしている。
あまりに突然に起こったキスの方に動転して、言葉が出てこない。
円の腕が智颯を優しく抱き締めた。
「智颯君は大変だろうけど、俺はちょっと嬉しいんだ。俺は高校生したことないから。しかも智颯君と登下校とか、お昼一緒に食べたりとか、幸せでしかない」
さっきから円がとても流暢に話している。こういう時の円はエッチなことを考えているか、ガチで嬉しい時だ。
「……円、僕のこと、好き?」
腕の中で俯き加減に問う。
「どうしたの、急に。好きに決まってるでしょ。好き以外に何があるの? 愛してるとか? 百万回言えるけど?」
円が早口で捲し立てる。
こういう時の円は心の声がそのまま出ている時だ。つまり全部本音だ。
「僕も円が大好きだ。大好きで、愛してる。だから、円に見合う僕になりたい」
智颯を抱く円が大きく息を吸って、止めた。
「逆、なんだけど」
少しずつ息を吐きながら、円がゆっくりと話す。
「智颯君の隣にいるために、智颯君を守るために、俺は頑張るって決めたの。これ以上、遠くに行かれたら、追いつけなくなるから、やめて」
円の腕が強く智颯を抱き締めた。
智颯は円のジャケットを掴んで握り締めた。
「円は充分、凄い人だ。僕なんかより才能もあって能力も高くて。僕には何もないのに、こんな僕のために必死に頑張ってくれて。だから、でも、僕は、どうしたらいいか、わからない」
「智颯君……、それ、本気で思ってるの? 思ってるっぽい、ね?」
とても意外そうな声で円が問う。
プルプルと震える体を、優しく包んでくれた。
「俺もっと、気吹戸と仲良くなったほうが良い、かな?」
円が智颯の背中を摩る。
隠れていた気吹戸主神《いぶきどぬしのかみ》が姿を現した。
「折角、二人きりになれた故、気を利かせたのだがなぁ。もっとイチャイチャとやらをすればよかろうに。智颯の悪い病気が出おったか、はははは!」
鍛え上げられた体躯の健康美な神が豪快かつ爽やかに笑う。
智颯とは対照的な性格だし、見た目だなと、自分で思う。
「円《えん》、もっと智颯を褒めてやれ。今はちぃと自信を無くしておるのよ。大きな仕事を任せられたと思うた途端に庇護対象になってしまった故なぁ」
「そういう感じかぁ」
円が納得の言葉を零している。
胸の内をすっかり暴露されて、智颯の顔が熱くなる。
「気吹戸、余計な事、喋りすぎるなよ。それだけじゃない、もっと色々あるんだ」
「そうよなぁ、智颯は常に自分に自信がない故なぁ。儂はそれこそが智颯の努力の根源で良きと心得ておったが、そろそろ、そういうのも飽きたのぉ」
「飽きたっていうな!」
振り返ってバシバシと気吹戸主神を叩く。
素直に叩かれながら、気吹戸主神が豪快に笑った。
「ははは! 叩け、叩け!」
じゃれあう智颯と気吹戸主神の姿を眺めて、円が楽しそうに笑った。
「気吹戸と話してる時の、智颯君は、子供っぽくて、可愛い。俺にもそんな風に、接して、ほしい」
指摘されて、はっとする。
確かに子供っぽいかもしれないが、円にも同じように接するのは難しい気がした。
「円には、いっぱい甘えてるから。そんな僕は充分、子供っぽいだろ」
円の腕が智颯を抱き締めて、頭をめちゃくちゃ撫でた。
「そうだね、今の智颯君も最高に可愛い。今の照れ顔、写真撮ってスチルにして家宝にしたいレベルで可愛かった」
「ははは! 相変わらず円は智颯推しのキモヲタ? だのぅ。良き良き」
「それ褒めてないから。覚えたての言葉をとりあえず並べ立てるのやめてください、神様」
円が冷めた目で気吹戸主神を眺めている。
気が付けば、随分仲良くなったなと思う。気吹戸主神と円が話すようになってから、それほど時間は経っていない気がした。
「仕事の内容に一喜一憂するのは、とりあえず、やめたほうが良い。俺たちの仕事は、個人プレイじゃなく、チームプレイだから。人により役割が、あるからさ」
「智颯の能力が低いわけじゃないと、円は言うておるぞ」
自分の恋人と神様に、こうも慰められると、これ以上いじける訳にもいかない。
「どうしても、何かしたいなら、一つだけ、試してみる?」
「何を?」
突然の円の提案に、顔を上げる。
円が気配を探るように顔を外に向けた。
「この学校に、来てから、ずっと、気になってる。嫌な気配があるんだよね。けど、危ないと判断したら、引き返す。それでいい?」
「嫌な気配? 僕は全然、気が付かなかった」
それどころか、恐らく瑞悠も気が付いていないだろう。気が付いたら、何か話してくるはずだ。
「感じるのは、時々だよ。普段は、何もない。感じる時間も、短いから、捕まえるのは、難しいかも、だけど。多分、妖怪」
「そうなんだ……」
やはり、自分にがっかりした。
来たばかりの円が気が付く気配に、気が付けない自分の未熟さに悲しくなる。
「智颯、すまぬ。そういうの、儂が全部、弾いてしもた。智颯には障りないと思うての。いちいち感じていたら、智颯は気が狂うでの」
智颯は無言で気吹戸主神をポカポカ叩いた。
気吹戸主神は困った顔で叩かれてくれる。
そんな二人を、円はやっぱり楽しそうに眺めている。
「明日、ちょっと探検、しようか。智颯君と、そういうの、俺も楽しみ、だから」
「……うん」
後ろから抱き締められて、円の腕をきゅっと掴む。
温もりが嬉しくて、気を遣わせてしまったことが申し訳なくて、円の顔が見られなかった。
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