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第53話 小規模な宴
直日神と護がいる部屋は気配ですぐに見付けられた。
戻った直桜を眺めた直日神が、訳知り顔で直桜を包んだ。
「これこそ真の穢れ、邪の匂いだな。落としてやろう」
直桜の体を撫でながら、直日神が那智に顔を向けた。
「吾の可愛い直桜を助けてくれたか。礼を言うぞ。前鬼、名は何と言ったか」
「那智滝本前鬼坊、那智とお呼びくださいませ」
那智が丁寧に頭を下げる。
四季は直日神に対して割とラフな態度だった気がする。二人の差は不思議だなと思う。
「護を窺う目にも、幾つか邪悪な気配を感じたが、直桜にもやはり手が伸びたか」
直日神もどうやら気が付いていたらしい。
「だから直日は、ずっと護の方についてたの?」
「ああ、直桜の傍には武御雷神と罔象がおった。二柱も気が付いておったはずだぞ」
罔象が「ここにいると狙われる」と直桜たちを休息所へ促したのは、そういう意味合いだったのかもしれない。
「今年の宴はこの辺りで切り上げて帰るのが良いかもしれぬな。目的は果たしたであろう」
直日神に直桜は頷いた。
神具は造った。会いたい神にも会えた。
ついでに天狗の友達も出来たから、直桜としては大収穫だ。
「護は大丈夫かな」
いまだに寝こけている護が、少し心配になる。
「なに、慣れない神世で神具を作った疲れもある。御神酒も慣れねば強い酒だ。神世に留まる自体が、人の身には過ぎた負荷だ。現世に戻れば起きよう」
護にとっては総てが初めての経験だ。
怖い思いや嫌な思いなどせず、来て良かったと思ったまま帰ってもらいたい。
「忍はどうした? おらなんだか?」
直日神の問いかけに、直桜は視線を逸らした。
「あー、いや、忍は今は」
「四季が食事中につき、御迷惑をおかけいたしまする。あの野郎が所構わず盛りやがったせいで、直桜様を危険に晒してしまいました」
那智が舌打ち交じりに応える。
「なるほど、それは仕方があるまい」
直日神が物分かりの良い返事をしたので、那智の顔が余計に険しくなった。
苦笑する直桜を眺めて、那智が表情を戻した。
「もし心残りがおありなら、お二人は今一度、宴に参されては如何でしょう。鬼神は私が診ておりますれば。まだ来たばかり故、帰るにも早くはありますので」
那智なりの気遣いに、直日神が考え込んだ。
「直桜を追ってきた輩は何だった?」
「白蛇の蓮華。西方では、それなりに名の知れた大妖怪でございます」
「ふむ。他に那智が気になった輩は、宴の席におったか?」
今度は那智が考え込んだ。
「寄ってきた中では蓮華が一番の大物でしょう。静かに窺っていた者ならば、蝮や百足、妖狐に仙人が数名でしょうか。直日神様方が来られる前から、目を輝かせていた面々です」
「鬼は、おらなんだか」
那智がまた頭をひねる。
思い出したように顔を上げた。
「そういえば、私は忍様の命で社の上から宴会場の直桜様方を見守っておりましたが、ずっと直桜様を見詰めておったのがおりましたな。アレは恐らく鬼でしょう。特に邪なる気は感じませんでしたが」
直日神の目が気になって、直桜は声を掛けた。
「俺、鬼なら誰でも眷族にしたいわけじゃないよ。護がたまたま鬼だっただけで、俺自身は特に鬼が好きでも鬼の知り合いがいるワケでもないし」
鬼の知り合いなど、護くらいだ。
今は保輔もそうだが、あくまで後付けに過ぎない。
直日神が直桜を見上げた。
「吾は鬼が好きだが、鬼なら何でも好きなわけではない。直桜に近付かせたくない鬼もある。やはり、此度は帰ろう。今の直桜は目立ちすぎる。来年になれば、ゆるりと宴を楽しめようて。その時にでも護を御神酒に慣らしてやろう」
神の酒に体が慣れないと強く感じる。
清人があれだけ酔っていたのはきっと慣れない酒を大量に飲まされたからだ。護が寝こけて起きないのは似たような状態で、来てすぐ大量の酒を飲んだせいもあるのだろう。
直桜は慣れているので、現世の酒より飲みやすく酔わない。
「直日がそう言うなら、そうする。会いたい神には会えたし話も出来たから、俺は満足だよ」
「余計な申し出を致しましたな。失礼仕りました」
那智が丁寧に頭を下げた。
「いや、那智のお陰で気掛かりが知れた。直桜を見守ってくれた上、守ってもくれた。礼を言うぞ。何か気付きがあれば報せてくれ」
「勿論でございます」
直日神に対して那智は終始、腰が低い。
ギャップが凄いなと思うが、裏表のない正直な性格なんだろうと感じた。
「現世では那智は下北山村ってとこにいるんだよね。中々行けそうにないけど、また会えたら嬉しいよ」
毒舌で正直者なこの天狗に、また会いたいと思った。
直桜の申し出に、那智が照れ臭そうに黒い羽根を一枚、手渡した。
「私の羽にございます。入用であれば御呼びいただければ、何なりと。別に忍様が近くにいらっしゃるからとかではなく、直桜様と直日神様にお会いできれば光栄に存じますし、鬼神の様子も気になりますれば」
顔を赤くしながら懸命に話す那智を眺める。
「那智も13課に来られたらいいのにね。前鬼と後鬼が揃ったら、忍はきっと喜ぶけど、那智には一族を統べる仕事があるもんね」
何となく、軽く振ってみた。
案の定、那智が慌てふためいた。
「御呼びいただけたら即座に馳せ参じまする。一族の長とはいえ、代わりの者もあります。何なら私など、もう引退して忍様の御傍に侍っても良いくらいなのですから」
侍りたいんだな、と思った。
がたん、と部屋の扉が開いた。戸の向こうに忍が立っていた。
「直桜、すまん。野暮用で探すのが遅れた」
ぐったりした体を引き摺って、忍が立っている。
その後ろで忍を支える四季は艶々だ。
本当の野暮用で遅れた人に初めて会ったなと思った。
「大丈夫? すごく辛そうだけど。御神酒、飲んだほうが良いんじゃない?」
「もう飲んだんだが、足りんか」
直桜は部屋に備え付けてあった瓢箪型の徳利を手渡した。
忍が口を付けて一気に飲む。
心配になるくらいの勢いで飲み干した。
「久し振りだと御神酒も酔うものだな。直日神は平気だったか」
「吾は毎年、飲んでおるからな。忍もここへ来て、座れ」
よろよろと歩きながら、忍が直日神の隣に座する。
護が寝ているベッドは畳敷きに布団が敷いてあり、広い。その手前に直日神と忍が座っている。
隣に座った忍の体を倒して、直日神が膝枕した。神力を送ってやると、忍の険しかった顔が穏やかになった。
「すまんな」
「気にするな」
短い言葉を交わし合う二人、一人と一柱は、やはり仲が良いのだと思った。
「あ、直桜。ここにいたのかい」
「んん? 役行者殿は潰れたか。仕方がないなぁ」
開いた戸の向こうから、罔象と武御雷神が顔を出した。
「飲み足りないかと思ってねぇ。酒を持って来たよ。ここで飲もうか」
「肴も少しならあるぞ。付き合え、直桜!」
宴の席の邪悪な気配と視線に、二柱は気が付いていたと直日神が話していた。きっと気を利かせてくれたのだろう。
「あれ、ここは、どこですか……」
護が寝ぼけた様子で目を擦ると、眼鏡をかけた。
「お、英雄の鬼神殿が起きたな。では、俺と飲もうぞ」
起きた途端に渡された杯を訳が分からないまま受け取っている。
「護、大丈夫? 武御雷神《みかづち》、あんまり無理させないでね」
「この方が、武御雷神《たけみかづちのかみ》様ですか?」
護がぼんやりと問うて、武御雷神を眺めた。
「ああ、そうだ。俺が直桜に稲玉を分け与えたのだぞ。霊元に定着させて強くしてやったから、護も巧く使えよ」
「それなら私もだよ。加護だけじゃなくて、ちゃんと水の玉を分けたからねぇ。もっと水が使いやすくなるはずだよ」
武御雷神と罔象が得意げに話す。
護が、ふにゃりと笑んだ。
「お二人が、直桜を守るための素晴らしい力をくださったのですね。ありがとうございます。私も直桜を守れるように頑張ります」
護が杯を煽る。
武御雷神と罔象が満足そうに笑んだ。
「ちょっと、護は御神酒にまだ慣れてないから、あんまり速いペースで飲ませないでよね」
直桜はベッドに上がって護の隣に座すと、杯を奪った。
「飲まねば慣れぬよ。ほら、護、飲め飲め」
どこからともなく罔象が杯を出し、差し出す。
護が受け取ると、武御雷神が酒を注ぐ。護が、くぃと飲み干した。
「美味しいです」
起きてからずっと可愛い顔で笑っている護が気になって仕方ない。そんな様子の直桜に気付いているのか、罔象がずっと楽しそうだ。
「我等は外で見張りでもするか」
那智が四季に声を掛けて、出て行こうとした。
「待ってよ、那智と四季もここで一緒に飲もう」
直桜は慌てて手招きした。
「そうだ、そうだ。俺たちがいれば、無暗な輩は寄ってこれぬよ」
武運の神と最古の国つ神、更には浄化の最高神が揃った場所を襲撃できる者の方が少ないだろう。神様レベルの仙人はダウン中なので数には入れられないが。
「那智、四季、お前たちも宴を楽しめ」
忍がぐったりと横になったまま、二人を促す。
結局、広いベッドの上に車座になって宴が始まった。
「なんか、こういうのも、いいね」
出雲に来て少人数で飲むのは、初めてだ。
気が置けない友人たちと交わす御神酒は、いつもより美味しく感じられた。
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