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第73話 神殺しの鬼の本能

 真っ暗な闇の中に、化野護は一人、佇んでいた。  さっきまで直桜の中にいたはずだ。  薄暗かった森は生気が戻り、荒んでいた直桜の中はすっかり清浄な空気が戻っていたはずなのに。 (まさかまだ、一護が直桜に何か仕掛けているんだろうか。だとしたら、直桜はどこへ)  見回しても辺りには闇が広がるばかりだ。目を閉じているのか開いているのかもわからないような真っ暗な闇は、一護に飲まされた穢れた神力に似ていた。 「護……」  声の方へ振り返る。 「直桜……?」  後ろも前もわからない。さっきまで前だった場所に、小さな灯が灯った。  白い灯が人の形になり、直桜になった。 「護、こっちだよ」  直桜が手を差し伸べる。その手を取る気にはなれなかった。 「貴方は、誰ですか? ここは、どこなんですか?」  目の前の直桜がクスリと笑った。 「ここは護の中だよ。直桜の中から自分に戻ってきたんだ。俺は、護が望んだ姿だよ」 「自分の中に、戻った? なら、どうして目を覚まさずに、こんな場所にいるんです」  遠くに居たはずの直桜が、いつの間にか目の前にいた。 「護の中に眠っている力を解き放ってあげようと思ったんだ。もっと俺の力になれるように」  直桜が護の肩に腕を掛けた。 「俺の役に立ちたいでしょ?」  護は直桜を眺めた。  確かに直桜の顔をしているが、護が知っている直桜ではない。 「一護が隠れた価値がどうと、話していましたね。私はその力を欲しません。出て行きなさい。私の姿になろうと直桜の姿になろうと、受け入れる気にはなりませんよ」  護が直桜から自分の意識に戻ったタイミングに合わせて一護が護の中に入り込んだとしても、おかしくはないと思った。  恐らく一護は自分の神力なり妖力を介して相手の意識に潜る力を持っている。妖怪には少なくない力だ。 「貴方の穢れた神力は凡そ神力とは呼べない。瘴気を纏った妖力です。ベースは人間のようですが妖怪の気質が大きい。どれだけ人を喰らいましたか? 貴方のような妖怪は13課の駆除対象ですよ」  直桜の首を掴み上げる。  その顔がニタリと笑んだ。 「直桜の顔をした生き物を、お前は殺せない。だから私のことも殺せないでしょう? たとえ本当の顔が化野護にそっくりで、本来の顔が妖怪のソレでも、お前は直桜を殺せない」  護は首に据えた手に力を籠めた。  しかし、首をへし折るような力は入れられない。この程度の細い首など、握り潰すのは簡単なのに。 「私としては、殺してくれた方がいいんですけどね。死を味わえば、それだけ鬼の本能に近付く。直桜の顔が殺しにくいなら、別の顔になりましょうか? そうですね、槐様とか、如何でしょう? 殺したいほど憎いんでしょう? 殺してみます?」  直桜の顔で、護の声で、揶揄うような話し方が、苛々する。 「もしかして、貴方が隠れた価値とか言っていたのは、鬼の本能のことですか? あんな廃れた力、呼び覚ますのは無理ですよ。とっくに消えてしまった本能です」  鬼であれば大概が持っている人喰の本能を化野の鬼は、千年近く前に朝廷に飼われた時点で失くしている。 「馬鹿だなぁ、消えないから本能なんだよ。朝廷に飼われる前の化野の鬼が何故、最恐だったか、最恐なのに何故、人に負けたのか。お前は知っている?」  話し方が直桜に戻った。  それだけでも、苛々する。 「化野の鬼が最強だったのは、神に愛されたから。人に負けたのは、人を愛したから。それだけです。これ以上、貴方と話すことはありません。元の姿に戻ってもらえますか?」  目の前の直桜が表情を落とした。  どろり、と溶けると、形を変えて、護になった。 「元の姿って、それなんですか?」  とても嫌な声が出てしまった。 「槐様に貰った姿だと話したでしょう。これ以外の姿が見たいなら、もう少し仲良くならないと無理ですね」  自分の顔をした男が腕を伸ばして、護の顔を包み込む。  護は霊現化した短刀を自分の顔をした男の腹に突き刺した。 「仲良くなる気はありません。直桜の姿でないなら簡単に排除できます。さようなら」  突き刺した短刀を貫いて、手刀を腹に伸ばす。  男がうっとりと笑んで、護に凭れ掛かった。 「躊躇なく人を殺す護は最高です。そういう護が私は好きですよ」 「お前は人ではない。人に仇為す妖怪です」 「人の命より妖怪の命は軽いって、誰が決めたんでしょうね?」  自分にそっくりな男が耳元で囁く。 「人間でも、人殺しは法で裁かれます。妖怪も同じですよ」 「同じ? これが? 一方的な命の搾取に変わりないでしょう? だから護は弱いんですよ」  カチンときて、凭れかかる男を横目に眺める。  男が護を見上げて笑んだ。 「法だなんだと罪を区分けして自分を納得させて、結局は弱者を排除する。理屈で自尊心を守って己の行為を正当化する。そうでもしないと心が維持できないから」  護は目を閉じて、小さく息を吐いた。 「そうですよ。命を裁くなんて本来、私程度がしていい行為ではないですから」 「でもやらなきゃいけない。13課にいる以上はね。今まではそれで良かったけど、これからはどうでしょうか? 直日神の惟神の眷族が、それでいいんでしょうかね」  雑音がうるさい。  どうすればこの状態から解放されるのか。  護は自分の腹に手をあてた。神紋は温かい。神力が流れている。  男の腹に突っ込んだ腕から神力を流した。 「このまま浄化します。これ以上、話しても無駄です」  護に凭れていた男が直桜の姿になった。 「護、苦しい……」  辛そうな顔で護に縋る。  思わず、浄化の手を止めて、腹から手を引き抜いた。 (違う、アレは直桜じゃない。わかっているのに)  直桜の姿をした男がその場に倒れ込んだ。 「直桜!」  頭は迷うのに、体は一切の迷いなく直桜を抱き上げる。 (違う、だから、違うのに!)  違うとわかっているのに、その体を抱き締めてしまう。 (ダメだ、このまま浄化だ。ここで浄化しないと、俺が皆の敵になる)  体を乗っ取られでもしたら、直桜にも清人にも、他の皆にも迷惑を掛ける。  震える手で、神力を流す。  直桜の顔が苦痛に歪んだ。 「護、護……、好きだよ、護。愛してる……」  護の首に腕を回して直桜が抱き付く。  震える手で、その体を抱き締めた。 「そのまま、抱き付いていてください」  背中に回した腕から神力を流して浄化する。顔が見えない方がまだマシだ。 「ついに俺も殺すんだ」  耳元で直桜の声が聞こえた。   「主に守られてる弱い眷族のくせに、主を殺すんだね」  直桜の声が護を責める。直桜ではないとわかっているのに、戸惑う心が消えない。それでも、浄化の手は止めなかった。 「いいよ、そのまま俺を殺して。キスしてよ、護」  直桜が顔を起こした。  苦しそうに護を見上げる唇が近付く。  ダメだとわかるのに、頭では拒絶するのに。  護は直桜の唇を受け入れた。 「あーぁ、やっぱり護は直桜には逆らえないんだね。殺せないし、逆らえない。守ることも出来ない。今のままじゃ、護は直桜を守れないね」  耳の中で直桜の声が木霊する。  次の瞬間、直桜の体が弾けた。黒い泥のような闇が広がって、護の体に纏わりつく。 「これ、は……、穢れた神力……?」  体中の力を吸い取られていく。  力が入らなくて、その場に倒れ込んだ。  耳や口から、黒い闇が意識を持った生き物のように護の中に入ってくる。 「ん、ぁ……、美味しい……」  直桜の中で口から流し込まれた穢れた神力と同じ味がする。  気が付いたら自分の顔をした男が、護の口の中に神力を流し込んでいた。 「美味しいでしょ、護」  小さく、頷く。 「主を守れる強い力、欲しいですよね。守られるだけの眷族でいるのは、嫌でしょ」 「欲しい、力が、欲しい、です」  一護が護を抱きかかえた。 「じゃ、自分を解放しましょうね。化野の鬼が抱える本能という業をね。化野の鬼が最恐だったのはね、神を喰らったからですよ。だから護は神殺しの鬼なんです。護はね、この世で唯一の、本当に神を殺せる鬼なんですよ」  重なった唇から一護の言葉が直に流れ込んでくる。 「俺が、神を、殺す……」 「そう、神の力を無効化するのも、神から意識を奪うのも、神を殺すのも、神殺しの鬼の力です。惟神もその神も、護なら自在に操って好きに使えるんですよ。その力で、直桜を守ってあげましょう」  一護の言葉が脳に沁み込む。  とても良いことのように聞こえる。 「それは、便利、ですね……。直桜のために、なります、ね……」  いつの間にか一護に縋り付いて、唇を貪っていた。  流れ込んでくる一護の神力が、もっと欲しくて堪らない。 「さぁ、直桜のために本能を解放して。私に従っていれば、間違ったりしませんよ」 「そう、ですね。一護に従えば、間違わない」  言葉を繰り返す度に、確信に変わる。  一護の傍にいれば、大丈夫だと思えてくる。 (一護の言う通りにして、一護の傍にいれば、間違わない。言う通りにすればいい)  胸の中がじわじわと熱くなる。  眠っていた何かが目を覚ますような高揚感が膨れ上がる。 「私を愛していれば、間違わない。私のために生きて、護」 「一護を愛して、一護のために、生きれば、間違わない」 「そう、それが正しい。護のために、一番正しい選択です。私を愛しなさい」  どくん、と大きく心臓が動いた。  頭の中が、一護でいっぱいになる。 「正しい。一護、愛してる……。俺を、使って、もっと、愛したい」  自分から、一護に口付けた。   「あぁ、可愛い、護。私の、私だけの護。たくさん使って、沢山愛してあげますね。あの惟神より私の方が先にお前を愛したのだから」  一護の首に腕を回して抱き付いた。  抱き返してくれる腕が嬉しい。何度も食んで重ねてくれる唇が、愛おしい。  腹の神紋が熱を増しているのなんか、少しも気にならなかった。

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