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第63話 汚れて壊れて
槐が感心した顔で顎を掻いた。
「直桜もなかなか、やるねぇ。最初に八束を殺るあたり、本気で捕まえる気になったかな」
槐が嬉しそうに話すのが、余計に気に障る。
直桜はまた神力を円形に展開した。自分の周囲に稲玉を包んだ水玉をいくつも浮かび上がらせた。
「毎回、話が長くなるのは、槐に聞きたい話が多すぎるからだよ。捕まえれば、全部13課で聞けるよね」
浮かべた水玉を五奇と七果に向かい放つ。
二人が避けたり弾いたりしている隙を付いて、蛇腹剣で五奇の胸を貫いた。雷を通して感電させると、ぐったりして動きが止まった。
剣から神力を流し込み、浄化する。五奇の体が塵になって消えた。
(おかしい、簡単すぎる。前に会った時はもっと、禍々しい気を放っていたのに)
紗月が蹴り飛ばしてもピンピンしていたのが五奇だ。こんなにあっさり消えると、逆に不安になる。
「あと一体だけど、どうする?」
胸に浮かんだ不安を飲み込んで、槐に向き合う。
七果が槐の前に立った。
「力の使い方、上手になったね、直桜。ご褒美に九十九について少し、教えてあげるよ」
槐が立ち上がり、七果の肩に腕を乗せた。
「九十九は呪人の術で作られた人形、だから何回壊されても何回でも作れる」
「それは、前に聞いたよ」
bugsの隠れ家で六黒が死んだ時、また作ればいいと話していたのを聞いている。
「でも一の数字を持つ男が死ぬと、総ての九十九が壊れる。彼が行使しているのは呪力じゃない。なんだと思う?」
直桜は顔を顰めた。
呪力で維持しているのではないのなら、神力で浄化できなくても納得だ。
(呪力や妖力なら、浄化できる。人形たちが使っているのは呪力だ。一護《大元》はそれだけ大きな力を使っているってことか)
霊力値が大きいものなら、可能かもしれない。しかし、もっと確実にこれだけ大きな術を行使して、しかも神力に祓われない力があるとしたら。
「まさか、神力?」
呟いて、信じられない気持ちになった。
惟神以外で神力を使う人間に、直桜は会ったことがない。
「一護が護とそっくりなのは、俺の趣味だよ。面白いだろ、神や惟神以外でも神力が使える存在がいるなんてさ」
「そんなの、一体、どうやって……」
後ろから何かが飛んでくる気配がして、咄嗟に剣で弾いた。
真っ黒い闇の塊が、地面にスライムのようにびちゃりと落ちて、消えた。
「槐兄様、直桜様には甘いんですね。毎回ヒントを与えすぎるって、楓兄様が嘆いていました」
体が大きい坊主のような男の肩に乗っているのは、流離だ。直桜に攻撃を仕掛けたのも、流離だった。
直桜は流離に向き直った。
「直桜様、昨日振りですね。ご期待通り、僕は反魂儀呪のメンバーに加わりました。これで心置きなく直桜様を汚してあげられます」
「汚す……? 俺が反魂儀呪はダメだって言ったから、流離は槐を選んだの?」
「そうですよ」
当然とばかりに流離が言い放った。
「貴方は綺麗すぎるんです。もっと、どうしようもないくらいに汚れたら、僕の気持ちがわかってもらえると思います」
流離が自分の手から粘り気がある泥を出した。さっき叩き落した闇色のスライムだ。
惟神を殺す毒だろうと思った。
「俺が汚れたら、流離は帰ってきてくれるの?」
直桜は剣を降ろして、流離を見詰めた。
「修吾おじさんや速佐須良姫神に向き合う気になってくれる?」
流離が笑んだ目を細めた。
「そういうことろが、綺麗すぎるんですよ。汚れたら直桜様が僕の側に寄るんです。僕を理解するために、直桜様が自らを汚して壊すんですよ」
流離の毒を纏った手が直桜に迫る。
触れそうなところで、直桜は顔を上げた。
「流離の毒程度じゃ、俺は汚れないよ。流離が背負う闇は俺が全部、聞食して祓ってあげる。だから、帰ろう」
伸ばした直桜の手を、流離が冷めた目で眺めた。
「本当に、わからない人だな。僕が欲しい直桜様はそうじゃないって、何回も言ってるのに」
流離の闇を纏った手が、直桜の伸ばした手を掴んだ。
「ぅっ……!」
手に触れた闇色の毒が肌を焼く。黒い泥が生き物のように肌を伝って体を覆っていく。沁み込んで流れた毒で胸が焼けるように熱い。
意識が朦朧として、体がふらつく。神力が抑え込まれているのを感じた。徐々に頭の中に真っ黒い闇が張り付いて、思考が鈍る。何もわからなくなるような感覚に襲われる。
「ぁ、ぁ……」
視界がブレて、定まらない。全身の力が抜けていく。
足がガクガク震えて力が入らない。まるで直桜の手を摑まえる流離に支えられているようだ。
そんな直桜を、流離がうっとりと眺めた。
「ああ、素敵です、直桜様。僕の闇を受け入れて、僕の前で壊れて見せて。僕が望む、僕が大好きな直桜様になってください。僕の望みを叶えたいなら、それが一番ですよ」
流離が表情を変えて、顔を上げた。
遠くから飛んできた何かを、流離を抱える坊主が避けた。
「直桜に触るな」
声を聴いて、紗月だとわかった。気が付いたら目の前の地面が紗月が振り下ろした剣で抉られていた。
「直桜、直桜! しっかりしてください!」
護の声が耳元で聴こえる。抱きかかえられているのだと、ようやく気が付いた。
「流離を、攻撃、しない、で。俺が、必ず、迎えに行くから。連れて、帰る、から」
護が直桜の腕を掴んで、毒の浄化をしてくれている。
改めて、流離の毒の異常なまでの危険性を理解した。
護や紗月の中に仕込まれていた毒とは段違いだ。神力はおろか体の力も、意識さえも奪われる。
「流離の毒、触らない、で。死ぬ、かも、しれない、から」
今の流離では、あの毒が惟神だけをターゲットにしているかも怪しい。あれだけの呪力なら、生き物総てに作用しても不思議ではない。
「今は話さないで。自分の体内の浄化に専念してください」
護の言葉に促されて、なけなしの神力を内側に留めて膨らませる。直桜の中にいる直日神の神力も弱い。直桜と同様に流離の毒に犯されているのだと気が付いた。
開が直桜の上に癒しの護符を置いてくれていた。
その前に立つ閉が神社一帯に結界術を張ってくれている。
その向こうで、清人と紗月が槐と流離に対峙していた。
「皆、なんで……」
護が直桜の手を握って、自分の腹にあてた。神紋が熱を発していた。
「直桜の窮地に眷族が参じないなど、有り得ません」
「気付いて、くれたの?」
直桜自身が護を呼んだ覚えはない。護が直桜の状況に気が付いてくれたのか。或いは直日神が護に報せてくれたのかもしれない。
「感じ取らないはずがないでしょう。でも、次からはちゃんと口で伝えてください。一人で槐に会いに来るなど、言語道断です」
護の声は少しだけ震えていた。
「後でお説教だって。清人、すっごく怒ってたよ」
開が平素と変わらぬ笑みと語り口で教えてくれた。
「どうしよ、清人、怖い……」
「今回は、庇ってあげません。私も怒ります。私を連れて行かないなんて、絶対に許しませんよ」
護も、とても怒っている。けれど、安心もしてくれているみたいだった。
「皆、ごめん。でも、俺、やっぱり、流離を、諦めきれない、から……」
毒を塗られた側の手を、護と開が握った。
「今は自分のことを考えて。神力を自分に集中して、直日神にも、もっと語り掛けるんだ。毒を浴びる前に神力を激しく消耗したね? そのせいで毒の浸潤が早いし回復が遅いんだ」
開の言葉に頷く。
自分が思っているより今の自分は重症なのかもしれないと思った。
「私に送る神力をセーブしてください。解毒は、ほとんど済んでいます。あとは神力を回復するだけです」
「うん、わかった……」
護の言葉に促されて、目を閉じる。
狭くなる視界の向こうに立っている流離を想いながら、直桜の意識は沈んでいった。
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