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 次の日、昼過ぎにホテルのチェックアウトを済ませた鐘崎と紫月は、離陸前に周の実家へと挨拶に立ち寄ることにした。ところが行ってみると肝心の周本人は出掛けていて不在だという。兄の周風(ジォウ ファン)が迎えてくれた。 「すまないな、二人とも。(イェン)のヤツはちょっと大事な用があるようでな」  出発時刻までには戻るそうだ。 「もしかして――老黄(ラァオ ウォン)のところでしょうか」  鐘崎が訊くと、兄の(ファン)はその通りだと言って穏やかな笑みを見せた。 「老黄(ラァオ ウォン)って?」  小声で紫月が亭主を見やる。 「ああ、長いことファミリーのカジノでディーラーとして活躍されていた御仁だ。天才とも鬼才とも言われていたお人でな。確か今はもう引退なされて、息子さんの方がディーラーを継いでいらっしゃるんですよね?」 「そうだ。老黄(ラァオ ウォン)に違わず息子さんの方も非常に腕のいいディーラーだと聞いているよ」  (ファン)は茶を勧めてくれながらやさしげに瞳を細めた。 「(イェン)が香港へ帰って来られるのは年に一、二度だからね。帰省した際には必ず老黄(ラァオ ウォン)たちの様子を窺いに行っているんだよ」 「そうでしたか。確か――名前は(ひょう)君でしたっけ」 「ああ。雪吹冰(ふぶき ひょう)といったな。私も(イェン)に頼まれて、季節毎に彼らの様子を見に行ってはいるのだがね。だが、おそらく今日も老黄(ラァオ ウォン)たちには直接会わずに、遠目から窺うだけで帰って来るんだろうな」  (ファン)は少し切なそうに弟を思いやるような表情でいた。  その老人の名は(ウォン)といった。周の兄や鐘崎も言っていた通り、長い間ファミリーの息がかかったカジノのディーラーとして腕を振い続けてくれた男だ。その(ウォン)老人の息子――といっても実子ではなく養子なのだが――彼らと(イェン)との出会いはかれこれ十年以上前に遡る。当時、繁華街で起きた抗争事件によってその少年は一度に両親を亡くし、隣家に住んでいた老人が引き取って育ててきたそうだ。ちょうど抗争鎮圧の為、現地に出向いた周焔(ジォウ イェン)が騒ぎに巻き込まれ掛けていた二人を救い出したのだそうだ。  その経緯については鐘崎も耳にして知っていた。 「確か――氷川が助けた当時、養子の少年はまだ小学生だったそうですが」 「ああ、十歳そこらだったと聞いているよ」 「あれからもう十年か。今ではその時の少年も(ウォン)の爺さんの後を継いでディーラーになっているんですね」  子供の成長というのは本当に早いものだ。周は天涯孤独も同然となったその少年を不憫に思い、当時から今日まで欠かさずに援助を続けているのだそうだ。金銭的にもむろんだが、こうして香港に帰省した際には必ず彼らの様子を窺いに行くのだという。 「けど……なんで直接会わないんだ? 遠目から窺うだけって」  事の詳細を知らない紫月は不思議そうに首を傾げている。 「まあ氷川にもいろいろと思うところがあるんだろう。遠目からだけでも爺さんたちが元気でやっていることを知れれば――ヤツにとって今はそれが何よりなのかも知れんな」 「そうなんだ……」  この時の鐘崎と紫月は、その老人にも養子になったという少年にも会ったことすらないわけだが、そう遠くない未来にかけがえのない親友となって固い絆ができることをまだ知らない。  やわらかな瞳をしたその彼――雪吹冰(ふぶき ひょう)が秋の涼やかな風に乗って周の暮らす汐留へとやって来るのは、この時から一年余り後のことだった。  鐘崎遼二、一之宮紫月、そして周焔(ジォウ イェン)。そのあたたかくも強い友情と愛情の絆が更なる少年との縁によって、より一層揺るぎないものとなる。互いが共にあれば、例えどんな嵐に見舞われようと乗り越えていけることだろう。  香港に初秋を告げる陽射しがいずれ訪れる暖かな春を彷彿とさせる――そんな心躍る思いを胸に帰路についた一同だった。 歪んだ恋情が誘う罠 - FIN -

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