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第34話 鬼の霊元
保輔の能力開化が終わると、陽人と優士はすぐに地上に戻っていった。やはりbugsの事後処理が忙しいらしい。
ソファに座って呆然としている保輔に、護が水を差し出した。
「大丈夫ですか? 飲めますか?」
こくりと頷いて、コップを受け取ると、舐めるように含んだ。
「少し休んだほうが良いんじゃない? 解析は明日でもいいからさ」
陽人には今日中に結果を報告するよう指示されたが、今動かすのは気の毒に思えた。
「動けるから、大丈夫や。ちょっとフワフワして、慣れへんだけや」
立ち上がろうとする保輔の体がくらりと傾く。
コップと保輔を支えて、護がまたソファに座らせた。
「無理をしてはいけませんよ。時間はあるんですから、今日でなくても」
「でも、桜谷さんの指示は今日中やろ。急がなならん理由が、何かあんのや。あん人はきっと無駄に急かすような人やない」
直桜は護と顔を見合わせた。
護が保輔の体を抱き上げる。
「だったら、移動はこうです。文句は言わせませんよ」
悲鳴を飲み込んで、保輔が護を眺めた。
「細身に見えて、力あるんやね、化野さん」
「これでも鬼ですからね。完全に鬼化したら、もうちょっとガチムチになりますよ」
顔を蒼くする保輔を抱えて、護が歩き出す。
その後ろをついて、直桜も呪法解析部に向かった。
名称は変わっても、解析室そのものに変化はなかった。
護に抱きかかえられて解析室を訪れた保輔を見付けた円が、顔を背けて笑っていた。
「重田さんから、連絡は、貰ってます。準備、出来てますので、そのまま、どうぞ」
円が解析室の奥の部屋を案内する。
普段は呪物などを入れる場所だ。
前回は結界に捉えた重田優士を保管して解析していた。
「笑うなや。俺かて好きでこうなっとるわけやないねん」
ずっと笑いを噛み殺している円に、保輔が苦言を漏らした。
「智颯君と瑞悠ちゃん、いなくて、良かったね」
円の呟いた言葉に、保輔が顔を引き攣らせて真っ赤にしている。
何のかんの、護に抱かれて肩に腕を回している保輔の姿は可愛いなと直桜も思うので、円が笑うのも無理はない気がした。
「ここに仰臥位で、お願いします」
部屋の中にあるストレッチャーのようなベッドに保輔を降ろす。
円が手を十字に斬ると、保輔の体がベルトでベッドに固定された。
保輔の表情がビクリと震える。
「痛かったりするん? なんか怖いことあるん? 覚悟決めるさけ、先に教えといてや」
怯えた表情の保輔に円が首を振った。
「数時間、かかるかも、だから、寝てて、いいよ。ただし、動かないで」
「寝たら動くかもやん。あ、でも、動けへんから、平気か」
固定用のベルトは太くてがっちり保輔の体をホールドしている。逃げることも出来なそうだ。
「眠れそうなら眠ったほうが良いよ。直霊の安定や霊元の定着には睡眠が一番だからね」
「そ、なんや。俺が見てた、魂の色は、直霊の色、やったんやなぁ……」
目を閉じた保輔が、話しながら寝息を立て始めた。
「寝ちゃいましたね。さすがに疲れましたかね。眠れて良かった」
護が安堵した表情で保輔の頭を撫でる。護の保輔に対する態度は、何となく弟にでもするような仕草に見える。
「とんでもないことに、なってます、ね」
保輔を眺める円の目に不安が浮かんでいる。
昨日までとは別人の霊力の量と感覚に戸惑っているのだろう。
「実際にどんなことになっているのか、円くんに解析をお願いしたいんだ。陽人が随分と御執心でさ」
「わかりました」
頷いて、三人は呪物室を出て解析室側に戻った。
「しばらく、かかる、ので、お二人も、戻られますか? 結果が、出たら、連絡しますよ」
「円くんが迷惑じゃなかったら、ここにいてもいい? たまにしか来ないから、どんなふうに解析するのか、見てみたい」
呪法解析部に来るのは、優士の解析の時以来だ。
円の解析術も、そうそう見られるものでもない。
「どうぞ。キッチンに、飲み物とか、あるから、好きに、飲んで、ください」
照れた目でちらりと直桜を振り返ると、円が前に向き直った。
前より長く話してくれるようになったな、と思う。
「では、お言葉に甘えますね。円くんは何がいいですか?」
「え? えっと、じゃぁ、コーヒーを……」
「俺もコーヒーが良いな」
「わかりました。アイスでいいですか?」
直桜と円が頷いたのを確認して、護がキッチンに消えていった。
大きなシートに座って作業を始めた円の後ろに立ち、そっと覗く。
デスク上に浮かび上がるフラットキーボードに円が何かを打ち込んでいる。キーをタッチするたびに霊気が流れているのがわかる。
円の前にある三つのモニターに何かの文字が流れているが、直桜には全くわからない。しかし、そのモニターにも円の霊力が流れているのはわかった。
モニターの奥に広がる壁一面ともいえる大きなディスプレイに、保輔の姿が映し出された。ストレッチャーが消えて、拘束された保輔の体が宙に浮き、球状の霊気の塊に包み込まれる。そこに無数の霊糸が伸びた。
全部、円の術なのだと感じた。
「俺の、解析術は、本人に直接触れても、発動しますが、こんな風に、機械を通すと、得られる情報量が、増えて、時短にも、なります」
作業をしながら円が説明してくれた。
「そうなんだ。前回も思ったけど、凄い能力だよね」
「珍しい、とは、思うけど。別に、凄くは、ない、です」
後ろから見える耳が赤い。
(褒め過ぎると円くんって、過換気になっちゃうんだっけ)
今は智颯がいないので元に戻せる人がいない。褒めないように気を付けようと思った。
「もしかして俺のこともわかる? 前に神気を流し込んだ時とか、わかった?」
以前に智颯に神力の送り方を教えるのに、円に神気を流したことがある。
「……多少なら」
円らしい、短い返事が返ってきた。
しかし、どうだったか聞かれたくない雰囲気だなと思った。
(何か、言いずらいこととか、あったのかな。相性悪かったとか)
曲りなりにも神様の神力なので、相性が悪くても相手にとって悪影響はないはずなのだが。
「直桜様は、なんで、総ての力を、解放しない、んですか? やっぱり、神力が、強すぎる、から、ですか?」
「え?」
護がアイスコーヒーを持って戻ってきた。
デスクの脇に置くと、円が小さくぺこりと頭を下げた。
直桜もコーヒーをを受け取って、また円に向き直る。
「円くんは、俺の眠ってる力に気が付いてたんだ」
直桜の質問に、護の表情が硬くなった。
「……やっぱり、意識、してない、感じ、なんです、ね」
槐に指摘された言葉を思い出す。
淫鬼の四季にも似たようなことを言われた。
直桜としては、全く意識していない能力だ。
「円くんは、どんなふうに感じた? どんなことでもいいから教えてほしい」
「直桜、今は……」
護が前のめりになる直桜を制した。
円の仕事の邪魔というより、その話を聞かせたくない雰囲気だ。
「ざっくりと、ですけど。本来の力の半分も、今は、使ってない。本当は、もっと、強い神力や、能力が、あるけど。抑えてるのは、直日神、なのかな、と」
「あれで、半分も、使ってない……?」
護が驚愕の表情をしている。
「俺は、正直、直桜様の、神力が怖かった、です。あまりにも、強すぎて。智颯君の神力とは、違う」
「それは、智颯と円くんが相性いいからっていうのも、あるけど。そっか、怖かったか」
怖い、という表現を久しぶりに聞いた。
集落にいた頃、気枯れをしてしまった時は、散々浴びせられた言葉だ。
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。何でも教えてって言ったのは、俺だから」
直桜が落ち込んでいる雰囲気を感じ取ったのだろう。相変わらず円は、人の気持ちに敏感だなと思う。
「気休めに、聞こえるかも、だけど、今は、怖くない、ですよ。優しくて、大きい。直桜様は、惟神の頂点、なんだなと、感じます」
手に持ったコーヒーの氷が、カランと揺れた。
「気休めには聞こえませんよ。円くんが、こんなに長くお話してくれるのは、珍しいですから。君が正直な性格なのも、少しは知っています」
円が護を見上げる。
その顔は明らかに照れていた。
「俺は、草、だから、嘘も、つきます、よ」
ふいと目を背けて、モニターに向かう。
「仕事で嘘を吐いている時の円くんは、もっと流暢にスラスラと話しますよね」
円が護を振り返る。
照れた顔が、またモニターに戻った。
「円くんが直桜を好きになってくれて、嬉しいです。一緒に仕事できるのも、嬉しく思っていますよ」
「……俺も。お世話になった、化野さんと、また、仕事できて、嬉しい、です」
円の言葉に、護がとても嬉しそうに笑んだ。
作業する手は止めずに、円が一瞬だけちらりと直桜を振り返った。
「余計な、お世話かも、だけど、直桜様は、力を、解放しても、飲まれたり、しないと、思います。化野さんが、いるし、それに」
円のモニターを見詰める目が見開かれた。
「保輔も、直桜様の、惟神の力になる、存在なのかも、しれないです」
直桜は円に駆け寄った。
「何かわかった?」
「保輔の、霊元は、桜谷家の術者の、移植、ですか?」
円の問いかけに、直桜は考え込んだ。
「移植、ではなさそうな言い方だったよ。引き継がれてるって、陽人は話してた」
円が押し黙ったまま、モニターに流れる何かを読み取っている。
眼球が凄まじい速さで動いていた。
「だとしたら、本人の霊元が、ある。そこに、掛け合わせた、感じ、ですね。少なくとも、人工の霊元では、ないです」
「他にも何か混じっていそうだとは、言ってたけど……」
直桜と護は顔を見合わせた。
「直霊術と強化術が、使えるのは、間違い、ない。けど、この霊元は、まるで、鬼」
鬼、という言葉を聞いて、護の表情が強張った。
円が視線を落として、思い出したように呟いた。
「本人の、霊元なら、遺伝子の方で、わかるかも」
円がアプローチ先を変更した。
「遺伝子って、保輔の両親の、最低でもどっちかが鬼ってこと?」
正確には精子か卵子、というべきなのだろうか。
保輔が理研で生まれた試験管ベイビーであるのは、本人に確認済みだ。
「保輔君から、鬼の気配は感じませんでしたが」
「能力が開花していなかったからとか? あれだけの霊力を抑え込んでたなら、有り得るかも」
「そこが、不自然、ですよね」
直桜と護は同時に円に目を向けた。
「さっき保輔に会って、思った。あれだけの霊力が、未開化なんて、有り得ない。勝手に、吹き出してくる。まるで、封印、されていた、みたいだって」
円の言葉で、直桜は目がら鱗が落ちた思いがした。
「封印……、そうか。保輔の霊能は元々封印されていたんだ。強すぎる霊力が溢れたせいでハッキングと土蜘蛛の使役に使えていたにすぎなかった。封印も綻んでいたんだ」
「桜谷さんの先ほどの強化術で能力の開花はできましたよね。まだ、封印が解け切れていない?」
「陽人の力はあくまで直霊と霊元を目覚めさせただけだからね。封印を解呪したわけじゃない。むしろ、俺の神力で浄化した方が早いかも」
モニターに目を落としたまま、円が頷いた。
「恐らくそれで、鬼の力が覚醒します。問題はどこの鬼か、誰が何の目的で封印したのか。状況から考えて理研関係者でしょうが、保輔が産まれた十七年前にそれだけの能力者が理研に存在したという事実です」
直桜と護は黙り込んだ。
円が話してくれた推論も驚愕だが、あまりにも円が流暢に話したので、そっちの方が驚愕だった。声を掛けるべきか、とても迷った。
智颯の話を参考にするなら、きっと集中しすぎて心の声が出ているのだろう。
「何処の鬼かは遺伝子解析で特定できます。鬼は住処により種族が違って能力も多岐にわたる。目が良いだけでは情報が足りないけど、もし滋賀県近郊の山だったとしたら、化野の鬼のように桜谷集落との関係も……、ある、かも……」
円がタイピングの手を止めた。
恐る恐る顔を上げる。その顔は真っ赤だった。
「すごく色々考えてるんだね、円くん」
「とてもわかり易い説明でしたよ」
我に返った円が両手で顔を覆った。
直桜と護の声掛けは慰めにはならなかったらしい。
「……解析、出来たら、声掛け、ます、から……」
一先ず、少し離れて、直桜と護はソファに座り遠くから応援することにした。
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