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 白泥(パクナイ)の海に夕陽が落ちる頃になっても、鐘崎は眠り込んだまま一向に起きることはなかった。  シーツの海には戸江田の吐き出した欲情の跡が数多の染みを作っていて、ところどころがしっとりと濡れそぼったままだ。 「ふ――、そろそろあの紫月とかいう男があなたを心配し始めている頃でしょうかね」  陽が落ちても戻らない亭主を不安に思い、いずれ捜しにやって来るだろうか。だが、携帯電話の電源は落としてある。そうすぐには気付かれまい。 「あなたが目覚めたら、また少し――睡眠剤を盛りますかね。僕は何もなかったようにして、あなたを介抱しますよ。お水をどうぞと言って、また睡眠剤入りの物を飲ませればいいだけだ」  そうすればもう一晩くらいはこうして共に過ごせるだろう。肩先の紅椿に頬擦りをしながら、戸江田はウトウトと恍惚の想いに浸っていた。 ◆    ◆    ◆  一方、その頃、紫月の方では丸一日帰らないままの亭主を気に掛けていた。周焔(ジォウ イェン)もまた同様で、さすがに遅すぎやしないかと皆で心配し始めていたところだった。 「カネのヤツ、打合せにしちゃ遅くねえか? 原石のサンプルを渡して新しいデザインの相談をするって話だったが――」  周が自分のスマートフォンを取り出しては着信が無いかと気に掛ける。 「うん。けどまあ、社長さんたちからメシでも誘われてんのかも知んねえし。それも仕事の内だろうからさ」  戸江田の企みなど知る由もない紫月は、社長や職人と接待の飲みで遅くなっているのだろうとしか思わなかったようだ。 「だが、カネが出て行ったのはまだ午前中だったぞ。昼飯をご馳走になるくれえは有りかも知れんが、ヤツも晩飯までには帰ると言っていたわけだしな」 「そうだな……。社長さんらとの付き合いに水を差すのもナンだけど、電話くらい入れてみっか」  そんな周と紫月が異変に気付いたのは、電話が繋がらないと分かった時だった。 「おっかしいな……。遼のヤツ、携帯の電源切ってるんだろか。ンなわきゃねえべ」 「繋がらんのか?」 「んー……さっきっから三回目。けど、ウンともスンともだ」 「電源が落ちているということか――」  いくら大事な打ち合わせでも、今回は裏の依頼というわけではない。命の危険が絡むような緊張状態で挑む仕事ではないわけで、携帯の電源を落とす必要などないだろう。奇妙に思った周が、鐘崎の刺青(いれずみ)に括り付けてあるピアスのGPSを探査にかけると、未だ白泥(パクナイ)の山間を示した。 「まだ別荘に居るようだな。晩飯を食いに出掛けたというわけじゃなさそうだ」  社長が別荘にお抱えシェフを連れて来ている可能性が無いとは言えないが、接待というならこの香港にいくらでも店はある。わざわざ手料理を振る舞う理由も考えにくい。  迎えがてら様子を見に行ってみるかということになり、二人は側近の(リー)と、鐘崎組からはお付きで同行していた幹部の清水(しみず)と共に白泥(パクナイ)に向かうことに決めた。 「念の為だ。鄧浩(デェン ハァオ)にも同行してもらおう」  鄧浩(デェン ハァオ)は周の専属医だ。携帯が繋がらないということからして、もしかしたら鐘崎が社長らと共に拉致や襲撃に遭っているとも考えられる。何らかの事件に巻き込まれ、怪我を負わされているという可能性も鑑みて、即対応ができるように鄧浩(デェン ハァオ)がいれば安心だからだ。

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