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第16話 午後のティータイム

 智颯が神在月の出雲に旅立った日の午後、円は組織犯罪対策室の事務所に呼び出されていた。  名目は護からの「美味しいクッキーが焼けたのでお茶しませんか?」というメールだった。蓋を開けてみれば、昨日の喰い逃げの一件の具体的な内容についてだった。  今回の現場指揮である直桜は聞いておきたい所だろう。  報告するつもりでいたし、円としては構わないのだが。  事務所には、直桜と護しかいなかった。 「智颯は三日くらいで帰ってくるから、その間も円くんには学園に通っていて欲しいんだ。伊吹保輔と坂田美鈴、あと六黒って教員の動向を監視していて欲しい」  一通り、円の話を聞き終えた直桜から指示が下った。  あくまで智颯の護衛が円の仕事だったので、今日は呪法解析部に詰めていた。 「わかりました。今日から、行きますか?」 「ううん、明日からでいいよ。今日は、もう少し円くんと話したいから」  何を話すことがあるだろうか、と身構える。  そんな円を察してか、護がクッキーの皿を差し出した。 「今日は上手に焼けたので、良かったらどうぞ。円くん、小麦粉のお菓子、好きですよね」 「好きです。いただきます」  相変わらずマメだし、よく覚えているなと思う。  円からすれば、護は気遣いの人だ。そんな護が最近までは鬼だ穢れだと忌み嫌われていたのだから不思議だ。今の仕事は護にとり、天国だろうなと思う。   「あのさ、今朝、智颯は大丈夫だった? 俺、見送りできなかったから」  直桜がおずおずと聞いて来た。  何を照れているのだろうかと考えて、はたと思い当たった。  円の部屋に泊まったことを知っていると言っているのと同じだからか、と考えて内心、乾いた笑いが出た。 「元気は、なかった、けど。一応、納得して、行ったと思います」  昨日の清人の言葉は、智颯には相当に響いたらしい。確実に引き摺った心境で出向いたのは間違いないが。それでも自分なりに落としどころを見付けたのだろう。  出掛けて行った時は、そう悪い顔はしていなかった。 「そっか。昨日の清人はちょっとキツかったから。特に今の智颯にはちょっと辛かったろうなと思って、心配だったんだよね」  智颯が色んな意味で焦っていることに、きっと直桜も気が付いているのだろう。  清人の言葉が正しくて今の智颯に必要だったとも考えているのだろうと思う。 「智颯君て、どうして、あんなに、自信がないんですか、ね」  クッキーを一口食みながら思わず零れてしまった。  円から言わせれば、もっと自信を持って良い実力の持ち主だ。円がかなりの努力をしなければ傍にはいられないほどの高見にいる人だ。  なのに何故、あそこまで自分を「何もない」と罵るのか、不思議だった。 「今、焦ってるのも、それが、関係あるかなって、思って」  瑞悠が心配なのも、嘘ではないだろう。  だが同じくらい、13課で功績を上げることに拘っているように感じる。 「円くんは、智颯をよく見てくれてるんだね」  直桜が穏やかに笑う。  そんな直桜を見たのは初めてで、まるで神様みたいだなと思った。 「理由の一つは瑞悠だと思うんだけどね。瑞悠は器用で一度で何でも覚えるし、できちゃうし、天才肌だから。自分と比べるんだよ、多分」 「あぁ、なるほど……」  自分の解析通りだなと思った。  瑞悠に初めて会った時に感じた円の心象と同じだ。 「でも、もっと大きな理由があってさ。実はそれを、智颯のバディになってくれた円くんに伝えておきたいと思ったんだよね。多分、13課では俺と律姉さんしか知らないと思うから」 「瑞悠ちゃんも、知らない、んですか?」  直桜が頷いた。 「瑞悠には、逆に話さないでほしいんだ。智颯も瑞悠も気にすると思うから。そういう時期が来れば、わかるだろうけど、今はまだ内緒が良いかなって思う」  護がティーポットを持って立ち上がった。 「お茶を淹れ直してきますね」  話の内容的に、気を利かせて席を立ったのだろう。 「いや、護にも聞いてほしい。護は俺の鬼神だ。直日神の惟神の眷族なら、祓戸四神の事情は俺と一緒に把握しておいてほしいんだ」  護が席に戻り、ティーポットを置いた。 「わかりました。惟神の御心のままに。なんて、直桜はこういう表現は嫌いですかね」 「あんまり好きじゃないけど、護が言うと台詞みたいで格好良いよね」  ちょっと悪戯っぽく笑う護に、直桜がツンとして照れる。  理想的なバディで恋人同士だなと思う。  それに、理想的な最高神とその眷族だと思った。 (自分の立場から逃げ回ってたって聞いたけど、この人は腹を括ったんだな。自分が最強の惟神であることも、最高神として皆を束ねる立場であることも)  直桜は確実に強い。  円が触れてきた術者の中でも、恐らく最高レベルだ。解析の霊能を使うまでもない。直桜の神力に初めて触れた時は、怖いとすら思った。 (強いから、怖い。怖いから、優しい。そんな感じだ)  憧れるのに、不用意に近づけない。傍にいられる人間は、きっと限られる。  意識しているかわからないが、直桜と護はきっと互いに唯一無二のバディなのだろうと思った。 (俺も、智颯君と、そんなバディになりたい。一生、離れずにいられるような二人に、なりたい)  直桜の目が円に向いた。  持っていたティーカップを自然と降ろした。 「そういえば、気吹戸には、もう会った?」  円は頷いた。  直桜と護が顔を見合わせて、笑んでいる。  意味が解らなくて小首を傾げた。 「祓戸の神様って、惟神が大好きなんだけど、その番も大好きなんだよ。好きじゃないと姿を見せないから、良かったなと思って」 「番? え? それは、どういう……」  軽く混乱した。 「惟神の神が円くんを智颯君の番だと認めた、ということです」  驚き過ぎて声が出なかった。  口をはくはくさせる円を、直桜が可笑しそうに眺めている。 「気吹戸に会ったなら知ってると思うけど、智颯の鋭すぎる感覚を、気吹戸が調節してるだろ? 何なら、ちょっと鈍いくらいまで感度を落としてる。智颯の自信がない原因は、アレなんだよね」  確かに、気吹戸主神の気配の弾き方は、智颯を守るにしても強すぎるとは感じた。 「本当はもっと感覚が鋭いし、神力も強い。持て余すくらいに。実はそれで一度、瑞悠を殺しかけてるんだ」 「え……」  驚き過ぎて、気が抜けたような声が出てしまった。 「智颯も瑞悠も覚えてないんだけどね。暴走した自分の神力を扱いきれなくて、風の輪っていう力に瑞悠を巻き込んでしまった。秋津……瑞悠の神様の速秋津姫神が助けてくれて何とか命は助かったんだけどね」  今の瑞悠に目立った傷などはないし、そういう話もきかないから、外傷も残らなかったのだろう。そういう意味ではホッとする。 「それ以来、気吹戸が智颯の力をコントロールするようになった。最近、俺の目から見ても抑えすぎてるなって思うから、智颯はそれで、自信を無くしてるのもあると思うんだよね」  直桜の話には納得できた。  邪魅の気配まで感じる感覚は、最早異常だ。その感度に準じた神力があると考えると、恐ろしい。 「もう少し、神力を、戻すのは、危険、なんですか?」  抑えるにしても出力を考えてあげればいいと思うのだが。そう簡単な話ではないのだろうか。  直桜が難しい顔をしていた。 「俺も、似たような状態になる時があるから、わかるんだけど。持て余した神力を扱いきれない時の智颯は、多分意識がないか、神力に呑まれてる。きっかけがないと戻ってこられない」 「戻って? え? 自我が、戻らないってこと、ですか?」  直桜が頷いた。  自我が蝕まれるほどの神力とは、どういうものなんだろうか。  直桜も時々なる、とはどういう状態なんだろうと思う。 「俺の場合は護が、神紋を持ってくれてる眷族がいるから、護きっかけで戻ってこれたんだけど。今のところ、智颯にはそのきっかけがないから、気吹戸も迂闊に神力を戻せないんだと思う」  思わず護に目を向けた。 「円くんならきっと、智颯君のきっかけになれると思いますよ」 「俺に、眷族になれと?」  円の呟きに、直桜が考え込んだ。 「今はまだ、やめたほうが良いかな。円くんが、もうちょっと強くなったら、かな」 「あ、はい……」  ストレートな回答に、返事をすることしかできない。 「声でも霊力でも、何でもいいんだ。智颯が自分を取り戻したいと思える何かを、与えてあげてほしいんだ。それはきっと二人でないと、わからないと思うからさ」 「きっかけがあれば、智颯君は本来の力を使えて、もっと自信が、持てますか」  もし、円が何かを頑張れば智颯が神力を戻して自信を持てるというのなら、何でもしてあげたい。 「自信が持てるかどうかは、智颯次第だよ。でも本来の力は戻せる。智颯の神力は、四神の中では随一だし、量だけなら清人にも匹敵する。本来なら、瑞悠より強いよ」  思わず息を飲んだ。  そんなに凄い惟神と、自分はバディを組んでいるのかと、改めて実感した。 「お、俺は……、バディは俺で、本当に、いいんですか?」  そこまで凄い神様の相手が自分で良いのかが不安になる。  直桜と護が顔を見合わせた。 「何言ってんの? 円くんだから、智颯は強くなるんだよ」  俯いた顔を上げる。神様が円を見詰めていた。 「円くんだって、そうでしょ? 直霊、かなり強くなったよね。初めて会った時とは別人みたいだよ。まだ半月くらいしか経ってないよね? 円くんも智颯と同じだよ」  円はぐっと息を飲んだ。   (また、この人は、さらりと俺が欲しい言葉をくれる。智颯君の傍にいても良いって言ってくれる)  円は俯いた。  心が温かくなると、温かさが目から溢れそうになるから、上を向けない。 「もっと、がんばります」  何とか一言、宣言するのがやっとだった。  この温かい気持ちを、智颯に返そう。自然とそんな風に思えた。  午後のティータイムは、円にとって想像以上に実りのある時間になった。

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