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第25話 風の輪

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。  ただ、智颯から放たれた金色の光は、円の中に溜まっていた総てを浄化した。  正気に戻った円が目にしたのは、竜巻にように渦巻く風の柱だった。 「花笑、花笑、……円!」    襟首を引っ張られて、体が後ろに倒れた。   保輔が必死の形相で円を見下ろしていた。後ろには瑞悠もいる。  見上げた拍子に気が付いたが、屋根が壊れ二階が吹っ飛んで空が大きく開けている。真っ黒に染まった空に小さな星が瞬いていた。 「アレ、智颯君か?」  保輔が竜巻を見詰める。円は頷いた。  強すぎる風の渦の合間に、智颯の顔がちらりと垣間見える。  見開かれた目には、意識はないと感じた。 「瑞悠ちゃんが保輔に犯されたって聞いて、怒りが抑えきれなくなったんだと思う」  円が美鈴を衝動的に抱こうとした行動も、智颯の怒りを煽るには充分だったに違いない。  抑え込まれた神力で封じの鎖を弾くほど感情が膨れ上がってしまった。 「誰が言うたん? それ」 「坂田美鈴。事実なの?」  円の問いかけに、保輔が後ろに立つ瑞悠を指さした。 「本人に聞いたらええ」  瑞悠が首を横に振る。 「ずっとリバーシしてた。何もされてない」 「美鈴が覗いてんの知っとったから、ちょっとそれっぽい真似はしたけどな。まさか、こうなるとはな」  頭を掻きむしる保輔を尻目に、円は美鈴と六黒の姿を探した。 「他にも誰かいるの?」  円が接触した、この家にいる生き物は保輔に美鈴、六黒だけだ。六黒は捕食中だった。美鈴以外に瑞悠が犯されている話ができる者はいないはずだ。 「誰に聞いた?」という質問は有り得ない。  円の問いかけに保輔が一瞬、戸惑った顔をしたが、納得気味に頷いた。 「あぁ、そうか。話す奴、美鈴以外におらへんもんな。六黒以外の監視がおんねん。三里って女の護衛団や。姿は見せへんけど、恐らくその辺に隠れとぅよ」  うっかり口を滑らせたのだろう。保輔にしては珍しい。この状況に動揺しているのかもしれない。 「ねぇ、採取したサンプル吹っ飛んだんだけど。保輔、どこにいるワケ? どうにかしてよ!」  風の柱の向こうから美鈴の声がする。智颯の風が遮って、姿は見えない。 「とりあえず、アレは放置でええわ。さすがにこの状態はヤバイ。どうにかする方法、あるんか?」  保輔の問いかけに、円は瑞悠を振り返る。  瑞悠が首を振った。その顔は怯えを隠していない。 「絶対、ダメなの。ちぃをこの状態にしたら、絶対にダメなの。戻ってこれなくなっちゃう」  まるで独り言のように、瑞悠が呟く。 「瑞悠ちゃん、もしかして、昔のこと、覚えてるの?」  直桜が話してくれた昔話では、瑞悠は智颯に殺されかけた時のことを覚えていないはずだった。  瑞悠が、何度も首を縦に振った。 「あの時も、みぃが原因だったの。こんな風にしないために、みぃはちぃより強くないといけないの。ちぃを守らなきゃいけなかったの!」  涙目で、瑞悠が円の服を掴んだ。 「わかった。俺が、何とかするから」  円の服を掴む瑞悠の手を強く握る。  瑞悠が顔を上げた。 「俺は、智颯君のバディで、恋人だからね。これくらい、何とかできなきゃ、ね」  にこりと笑って見せる。  保輔が後ろから瑞悠の首に手を掛けて、封じの鎖を外した。 「泣いとる場合ちゃうで。お前も惟神なんやから、力貸しぃや」  保輔の目が円に向く。 「六黒と美鈴と三里は何とかするさけ、円は智颯に集中しぃや」 「大丈夫、なの? いいの?」  保輔が、すんとした顔で円を見下ろす。 「お前ら三人、無事に返す。それが13課組対室の瀬田直桜との取引条件や。お前らが傷付くと、俺が困んねや」 「取引って……、っ!」  飛んできた何かを、円はその場に落ちていたボールペンを投げて弾いた。  触手の一部がどさりと、その場に落ちた。 「やっぱり|13課組対室《そっち》についてたか。食えない男だね、保輔」  後ろに立っていた六黒がニタリと笑んだ。  瑞悠が立ち上がり、大薙刀を構える。  保輔が蜘蛛の糸を投げつけた。六黒を飛び越し、後ろに潜んでいた美鈴の口を塞いだ。 「んっ! んん、ん!」 「今はお前の言霊術、邪魔やねん。話さんと黙っててくれるか」  美鈴が保輔を睨みつけていた。 「どれだけ暴れてもその糸は切れへんし、もっと言うなら、美鈴の言霊術は命令口調で精々三人までが限界やんな。タイムラグあるさけ、一回使うと数時間使えんボンクラ能力やけどな」  保輔がちらりと円に視線を向けた。  これも覚えておけ、という合図だと思った。 「確かに美鈴の能力はボンクラだけど、保輔の糸だって、術者が死んだら解けるよね?」    信じられない目をする美鈴には目もくれずに、六黒が触手を伸ばす。  瑞悠が飛び上がり、六黒の触手をバラバラに切り刻んだ。 「触れんな、淫乱妖怪」  着地と同時に、瑞悠が六黒に向かい、飛び出した。 「存外、口が悪いねぇ。顔は可愛いのに、残念だな」  六黒と瑞悠の応酬が始まった。 「瑞悠の援護は俺がするさけ、さっさと……」  突然、保輔が倒れ込んだ。  どこからか、何かが飛んできた。  保輔の体を確認する。左の肩に小さな針が刺さっていた。 (保輔が言ってた三里とかいう奴の仕業か。気配がまるでしない)  マズいと思った。  この手のモノは、基本、毒だ。 「瑞悠ちゃん!」  瑞悠を呼ぼうとする円を保輔が遮った。 「今はあかん。大丈夫やから、早ぅ、智颯君、なんとかしぃや」  上体を起こした保輔の顔は蒼白だ。 「歌舞伎町の仲間は保護されたって連絡、受けとる。あとはお前らが無事なら、それで約束は果たせんねや」  六黒とやり合っていた瑞悠が飛び跳ねて、保輔の肩に触れた。  神気を纏った手が、一瞬で解毒した。 「直桜様はアンタを13課に入れたいって言ったんでしょ。だったら、連れて帰る」  着地してすぐに、六黒に向かって薙刀を構えた。  殺気を察して、円は右の押し入れにクナイを放り投げた。  勢いで倒れたふすまの向こうから、顔に呪符を付けた女が姿を現した。 「やだぁ、見つかっちゃったぁ。それなら堂々と毒を打つしかないわねぇ」  手には何も持っていないように見える。  気配からして、人ではない。どんな手を使ってくるか、まるで読めない。  だが呪符に隠れて見えない目は保輔を狙っているように感じた。 「俺も、保輔を連れて帰るの、賛成。お前の情報は、13課に有益だ。死なせたり、しない。きっと、智颯君も同じように考えると思う、から」  保輔が疲れた顔で笑った。 「お人好し揃いやんなぁ、阿保やで、ほんまに。あぁあ、参った。神様の力は、あったかいんやなぁ」  保輔が安堵した顔で左肩に手をあてる。  その様子に、少し驚いた。 (神力を温かいと感じるのは、直霊の相性がいい証拠って直桜様が教えてくれたけど。……まさかね)  突風が刃になって、部屋の中を切り裂いた。  あまりに突然の出来事に、反応が遅れた。  瑞悠は察して避け、円は保輔を引っ張ってその場に倒れ込んだ。  三里の姿はない。  遠巻きに見ていた美鈴は無事なようだ。   「六黒は……」  まるで粉々に切り刻まれた状態で、床に散乱していた。どう見ても命はない状態だった。  円は智颯を振り返った。  智颯を囲う風の柱から、風の刃がいくつも飛び出している。 「風の輪が、発動しちゃった」  瑞悠の表情が怯えを纏う。 (風の輪、直桜様が教えてくれた、瑞悠ちゃんを殺しかけた技か) 「瑞悠ちゃん、速秋津姫神に、どうやって助けられたか、覚えてる? どうやって、智颯君を、戻した?」  古傷を抉るようで申し訳ないが、今はそんなことも言っていられない。  また殺気を察して、円は保輔を抱え転がった。  どこからか、三里が毒針を撃ってくる。 (姿を消せるのか? 妖怪とは違う気配、厄介だ。集中できない)  円と保輔の前に風の壁が降りた。  少し離れてしまった瑞悠の前も、風が遮っている。 「智颯君、戻ってきてる?」  瑞悠が警戒しながら、円に近付いた。 「風の輪は、普段からちぃが得意にしてる風の刃なの。いつもは鉄扇で操ってるんだけど、こういう時のちぃは無意識に出しちゃうの。多分、六黒も狙って刻んだわけじゃない」  ぞっと寒いモノが背中を伝った。 「あの時、ちぃが、どうやって戻ったかは、よく覚えてない」  しゅんとする瑞悠を眺めて、保輔が笑った。 「お前ら、気付いてへんの? さっきから風が揺れるんは円と瑞悠が話したタイミングや。声に反応しとんのや」  円と瑞悠は顔を見合わせた。 「円、風の柱ン中入って、智颯君を抱き締めて、愛の言葉の一つも囁いてきぃな。それまで、三里は俺と瑞悠で何とか防ぐさけ。美鈴は今、使い物にならんから、二人で何とかなるわ」 「保輔いなくても、みぃ一人でもなんとかなるから、円ちゃん、行って」 「なんやねん、折角格好つけたんに、台無しやん」 「だって本当だもん」  言い合いをしている二人は、何だか仲が良さそうだ。  何時の間に仲良くなったのだろうと思う。 (リバーシ、そんなに楽しかったのかな)  低い体勢を取っていた三人が立ち上がる。  円は逆巻く風に触れた。 (風の柱は刃じゃない。これなら、勢いを付ければ飛び込める)  瑞悠と保輔に向かって頷いて、円は柱から少しだけ距離を取った。  後ろから、小さな殺気を感じて振り返る。  円の背中に保輔が張り付いていた。その後ろに美鈴の姿があった。  保輔の体がずるりと体勢を崩した。  瑞悠が美鈴の体を蹴り飛ばした。 「邪魔邪魔邪魔ばっかり! 本当に何なの? この役立たず! 今回の責任は全部アンタに背負ってもらうから。blunderらしく、死んでよ!」  蹴り飛ばされた先で、美鈴が怒鳴り散らしている。  保輔の背中に深々とナイフが刺さっている。円を狙った美鈴のナイフを保輔が身を挺して遮ったのだとわかった。  美鈴の口を塞いでいた保輔の蜘蛛の糸がいつの間にか切れている。  霊力を維持できないレベルの消耗なのだと咄嗟に理解した。  振り返った円を、保輔が咎めた。 「お前はこっち気にせんと、早よ行け! 円やないと、智颯君は戻って来ぅへん!」  保輔が円に体当たりする。  勢いで、円の体は風の柱の中に吸い込まれた。 

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