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第74話 人魚の翡翠

 気が付いたら周囲が真っ白で、金色の雨が降っていた。  体がふわふわすると思ったら、浮いていた。 (あれ……、何を、していたんだっけ。ここは、どこ、だったか……)  目の前に知らない妖怪が立っていた。  魚のような鱗を持った人の形をした生き物だ。 「……翡翠?」  知らないはずの名前が口を突いて出た。 「あらら、本然が出てしまいましたか。やはり直日神の神力には敵いませんね」  翡翠が護に近寄った。  腕を引き寄せて、顔を両手で掴まれた。 「今の名前は忘れなさい。お前が知っているはずのない名前です。神を愛し、その屍を喰らった鬼は最早、妖怪の側の生き物ではない。前にも話しましたよ。忘れているでしょうけどね」  護は翡翠に腕を伸ばした。  首に抱き付くと、懐かしい川の匂いがした。 「助けに、行くよ。今度は俺から、会いにいく、から」  翡翠が息を吐く気配がした。 「助けてもらわねばならぬような暮らしはしていませんよ。毎日、それなりに楽しいですから。次に会う時は、どうせまた反魂儀呪の一護ですよ」  翡翠が何か話している。  上手く聞き取れない。 「また、昔みたいに、釣りをしよう。桂川で、河童たちと、一緒に泳ごう。きっと、楽しい」  翡翠が体を離して護の顔を見詰めた。 「お前はもう神の眷族です。私が愛した鬼ではない。ヒントは沢山、渡しましたよ。自衛なさい。お前がお前を守らなければ、死ぬのはお前の仲間です」  翡翠は、きっととても大切な言葉を伝えてくれている。  ぼんやりした頭でも、それが嬉しかった。 「俺は、翡翠が好きだよ」  護の顔を掴んだ翡翠の手がビクリと震える。  掴んだ顔をぐりぐりと押された。 「痛いよ、やめてよ」 「もう二度と、私に向かって、そのような言葉を吐かないように。ほら、迎えが来ていますよ。さっさと帰りなさい」  翡翠が上を見上げた。つられて同じ方を向く。  見知った腕が、護に向かって伸びている。 「隙があればまた、お前を狙います。私のコレクションになっても、文句は言わないでくださいね。お前の力不足だと思いなさい」  翡翠の唇が護の唇に重なる。  流れ込んで来た妖力は、神力と同じくらい温かくて、懐かしい匂いがした。  翡翠が手を離すと、護の体が浮き上がった。 「翡翠、絶対にまた、会おうね」  浮いていく護を翡翠が見上げた。 「然様なら、直日神の惟神の眷族、鬼神の化野護。次はまた、一護の姿で会いましょう」  翡翠の姿が霞んで消えていく。  それがとても悲しくて切なくて、胸が苦しい。  迎えの腕が護を掴む。大好きな手の温もりが、護の中の寂しさを消していった。  慣れた手に引き寄せられながら、護の意識も霞んでいった。 〇●〇●〇  目が覚めた時、最初に視界に入ったのは直日神の顔だった。  次いで見えた直桜の顔に、何となく安堵した。 「ここは、どこ、でしたっけ?」  自分が今まで何をしていたのか、いまいちよく思い出せない。 「護! 俺がわかる? どこか痛かったり気持ち悪かったりしない?」  直桜が必死に護に声を掛けている。 「特に何も、ないです。直桜は、大丈夫ですか?」  大きなベッドが目に入って、ここが呪物室だと思い出した。  直桜の中に残った穢れた神力を浄化するために、解析しながら直桜の中に潜ったはずだ。 「俺は、もう大丈夫だよ。それより、護の方が大変だったんだよ。覚えてないの?」 「俺が? 大変? どうして?」  頭がぼんやりして、何も思い出せない。  直日神が大きな手を護の額にあてた。 「まだ混乱しておるのだろう。休めば戻ろうて」  額にあたる手が温かくて、眠気が襲う。  ウトウトする護を眺めて、直桜と直日神が顔を合わせている。 「傍にいるから、眠っていいよ、護。起きたら、色々話をしよう」 「いえ、大丈夫、です。今は、眠りたく、ない……」  眠ってしまったら、知らない何処かに堕ちて行ってしまいそうで怖かった。  彷徨う手を直桜が握った。 「ずっと手を握ってるから、離さないから、安心して寝ていいよ」  直桜がそっと口付けをくれる。  甘くて柔らかくて、ほっとした。 「じゃぁ、少しだけ。直桜、起きるまで、傍にいて」  直桜の手を握ったまま、護は眠りに落ちた。  強く握り返してくれる手が嬉しかった。

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