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第14話 惨敗

 フワフワした気持ちのよさが、目の前を漂っている気がする。 「……くん、峪口君! 花笑くん!」  美鈴の声が聞こえて、ぱちりと目が覚めた。  目の前で風船が割れたような軽い衝撃が走る。 「あ、れ……」  ぼんやりと辺りを見回す。  どうやら部室の入り口に立っているようだった。  隣に立つ円も、目がぼんやりとしていた。 「ねぇ、大丈夫? ちょっとふざけ過ぎたかなぁ。まさか本当に、催眠術に掛かっちゃうなんて思わなくってさ」  美鈴が申し訳なさそうに二人に手を合わせた。 「名前借りるだけって言ってたのに、本当にごめんね」 「いえ、大丈夫、です」  返事をしながら考えるが、何も浮かんでこない。 (僕は、僕たちは、同好会の署名をしに来て、その後、催眠術の話をして、それから、何をしたっけ?)  何かがあった気がするのに、何も思い出せない。  美鈴の話を合わせるなら、催眠術を試して眠ってしまったんだろうか。 「ほんまに大丈夫か? そないに急いで帰らんと、休んでいったらええんちゃうの? なんや危なそうやで」  伸びてきた保輔の手を円の腕が弾いた。 「あ、すみません。無意識で、つい」  目を擦りながら、謝っている。 「ええで、別に。催眠術いうても素人の遊びやさけ、気にせんでな。今日はゆっくり寝るんやで。あと、名前貸してくれて、ほんま、おおきに」 「どうしても辛いときは、途中、休んで帰りなさい。気を付けてね」  中から六黒が顔を出して、何故か股間が疼いた。  奇妙な感覚に囚われながら、智颯と円は西館の科学室を後にした。  階段に差し掛かったところで、智颯の腕を引っ張って、円が足早に歩きだした。最早、走っていると言っていい速さだ。 「円? どうしたんだ、急に。どこに向かって……」  急ぎ東館に戻り、人気がない教室に潜り込む。  随分と時間が立っていたらしく、陽が陰り始めていた。 「智颯君、ごめん。俺、智颯君のバディ失格だ」    教室の隅で蹲って、円が頭を抱えている。 「耐性術が間に合わなくて、それ以上に催淫のフェロモンをずっと流し込まれてたから、全然自由が利かなかった。いや、これも言い訳だ。智颯君を守れなかった」  円が何を話しているのか、よくわからない。  戸惑いながらも、智颯は円に問い掛けた。 「僕は、あそこで何があったのか、よく覚えていなくて。円は覚えてるのか?」  円が気まずそうに顔を上げた。 「一応、覚えてる。結論から言うと喰い逃げされた。俺たちの負け」 「喰い逃げ……」  記憶が断片でスライドのように浮かび上がる。  六黒の唇や、咥えられた感触、円の艶めいた声。  がくがくと足が震えて、智颯はその場にへたり込んだ。 「直桜様たちが動くことも想定内だったんだ。だから勘付かれる前に喰って、俺たちを帰した。保輔たちはきっと今頃、逃げてる」 「今からでも! 僕たちが喰われたのは事実なんだし、それで引っ張るのは」 「出来ない。今回は喰われただけ。サンプル採取はされてない」  確かに、その通りだ。  高校の使われていない教室で、生徒と教師がフェラチオしていた。状況としてはそれだけだ。  それも現行犯で押さえなければ言い逃れされて終わってしまう。何の証拠も残ってはいないのだから。 「でも、六黒が妖怪だって、わかった。発言から、精子バンクと繋がりがあるのは明確だ。向こうは俺たちの記憶を消したと思ってる。またチャンスがある」  円が智颯をちらりと窺う。  そっと腕を掴んで、俯いた。 「ごめん、本当にごめん。俺以外の男になんて、触らせたくなかった」  円の手が震えている。  保輔たちを逃した後悔より、智颯を奪われた後悔の方が、円にとっては大きいのかもしれない。 (こんな状況なのに、失敗して、保輔を逃がして悔しいのに、円が嫉妬じみた後悔をしてくれているのが嬉しいなんて、僕は本当にダメな奴だ)  智颯は円の手を両手で包んだ。 「円の声、可愛かった。僕は円のあんな声、聞いたことない。すごく、悔しかった」  智颯とシている時は攻める側だからなのかもしれないが。智颯がフェラしたって、円はあんな風に可愛く啼いたりしない。 「え? あっ、ご、ごめん……」  混乱した様子で円が謝っている。  その表情がいつもの円で可愛い。 「僕は今日、精子くらいくれてやるって気持ちで挑んだんだ。だから、ああいう事態も想定してた。負けたのは悔しい。自分から提案した作戦なのに失敗して、直桜様にもなんて謝ろうって思う。けど、それ以上に悔しいのは、円を保輔に奪われたことだ。僕の円に手を出されたのが、何より許せない」  手を出した保輔も、守れなかった自分自身も、許せなかった。  蹲る円の体全体を包み込む。 「誰に何をされても、円は僕のだ。僕だけの円だ。僕のことも、円のモノって思ってくれる?」 「僕の……、僕のって」  円が腕を伸ばして智颯にしがみ付いた。 「智颯君の独占欲とか、御褒美でしかない。俺は通常モードで俺の智颯君だと思ってるから、一生思ってるから平気だけど、もう触らせたくない、他の誰にも。俺の智颯君は渡さない」  互いに互いを抱き包む。  感じる熱が混ざり合うようで、安心できた。 「今日は負けたけど、次は絶対捕まえよう。ちゃんと準備してリベンジするんだ、二人で。今日知ったこと、経験したこと、次に活かして。まだ終わりじゃない」  智颯の視線を受けて、円が表情を変えた。 「智颯君は、何もない凡人なんかじゃ、ないよ。こんなに強くて、折れなくて、格好良い。惚れ直しちゃった」  円が智颯に抱き付いた。  さっきまで纏っていた悲壮感が消えた気がして、安堵した。 「とりあえず組対室に、謝りに行こうな」 「うん、そうだね」  そこはどうしても声が暗くなる。  しかし、二人の心の火は消えていなかった。

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