42 / 64

第41話 桜谷家別宅

 その日の午後には、直桜たちは多摩市にある陽人の邸宅に着いていた。 「こんなに広い御屋敷にお住まいなんですね」  乗ってきた車を使用人に預けた護が感嘆の声を上げた。 「御屋敷」という言葉が思わず飛び出す気持ちは、わかる。敷地の広さも然ることながら、日本家屋風の屋敷も相当な大きさだ。 「普段は職場の近くのマンションで一人暮らししてるらしいけどね。ここは桜谷家の東京の別宅だから」  話には聞いていたが、直桜も足を運ぶのは初めてだ。  使用人の案内で家屋の中に案内される。  奥の広い部屋に通された。 「やぁ、瀬田君に化野、と梛木も来たんだね」  畳敷に絨毯が敷かれた部屋には大きなソファが向かい合わせで置かれていた。奥に掛けた陽人の隣に座る優士がにこやかに声を掛けた。 「瀬田さん、迎えに来てくれたん? 俺もう帰っていいん?」  手前のソファに座っていた保輔が振り返る。  ちょっと涙目に見えなくもない。表情は明らかに疲弊していた。 「あ、いや、俺たちは保輔に頼みがあって来ただけで。帰っていいかどうかは陽人に聞かないとわからない、かな」  直桜がちらりと陽人を窺う。  優雅に紅茶を嗜んでいた陽人が目を上げた。 「ダメに決まっているだろう。保輔は居残りだよ。直桜たちの用事が済んだら、訓練再開だ」  陽人の目が本気だ。  保輔が怯えた様子で肩を縮こまらせた。  どうやら事前に連絡を入れたために、待っていてくれたらしい。 「直桜もようやく腹を括ったようだね。僕の手助けは必要かい?」  陽人の目が護に向いた。  護の肩がピクリと震える。 「腹を括ったのは直日神じゃ。直桜には伊吹山の鬼の力が必要じゃ。陽人《ひの》坊は化野を強化術で慣らしてやれ。今のままでは直桜の強い神力で身を壊す」  護の顔が緊張感を増した。  きっと護が恐れていたのは、こういう事態だ。  直桜は護の手を取って、強く握った。 「護なら大丈夫だよ。俺と直日が選んだ鬼神だ。俺は、信じてるよ」  緊張した面持ちのまま護が笑みを作った。 「はい、絶対にまた、直桜の神力を受け取れる体になります」  直桜の手を握り返した手は汗が滲んでいた。  陽人の強化術を恐れているのではないのだと、はっきりわかる。 (自信が、ないのかもしれない。そんなに俺の神力は強くなってるのかな)  自分ではいまいちよくわからない。体感としては以前と変わらない。ただ、神気の量は以前の比でなく溢れ出ているのがわかる。  だからこそ眷族である護にも神気が流れて、感じ取っているのだろう。 「そないに緊張せんでも、化野さんならストッパー外したらすぐやん。陽人さんなら秒や。心配あらへん。それより俺を一緒に帰してくれ。瀬田さんの頼み事、事務所でしよ、な?」  保輔が振り返って直桜に文字通り泣き付いた。  正解かどうかは別として、護の現状を一目で見抜く辺り、陽人の訓練の成果は出ている気がする。 「確かに僕ならすぐだよ。けど、保輔はどうかな。僕より先に直桜のお願いを聞いてあげられるかな」  陽人がニヤリとして保輔を眺めた。 「僕が化野の強化を終えるより先に保輔が直桜の頼み事を終了出来たら、帰ってもいいよ。出来なかったら、居残りだ。お前は僕の弟子なんだからね」 「弟子……? さっきまで所有物とかモノとかいうとったやん、ひとでなし!」 「そんなこと、言ったかな? 僕は保輔を気に入っているよって伝えただけだろ」 「嘘やん! 絶対逃がさないとか、言ぅとったやん。目がヤバかってん。アレはもう脅迫や!」  保輔が直桜にしがみ付いて吠えている。  二人の会話を聞いて、随分、懐いているなと思った。 「陽人、保輔のこと本気で気に入ったんだね。保輔も、何のかんの陽人に慣れたよね」  呆れた視線を向ける直桜を、保輔が信じられないモノを見る目で見上げた。 「それより、保輔。やるのかい? やらないのかい?」  愉悦を込めた陽人の瞳が挑戦的に保輔を眺める。  ぐっと息を飲んで、保輔が唇を噛んだ。 「やる。やったる。アンタより早く何とかして、出て行ったる!」 「やる気のある子は好きだよ。頑張りたまえ。開いている部屋、どこを使ってもいい。ある程度なら壊しても怒ったりしないよ」  そう言い残して護の腕を掴むと、陽人はにこやかに部屋を出て行った。 「梛木は瀬田君の方に残るだろ? 俺は化野のフォローに行くよ」  頷いた梛木を確認して、優士が陽人の後を追った。 「仲良くなれたみたいで、良かったよ」  出て行った陽人と護たちを見送って、直桜は保輔に視線を戻した。 「仲良くなんか、全然なってへん。13課組対室の皆は親切やのに、あの人、何なん? あの人だけどっか、おかしいで」 「おかしいと気が付いた時点で仲良くなっておる証拠じゃ。良かったの、伊吹山の鬼」  保輔の視線が梛木に向いた。  不可解な目で梛木を凝視している。 「会うの、初めてか。13課副班長の神倉梛木、本物の神様だよ」  保輔の目が大きく見開いた。 「職員名簿に名前しかなかったんは、そのせいか。本物の神様が本当におんねんな。信じられん。普通、神様になんか、会われへんやん」  その通りではあるのだが。そう言われてしまうと、直桜も何とも言えない。 「13課は本物の神様が、惟神だけでも五人いるし、梛木と、あと忍は神様レベルの仙人だし、割と神様、いっぱいいるよ」  保輔がぐったりと肩を落とした。 「13課やばない? 本当に警察なん? おかしいの多すぎるやろ」 「便宜上、警察の下部組織になってるだけで、13課自体が独立した怪異対策班って感じだからね。あんまり警察って考えないほうが良いかも」  忍が前に話してくれた内容を思い返す。  梛木が保輔の顎を掴んで顔を上向かせた。 「この姿を一目見て神様と判別したお主も充分におかしい存在じゃ。自分が13課の住人になったのだと自覚するのじゃな。できなければ、この世はお主にとり、相当に生きづらいぞ」  梛木の言葉には説得力がある。  それは直桜もまた通ってきた道だ。この体でこの力で普通を生きるのは酷く息が詰まった。  保輔が俯いた。 「せ、やな。その通りや。俺は元々、鬼で、桜谷家の直霊術を持つ、特異な存在、なのやんな」 「陽人に、そういわれた?」  保輔が首を振った。 「封印が、解けた時、英里が教えてくれてん。この力は俺が幸せになるために、使えって。幸せって、ようけ、わからん。けど、使い道は決めてん」  保輔が顔を上げた。 「この力は拾い上げてくれた瀬田さんのために使う。アンタは俺が守ったる」  あまりに告白めいた言葉に、ドキッとしてしまった。 「そんでまぁ、円や智颯君や、……瑞悠にも、迷惑かけてもうたし、力になりたいとは、思うねん」  逸らした保輔の顔は、明らかに照れていて、なんだか可愛かった。  直桜は保輔の顔を胸にぎゅっと押し当てて抱き締めた。 「自分を犠牲にするような守り方はしなくていいよ。俺たちは対等に守り合う、それが13課組対室だ。陽人も保輔に責任持つって言っただろ?」 「なんで、わかるん?」  直桜に抱かれたまま、保輔が弱い声音を吐いた。 「責任持たない相手にキツイ訓練なんかしない人だ。陽人が責任持つって言ったんなら、保輔の身柄全部、引き受けてくれるってことだ。あと、気に入らない子に自分を下の名前で呼ばせたりもしないよ。だから、甘えていいよ」  保輔が黙った。  彷徨っていた手がそっと直桜の背中に回った。 「こういう、あったかさは、慣れへん。どうしていいか、わからへんけど、俺はここにおっても、ええねんな」 「ここが保輔の居場所だよ。保輔は、英里さんの希望だろ。英里さんのためにも、自分の幸せ、見付けなきゃ、ダメだよ」  回った手が、直桜の服をぎゅっと掴んだ。 「やっぱり、慣れへんなぁ。けど、神様の力は、やっぱり温かいねんな」  耳を赤くして直桜にしがみ付く保輔の顔は穏やかだ。  直桜は梛木と顔を見合わせた。 「伊吹山の鬼は随分と可愛らしいのぅ」  小さく笑う梛木の言葉に、保輔の耳が熱を増していた。

ともだちにシェアしよう!