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第72話 口移しの神力
温もりを感じて目が覚めた。
直桜の手を握ってくれているのは、隣で眠っている護だった。
「護……、護、護!」
飛び起きて護の肩を揺らす。
目を開けない護に、不安が湧き上がる。
護の額に指が伸びた。直日神が護に直に神力を送ってくれていた。
「直日……、戻ってきてくれたんだ。毒はもう、大丈夫なの?」
直日神が直桜に微笑み掛けた。
「世話を掛けたな。もう心配ない。それより、護を診てやらねばな」
「護は、どうして目を覚まさないのかな」
握る手に力がない。
直日神が神力を送っても、一向に目覚める気配がない。目は固く閉じたままだ。
「二人とも、大丈夫か?」
なだれ込むように入ってきた清人たちが、直桜の表情を見て顔を強張らせた。
枉津日神が直日神に並ぶ。護に触れて、顔を上げた。
「護の中に穢れた神力が残っておるな。さんぷるとやらを取れるか?」
枉津日神が開と閉に目を向けた。
「取れます、すぐにでも!」
開が両手を合わせて開くと、四角いケースが浮かび上がった。
「どれ、吸い出してやろう」
枉津日神の指が開の箱の上に向く。その指先から黒いどろりとした液体が滴り落ちた。
「これが、神力? いくら穢れていたって、神力とはまるで違い過ぎる」
智颯が顔を顰めた。
直桜も同じように思う。一護が「穢れた神力」と呼んだ力は、まるで瘴気だ。命を弄び殺して喰った妖怪が纏う気と同じに感じた。
「気吹戸、手伝え」
直日神の呼びかけに、気吹戸主神が姿を顕現させた。
「おや、儂も参じて良いのですかな。直日神様と枉津日神様に囲まれるとは、誉高いですな」
気吹戸主神が高らかに笑う。
「直日が他の神に呼びかけるなんて、珍しいね……」
「僕は初めて見る光景です」
直桜と同じように智颯も驚いた顔をしている。
「祓戸の神、三柱を同時に拝めるなんて、きっと人生で一度きりだろうな」
閉がその光景を呆気に取られて眺めている。
枉津日神からサンプルを受け取った開が、円を振り返った。
「解析始めよう。って、この場所が使えないと無理か」
「このまま、進めましょう。化野さんの解析も、しながら」
円の提案に全員が賛成した。
目を覚まさない護の中に一護がいてもおかしくない。
護の中で起きている事態を把握するためにも重要だ。
「今なら、直日神様の、神力が、触媒に、なります」
「だったら、この部屋全体に結界を敷こう」
開が結界を敷いた。
「俺と清人は呪物室の方にいてもいい?」
直桜の言葉に円が頷いた。
「智颯君も、中に。惟神は、神様の傍に、居た方が、いいと、思う」
円の助言で、智颯も呪物室に残った。
開と円と共に外に出た閉が、外側から結界を閉じた気配がした。
大きなベッドの上で護に膝枕をしながら直日神が浄化をしている。
両脇を枉津日神と気吹戸主神が囲む。
気吹戸主神が大きく息を吹きかけると、黒い穢れが浮いた。それを枉津日神が受け止めて吸い込む。
「護の中に、そんなに穢れた神力が残っているの?」
直桜の狼狽えた声に、直日神が頷いた。
「直桜を犯していた穢れが神紋を通して護に流れておったのだろう。初めからずっとな。護は穢れに強い。だから気が付かなんだろうな。直桜の中に入り、心に直に流し込まれたせいで、溜まった穢れが動き出したのだろう」
一護は、護が狙いだったと話していた。二週間近く、護の中にじわじわと穢れた神力を流し込みながら、時が満ちるのを待っていたのだ。
「寝ている間も何度も俺の中に入ろうと試みたけど入れなかったって、護は言ってたのに、どうして今更」
目が覚めた時、やっと届いた、と護は話していた。
「準備が整っていなかったんだろ。護の中に必要な量の穢れた神力が溜まってなかったんだ。だから弾いたんじゃねぇか」
清人の声が沈んでいる。沈痛な面持ちで護を見詰めていた。
きっとそうなんだろうと、直桜も思った。
「起こしてくれた時の護も、腕を伸ばして意識を引き上げてくれただけだったから、きっと、一護が望んだ入り込み方じゃなかったんだろうね」
もっとしっかり護の意識を直桜の中に入り込ませるために、直桜を狂わせて危機感を煽ったのだろう。
「一護って野郎の本当の狙いが護なら、護に穢れた神力を蓄積して、どうしたかったんだ? 精神操作して反魂儀呪に取り込む算段か?」
「きっと、それだけではないよね」
清人と直桜は護を見詰めた。
護の全身から溢れ出す気が、変化している。
いつもはほとんど感じない妖の気が濃くなっていた。
「鬼の本能を目覚めさせたかったのだろうな。護のように妖術を使う鬼は今の現世では珍しい。人の血が混じった鬼は、純血より強い。本能が目覚めれば、より強靭で人の脅威となる鬼となろう」
「妖術って? 血魔術のこと?」
直桜の問いかけに、直日神が顔を上げた。
「人の生血《いきち》を啜れば、その分、鬼は強くなる。凶暴性を増して、人を喰らうようになる。血魔術とは本来、人をかどわかし食うための術だ」
直桜は息を飲んだ。
一護が言っていた「隠れた価値」とは鬼の本能のことなのだろうか。
「現世に残る鬼のほとんどは人喰を止めた鬼だ。化野の鬼は、その走り。最初に人喰を止めた鬼よ。護も鬼の本能を呼び起こされる事態は望むまい」
直日神が護の髪を優しく撫でる。
その仕草はまるで我が子を愛でる親のように映った。
「祓っても祓っても湧いて出るのう。竜巻でも起こそうかのぅ」
「気吹戸、真面目にやれ。化野さんに負担をかけるやり方はするなよ」
豪快に笑う気吹戸主神を智颯が叱った。
「しかし、これほどの量の穢れをよくもまぁ溜め込んだものだ。護は我慢強いのぅ。いくら鬼とて、しんどかったろうに。こんなものは神力とはまるで名ばかりの穢れた瘴気じゃ」
気吹戸主神が吹き出した穢れた神力を吸い込んで、枉津日神が嘆く。
「枉津日神様の、言葉通り、ほとんどが瘴気、です。相当に、人を喰った、気配がします。一部に、神力も、混じっているよう、です。抽出、します」
外側から円がマイクを使ってコメントをくれた。
中の声は外に聞こえるようだが、外の声は全く聞こえない。
「取り出したら吾が触れてやろう。どの神の神力か、わかるやもしれぬ」
「はいっ……」
マイク越しの円の声が、いつもより力強く響いた。
「なんか、枉津日、いつもより積極的だね。有難いんだけど、どうして?」
直日神が護を助けてくれるのは理解できるが、他の神が積極的に他の眷族を助けてくれるのは意外だった。
「護は清人の大事な仲間じゃ。吾と直日は表裏の神ゆえ、直日が大事にする人は吾にとっても大事なのよ。それに、直日がこれほど慌てる様はそうそう拝めぬ」
枉津日神がクックと笑う。
同じような顔で気吹戸主神が笑っている。
直日神はいつもの通りの顔で護を見詰めている。
「慌ててるんだね、直日……」
護の状態が決して油断できるものでないのは、直桜にもわかる。神紋を通して、護の気配が伝わってくる。
だが、直日神の様子はいつもと変わらないように見えるし感じる。
「護が、護の望まぬ自身になる自体はさけねばならぬからな。護が人を喰らう鬼になったら、直桜も嫌だろう?」
「絶対に嫌だ。ねぇ、俺にもできること、何かない?」
にじり寄った直桜に、直日神が護の手を差し出した。
「握ってやれ。戻ってくる道標は、直桜しかおるまい」
直桜は護の手を強く握った。
神力を流し込んで想いを伝える。
(俺のせいで、ごめん。護は俺を助けに来てくれたのに、俺が護を危険な目に遭わせた。もう二度とこんなことしないから、だから戻ってきて、護)
直日神が護の顔を撫でた。
「直桜は護がおらぬと悲しいぞ。吾も悲しい。早ぅ戻って来い、護。護の在るべき場所は、こっちだ」
直日神が護の顔に顔を寄せた。
口移しの神力が護の中に流し込まれた。
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