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49(後日談その3)
「――どした? 遼 」
クッキーをまたひとつ、口に放り込もうとしたその手をとめて紫月 が言った。和やかなティータイムの中、少々口数が減ってしまった鐘崎 を覗き込む。そういえば先程からの楽しい会話の中にもどことなくソワソワしたとでもいおうか、ふとした瞬間に心ここに有らずという顔つきをしていた気がする。そんな亭主の肩に手を掛けて、紫月 は首を傾げたのだ。
「ん? ああ……すまん。――どうしてっかなと思ってな」
そのひと言に、周 と冰 もティーカップを手にしたまま鐘崎 へと視線を向けた。
「どう――って?」
少し心配そうな顔つきで紫月 が問う。
「ん、親父が――な。今頃は俺らと同じく空の上だが」
憂いとも哀愁とも言い難い鐘崎 の表情で、男三人は何となく彼の考えていることが読めてしまった。
つまりこういうことだ。鐘崎 は三十余年ぶりに再会した両親のことを案じているのだろうと解ったからだ。当の鐘崎 もまた、思いを自身の心の中だけに閉じ込めた挙句、皆に心配をかけるつもりはなく、いっそ打ち明けてしまう方が賢明と思ったのだろう。静かに口を開いた。
「――お袋が出て行った時、俺はまだ物心もつかねえ赤子だったが。離縁以来、親父がお袋と会ったことがあるのかすらも分からねえし、実際そんな話を聞いた覚えもねえんだが」
仮に三十年以上もの間、一度も連絡を取り合っていなかったとするなら、今回の邂逅は両親にとっても驚きの出来事だったろうと思える。そういえば母の佐知子 は息子――つまり鐘崎 ――が伴侶を娶ったことも知らなかった。ということは、僚一 はほぼ彼女に連絡をしていなかったのだろうと推測される。
「とするなら――だ。三十余年ぶりに会ったとて、今は互いに別の人生を歩んでいることは頭では解っているだろう。お袋には江南 博士という立派な伴侶がいて、暸三 という愛息子もいる。二人とも誰の目から見ても善良で素晴らしい人格者といえる。親父はといえば――知っての通り独り身を通してはいるものの、男が生涯をかける仕事の面では充実しているし、成功と言うに足る人生といえるだろう。父と母、どちらも理想の道を歩んでいるのは確かだ」
だが、遠い昔に二人が想い合い、子までもうけた上に離縁に至ったのもまた事実である。
「そんな二人が同じ飛行機というひとつの空間で同じ時間を過ごしている」
側には当然江南 博士と愛息子もいる。いかに強靭な心の持ち主といえども、さすがに複雑な思いでいるのではないか――と、鐘崎 は父・僚一 のことが気に掛かっているのだろう。周 も冰 も、そして紫月 も、そんな鐘崎 の胸中が手に取るようだった。
「例えばの話だ。俺を親父になぞらえて考えたならばだ。紫月 が――てめえの伴侶が、俺以外の誰かと人生を共にしたいと、そんなふうになったとする。俺もそれに承諾して別の人生を選んだとして……何十年も経って再会したならばだ。俺は多分――動揺するだろうし、もしかしたら当時の想いが抑え切れずに苦しむかも知れねえ。親父は俺のように女々しくはねえし、離縁とて自分で納得の上に選んだことだろうから……未練なんてものはねえのかも知れねえが」
だとしても、思いもよらない邂逅で少なからず心が揺れていやしないかと、鐘崎 はそれが心配なのだろう。
現実的に考えれば、江南 一家の身の安全という観点から僚一 がドイツまで送り届ける自体は当然と思う。だが、僚一 の胸中を考えると複雑なのではと思うわけだ。
「まあ――親父は俺と違って酸いも甘いも知り尽くした強靭で完璧な心身の持ち主だ。ガキの俺が憂うまでもねえこととは思うが、ついそんな節介な気持ちが抑え切れなくてな」
鐘崎 は、両親を今の自分に置き換えて考えたとして、紫月 が自分以外の別の誰かと歩みたいと言ったとする。例えそれが紫月 にとってより幸せな人生だと分かっていても手放すことができるかどうか――と、そんな仮定に揺れているのだろう。
さすがの周 も、そして冰 にとってはそれこそ掛けてやれる言葉もすぐには見つけられずにいる。
そんな中、紫月 だけが穏やかに瞳を細めながらそっと席を立ったと思ったら、広く大きな背中から腕を回しては頬と頬とをくっ付けてよこした。
「――紫月 」
「大丈夫だ、遼 。おめえが心配する気持ちは分かる。俺も同じ気持ちだ。だから大丈夫だ。おめえと俺、それに源 さんや氷川 に冰 君。皆んなが親父を思う気持ちがきっと親父を支えてる」
だから大丈夫だと穏やかな言葉が耳元に安堵感を与えてくれる。
「ん――。そうだな」
肩先に回された手に自らも手を重ねて鐘崎 はうなずいた。
「すまねえ、皆んな。ガラにもねえことを言って……しんみりさせちまったな」
切なげな微笑と共に謝る彼の肩をより一層ギュッと抱き締めながら、紫月 は言った。
「それにさ。俺は一生おめえン傍から離れねえ」
「紫 ……月 ……?」
「もしもおめえが俺に飽きて、もう一緒に生きるの嫌だっつってもだ。ぜってえー離れてなんかやんねえ。一生おめえに張り付いて、こやって肩にかじり付いて付きまとってやるんだ!」
グリグリと頬擦りをしながらニヤっと悪戯な笑みを浮かべる。
何があっても俺はお前だけを想って、お前の傍にいる。決して離れたりしない。二人の間を分つことなど誰にも、何にもできはしない。
だから心配するな――と、わざとおどけた声音で励ましてくれる。そんな伴侶が愛しくて堪らなくて、鐘崎 は思わず滲み出しそうになった涙を隠すようにそっと目頭を押さえた。
「ああ……。ああ、そうだな。ぜってえ離れてくれるな。俺もぜってえ――」
離さねえ――!
そんな想いのままに肩先に回された手を目一杯握り締め、もう片方の手で抑え切れずに頬を伝った熱い雫をグイと拭った。
目の前の周 と冰 も互いを見つめ合って穏やかに微笑む。
「俺らもこいつらには負けねえさ。なあ、冰 」
「だよね! 俺もずっと白龍 を離さないんだから!」
冰 は珍しくも自ら周 の腕を取り、しがみついては甘えてみせる。普段の彼は慎ましやかでいて、人前では滅多にベタベタと甘えるような仕草をすることはないのだが、これも鐘崎 と紫月 を思ってのことなのだ。むろんのこと周もそれを重々分かっているから、掴まれた手に自分の手を重ねては抱き締めてみせる。わざと冷やかすような台詞で場を和ませてくれているわけだ。
そんな友の気遣いと、そして何より揺るがない愛情で包み込んでくれる最愛の伴侶に囲まれながら、鐘崎 は自身の幸せを噛み締めた。
と同時に、今は別の空の上を飛んでいる父・僚一 と母・佐知子 、そしてその母を父の腕 から引き継いで穏やかな幸せで包んでくれた江南 と暸三 、皆の幸せを心から願うのだった。
後日談その3 父を思う - FIN -
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少し間が空いてしまいましたが、後日談その3です。
今回の話は鐘崎父子の避けては通れないエピソードでしたので、この小話は是非書きたいと思っておりました。鐘崎父子に関する話としては、番外編の「春一番が吹く頃に」でも触れております。
この度のエピソードにも最後までお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございました。
このところオフの仕事が少し忙しなくなっており、ご挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます。
極道恋事情はもともと1エピソード毎の読み切り集ですので、この『another one』も一旦完結マークを付けさせていただき、オフが落ち着くまでまたしばらく投稿はお休みさせていただきますが、時間を見つけてぼちぼちと新しい話も妄想していければと思っております。新しいエピソードが投稿できそうでしたら、また完結マークを外して再開させていただこうと思います。
合間に読み切りなどを更新することがあるかと思いますが、よろしければまたお時間の許す際にでもお立ち寄りいただけたら幸甚です。
いつも本当にありがとうございます。一園拝
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