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第64話 一滴の不安

 紗月に追い詰められた流離が槐の方に逃げた。  流離が乗っている坊主は恐らく九十九だろう。他の九十九と同じ、呪術の匂いがする。 「久し振りに会ったと思ったら、ウチの不良息子、引き取ってくれるんだって?」  清人は槐に声を掛けた。  槐は気持ちが悪いほど機嫌がよさそうな顔で頷いた。 「流離は13課が扱える人間じゃないよ。本人もウチが良いって言うし、俺としては欲しい人材なんだよね。だから、貰っていくよ」  槐が流離の頭を撫でる。  流離が嬉しそうに笑った。たったの一日で随分と懐いたものだと思う。 「別に構わねぇよ。本人が居たい場所にいるのが一番だろ。それより、気軽に直桜を呼び出すのやめろ。アイツ、ホイホイ出てくから回収すんのが大変だ」 「それは直桜に伝えてよ。呼び出されてもホイホイ出ていくなってね」  尤もな意見過ぎて、何も言えない。  直桜もせめて、誰かに相談してくれたらいいと思う。しっかり説教しようと思った。 「俺らは直桜が返ってくればそれでいい。流離、直桜の命に関わるような悪さ、してねぇだろうな」  清人の問いかけに、流離はあからさまに不機嫌な顔で無視した。  クソガキめと思った。 「多分してないよ。流離は直桜に自分の好きな直桜様になってほしいんだから、殺しはしないさ。あ、でも、壊した? 壊すのは、まだダメって言ったよね」  面白くなさそうな顔ながら、流離が仕方なくといった体で口を開いた。 「……ちょっと強めに毒を盛っただけですよ。大袈裟だな。ちゃんと槐兄様に言われた通りにしましたよ。あの程度で壊れちゃったら、詰まらないです。思ったより直桜様が弱って僕もちょっとは驚いたけど。清浄な方って繊細なんですね」  ふんと流離が顔を背ける。  槐が困った顔で笑った。 「仕方ないよ。流離が来る前に直桜一人で九十九を二人殺してるから。慣れないことして疲れたんだよ、きっと」  槐の言葉に清人の方が驚いた。  呪人の術で作った人形とはいえ、直桜がそういう手段に出るとは思わなかった。 (らしくねぇし、焦ったな。槐を捕えて流離を取り戻そうとでも思ったか)  清人は、ちらりと流離を窺った。  昨日も思ったが、流離の呪力量は半端じゃない。加えてあの久我山あやめの魂と惟神を殺す毒を併せ持つ、最凶の呪物だ。  神力を使いまくった後とはいえ、あの直桜が瀕死で倒れている。敵に回せば面倒なのは間違いない。 (だが、|13課《ウチ》で扱いきれる人間でもない。特に直桜に執着したあの性格は槐が言う通り反魂儀呪側だ)  このまま反魂儀呪で引き取ってもらった方が、13課としては助かる。 (槐はきっと流離を悪いようにはしない。だったら、預けるのも一つの賭けだ)  清人は槐に背を向けた。 「じゃ、俺はもうお前らに用はねぇから、直桜を回収して帰るよ。今日は見逃してやるから有難く思えよ」  後ろで槐が笑った気配がした。 「見逃してくれるんだ、ありがとう。このまま俺を帰さないと、流離を引き取ってもらえないもんね。やっぱり13課に流離ほどの逸材は手に余るか」  呟くように指摘された言葉が、ぐさりと刺さる。 「直桜様は回収するのに、僕は放置なんですね。僕を回収するのは怖いですか? 僕のような呪物は仲間にしておけませんか?」  流離が挑発するように清人に言葉を投げた。  清人は流離を振り返った。 「大好きな相手を瀕死に追い込むような奴は、初めから仲間じゃねぇよ。お前は自分から反魂儀呪を選んだんだろ? 俺は直桜みてぇに戻って来いとは言わねぇよ」  流離の顔があからさまに引き攣る。  悲しいのか悔しいのか、両方か。感情が顔に出まくるあたり、やはり十三歳の子供なんだなと思う。 「けど、直桜はお前を諦めねぇだろうな。たとえお前がどんなでも、榊黒流離である以上、取り戻しに行くんだろ。俺は止めるけどな。反魂儀呪にいる以上、お前は13課の敵、つまりは直桜の敵だ」  流離が目を見開いた。ピクリと肩が小さく震える。 「敵、かぁ。じゃぁ僕がどんなに直桜様を嬲っても壊しても、問題ないですね。僕のためにいっぱい傷付いてくれる直桜様も、僕にいっぱい痛めつけられて喘ぐ直桜様も、想像しただけで興奮します」  流離が悦に浸った顔でうっとりと顔を蕩けさせた。  清人は呆れを通り越して吐き気がした。 (コイツ、本当にあの修吾さんの息子か? 何でこうなった? いつからこうなんだ?)  隣の紗月が微妙な顔をしているのは、きっと清人と同じ心境だからだろう。  榊黒修吾と一緒に仕事をして、その為人を知ってるからこそ浮かぶ疑問だ。  何にせよ、直桜への執着が尋常でない事実だけは、はっきりした。 「僕は直桜様以外、どうでもいいから、他の奴らは殺していいですよね、槐兄様」  流離の問いかけに、槐は小首を傾げた。 「殺していいのとダメなのがいるから、後でじっくり教えてあげるよ。流離はもう反魂儀呪の一員だから、ちゃんと覚えようね」 「はい、しっかりお勉強します」  そう返事した流離は歳相応の素直な少年だった。 「他人を殺める術を行使するなら自分の行動に責任を持てよ。ガキだからって許されると思うな。その辺、しっかり教育しとけよ、リーダー」    呆れながらも清人は槐に釘を刺す。  槐が楽しそうにニンマリした。 「愛する清人の頼みじゃぁ、断れないね。流離は俺のお気に入りだから、言われなくても大事に育てるよ」  紗月が槐の顔を心底嫌そうに眺めている。  槐は、それさえも楽しそうだ。  今日の槐は終始、笑顔で機嫌がいいから、気持ちが悪い。 「藤埜清人を殺したいけど、槐兄様が愛しているなら、ダメかな。死なない程度に毒で苦しめてあげたいなぁ」  流離が仄暗い笑みを清人に向ける。  大変分かりやすい敵愾心だ。その辺りは子供なんだろうと思う。 「おぅ、楽しみにしてるよ」  さらりと流して清人は背を向けた。  流離が舌打ちをした気配がした。  どうやら、清人に対して憎しみを抱いたようだ。 (直桜が狙われるよりは、マシだろ。あの毒が俺にどこまで効果あるのかも知っときてぇしな)  惟神を殺す毒は枉津日神の穢れを含む神力には効果がない。だが、流離の毒は最早、惟神だけをターゲットにしていると思い込むには危険な代物だ。 (俺に向かって投げつけてくれたら、持って帰れんのにな)  要や円に預けて毒の解析が出切れば御の字と考えたが。槐が流離を止めるだろう。13課に解析させるのは、今はまだ勿体ないと考えるはずだ。 「今はダメだよ、流離。清人に毒を盛るのは、今度ね」  槐の言葉に、清人は心の中で舌打ちした。 「流離の毒はあげられないけど、代わりに情報をあげるよ、清人」  清人は足を止め、槐を振り返った。 「槐兄様、またですか? さっき直桜様にも情報を与えていたじゃないですか。楓兄様が、がっかりしますよ」  流離が槐を諫めている。  どうやら流離は楓にもうまく懐いたらしい。 「問題ないさ。有益か無益か判断するのは清人だからね」  槐が意味深に笑んだ目を清人に向けた。 「話すなら早くしてくんない? 焦らすなら情報自体、要らねぇよ。早く直桜の治療してぇし帰りたい」 「理研のmasterpieceが二人、行方をくらました。逃げたのか何かを企んでいるのかは、知らないけどね」  清人は表情を止めた。 「あっそ。それは13課の案件じゃねぇな。人探しなら警視庁に捜索願でも出せ」 「保輔は仲が良かったらしいから、気を付けてね。あの子、ああ見えて仲間思いだからさ。仲間のために、簡単に仲間を裏切れる子だ」  清人は横目に槐を睨んだ。 「情報が欲しくなったら直桜を通して楓に連絡してよ。楓も、久し振りに直桜に会いたがっていたから」 「もう直桜は使わせねぇよ。そっちに毒がいる以上、危なくて出せねぇ」  ちらりと流離に目を向ける。  冷めた表情を気取っているが、その目には明らかに殺意が浮いていた。 「なら、清人が俺に連絡してよ。またエッチしようね」 「それなら別に……」 「良いわけないだろ、馬鹿ちんぽ」  紗月に軽く小突かれた。  直桜を行かせるよりは安全だと思ったのだが、ダメらしい。 「保輔はお前が思っているような奴じゃねぇよ。とりあえず今の話、頭の隅っこにでも入れておく」  手を振って、今度こそ清人は歩き出した。 「もうしばらくすれば、事態は大きく動き出すよ。そうなったら俺にも止められない。精々、頑張ってね」  振り返らずに歩いたまま、槐の言葉を背中に聞いた。  不穏な言葉は思わせ振りではなく、何かがある。惟神の神力だけでなく、そう感じた。何より槐が無意味な言葉を吐いた例《ためし》など、一度もない。 「何か、あるんだろうな」  ぽつりと呟いて、清人は先にこの場を去った直桜たちを追った。  胸の中に落ちた一滴の不安が滲んで広がっていくのを感じていた。

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