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第23話 リバーシの白と黒

 保輔が瑞悠を抱えたまま、別の部屋に入った。  ベッドの上に体を降ろされる。顔が近付いた時、保輔が耳元で小さく囁いた。 「静かにしててくれて、おおきに。さっきの会話、覚えといてや」  口に巻いた蜘蛛の糸らしき拘束を解かれた。  口元から唇に、保輔の指が何度も滑る。欲情を煽る行為というよりは、傷付いていないか確認されているような手つきに感じた。 「ほんなら、瑞悠は俺と遊ぼか」 「アンタ、本当に私と遊びたい? 遊び慣れた女が好きなんでしょ?」  保輔から目を離さずに問う。  どうにも保輔から、性的なアプローチを感じない。 「美鈴の命令やし、処女嫌いでも遊ぶしかないやろ」  保輔が瑞悠の胸に手をあてる。  体がビクリと跳ねて、足が震えた。  その様を、保輔がまざまざと眺めている。  すっと体を離して、保輔がベッドから降りた。  がちゃがちゃと大きな箱を漁っている。 「何、してんの?」 「遊ぶための道具、どれがいいかと思うてな」 「道具……」  そういう行為に道具が必要なんだろうか。  知識がなさ過ぎて、想像ができない。 (ゴム、とか? え? でも、ゴムしちゃったらコイツ等の精子の特徴、発揮できないんじゃ。拘束プレイとか言ってたけど、縛るなら蜘蛛の糸で十分だよね)  保輔が、くるりと振り返る。 「リバーシとウノと花札、どれがいい? 人生・ゲームもあるけど、二人だと詰まらんやろ。やっぱリバーシやんな」  呆気に取られて、何も言えなかった。  保輔が両手にリバーシの箱と花札を持って瑞悠に見せている。 「あと、トランプもあるよ」  花札を置いて、ひょいとトランプを瑞悠に見せる。 「あるよ、じゃなくてさ。遊ぶって、そういうのでいいわけ?」 「嘘は吐いてへん。俺は一言も犯すとかセックスするとか言うてへんもん。遊ぶ、言うただけや」  保輔の会話を思い返す。  そういうつもりでしか聞いていなかったから、よく覚えていないが、確かに遊ぶとしか言っていなかった気もする。 「処女、嫌いなんでしょ? 遊び慣れた女が好きなんでしょ?」  それは今しがた、会話の応酬をしたばかりだ。 「まさか、リバーシ処女なん? せやったらトランプにする? 神経衰弱とかやったら、さすがに遊び慣れとるやろ?」 「そうじゃない、そうじゃないってわかって言ってるだろ、お前」  思わず素の話し方が出てしまった。  保輔が、ぷっと吹き出した。 「お前、そういう話し方もできるんやなぁ。さっき、美鈴に啖呵切った時といい、なんか印象、変わったわ」  保輔の笑顔が、やけに屈託ない表情に見えて、毒気を抜かれた。 「俺は瑞悠に学園で接触しとらんけど、観察はしとったんよ。普段の話し方、アレ絶対仮面被っとる思うとったけど、そんな感じなんやな。そっちの方が、ずっとええで」  何故だか照れた心持になって、瑞悠は顔を逸らした。 「そのグルグル巻きじゃ、リバーシできひんな。捲き方変えるわ」  保輔が蜘蛛の糸を回収しながら、巻き直す。手枷と足枷のような具合になった。 「完全に外すわけにはいかんよって、堪忍な」 「そんなにリバーシやりたいの? さっきから拘り過ぎじゃない? てか、どういうつもりなワケ?」  六黒との会話を覚えておけと言った保輔の言葉が気になった。  それを聞いてから思い返せば、あの会話はまるで瑞悠に聞かせるために、わざとしていたようにも感じる。 「時間稼ぎや、お前らを助けに13課組対室が到着するまでのな。もうちょい時間が掛かるよって、その間は俺とリバーシやって遊んでや。黒と白、どっちがいい?」  保輔が箱を開けてリバーシの準備を着々と進める。 「は? 何、言ってんの? 何でアンタが、直桜様たちを待つのよ」 「集魂会に卜部武流いうんがおってな。アイツを介して取引した。bugsのメンバー全員、逮捕じゃなく身柄保護して命の保証してくれるんなら、円を無事に返すってな。途中から智颯君と瑞悠が追加になって俺の仕事増えたけど」 「何、それ……」  つまり直桜は初めから、円を救うために保輔と取引していた、ということだ。 「もしかして。だから、他のメンバーを歌舞伎町に行かせたの?」 「せや。あっこなら、今ノーマークで保護しやすい。俺がこっちで美鈴と六黒を引き留めといたらええ。次、瑞悠の番やで」  駒を手渡される。  保輔が黒の駒で勝手にゲームを始めていた。  この場所に美鈴と六黒と保輔しかいなかったのは、そういう理由だったのかと、改めて理解した。 「なんで……。直桜様は何も教えてくれなかった」 「どうせ、ろくに話も聞かんと飛び出したのやろ。智颯君、興奮すると他人の言葉とか耳に入らなそうやもんね」  保輔の指摘が当たり過ぎていて、何も言えない。  瑞悠は仕方なく、白の駒を盤上に置いた。挟んだ黒い駒を一つだけ白に裏返す。 「こんなこと、してるなら、ちぃと円ちゃん、助けないと」 「あかんよ。瑞悠がこの部屋を出るんは、あかん」  黒の駒をぴしゃりと置きながら、保輔が言い放った。 「でも! あのままじゃ六黒に喰われる。わかってて何もしないで……、ここでアンタとリバーシしてる場合じゃない」  立ち上がろうとした瑞悠が態勢を崩してベッドに転がった。  保輔が蜘蛛の糸を引っ張っていた。 「六黒は二人の精子採取して食事するだけや。精は喰ろうても命は取らん。反魂儀呪は惟神を殺さへん。二人には、気持ち悦うなって時間稼いでもらう」  リバーシの盤を戻して、保輔が黒の駒を置くと、色を返した。 「なんで殺さないって言いきれんの? 惟神を殺さないって言うんなら、私だって問題ない……」 「お前の場合、殺されるより酷い目に遭うかもしれん。だから、ダメや」  犯される危険があると、保輔は言っている。瑞悠にも理解できる。  理研が集めた、或いは人工的に造った精子を受精させられれば妊娠する。そういう危険も、保輔の助言には含まれているのだろう。  今まで散々、理研の話を聞かされ続けてきたのだから、それくらいは想像がつく。 「でも、だからって、ちぃは今、妖怪に好きなようにされてるんだよ。ちぃは私が、守らなきゃいけないのに」  瑞悠は歯軋りした。智颯を守るためだけに強くなったのに。  自分を守るために智颯を犠牲にしなければならない今が悔しくて、怖くて堪らない。 「智颯君は、お前に守られなならんほど、弱いん?」  保輔の言葉に顔を上げた。 「ちぃは弱くない。弱くないけど、今、ちぃが大変な目に遭ってるのに、何もしないでなんか、いられない」 「それはお前の気持ちの問題やんな。智颯君の立場になったら、瑞悠が危ない目に遭うほうが嫌やろうな」  智颯と交わした会話を思い出す。  だらしないとかスカートが短いとか言いながら、智颯も瑞悠をとても心配してくれていた。 「男はどないに犯されても子供を孕んだりせえへん。けど、女は孕む。男やから女やからってバイアスかかった話する気はないけどな、どんな倫理観の世の中でも人間の体の造りは変われへん。むしろ、せやらこそ、大事にせなならん違いや。今ここで瑞悠が俺とリバーシしてんのは逃げでも弱いんでもない。自分を守っとるんや」  保輔が駒を手渡す。  瑞悠の手の中に白の面をした駒が握られた。 「なんで、そんなこと、言うの? アンタが悪いくせに。アンタのせいなのに。妊娠しなきゃいいってわけじゃないでしょ。ちぃと円ちゃんが一方的に酷いことされてるってわかってるのに、助けられる距離に、私はいるのに」  きっと違う。  さっきの美鈴や六黒の会話を聞いていれば、保輔が悪いのではないと、ちゃんとわかる。それどころか、たくさんのヒントを残そうとしてくれる。今だって、瑞悠を守ろうとしてくれている。  なのに、こんな言葉しか言えない自分が、何もできない自分が酷く腹立たしい。 「俺のせいやから、責任取っとんのや。13課組対室との取引には三人の無事が含まれとんねん。守らんかったら取引が成立せぇへん。それどころか最強の惟神に殺されてまうわ」 「直桜様は殺したりしないもん」  流れそうになる涙を飲みこんで、瑞悠は白の駒を乱暴に置いた。  保輔が小さく笑った気配がした。 「せやろなぁ。お人好しっぽいもんなぁ、あん人。俺に13課に来い言うとったらしいけど、それだけは無理やんな。帰ったら、伝えといて」 「なんで、無理なの?」  保輔が盤面に黒の駒を置く。  角を取って、黒の駒の数が増えた。 「ケーサツ興味ない」 「今、嘘吐いた」  間髪入れない瑞悠の言葉に、保輔が顔を上げた。 「惟神は神力で嘘がわかるの。けど、そんなのなくても、今の言葉が嘘だってわかるよ。保輔は、何となく私に似てる」  嘘や笑顔で本音を隠して、相手を推し量るように観察する。そういう底意地の悪さが自分に似ていて、嫌気がさす。 「俺も、ちょっとだけ思うとった。瑞悠は俺に似てるなって。お前の目は嘘つきの目やからね。癖になると彼氏出来ひんで。まともな男と付き合いたかったら直しや」  瑞悠は保輔に向き合った。ぐっと顔を近づける。 「ねぇ、キスしてよ。フェロモン、私に流し込んで」 「はぁ? お前、阿呆なん? それこそ智颯君と直桜様とやらに殺されるわ」  保輔が眉間に深く皺を寄せて、思いっきり渋い顔をしている。 「俺が何のために今、お前とリバーシしとると思うとんの? 俺の苦労を無駄にする気ぃか?」 「私が平然としてたら美鈴は異変に気が付くでしょ。保輔のこと好きな演技とか、……多分できないし、せめてフェロモンもらえたら、上手くやれるから」  直桜たちが来るまでにはきっと時間が掛かる。  智颯と円が動けない状況下で、瑞悠だけで美鈴の言霊術と六黒の攻撃を何とか出来る自信はない。  現状を、上手く繋げるしかないと思った。 「何もせんでええ。目と口、蜘蛛の糸で隠して、腕と足も拘束してベッドに転がしとくさけ、それでええ」  保輔が、ちょっと不機嫌そうに顔を逸らした。 「保輔なら、好きになれるかもって、思ったのに」  ぽそりと零れた言葉に、保輔が目だけを向けた。 「会ったばっかの奴に言うセリフやないぞ。吊り橋効果抜群やないか」  呆れかえった声が返ってきた。 「吊り橋でもジェットコースターでもいいよ。私、他人に恋愛感情とか持てたことないし、きっとこれからもないんだと思う」  友人が読んでいる恋愛漫画も、ドラマも小説も、感情移入できたことがない。クラスの男子に恋をする、なんて経験も一度もない。  恋愛感情というものが、どんなものかわからない。  今、保輔に感じた思いも、きっと同族への好意でしかない。しかし、今感じている感情は、瑞悠にとって初めての感覚であるのは確かだった。 「初めて、ほんの少しでも好意とか興味とか持てたから、キスしてみてほしいと思っただけ。フェロモンは言い訳、ごめん」  何となく素直に謝った。思えば、こんな風に素の表情と話し方で本音を語った他人は、保輔が初めてだ。  瑞悠はリバーシの駒を手に取った。白と黒をくるくると回して、ほぼ黒で埋まった盤面を眺める。  俯いた目に保輔の手が伸びた。  顔を上げたら目の前に保輔の顔があった。 (あ、キス、され……)  唇が触れそうな距離で、顔が止まった。 「指、震えとうよ」  吐息が唇にあたって、鼓動が早まる。  駒を持つ指が小刻みに震えていた。  そのまま触れることなく、保輔の顔が遠ざかった。 「ここ出て落ち着いても俺にキスされたい思うたら、本当にしちゃる。そういう機会があったらな」  保輔の顔が、照れているように見えた。  胸が、少しだけ熱い気がする。 「うん……」  とくとくと流れる鼓動が、高鳴っているのかもよくわからない。  けれど、そういう機会があるといいなと思った。

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