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第25話

ルイスは急足に階段を駆け降りる 向かっているのは、1人座っているノアがいる裏園だった 邪魔なアイツをどう追い払うか考えていたが、勝手にいなくなってくれてありがたい だが時間は限られている ノアの元に向かい、とにかく話し合えば状況は良くなるはずだと、我ながらに甘い考えをしていたものだ 「おっと、どこ行くんだぁ?負け犬くん」 「急いでるんだ、どいてくれ」 2階のフロアから下に降りると、死角から急に出てきたリュードに軽く当たる 彼はわざとらしくおっと、と持っていたグラスを揺らし、相手がルイスだとわかると揶揄うように笑った 彼の頬は軽く熱っており、持っているグラスは空だ こいつは脳なしにガバガバ酒を入れるタイプなので相当飲んだのだろう 酔っ払いに構っている暇などないためルイスはサッと避けようとするが、リュードも負けじと通路を塞いできた 「ああ、わかった。あのお姫様んとこに行くんだろ?」 「…だったらなんだ」 「そうカリカリすんなヨー。何を勘違いしてんのか知らんが、俺はお前を応援してんだぜぇ?」 図星を突けてさぞ嬉しそうに笑うリュードに、ルイスはきつく睨みを効かせる だがアルコールの回ったリュードに威圧など効かない 彼はルイスを他所にペラペラと饒舌にものを言いながら、フラフラと給仕から赤黒いワインを取り寄せた 「まさか手ぶらで行くなんて言わないよな?」 「…」 「ははっ、上手くいってないのは俺だって知ってるさ。ほら、酔わせて無理やりにでも噛んじまえよ」 そう言ってリュードはワインを押し付けてくる なんて卑屈な奴だ リュードみたいに尊厳も何もない奴じゃなければ、こんな言葉は出てくるわけがない だが、しかし リュードの言っている事は、案外一理あった ルイスはノアと少しでも話せれば、状況が改善すると思っていた だが、思い返せばそう簡単に行くものでもないだろう リュードの策を借りるのは癪だが、こちらも何か対策を打たなければ 項を噛むまでしなくていい ただ、酒の勢いでどうにかできれば 迷いに迷った末に、ルイスは差し出されたワインをそっと受け取ってしまった 「あ、あとこれも持っていけよ」 「なぜこれを?」 「いや俺も知らんけど、アランが探してるからなー。必要なものなんだろ」 リュードはそう言ってガーゼと消毒液を取り出した 彼の情報網はほとんど時差がなく現在進行形で伝わってくる アランがたった今探しているものをより早く察知して、先回りして回収したのだろう 何に使うかよく分からずとも、リュードの情報なら確実だ、と無意識にも彼を頼りにしてしまっていることにルイス本人は気づいていない ルイスはリュードからガーゼと消毒液を受け取った 「じゃ頑張ってなぁ。ま、無理だろうケド」 「………」 リュードはニタニタと笑いながら最後に最悪の捨て台詞を吐いていった そのままフラフラとおぼつかない足取りで人混みに入って行くが、しばらくしてルイスとぶつかった時と同じように、また別の人にぶつかっていた 「おっと失礼…おや?これはこれはアラン様じゃないですかぁ」 「どけ、急いでいる」 ぶつかった相手がアランだったことにルイスが気づいたのは、その声を聞いてからだった アランには何かと目をつけられている 顔を伏せるようにして人混みに紛れ、彼に気づかれないようその場を去ることにした 「まあそんなこと言わずに。さあさあ、飲みましょうよ」 「いらん」 「どうしたんですかぁ。ほら、赤がお好きでしょう?」 「どけ、何の真似だ」 近くを通った時にチラリと2人を見る リュードはアランの行手を塞ぐように前に立ち、断るアランに無理やりワインを押し付けていた まさか、自分のために時間を稼いでいるのだろうか そうは思ったがリュードはケラケラと笑っておりとてもそんな風には見えない 気のせいだろうと思いながらも、この機を逃すまいとルイスは足早にノアの元に向かった 裏園に走ると、そこにはノアの姿があった 靴を脱ぎ、足を宙にぶらつかせながらガゼボに座るノアを見て、久しぶりだからだろうか 心臓がどくどくと脈打ち、その音がやけに大きく耳に響く 毎日会っていたとはいえたった1週間ほどだ これほどノアに会いたかったのかと、自分自身でも驚いてしまったのだ 「ノア…」 名前を呼ぶと、長いまつ毛を開けてルイスを見る その表情は驚きと、それから安堵のようなものが見えた 純粋なオメガ まるでルイスを心配していたかのような反応に頬が綻ぶ ルイスが裏で何を企み、ノアを無理にでも自分のものにしようと考えていることなんて、想像もできない馬鹿なオメガだ そんなオメガが、ルイスはとても愛らしいと思った 「君のお兄さん、ご令嬢たちに捕まってたよ。しばらくかかりそうだね」 「あ…そうですか…」 ルイスはさらりと嘘をつく リュードの名前を出すと警戒されるはずだ 簡単な嘘だったがノアは気づかないどころか、ルイスの言葉を信じきっていた 「足、痛いよね。ちょっと待ってね」 「え、あっ、ありがとう、ございます」 ノアの足を見ると靴擦れを起こしていることに気づく アランがガーゼを探していたのはこのためか、とルイスはリュードから受け取ったガーゼと消毒液で傷の処置をしてやった まるで騎士が乙女に忠誠を誓うような体制に、ノアは気恥ずかしげに顔を赤らめている 着飾った正装と、美しくアレンジされたノアの髪は、下から見ると月夜に煌めくように反射してとても綺麗だった このまま攫ってしまえば、ノアを自分のものにできるだろうに 思うことは簡単でも、それを実行する力はルイスにはなかった だがそうしてしまいたいと思えるほど、ノアが魅力的に見えてしまったのだ その後勘違いしたフリで酒を飲ませた うまく行くとは思わなかったが、ノアは一口飲んだだけですぐに違和感に気づいた よほど弱くない限り、この程度のアルコールでどうにかしようなんて難しい 無理に飲ませることもできたが、ルイスはそうしなかった ただそうしては、ノアに嫌われてしまうんじゃないかと躊躇ってしまったのだ 「あなたの気持ちには、応えられない…ごめんなさい」 程なくしてノアからそんな言葉を聞く もちろん断られることなど想定内だったが、いざ目前で言われるとひどく胸が苦しくなった 最初は興味本位で近づいたはずだったのに、今となってはノアの言動一つにここまで囚われることになるとは、想像すらしていなかった ただ、ノアに拒絶されたからと言って諦める訳にはいかなかった 友達に戻る、なんて生ぬるいことは言ってられない ノア、大丈夫 俺たちきっとうまくやれるよ 漠然とした自信に動かされ、ルイスは勢いでノアの手に自らの手を重ねた ノアはひどく困惑していた まるでルイスに裏切られたかのような表情に、自分ではわからぬ嫌悪感を抱く こんなに心配してやってるのに、なぜノアは共感してくれないのか やるせない気持ちがルイスの中に渦巻いて、自分を制御することができなくなっていた 「近い、です…」 「うん、そうだね」 嫌がっていることなんて見ればわかる それでもフェロモンで押さえつければ、ノアの抵抗は弱まっていった このままいけば、きっとノアと結ばれることができただろう だが憎たらしいことに、すんでのところで奴が帰ってきてしまったのだ 「こいつを離せ」 「…早かったですね」 物凄い勢いでルイスの手が捻りあげられる ギリギリと容赦ない痛みに顔を歪めながら、事の犯人を見やる そこには肩を上下させるアランの姿があり、ルイスは舌打ちしそうになるところをグッと堪えた やはり酔っ払いが相手では長時間引き止めるのは無理だったか 期待はしていなかったが、ここまで役に立たないとは思ってもいなかったのだ アランに気が逸れたうちに、ノアはルイスの腕から這い出る 足が痛むのか、それとも恐怖のためか、ノアは地面にペタリと座り込んでしまった 「痛いな、酷いではありませんか」 「次にその汚い手でこいつに触れてみろ。今度は切り落としてやる」 そんなノアを見て、アランの意識は一気にノアに向けられる ルイスに対して口は毒付いているのに、ノアを見つめる時は、ただ弟を心配する兄の目に様変わりしていた アランはルイスに興味が失せると、ノアを立ち上がらせ、その体を支えるために腰に手を回した 他意はないが、ルイスからしたらそれは見せつけるように見えてしまい、そしてそれを受け入れるノアに苛立ちを覚えた どうして自分ではなく、そんな奴に縋るのか 今のルイスには到底理解できなかった 「ノア」 「………」 「またね」 立ち去る2人に悔しさとやるせなさが残る中、ルイスは最後にノアを呼ぶ 戻ってきてくれるはず そう思っていたルイスに向けられたのは、笑顔の一つもない、ただ恐怖に怯えたノアの顔だった まるで怪物を見るようなあの目つき ルイスはあまりのショックに拳を握りしめた ノアに嫌われたかもしれない そんな思考が広がって、去って行く2人の姿を追いかけることができなかった せっかくのチャンスをそれを棒に振った自分に落胆すると同時に、邪魔をしてきたアランの存在に怒りを覚えた だがルイスにはどうしようもなかった ヴァロワに楯突いたところで敵わないことはわかっている それくらい家格に差があるのだ ルイスはやはり2人が去って行く後ろ姿を、見ていることしかできなかったのだ —————————————————— 涼しい風が前髪を掠め、くすぐったさにゆっくりと目を開けた 視界には薄暗く広い天井が写る 徐々に視線を動かして、ノアは現状どこにいるのかを理解した 「起きたか」 「…は、い」 ノアが横たわるベットの側にアランはいた 少し枯れ気味のノアに気遣って、水差しから水を注ぎノアに手渡した ノアはそれを受け取るが、すぐに口をつけることはなかった そんなことよりも、確認しなければならないことがあったのだ 「あの…誰かに、見られましたか」 「いや、注目はほとんど第二王子に。人目に着く前に転移したからな、大きな問題はない」 「そう、ですか」 ノアが1番恐れているのは、ヒートを起こしたと父に知られることだ 多数の生徒がノアのヒートを目にすれば、学園内に噂が回るのは一瞬だ そうすれば父の耳に入るのも時間の問題だろう だが、その様子を見られていない、あるいは少数の生徒にしか見られていないのであれば、なんとか誤魔化せるだろう ヒートは短くても4日は続く さらに初ヒートは1週間以上続くこともあるので、数時間そこらでけろりとした顔で戻れば、ただの噂で片付けられそうだ ノアは時計を見やる 記憶違いじゃなければ、ヒートを起こしてから2時間ほどしか経っていない 今のうちに戻れば、グレンにも怪しまれずに済むだろう そう思いノアはベットから起き上がろうとするが、アランがそれを制止した 「まだパーティが終わるまで時間がある。帰るのはそれからでも何ら問題はない。少し休んでいけ」 「ですが…」 「黙って言うことを聞いておけ」 アランはそう言ってノアをベッドに押し戻した その時、ノアの目にはアランの傷だらけの腕が見えた 噛みつかれた歯形と、皮膚を引っ掻くようにできた赤黒い爪痕 赤色が滲んだシャツを捲っているようで、その痛々しい惨状がまじまじと見えた 誰の仕業かなんて、思い出さずともわかることだった 「痛いですよね、それ」 「…気にするな」 そう言ってアランはサッと袖を戻す 傷口は見えなくなったが、白いシャツに滲んでいた赤を見て、ノアは一層複雑な気持ちになった アランに助けられた よりにもよってこの人に だがお礼をしないわけにもいかないので、ノアは小さくありがとうございます。と呟いた だがアランはその言葉に背を向けると、そそくさと部屋から出て行った 気まずすぎる それもそうだろう 記憶は曖昧だがおそらくとんでもない痴態を晒したはずだ まるで事後のようなこの空気感に耐えれそうになく、考えれば考えるほど、じりじりと顔に熱が溜まっていくのがわかった と1人悶えているとアランはすぐに部屋に戻ってきた 手には上等そうなタオルを持っており、徐にノアに手渡してきた 「目元が腫れている。グレンに勘付かれないように冷やしておいた方がいい」 「あ、ありがとうございます」 確かにノアの瞼は重い きっと散々泣き腫らした末に寝こけたせいで、今の顔はあまり良くないのだろう 泣いた痕跡があれば、後でグレンに怪しまれるので、大人しく冷やしておこう ノアは受け取ったタオルを目元に押し付けた しっとり冷たく、ふんわり柔らかい 不思議な感触であまりに心地よい これも魔法の一種なのだろうかとぼんやり思っていると、一連を見守っていたアランが重苦しく口を開いた 「お前に伝えなければいけない事がある」 「え、ま、まさか、借りを返せとまた何か要求する…とか?」 「違う」 雰囲気の変わり様に恐る恐る問うが、どうやらこれではないらしい ならば何が言いたいのかと首を傾げるノアに、アランは懐からシャカ、と鳴る小箱を取り出す ノアの抑制剤だった 「お前、これを1日何粒飲んでいる?」 「えっと、多い時は5、6粒、少なくとも2、3粒は飲んでます」 「いいか、これは1日1粒までだ。その量は明らかに飲み過ぎだ」 ノアの回答に、アランは明らかに困った表情を見せ、わかりやすく肩をすくめた 同時にノアも衝撃を受ける 自分はまるでビタミン剤のように思っていたものに、まさか制限があるなんて知らなかった 今更過去を思い返してみるが、1日1粒など比ではないくらい摂取していたはずだ 「俺が馬鹿だった…ノアが抑制剤を使ったことなんて無いと考えればわかるだろうに」 「あの、そこまでまずいことなんですか?」 ほぞを噛む思いに頭を抑えるアランを見ても、ノアはいまいち事の重大さがわかっていない 一度も使ったことがなく、僅かな知識の中にあった抑制剤は、どこまで扱いに注意が必要なものなのか ノアはそれすらも理解していなかった 「最近体に不調はないか」 「そうですね…疲れやすいとかですかね。あ、あと味覚に違和感を覚える時がありますけど」 「おそらく全て抑制剤を多量摂取した副作用だ」 「あ、そうなんですね」 アランの問いに、ノアはきょとんと答えるが、返ってアランはさらに肩を落とした 対してノアはまだ理解できずにいた ノアが落胆せど、アランがここまで肩を落とす理由がわからないのだ 「なんか、すみません」 「謝るな。俺が教えてやらなかったのが悪かった…すまない」 そう言ってアランはノアに向き直ると、抑制剤の正しい知識を事細かにノアに教えた 正しい摂取量は1日1粒。とくにこの抑制剤は強力な即効性なので通常より摂取量を抑えなければならない つまりは1日1粒でも多い方だというのに、関係なしに飲み続ければもちろん害を及ぼすものだと 最近のさまざまな不調は全てこれが原因らしい もしこのまま多量摂取を続ければ、薬が効きにくくなり、体の不調が酷くなる。とくに動悸が激しくなり疲れやすく、メンタル面に支障をきたす他、味覚嗅覚に異変が起きるのだとか さらにアランが警戒しているのは、子を成せなくなることだった。体に負担がかかればその分後遺症も残る。だからこそアランはここまで絶望したような反応を見せたわけだ 「通常なら、抑制剤を飲めばフェロモンを嗅いだだけではヒートは起こらない。ただ例外も存在する」 「例外…」 「特異的フェロモン親和反応…巷では運命と言われている」 「っ、運命…」 アランの説明をぼーっと聞いていたが、その話題になった途端にノアは明らかに顔を曇らせた 多量に摂取した抑制剤さえ押し除けるほどのフェロモン親和 薄々気づいていたが、アランの説明で確信となる ノアと、第二王子は運命の番である 抑制剤の知識がないノアでも、それくらい常識だ ノアにとってこの事実は、無理矢理にでも捻じ曲げたいほど受け入れ難いものだった よりにもよってあの人と。 王族には絶対に関わりたくないとあれほど嘆いていたはずなのに、その結果がこれとは、現実はあまりにも救いがない ノアの苦々しい顔を見て、アランは最後まで口にすることはなかく、ただノアを見つめていた 今下手なことを言えば、ノアに追い討ちをかけるようなものだと、アランは理解していた 「…記憶が曖昧だろう。薬は強かったが、それを上回るフェロモンの強さに脳が限界に達したんだ。あのまま放置していたら、お前は…いや、何でもない」 アランは最後まで言わなかったがつまり、第二王子との親和性はそれほど強力なものだった 次に同じ状況になったとすれば、抗いようもなくひれ伏すのみ。 ノアに打つ手はないと言っても過言ではないだろう アランの言葉はほとんど死刑宣告と大差なかった だがアランが淡々と抑制剤の説明してくれるおかげで、ノアもある程度気持ちの整理ができつつあった 「まずは生活習慣を直せ。睡眠、食事、運動、適度にやれ」 「…はい」 「抑制剤は間違っても何粒も飲むな。いいか?1日1粒だ」 「はい」 「それから…」 返事をするのみだったノアに、アランは一度言葉を詰まらせた その様子にノアは、はてと顔を上げる そこにはいつもの無表情を崩し、眉を少しだけ下げるアランの姿があった 見た事のない表情 さらにアランは絞り出すような静かな声で、まるで懇願するように言った 「それから、無理はするな。グレンに勘付かれないよう今は無茶をさせているが、本当はこのまま寝かせておきたいほどお前の体は限界だ…部屋に戻ったらまず休め。いいな」 あまりにも情けない声音に、ノアは一瞬、彼がアランということを理解できなかった アランが誰かにものをを頼む姿は珍しすぎて、衝撃に固まってしまう 命令とは少し違う、はっきりとこちらを心配した素振りで言うのだ 黙り込むノアを他所に、アランは言うだけ言うと逃げるように立ち上がろうとした そんな彼の裾を掴んでしまったのは、ほとんど無意識だった 「あ、あの…ありがとうございました。足も、ルイス先輩のことも…ヒートも」 「元はと言えばパーティに誘った俺の責任だ。礼なんて言うな」 ノアは口ごもりながらも、アランにこれまでの感謝を伝える 自分のことばかりでまだちゃんとお礼を言えていなかった たとえ嫌いな人だろうが、助けてもらったことに変わりはない そう思ってノアは正直に伝えるが、アランはそれをことごとく突っぱねた これまでのノアであれば、この態度に逆ギレして拗ねていただろうに、今はなんとなくアランの心境がわかってしまう やるせない後悔と、強い責任感 彼の言葉からはそういったものが窺えた どうせそのうち他人になるのに、ノアにそこまで気を遣って、なんて律儀な人だ これまでノアが嫌味だと思っていた言葉も、全て彼の生真面目さが原因だった そう思うと、ノアは腑に落ちるようにアランの言動を理解してしまった 冷たいように見える態度も、裏を返せば優しさそのものだ 弱々しい姿を見てしまっただからだろうか アランという人物像が、すでに形を変えつつあった 「そろそろ行くぞ。これ以上遅れては怪しまれる」 「あ、はい」 アランにそう言われて、ノアは慌てて身支度を始める そんな様子をアランは黙って見守っていた アランの転移魔法を使って、再びパーティ会場の裏園へこっそり戻った 数時間経ってやっと人がまばらになったようで、人の合間をなんなく潜って出口へと向かった その間ノアはドキドキしながら辺りを見渡してみたが、第二王子の姿はなくホッとする さすがに鉢合わせるのはまずいが、あの人は忙しい身である 学園に来るのは稀なので、このまま関わることなく過ごせるだろう そっと胸を撫でおろすノアだったが、対するアランは不安げな心境であった 運命の番は、お互いがお互いに惹かれ合う性質を持つ 嫌がるノアが珍しいだけで、親和反応は抗い難い本能そのものだ はたして第二王子は、運命の番を放ってくれるだろうか 最悪の場合、権力を行使してノアを手中に収めようとすることもありえる アランは第二王子と認識があり、そのようなことをする性格ではないことは知っているが、運命に狂わされた者に確証なんてできない ノアもそこらは理解しているはずだが、実際第二王子に会ったのは今日が初めてであり、さらに初ヒートであった ノアのいまいち状況把握が甘いのも仕方のないことだ だからこそ、アランは自身が警戒せねばいけないと、妙な使命感に駆られていたのだった グレンの元に戻ると、彼はしばし驚いたように駆け寄ってきた どうやら、ノアの目元が赤い事に気づいたらしい 部屋から出る前に存分に冷やしたと思ったが、さすがは執事、主人の少しの違いも見逃さないようだ グレンはノアの前にしゃがみ込み、顔色を窺うように覗き込んだ 何があったのか グレンがそう尋ねる前に、アランは重ねて口を開いた 「誤って酒を飲ませてしまった。戻ったらすぐにこいつを休ませてやれ」 「承知いたしました」 アランの言葉を聞いてグレンは素早く立ち上がると、ノアを先導するように肩に手をかけ歩き出す 「ノア様、どこか調子の悪いところはございませんか?」 「ない、けど…少し眠い」 「すぐにお休みの準備をいたします」 ノアの言葉にグレンはテキパキと返事をして、足早に、だが丁寧にノアを部屋に連れて行った 心配なのか、アランはその後ろを黙ってついて歩いた 部屋に着くとアランと別れ、グレンはすぐに寝支度を整える すでに沸いていた湯船にノアを入れると、グレンは流れるようにノアの頭に泡を立てて洗い出す こうやって洗ってもらうのは本当に小さな時以来だったので、最速ノアはギョッとしてグレンを見やる だが彼は何ともないように微笑むだけだった 「どこかお痒いところがありましたか?」 「…いや…」 あまりに平然と問われたため、ノアは首を傾げながらも何も言えなくなった 普段から風呂も1人で入っていたし、最近は身支度でさえノア1人でやっていた こうやって世話をされるのはどこか気恥ずかしく、温かい ノアは今日くらいは、とグレンに頭を預ける事にした そうすると後ろから嬉しそうにふっ、と息を漏らす音が聞こえたが、ノアはそれに反応できる余力は残っていなかった 「お身体に触れてもよろしいですか?」 「だ、だめ、自分でやる」 流石にそれはダメだろうと、ノアは慌ててグレンから離れる グレンのいつもの営業スマイルが少しばかり残念そうに眉を下げるが、こればっかりは勘弁してほしい 存分に体を温めて湯船から出ると、これまたグレンはいつもの倍の速さでノアに衣服を着せ、髪を乾かす あっという間にノアはベッドに寝転がっていた グレンは最後にノアの靴擦れを起こした足に、痕が残らないように薬を塗っていた ノアはついでと言うように起き上がる 「本読みたい」 「あいにくですが、ご観念を」 グレンは有無を言わせぬ速さでそう答えると、ノアをベッドに寝かせた ノアの拗ねた様子に少しばかり困ったように笑うと、お休みなさい。と部屋の明かりを小さくしてグレンは部屋を出て行った 人がいなくなると途端に眠気が襲ってくる 先ほど眠ったというのに、関係なしに眠くなるのだから、自分の体力の無さにほとほと呆れるものだ だが今日は酷いことばかり起きた日だった 考えるのは、明日にしよう。 ノアの意識は自然と暗闇に落ちて行った —————————————————— 「アラン様。お待たせいたしました」 「待っているとは言っていないが」 ノアを寝かしつけたグレンが部屋の扉を閉じると、側にいたアランに向き直る ノアを見届けた後、すぐに帰ったと思われたアランは、どうやらずっと外で待っていたらしい グレンは何でもお見通し、と言うように笑ってみせるが、見透かされたような感覚に、アランは不服そうな顔を見せた 「御用でしたら、なんなりと」 「…話がある。着いて来い」 アランが歩き出すと、グレンも足早にその後を追う いくつも歳が下であるはずのアランの背中は、グレンよりもスラリと高く、威厳がありなんともアルファらしい佇まいだ だが今日ばかりは、彼の背中は異様に小さく、不安気に見えた そんな彼の背中を、グレンはしかと目で慰める ノアのように赤子の頃からではないが、幼少期からアランの世話を任されていたグレンにとっては、アランも実子と言っても大差ない それこそ、ノアとは3歳の頃に別れてしまったので、暦で言えばアランとの関わりの方が断然長い よく怒ったり拗ねたり表情を見せるノアよりも、成熟し、表情が硬くなったアランの考え方が、手に取るようにわかるとは不思議なことだ とにかく、彼は今迷っている その難解な迷路に、グレンを引き込むかどうか悩んでいるのだ グレンとて馬鹿ではない ノアが何か隠していることは元より、アランと手を組んで何か企んでいることは火を見るより明らかだった ただグレンはあえて首を突っ込んだりしなかった そんなグレンの心境に、アランも気づいていたはずだろう これからアランに聞かされる内容は、だいたい予想はついている だがそれでもグレンは、ただ彼の後ろを黙って着いていくのみだった —————————————————— 「殿下、王子殿下、お待ちください」 自分を取り囲む大衆を退けて、急足で向かう 付き添いで来た側近の声も聞こえないくらい、周りが見えなくなっていた 先ほど目を合わせた少年、恐ろしいほど早い判断だった 僅かに目が合っただけで、状況を理解した少年は、野生動物のように一瞬で姿を消した 追いかけたい 捕まえたい 早る気持ちに赴くまま走り出したかったが、群がっていた生徒を退かすのに手間取り、あの子を見失ってしまった 「アーサー殿下、お待ちください。突然どうなさいました」 「ヴィオラ、ここにいた背の低い者だ。探せ」 「少し落ち着いて下さい、酷い顔ですよ」 少年を見失った場所を血眼で探していると、後から追いついた側近のヴィオラが呆れた顔でアーサーを呼び止める そんなことを気にしてられないアーサーはヴィオラに人を探すよう命令した だがヴィオラはその命令に従うことはなく、代わりにアーサーにハンカチを差し出す そこでようやっとアーサーは自分がひどく汗をかいていることに気づく だがヴィオラのハンカチを手に取るわけではなく、自分の腕袖で荒々しく汗を拭う 高級な衣服に汗が染みるのは些か見ていて耐えないが、アーサーがやると難なく様になってしまうので腹立たしい ヴィオラはアーサーに無理矢理ハンカチを手渡すと、彼に向き直った 「皆、困惑しております。とりあえず、この場から離れるべきかと」 言われて辺りを見渡す 突然取り乱したアーサーを見て、何事かと心配そうにこちらを窺う生徒たちが見えた 流石にアーサーもこの光景には気が引けた 確かにこの状況で獲物を追いかけるのは諦める他ない 「…気分が悪い。帰るぞ」 名残惜しそうに少年が消えた方向を見るが、ようやっと諦めがつくと思い足取りで出口を目指した 事の顛末を理解できない生徒たちは終始ザワザワと困惑の声を上げたが、ヴィオラの圧のある顔を見れば皆道を開けた 会場から去って、従者が用意した送迎の馬車を目指すが、その間もアーサーの意識は一つに集中していた 先ほど見た少年の隣には、見覚えのある顔が並んでいた気がする 視線は少年に釘付けでよくは覚えていないが、ぼんやりと見知った顔だということはわかっている 「この学園には、オメガが通っているのか」 「ええ、在籍しているのは1人しかいません。最近噂になってるヴァロワのオメガです」 「ヴァロワか、そうか」 それなら隣にいたのはアランで決まりだ そして目を見張っていたはずなのに、人混みに一瞬呑まれた途端に消えてしまったのは、アイツの得意な転移魔法だろう つまりは、意図的にアーサーから隠したと言うことだ まだ他の者は気づかれていないが、向こうの反応を見るに、アランは完全に勘付いている アーサーとあのオメガが、運命という事を アランがそれをどう捉えるかわからない だが挨拶もせずに去ったという事なら、素直にあの子をアーサーに引き渡すだろうか チャンスを逃せば、次いつあの子に会えるのか アーサーは馬車に向かっていた足をピタリと止める 「気が変わった。しばらくは学園に滞在する」 「冗談でしょう?」 「俺も生徒だ、なんらおかしい事ではない。ヴィオラ、俺の部屋はあるな?」 アーサーの言葉に、ヴィオラはまたも呆れたような顔をする だが一寸も譲る気のないアーサーを見て、深いため息を落とした 「ほどほどにして下さいよ」 ヴィオラはそれだけ言い残してその場から去る おそらくこれから諸々準備するのだろう ヴィオラは勘が鋭い 先ほどアーサーの身に何が起こり、これから何をしようとしているのか、彼女は既に気づいているはずだ 先ほど吐いた言葉は、今後に起こりうる面倒ごとを考慮してアーサーを咎めたのだろう だが彼女には悪いが、アーサーは大人しく学生をやるつもりはない あのオメガと、もう一度。 アーサーの頭の中は、それだけだった

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