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第1話:ヤリチン親父はやめておけ。俺にしろ。
高校と最寄り駅の間、通学路からは少し外れたところに、パティスリー兼カフェ「Louis Louis 」はある。
「ラズベリータルト一つ、ください」
キッチンが見える特等席に陣取って、俺はウェイターさんに注文した。
「セットでお飲み物はいかがですか?」
前髪を後ろになでつけた若いウェイターさんが言う。
俺はコーヒーが苦手だし、正直しょっちゅう来すぎてお小遣いが足りなくなりそうなので、水だけにした。
ウェイターさんが下がると、キッチンをのぞいてみる。今は他にお客さんがいないけれど、あまり不審にならないように気を付ける。
──やった~! 見えるぞ!。
俺はウキウキして顔がにやけてしまう。
ここのパティシエさんが、とっても綺麗な人なのだ。
塁さん、と言うらしい。
男の人なのだが、肩の長さくらいまでの金髪を後ろで縛り、丁寧に、でも手早い手つきで、何かを泡立てている。
うつむき加減の彫りの深い顔に、長くてバサバサの金色のまつ毛が、大きな紫色の瞳に影を落としている。
──やっぱり素敵だな……。
俺は、ゲイじゃないんだけれど、塁さんには性別を超えた美しさがあると思う。たまたま部活の帰りに通りがかって入って見たら、こんなきれいな人がいることにびっくりして、それ以来、しょっちゅう通ってしまっている。
「推し」みたいなものだろうか。
「ラズベリータルト、お待たせしました」
さっきのウェイターさんがカチャリとテーブルに置いた、見た目も色鮮やかなタルトを、さっそく口に運ぶ。
──う、うまい~~~っ!
サクッとしてて、ラズベリーが甘酸っぱくてもクリームが甘くって、口の中に幸せがあふれ出す。
──はぁー、最高じゃん?
ホクホクの笑顔で、引き続き塁さんを観察する。
「店長のこと見てるんですか」
「あ、はい」
後ろからかかった声に、つい正直に返事してしまった。
振り返ると、さっきのウェイターさんがいた。
──しまった、ちょっとストーカーみたいでまずかったかな。
ウェイターさんは、俺のテーブルにトレイを置き、向かいの席に座った。
「あいつヤリチンだからやめておいたほうがいいぜ、加納 」
──!?
突然苗字を呼ばれてぎょっとした。
ウェイターさんは、さっきまでの「いかにも訓練されたウェイターです」みたいな洗練された動きではなく、テーブルに肘をついて、ニヤリとして俺を見ている。
鋭い瞳が、こっちを見ている。この人はこの人で吸い込まれそうな大きくて真っ黒な瞳の、整った顔立ちのイケメンだ。しかしこんな知り合い、いただろうか。
「俺だよ。わかんない?」
そう言ってウェイターさんは、後ろになでつけていた髪の毛をぐしゃぐしゃっとしながら前に下ろし、胸ポケットから黒ぶちのメガネを出してかけた。
「……ふ、藤倉!?」
クラスメイトの藤倉 冬真 だった。
クラスメイトと言っても、しょっちゅうふざけていて怒られている俺とは違うグループに属していて、ほとんど話したことはなかった。
もしゃもしゃっとした頭にメガネをかけて、成績がいい奴らとよく一緒にいる。
今の藤倉は、学校での地味な雰囲気と違い、訓練されたウェイター、いやむしろバーテンダーみたいな「大人の男」のムードを醸し出している。
「ごめん、全然気づかなかった!」
「まあ、眼鏡かけてないしな」
もしゃっとした前髪を、少しだけかきあげて藤倉は言った。
「で、でもヤ…ヤリ……ちんって、なんだよ」
「チン」部分を口にするのが恥ずかしくて、かえって強調するような言い方になってしまった。
「あいつ、俺の母親以外にも、修行時代の師匠の娘とか、この店の客とか、食いまくりだぞ」
親指でキッチンのほうを指さして言う。
──ハ?
「……俺の? 母親?」
──どういうことだ? 塁さん、どう見ても二十代だよな?
「あいつ今35歳。それで俺がデキたのが、十七歳の時」
十七歳……今の俺や藤倉と変わらない……。俺なんかエッチなことどころか、彼女すらいたことがないのに……。
「そ、そんな……嘘だろ」
美しすぎる塁さんへのネガキャンに違いない。
藤倉は黙ってポケットから財布を出し、中から何か取り出して机の上に滑らせた。
「健康保険 被保険者証 氏名 藤倉 冬真 被保険者氏名 藤倉 塁」
──ホントに親子だったーーー!!
ここは、藤倉の家がやっているお店だったのか……。
「な?」
保険証を再び財布にしまいながら、藤倉が言った。
「……で、でも俺が塁さんのことを見てようと、藤倉には関係ないだろっ」
だいたいヤリチンとか言ってたけど、俺は見てるだけし……。
「いやいや関係ある」
藤倉は言った。
「つきあうなら俺にしておけ」
──ハ?
何言ってんだコイツ。
「俺は、親父のようなヤリチンじゃない。大切にする。結婚するまでセックスはしない」
──んん? 言っている意味がわからないぞ。だいたい男同士で「結婚」ってなんだよ。できないだろ。
「あの、念のため確認するんだけどさ、それ、一般論じゃなくて俺に言ってるんだよね?」
俺がキョどりながら聞くと、藤倉は、あきれたように俺を見つめて言った。
「当たり前だろ。そう、俺とつきあえ。俺はヤリチンじゃないから大丈夫だ」
──いやいやいやいやおかしいだろおかしいだろ。
「おおおお俺たちは男同士だぞっ! ……それから結婚てなんだよ」
「親父だって男だぞ」
そうだけど、塁さんの美しさは性別を超越しているんだーい!
「ちなみにここで言う結婚は、『概念』だ。同性パートナーシップ制度でもパックス婚でも、ともかく概念上『結婚している』という状態になれば『結婚』だ」
──意味わかんねーよ。
藤倉は重ねてきた。
「もし断ったら、おしおきとして、加納が俺の家の店に来て、父親をストーカーしていると明日の夕学活でクラスに言う」
「な、なんだよそれっ!」
おしおきとか意味がわかんないし、別にストーカーじゃないし!
しかし塁さんを見てデヘデヘしているのは事実だし、ここにクラスメイトがいっぱい来て、場を荒らされるものイヤだ。
「嫌なら俺にしろ」
──うううううう。
付き合うと言っても、俺は藤倉とあまり話したことはなく、好きも嫌いもない。
「で、でもさ、付き合うって言っても、俺藤倉のことよく知らないし、わかんないよ……」
「だから付き合うんじゃないか」
藤倉は、なんということもなさそうに言った。
ということは逆につきあってみて、合わなかったら普通に別れてもいいのか。
セックスはしない、と言っていたから、場合によっては普通の友達づきあいをすればいいのではないだろうか。
「どうする?」
藤倉が判断を迫って来た。
「わかった……」
しぶしぶ承諾すると、藤倉は、満面のニヤニヤ笑いをして、
「物分かりがよくて結構だな。よろしくな、朔太 !」
と下の名前で呼んできた。
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