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中夜

ザプン  体をさっと洗い、颯太は湯船に肩まで身を沈めた。優しい緑色の湯船は颯太の体を優しく温める。芯から温まっていく体とは反対に心はおかしいぐらいに冷めきっていた。 (父さんからの呼び出しってなんだ?僕、何かしたのかな)  普段の学校での行いも何か奇想天外な事をした記憶もない。ましてや何かの功績を働いたわけでもない。 「はぁぁ……わかんないよ……」  ふと口から洩れた独り言が湯気と一緒に浴室内に響く。心当たりがあるならばこの心の不明瞭な違和感も少しは軽くなれたのだろうか。  このまま一人で考えていても何か変わるわけではない。そして怒られると決まっているわけではない。和史はただ「部屋に来い」と言っただけだ。それ以外の事は言っていない。颯太は怒られない方に賭けて浴室を出た。 トントン 「颯太です」 「入りなさい」 「失礼します」  幼い時は突拍子もなく入ってきていた我が子が今は礼儀を重んじて威厳のある父にひれ伏すようになった。それはある種の成長か萎縮か。和史としては前者であってほしかった。 「それで、話というのは……」 「あぁ、そうだったな。すまないが|吉乃《よしの》、颯太と二人で話をしたい。席を外してくれないか。」 「かしこまりました」  そう言って吉乃さんはお茶をテーブルの上に置いて部屋を出た。 「早速だが、颯太。そろそろお前も結婚を視野に入れて行動しなくてはいけない年齢になった」 「はい」  この時、颯太の中では浴室の中で感じた不安よりも今から聞かされる内容の方がよっぽど怖かった。いつまでも財閥の一人息子、という立ち位置に居座っているわけにはいかなかった。 「そしてだな。近々立花家との見合いを設けようと思っている」 「はぁ、そう……ですか」 「その反応を見る限り、わかっていたようだな」 何も言えなくて俯く。父の言いたいことはわかっている。そして自分がそれを受け入れたくないという気持ちになっていることにも驚く。 「日付は1週間後の昼だ。準備しておきなさい」 「わかりました」 曜日と日付だけ言われて追い出されるようにして部屋から出された。 (いつまでも御影と一緒にいたいなあ) この時点で颯太は自分の感情に気付けないでいた。幼少期からずっと一緒に生活している御影を手放したくないとまで思っている。 御影は特別誰かのものではない。誰のものでもないし、彼も誰かのものになりたいと願ってはいない。そんな御影の意思を尊重するのも一人の人間としての矜持なのではないか。颯太はどこか腑に落ちない気持ちに悶えた。  父の部屋をつなぐ廊下に一人ポツンと佇む。待たせている御影に早く会わなければと思うが足取りは重くなる一方だ。 「遅かったな、颯太」 自室に戻ると御影はすでにいて、問題集をペラペラとめくっていた。だいぶ待たせてしまっていたようで、急いで椅子に座る。 「ごめん。父さんに呼び出されてた」 「いや、全然大丈夫。それより、何かあったのか?」 「ううん……何でもない」  御影に心配をかけないように。その思いが強くて。口からはすぐにでまかせが飛び出た。  どこか空っぽだ。幼い時はもっと素直に御影に話せていたことが、今となってはどうにもうまく伝えられない。ましてや、使用人という境界線を越えてまで話すことが今まで多すぎたのだ。これからは節度を守って会話をしよう。そう思うけれど。御影には知ってもらいたかった。もやもやが止まらないけれど、勉強をするために問題集を開いた。

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