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第28話 ただの見学

 直桜たちが向島にあるbugsの隠れ家に到着した時には、智颯の風の柱が家をほとんど壊していた。  二階建てだったであろう家屋の屋根は吹き飛び、申し訳程度に壁が残っている状態だ。  周囲に被害がほとんどないのは、誰かが結界を張っているからだとわかった。その気配に気を尖らせる。 「直桜様!」  小声で呼びながら、初と稀が近付いた。 「指示通り、監視に徹しましたよぉ。智颯君と円の精子は一度は採取されちゃいましたぁ。あの風の柱の影響で飛び散り消えましたけども。瑞悠ちゃんは無事ですよぉ」 「現在、智颯君の神力が暴走し、円と瑞悠ちゃんが淫鬼と思われる妖怪と交戦中、保輔は無事に寝返ってくれたようです」  初と稀の簡潔な説明に、直桜は頷いた。 「ありがとう。二人とも助けに入りたかったよね。ごめんね」  犯されている弟をただ監視させてしまった指示に、申し訳なさが拭えない。  初と稀が首を横に振った。 「あの程度は草にとって経験ですぅ。我々に助ける選択肢はないですからぁ」 「捕虜になった時点で円は死ぬべきでした。むしろ、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」    逆に謝られて、直桜は言葉を強めた。 「死なせない。円くんは智颯の大事なバディで恋人だ。俺の指揮下では、自死は禁止、絶対に死なせないよ」  初と稀が顔を合わせる。 「生きることが御指示であるならば」 「御命令に従うまでですぅ」  草の常識は直桜にとって、意外なモノばかりだ。  それでも今の初と稀が晴れやかな顔をしてくれているから、少しは救われる。 「それはそうと、あの結界を張っている奴が何処にいるか、わかる?」  風の柱を覆うように張られた結界は、外側から囲われている。  初と稀が表情を硬くした。 「さっきから探していますが、見つかりません。気配は感じるのですが」 「空間術ですかねぇ。呪力量が半端なくて吐き気がしますねぇ」  二人の目線は家屋の敷地の中の小さな庭に向いている。  その目は確信を持っていた。 「二人は引き続き家の中の三人を監視して。ヤバそうなら、助けに入ってあげていいよ。歌舞伎町の方は、清人と行基たちが巧くやってくれた。あとは撤収だけだから」  頷いて、初と稀は闇に姿を溶かした。  直桜は護に目配せした。 「槐が、来ていますね」  直桜と同じ気配を、護も感じ取っている。  護の気がいつも以上に尖っている。 「反魂儀呪の目的は精子じゃなくて惟神本人だったのかもね。智颯の神力については、槐も良く知ってる。まだ槐が集落にいた頃の事件だから」  直桜は蛇腹剣を霊現化した。  手甲鉤を右手に露にして、護も構えた。  息を合わせて走り出す。  何もない庭に、蛇腹剣の切っ先を突っ込んだ。  景色が歪んで、透明な壁が崩れ落ちた。 「随分乱暴な挨拶だね。普通に、こんばんはって声を掛けてくれたらいいのに」  崩れた空間術の壁の向こうで、八張槐がニタリと笑んだ。  槐を庇うように、八束が立っていた。前にも会った護衛団・九十九の案山子男だ。八束が目の前に分厚い結界を張った。  今の槐は霊力も呪力も陽人の直霊術で封印されている。さすがの槐でも陽人の術は解けなかったようだ。 「何をしに、こんなところまで? 惟神の精子が気になりましたか?」  護の攻撃的な声に、槐が首を傾げた。 「今日は見学だけだよ。智颯の成長した姿が見たくて、思わず出てきちゃっただけ。俺は精子より、体の方が好きだからね」  槐が護を指さす。  直桜は護の体を引っ張って前に出た。 「俺や清人だけじゃなくて、祓戸四神にも興味あるの? 反魂儀呪は惟神が欲しいわけ? だったら、人工的に惟神を作り出したい理研とも意見があうだろうね」  槐の視線が直桜に向いた。 「直桜はずっと勘違いしてるよね。俺が本当に欲しいのは直桜だけだよ。他は直桜を完成させるために必要な駒でしかない。惟神も清人もだ。直桜のスイッチである護はセットで欲しいけどね」 「は? 俺を完成、させる?」  槐の言葉が全く理解できない。  この男が自分に何をさせたいのかがわからなくて、言葉に詰まる。 「そろそろちゃんと教えないと、直桜の成長が止まりそうだし、いい機会だから、教えておくよ。お前の神力の価値は気枯れだけじゃない。それを引き出すために俺は色々策を弄して努力してるんだよ」  槐が風の柱を指さす。  智颯が作った風の柱から、風の輪がいくつも飛び出していた。  まるで意図して智颯の神力を暴走させたような言い回しに、直桜は息を飲んだ。 「おや、六黒が死んだようです。風の輪にやられましたね」  八束が何でもないことのように話した。 「構わないよ。また作ればいいから」  槐もまた、何でもないことのように話している。 「また、作る? やはり淫鬼の分身は、反魂儀呪にいるのですね」  護が直桜を体を支えるように片腕で抱いた。  槐が嬉しそうな笑みを浮かべた。 「淫鬼の分身は理研に持っていかれちゃってさ。仲良くしているのは、そういう理由もあるんだ。お互いに持ちつ持たれつって感じ?」  直桜は拳を握り締めた。  逆立つ感情を静かに抑える。 「智颯の神力を暴走させるのが、俺に関係あるのか? お前は俺に、何をさせたいんだよ」  智颯の今の状況は、瑞悠か、或いはきっと円でなければ戻せない。  今の直桜は、それを期待するしかない。直桜に出来ることはない。 「智颯の暴走がきっかけになればと思ったんだけど。どうやら今回は無理そうだね。何とか出来ちゃう子が、他にもいるようだ」  槐が風の柱を見上げる。勢いが、少しだけ弱まったように感じた。 「保輔も予想通り、そっちに付いたね。欲しかったんだけどなぁ、残念だよ。直桜も案外、人誑しだよね」 「は? 保輔のことは信用してないって話していただろ?」  稜巳の封印解除の時、槐は自分からbugsの伊吹保輔の話を切り出した。その時、確かにそう話をしていた。 「信用は、最初からしてなかったよ。最終的に13課に付くだろうと思っていたからね。けど、あの子の価値について信用してなかった訳じゃない。これでも口説いたんだけどね。伝わらなくて残念だよ」  槐が本当に残念そうにしている。  その表情に虚偽はなさそうだ。  槐の目が再び直桜を捉えた。 「保輔の価値にも、自分の価値にも、直桜はまだ気が付かないでいるんだろ。俺はね、直桜には出来るだけ自分で成長してほしいんだよ。けど、待っていたら寿命で死んじゃいそうだよね。何なら気が付かないまま死んじゃいそうだ」 「悪かったな、気が付けなくて」  思わず、口を吐いて出てしまった。 「そこまで言うなら、教えてよ。保輔と俺の価値が何なのか。槐が俺にどうなってほしいのかをさ」 「直桜、乗せられてどうするんです。冷静になってください」  前のめりになる直桜を、護が腕で制した。   「桜谷家の直霊術と八張家の四魂術はね、神の御業を真似た悪手だ。本来なら直日神が併せ持つ力だよ。お前はまだ、その力を使いこなせていないだろう? 気枯れも|気満たし《みたし》も直日神はお前に使わせないようにしているね。過保護なことだね」  直桜は何も言えなかった。  槐の今の言葉は、淫鬼邑で四季に指摘された言葉に似ていたからだ。 「数百年ぶりに祓戸の神々が全員、揃った。守人の伊豆能売と鬼神もいる。直日神の惟神であるお前は、必ず全力を求められる。俺はお前のその力が欲しいんだ。いずれ取りに来る。いや、お前は自分から俺の所に来るよ。待っているね、直桜」  予言めいた言葉が、気持ちが悪い。  自分から槐の元に行こうとなど、考えるはずがない。今の直桜の中に、そんな選択肢はない。  そんなことは槐もわかっているはずだ。それでも敢えてそういう言い回しをしてくるのが、酷く気味が悪い。 「渡しませんよ。何があっても直桜を、お前などに渡さない」  直桜の体をしっかりと掴まえて、護が言い切った。  手の熱に、安堵が灯った。 「きっと護も一緒に来るから、心配ないけど。直桜一人でも歓迎するから、いつでもおいで」  にこやかに誘う槐を、護が睨みつけた。 「行く訳がないでしょう。直桜も私も、思い通りにばかり動くと思わないでください。前回から、計画に綻びが見えますよ。反魂儀呪もそろそろ限界なんじゃないですか」 「多少の綻びは計算の内だよ。失敗もある程度は予想の範疇だしね。俺だって立てた計画が全部、成功するなんて、流石に思ってないよ」  ははっと笑う槐は特に悔しさなどなく、本気でそう考えている雰囲気だ。 「伊吹保輔が欲しいと言いながら、13課に引き渡す理由は何です? 本気で欲しいなら、こんなやり方はしないでしょう」  槐が意外そうな顔をした。 「護は俺のこと、良く知ってるね。やっぱり、元恋人のことは覚えていてくれるんだ?」 「貴方の底意地の悪さと気色の悪い性格は、良く知っていますよ。大嫌いですから」 「それって俺にとっては大好きって言われてるのと同じなんだけど、そういうところは解ってないね、護」  護の言葉が止まった。理解できない顔で絶句している。  槐と護の会話のお陰で、直桜は冷静さを取り戻せた。 「槐が保輔を欲しがった理由、何となくわかった。性格もそうだけど、開花してない霊能があるってことだよね」  保輔のような嘘や交渉が巧い性格は、槐が如何にも好みそうだ。だが、それだけなら保輔である必要はない。  13課が把握している保輔の霊能は土蜘蛛の能力と、電脳線のハッキング能力だけだ。 「しかもそれが、俺の神力の開花に貢献する霊能なんだろ。だから、欲しかったけど取られてもいい。俺の傍に置いても、それが既に槐にとっての保輔の利用価値だからだ」  槐が目を見開く。満足そうに直桜を眺めた。 「良く出来ました。保輔を陽人によく視てもらうといい。きっと面白いことがわかる。理研に関しても、色々わかるはずだよ」  八束が空を見上げた。  いつの間にか、風の柱が消えていた。 「槐様、そろそろ戻りませんと」  促されて、槐が立ち上がった。 「このまま帰すと思いますか? 霊力が封じられた槐と案山子が一つなら、負ける気がしませんよ」  護が前に出る。  八束が気味の悪い顔で笑った。 「私は力を弾くのが得意でして。特に死に際なんか、それはもう強く弾いてしまうから、貴方の強い霊力を弾いたらお仲間が被弾するかもしれませんねぇ。若者たちは生きていられるでしょうか」  護は家の方に視線を向けた。  最初から、この一軒家は八束の結界の中だ。智颯たちを人質に取られているようなものだ。  護が、ぎりっと歯軋りをした。 「また会おうね、二人とも。次は直桜の成長した姿が見られることを祈ってるよ」  八束の後ろに隠れた槐の姿が消えていく。  二人の姿が消えたのと同時に、家を囲っていた結界が消えた。 「また、逃がしてしまいました。すみません、直桜」  俯く護の手を握る。 「いや今回は、今回も、か。俺のせいだよ。毎回これじゃ、ダメだね」  いつもいつも、槐には同じように逃げられる。 「アイツの期待通り、強くなってやる。でも思い通りには、絶対にならない」 「直桜……」  槐の話には思い当たる節が直桜にもある。だからこそ、このままではいけないと感じていた。  そんな直桜を見詰める護の顔には不安が昇っていた。

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