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第52話 白蛇の蓮華
深呼吸をして色々と整えたらしい那智が、直桜を振り返った。
とりあえず顔は穏やかに落ち着いている。
「一先ず、直日神方のおられる部屋に戻りましょうか」
「うん、そうだね。那智もそこで、一緒に待っていようよ」
「ありがとうございます……」
那智が周囲の気配を探っている。
直桜も顔を上げた。
「何か、気になることがあったの?」
「いや、何……」
注意深く気配を探ると、那智が直桜の手を取り早足で歩きだした。
「今年の宴は参する神々が普段より多いのですが、どうにも嫌な気配が混じっておりますれば」
「嫌な気配って、どんなの?」
「神在月の宴は神々のみならず、妖怪、仙人なども参する無礼講。故に、気味の悪いのが毎年、必ずおりまする。大概は取るに足らない悪鬼や邪が混じっているだけなのですが」
直桜の手を掴んで那智が飛び上がった。
高い天井の梁に昇って、足下を覗く。
那智が、しっと人差し指を立てた。
息を殺して下を眺める。
「ちっ、アイツか……」
那智が小さな声で呟いた。
その顔には明らかな嫌悪が浮いている。
さっきまで直桜たちが歩いていた廊下を、一人の男が通った。
白く長い髪に白い肌は、一見すると忍に似ているが、気配がまるで違う。
顔が上がって、細い目がほんの少しだけ開いた気がした。
那智が直桜を庇うように体を支える。何かの妖術を使っている気配がした。
「うふふ」
男が、直桜たちの方を見て、一瞬、笑った。
すぐに顔を戻して、前を向いて歩いていった。
「すみませぬ、直桜様。妖術で姿は隠しましたが、気配は消せなんだ。そもそもがあの男、我らを付けてきた様子、急に気配を消すのも怪しまれます故」
「構わないよ。むしろ、助かった。あの男は、何者?」
神でも仙人でもない。感じた気配は、妖怪だ。
「白蛇の蓮華という名の、大蛇でございます。お察しの通り、妖怪でござりますれば。現世では白蛇を祀る神社などもございますので、妖力だけは死ぬほど高い性悪大妖怪でございます」
明らかに悪口が挟まった紹介に嫌いなんだなと思った。
しかし、那智が嫌う理由も納得できた。
(あの気配の邪悪さは尋常じゃない。一体、何人、人を喰ったか知れない匂いだ。なんで、神在月の出雲に来られたんだ)
「俺たちを付けてきたって言ったよね。狙いは、俺?」
那智が迷うことなく頷いた。
「今年は惟神の話題で持ちきりでございました。特に鬼神は枉津日神と対峙し土地神を魔手より救った英雄、その主である直日神様と直桜様は別格の扱い。加えて直桜様は直日神様と神結びをして、神力も御人柄も様変わりされた。耳目を集めぬ筈はない」
改めて聞くと、大変なことになっているなと思った。
変化の少ない神世において、現世の話題が面白がられるのは常だが、想像以上だ。
「でもさ、それだったら、俺より護……、鬼神の方が危険なんじゃないの?」
那智がゆっくりと首を横に振った。
「狙われておるのは貴方様です、直桜様。貴方様は鬼を眷族とされた。力の強い妖怪は、惟神の眷族の座を狙いまする。それだけ強い神力があれば、もう二~三匹、引連れて歩けましょうぞ」
ぞわり、と嫌な寒気がした。
「俺にその気がなくても、相手はそう思ってないってことだね」
「正直申し上げて、直桜様の御気持など、どうでもいい。適当に術でも掛けて神紋さえもらってしまえば、こっちのモノ。そう考える阿呆は山とおりまする」
那智のはっきりした物言いが、今はかえってわかりやすくて安心できた。
「しかし中には先ほどの蓮華のように、阿呆ではない厄介者もおりますれば。直桜様の御気持を術を使うか、或いは策を弄して近づき神紋を得ようとするはず。お気を付けくださいませ」
急に、今まで感じたことがない怖さが込み上げた。
「ありがとう。那智が一緒で良かった。一人だったら、何も知らずにどうにかなっていたかも」
「徒労であれば何より。ですが、用心に越したことはございませぬ。忍様は此度の宴で同じ気配を感じ取っておりました。だからこそ、直桜様がいらっしゃるまで留まられたのです」
「そうだったんだ」
梛木は何も言っていなかったが、同じ気配を感じたりはしなかったのだろうか。
(先に聞いてたら、来なかったかもしれないしな。そっちの方が梛木的には問題だったのかも)
神具の件もあったが、何よりこの宴の盛り上がり様は、当人たちが来なければ収まらなかっただろう。
梛木は直桜と直日神の神結びを急かしていたように思う。神喰いのままの、中途半端な状態で出雲に向かわせる方が危険だと判断したのかもしれない。
黙って考え込んでいる直桜を、那智がじっと見詰めた。
「楽しい宴で怖い話をして申し訳ありませぬ。本当は忍様よりお話があったかとは存じますが、四季の野郎が無体を働いておりました故、本当に死ねばいい、アイツ」
思い出したせいか、那智の顔が非常に歪んでいる。
「一先ず、戻りましょう。直日神様と鬼神も気になります。直桜様、私におつかまりくだされ」
「うん、え? うわ!」
那智の体に掴まると、そのままふわりと張りから降りた。
廊下に着地せずに、飛んで移動している。天井の高さスレスレを飛んでいるので、ソコソコ高い位置の飛行だ。
「凄いね! 俺、こんな風に天狗に掴まって飛ぶの、初めて! てか、天狗の友達、初めてだよ!」
ちょっと興奮して、子供のような燥ぎ方をしてしまった。
「友達、で良いのか、存じませぬが。気に入られたのであれば、またお付き合いいたしましょうぞ」
ちょっと得意げな顔をした那智は、まんざらでもない雰囲気が駄々洩れだった。
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