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第42話 ストッパーは秒で外せる

 陽人についていった護が通されたのは、四畳半の茶室のような場所だった。  狭い部屋に陽人と向き合って座る。斜め向かいに優士が掛けて、ふすまを締めた。  入り口が締まると、余計に狭さを感じる。  何より陽人が近すぎて圧迫感が半端ない。 「らしくない顔をしているね、化野。いや、違うな。昔のような顔をしている」 「昔、ですか?」  陽人の言葉に返した声は、自分でも情けなくなるほど弱々しかった。  何となく喉が絞まって、声が出しずらい。 「直桜と出会う前のような顔をしている。直桜の神力は、そんなに強く感じたかい?」  胸の内を言い当てられて、言葉に詰まった。  何をどう言い繕ってもきっと陽人には総てバレてしまう。 「直日神と直桜の神力が混ざって流れ込んで来た時は、体が熱くなって苦しいほどでした。直桜の神力はいつも温かくて、強いとか苦しいと感じたのは初めてで」  自分では、直桜の神力を受け止めきれないのかもしれないと感じた。  眷族には、ふさわしくないのではないかと。  しかしそれを言葉にするのは、怖かった。 「自分では受け止めきれないと思った?」  陽人の言葉に静かに頷いた。 「ならば眷族などやめてしまえばいい、といいたいところだけどね。神紋を定着させた以上、眷族は死ぬまで眷族であり続ける。加えて化野は鬼神だ。直桜からは離れられない」  護は唇を噛んだ。 「わかっています。私が強くならなければ、直桜に迷惑が掛かる」 「迷惑を掛けずに離れられるなら、離れたいと思うかい?」  護は顔を上げた。 「有り得ません。直桜の傍を離れるなんて、考えられません。しかし、私の実力不足で直桜に迷惑が掛かるのなら、眷族を増やしてもらうしか、ないのかもしれません」  梛木が話していた通り、眷族を増やせば直桜の神力が分散される。  護への負担は軽減する。 「直桜は増やしたいと話していたかい?」  護は首を振った。 「他の者に神紋を与える気はないと、話していました」 「ならば、お前が強くなるしかないね」  陽人はそれ以上、動かない。  わかっている。陽人は護の覚悟を試して、確認しているのだ。  だが、今の自分には、陽人や直桜の期待に応えられるだけの材料がない。 「今以上の実力を付けるには、どうしたら、良いでしょうか。直桜の力を受け止めるために、私に足りないものは、得なければならないものは、何でしょうか」 「自信だよ。自信と、覚悟だ」  陽人の手が伸びて、顎を持ち挙げた。  下がった視線が上向く。 「保輔の成長に気圧されて、余計に自信を無くしたね? いっそ保輔を眷族に加えればと、考えたんじゃないかな?」  言い当てられて、護は言葉を失くした。  数日振りに会った伊吹保輔は別人のように霊気が練られていた。同じ鬼として余計に比べてしまう。  それに直桜は保輔を気に入っている様子だ。眷族にするなら、ちょうどいいとも思った。 「直桜が保輔を眷族にしたいと言うなら反対はしない。保輔には可能性がある。直霊術も鬼の目も使いこなすだろう。真価である才を引き出す力は強化術とも融合できる。多すぎる霊力で他の術も使いこなすだろうね」  あの桜谷陽人が、保輔をここまで手放しで褒めている。本当に才のある鬼なのだろう。護の心が余計に塞がる。 「お前はどうだい、化野。自分には可能性がないと思うかい?」 「私は……」  神殺しの鬼として化野の鬼の中では、それなりに育ててもらった方だと思う。直桜のお陰で鬼神の力も得た。  なら、それ以上は?   自分にそれ以上の価値など、あるのだろうか。 「保輔が言っていたストッパーという言葉は、気にならなかった?」  見かねたのか、優士が横から口を挟んだ。  思わず視線を向ける。ちょっと申し訳なさそうな顔で、こちらを眺めていた。 「ストッパー、ですか?」  そういえば、言っていた。  陽人ならそのストッパーを秒で外せる、と。  しかし護には思い当たる節がない。 「シゲ、ヒントを与えたら面白くないだろ。化野自身に考えさせなければ、意味がないよ」  陽人が面白くなさそうに苦言を呈する。  優士が困った顔で笑んだ。 「化野の顔を見たら、わかるだろ。全然、気が付いていないよ。これ以上は可哀想だ」  二人の会話が全く理解できない。  困り果てる護に陽人が目を向けた。 「なんてことはないさ。直桜と同じで直日神が化野にもストッパーを掛けた。直桜とのバランスを取るためにね。恐らく神紋を与えた時だろう」  至極、つまらなそうに、陽人が教えてくれた。 「本来なら、鬼神はもっと霊力が大きい。神殺しの鬼の名の通り、本当に神を殺せるだけの力がある。だからこそ、桜谷集落は一年に一度、小倉山に赴いて化野の鬼と協定を結んでいた。それくらい、脅威だったんだよ」  陽人の話は理解できる。  神殺しの鬼が、鬼神という惟神の眷族にならずとも、神を殺せる力があることも知っている。 「本当はもっと、強くなれるんですか? 私は、直桜の傍にいられますか?」 「いてもらわなければ困るよ。直桜は化野以外を眷族にする気などないだろうからね」  陽人が間髪入れずに答えた。 「伊吹山の伊吹童子、大江山の酒呑童子に茨木童子、鬼ノ城の温羅や阿久良王、他にも歴史に名を残した鬼は山といる。その中で表舞台に出ることなく朝廷を支え続けた化野の鬼が、僕は最強だと思っている。僕の認識を覆してくれるなよ、化野」  陽人の言葉がじんわりと胸に沁み込んでくる。  桜谷集落の最高峰が、自分を最強の鬼と呼んだ。その事実と期待が何より嬉しく、護の中の失いかけた自信を繋ぎ留めた。 「お願いします、ストッパーを外してください。私を直桜の傍にいさせてください」  頭を下げようとして、部屋の狭さを思い出した。  体を傾けたら陽人にぶつかってしまいそうだ。体勢を戻そうとした護の首を摑まえて、陽人が体を寄せた。 「勿論だ。後悔しても、頑張ってもらうしかない。化野に引き返す選択肢は、ないよ」  耳元で囁かれた言葉は、護に前を向く気概を与えた。  陽人の手が護の胸にぴたりと吸い付く。 「目を閉じて、自分の中の霊力をゆっくり感じてごらん。ストッパーを外せば霊気が吹き出す。この部屋は外に霊気を漏らさない仕様だから、化野がコントロールしないと僕とシゲが死ぬからね」 「巻き添えは困るから、頑張って」  怖い言葉に続き、怖い声援を送られて、背筋が伸びた。  当てられた陽人の手が胸の中に吸い込まれていく。  奥深い熱い場所に指が触れた気がした。 「直日神にも困ったものだ。外してから眠ってもらわないとね。これじゃ危うく化野が死ぬところだったよ」  陽人の言葉がさっきからずっと物騒だ。  しかし、護もその通りだなと思う。あのまま直桜の神力を受け取り続けていたら、自分の体がどうなっていたかわからない。  陽人の指が、くぃと動いた。  ぱきっと何かが割れる感覚がして、胸の奥から滝のように霊力が吹き出した。 「ぁっ! ぁ、んっ」  自分の胸を抑えて、何とかせき止めようと試みる。  想像以上に勢いが凄すぎて、対応が追い付かない。 (朝、神倉さんが直桜に教えていた。池に水を溜めるイメージでって。あれと同じようにすれば)  自分の霊元に霊力を溜めるイメージをする。少しずつ吸い込ませて満たしていくように、流れ出た霊気を吸い上げるように、ゆっくり引き戻す。 (俺の中に、こんなに力が溢れていたんだ。まるで霊元が大きくなったような気さえする。神紋を貰った時に、既にここまで膨れ上がっていたのだろうか)  ゆっくり呼吸をしながら、目を開ける。  陽人と優士がじっと護を見詰めていた。 「これで、直桜の傍にいる資格くらいは持てたでしょうか」  何とか笑って見せる。  護の顔を眺めていた陽人が、納得した顔をした。隣の優士が、胸を撫でおろしているのが分かった。 「化野はもっと自信を持ったほうが良い。いや、持ってもらわねば困るよ。お前は最強の惟神が選んだ最強の眷族なんだからね」  陽人が安堵しているように見えた。  直桜は始まり以来の神結びをした惟神になった。名実ともに最強だ。 「化野はね、自分が思っている以上に強いし力もある。その辺り、今後は自覚していかないとね。後輩も出来たわけだから」  優士のいう後輩とは、保輔のことだろう。  陽人が護に回りくどい言い回しをしたのは、総てそのためだ。最強の惟神の眷族としての自覚を持てと諭したかったのだろう。 (ストッパーは、本当に秒で外れたものな。俺の覚悟を試して自信を付けさせるために、あんな会話をしてくれたんだ)  身が引き締まると同時に、有難くもあった。 「私は、バディにも上司にも恵まれました。これ以上ない職場にも恵まれました。恩は必ずお返しします。この身と、仕事を持って、示してみせます」  以前には考えられない程、今の護の環境は充実している。こんな未来が待っているなんて、つい一年前の自分は想像もしていなかった。 「僕は昔から化野に期待しているんだ。これからも期待しているよ。頼りにもしている。直桜はあれで頑固だからね。僕の可愛い従兄弟をよろしく頼むよ」  いつもの副長官然とした意味合いだけじゃない、兄的な立場の言葉をもらえたことが、何よりも嬉しかった。

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