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第35話 希望の酒呑童子

 小一時間ほど、直桜は護と共に円の解析術を見守っていた。  話し掛けないと、円の作業スピードは驚くほど速かった。途中、護がアイスコーヒーを追加しても気が付いていなかった。 (俺が邪魔してたのかな。ていうか、何かを振り切るようにキーボード叩いてるように見えるけど)  心の声を聴かれたのが、そんなに恥ずかしかったのだろうか。何一つ、恥ずかしい話はしていないと思うのだが。 「結果、大体、出揃いました、よ」  唐突に手を止めて、円が直桜たちを振り返った。 「結論から、言うと、保輔は伊吹童子の子、酒呑童子、です」 「え?」  突拍子もない答えに、呆気に取られる。  直桜の隣で、護が顔を顰めていた。その顔を円が見上げる。 「名前のまんまってこと? 保輔の苗字って、伊吹だよね?」  護を振り返る。  直桜の視線を受けて、護が口を開いた。 「伊吹山の鬼、しかも当主だった伊吹弥三郎の子孫、という話、ですか?」 「そうです、ね。伊吹山の鬼なら、目が良いのも、納得、です」  首を傾げる直桜に、護が説明する。 「伊吹山の鬼は透視が得意で、他者の体の中身を隅々まで見渡せる目を持つと言われています。化野の鬼は神殺しの鬼を隠語で鬼の手と呼びますが、鬼は体の一部に特徴的な能力を有していることが多いんです」 「じゃぁ、伊吹山の鬼は、鬼の目って感じ?」  護が頷いた。 「問題なのは、伊吹山の鬼は既に絶滅しているという事実です」 「絶滅?」  直桜の驚きの声を聴いて、円がディスプレイに画像を展開した。 「伊吹童子は、義賊として有名で、行き場のない妖怪などを、囲っていました。徒党を、組んでいると疑われ、危機感を、抱いた、陰陽師連合に、討たれて、果てた。三十年以上、前の話、です」  ディスプレに映し出されたのは、大昔の新聞記事だ。一般の新聞ではない。呪禁師や陰陽師界隈でのみ発行されている会合誌のようなものだった。  見出しにはデカデカと「伊吹童子討伐」と書かれている。 「つまりはその討伐の時か、それ以前に遺伝子サンプルが採取されていたってことだよね」 「そう、なります、ね。なにも精子そのもので、なくとも。大袈裟な、話し、皮膚片一つあれば、ips細胞から精子、卵子や、臓器の、再生が、可能です」  世間的にはまだ全く一般的な普及を見せていないips細胞からの再生医療だが、理研が独断で開発しているなら、ある程度の完成度があっても不思議ではない。  生命倫理など無視した実験を繰り返している場所だ。理論上は可能な医療技術が確立し、臨床実験されている可能性はある。 「恐らく、討伐の時でしょうね。私も会ったことはありませんが、伊吹山の鬼は相当に強かったと聞きます。負けた瞬間以外に体の一部を持っていかれるとは考え難い。あまり人間を好まなかったとも聞きますから、話し合いで分け与えるなどもあり得ないでしょう」  同じ鬼の護の話には説得力がある。 「その討伐で鬼の一部を持ち帰った術者が、理研関係者だった。或いは、討伐に参加した者が後に理研に組したってことかな」 「可能性は、大きい、です」 「封印の件を考えても、強い術者が理研にいた、もしくは今現在もいると考えていいかもしれませんね」  反魂儀呪と協力関係にある以上、理研に強い術者は存在しないと考えていた。もし、そうでないのなら、認識から変える必要がある。 「その辺りは、もしかしたら保輔君や集魂会の二人にも聞けるかもしれませんね」 「まぁ、そうだね」  護を集魂会には行かせたくない。また蜜白の毒牙にかかっては事だ。そう思ったら、ぎこちない返事になってしまった。 「それに関しては、清人にも報告して、後で考えよう」 「そうですね。今は、保輔君の体が大事ですから」  直桜の気持ちを知らない護が、にこやかに頷く。  少しだけ胸が痛んだ。 「じゃぁ保輔は、直霊術を有して鬼の目を持つ伊吹山の鬼の末裔、ってことになるのか」 「そうなり、ます」  中々にパンチが効いた肩書だと思う。 「陽人と護を足して二で割った感じだね」  直桜の言葉に、護が苦笑した。 「保輔君がどこまで鬼の力を開花させるかは、本人と……遺伝子次第にはなりますが。鬼は血の濃さで能力が大きく変わりますから」  言われてみれば、納得できた。  化野の鬼は、鬼と人の血を半々に守ってきた種族だ。護も人として鬼の力を使いこなしている。  集魂会で会った大江山の鬼の平井茨は、自らを茨木童子と呼ぶだけあって鬼の血が濃い突然変異の鬼子だ。寿命も人間の数倍長く、両親は既に他界しているのに、まだ子供の姿だ。 「恐らく、化野さんに、近い、ですよ。保輔のベースは、人、です。鬼の特徴も、目と霊力量の多さ、くらいです」  円がディスプレイに保輔の能力や霊力の分配図を出してくれた。  確かに、現時点なら直霊術を伸ばすほうがよさそうに見える。 「どう、変化するかは、わかりませんが、性格も、武力系じゃ、ないし、鬼の馬鹿力は、使いこなせなそう、ですね」  円の言葉には直桜も護も納得だった。  保輔は、どちらかといえば頭脳派だ。そっちを伸ばしてやった方が本人向きな気がする。 「円くんは保輔をよく見てるよね。出会ったばかりで普通に話していたし、仲も良さそうだよね」  何となく思ったことが口走った。  円が顔を赤くする。 「確かに、そうですね。よいお友達が増えて、良かったですね」  護にまで同じようなことを言われて、円が俯いてしまった。 「別に、仲良しとまでは。ただ、話しやすい。遠慮しなくて、いいから。それだけ、です」  最初が敵で草モードスタートだったのも、円には逆に良かったのかもしれない。  直桜は護と顔を見合わせて微笑んだ。 「一つ、疑問が、あって。これだけ、強い術者を、作ったのに、理研は、どうして、保輔の力を、封印したのかなって」  円の疑問は尤もだ。  理研の目的が人工的に強い術者を作り出すことなら、保輔はまさに理研が定めるところのmasterpieceだったはずだ。だが、保輔に貼られたのはblunderというレッテルだった。 「しかも、今の理研関係者は保輔君の本当の力に気が付いていない可能性が高いですね。気付いていたらblunderなんて扱いはしないはずですから」  仮に封印に気が付いていたら、解呪していただろう。反魂儀呪と繋がりのある今の理研なら、いくらでも解呪できたはずだ。 (槐が気付いていて解呪しなかったのは、理研に持っていかれる懸念を考慮したからかな。理研に取られるくらいなら俺に、13課に引き渡したほうがマシだった、とか)  保輔の本来の力に気が付いていた槐なら、封印にも気が付いていたはずだ。あえて解呪しなかった理由を考えると、それくらいしか思い浮かばない。  それだけ、理研を毛嫌いしているのだろう。 (槐のこと嫌いだけど、きっと槐は理研が嫌いだろうなってわかっちゃう自分が嫌だ)  保輔の価値に気付けないような無能を槐が好むとは思えない。保輔の話を聞く限りでも槐が理研を嫌う理由はいくらでも思いつく。  だが、それを今話すと、護が微妙な反応をしそうなので、敢えて言わないことにした。 「本人も気付いてなかったんだから、産まれてすぐか物心つく前に封印された可能性が高いよね。理研関係者にも気が付かれず、産まれてすぐ封印ができる術者、か」  保輔の話を参考にするなら、そんな人物は一人しか思い浮かばない。  護と円の目が、確信を持って直桜に向く。 「やっぱ、英里さんしか、いないよね」  直桜の言葉に、二人が頷いた。  保輔の情報は現在、13課組対室全員に共有されている。英里が保輔の育ての親ともいうべき立場にいたことは、兼任の円も智颯も知るところだ。 「問題は、理由、です。《《重田》》英里が、何故、保輔の力を、封じたのか」  当時は安倍姓であったはずの英里を重田と呼んだ円の言い回しに、想いを感じた。少なくとも円は英里を理研側の人間とは考えていないのだろう。 「保輔君を守ったには違いないと考えますが」 「守るため、か。理研に毒されないため、とかかな」  masterpieceとして持て囃されていたら、自分の強すぎる力をどんなふうに使っていたか知れない。報告を受けた坂田美鈴の発言や性格を考えると、傲慢に力を誇示する人間が育っても不思議はない。 「酒呑童子を、作りたかったのかなって」  円の呟きに、直桜は顔を上げた。  そういえば、解析が終わってすぐにも、円は同じ言葉を使っていた。 「理研が、どうやって、名前を決めているか、知りませんが。保輔は伊吹山の鬼を、連想させる伊吹に、藤原保輔を思わせる、名前です」  伊吹童子は伝承だと酒呑童子の幼少期の名か親とされている。藤原保輔は確か、袴垂とか呼ばれていた平安時代の貴族盗賊だ。エンタメ小説だと時々、義賊として描かれる。 「坂田、碓氷、卜部、この辺りは、頼光四天王。理研を朝廷に見立てて、守ってるイメージの、名前です。だから」 「だから英里さんは、保輔に酒呑童子になって欲しかったってこと?」  理研の内部に深く関わりながら理研を壊したかった英里が、自分の想いを託すため、理研から守るために保輔に封印を施した、といいたいのだろうか。  いつかその時が来たら解かれるはずだった封印は、英里の死で解かれることなく残ってしまった、とも考えられる。  円が、頷きとも俯きとも取れないような微妙な首の傾げ方をした。 「俺の、勝手な、想像、ですけど。伝承だと、酒呑童子は、討たれる。けど、今の世の、鬼は、神様の、眷族になれる」  円が護を見上げた。  思いもよらない言葉だったのか、護が驚いたような照れたような顔をしている。 「保輔が、産まれた当時、英里、さんが、どこまで知っていたか、わからない、けど。何かを託して、保輔の、力を封じたのなら、今までの保輔の人生も、英里さんの想いも、今、実を結ぶなって」  円が照れたように笑った。 「俺の、勝手な、希望、です」  希望、という言葉に、直桜の目が潤んだ。 「そうか、希望か。保輔は、英里さんの希望だったんだね」 「本当に、只の、俺の、想像、でしかない、ですよ」  慌てる円に直桜は首を振った。 「例えばその予測が外れていたとしても、俺はそれが良い。円くんが話してくれた、その事実が好きだよ」  円が、ぽかんと呆けている。 「やっぱり、よいお友達ができましたね。保輔君のこれからの人生は、今までよりきっと素敵になります」  円が照れた顔で護を見上げて、真っ赤になった。 「保輔の封印、解呪しよう。俺が責任もって、酒呑童子を預かるよ」 「負けない酒呑童子を育てなければいけませんね。鬼の先輩として、鍛えなくては」  呪物室に向かう直桜と護の後ろを、円が慌てて付いてくる。  託された希望は今を生きる自分たちが実らせると、強く誓った。

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