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「お付き添いができず申し訳ございません、坊ちゃま。どうか、お気をつけていってらっしゃいませ」  人里離れた森の中。白馬の繋がれた馬車の前でこちらを振り返った金髪赤眼の少年へと、フィルは恭しく謝罪する。 「気にするな。久々に両親と会うのだろう。楽しんでくるといい」  整いすぎて冷たくも見える表情で言う彼――リース・ローズドベリーは、ここピーチップ王国の第四王子だ。生命の源であり、基本形であるエーナとして生を受けただけあって、弱冠十八歳という若さながらも気品と聡明さに満ち溢れている。 「お心遣い感謝いたします」  ペニンダ特有の長身を折り曲げて、フィルは深々と頭を下げた。灰がかった銀色の髪が、視界の隅でかすかに揺れる。  すぐそばで話を聞いていたリースの護衛――クラウスが勝ち気な笑みを浮かべて口を開いた。 「リース様を狙う不届き者がいれば、俺の剣が黙っちゃいないぜ。リース様の護衛は任せろ」  ペニンダの天職とも言われる剣士の中でも特に腕利きであるクラウスがそう言うのなら、安心だった。   身の回りの世話に関しては執事であるフィルの本分だが、護衛に関してはクラウスのほうが一枚上手だ。任せておいて間違いはない。 「頼みましたよ、クラウス」  歳で言えばこちらが一つ上の二十六歳だったが、職業柄敬語が染み付いているフィルは折り入った口調で告げた。  一拍を置いて、リースへと向き直る。 「ところで坊ちゃま。例の件ですが……」  声を潜めて言ったフィルに、リースは表情を変えないまま頷いた。 「ああ、心配は無用だ。必ず上手くやってみせる」  まっすぐと目を見ての宣言に、抱いていたわずかな不安が払拭された。落ち着いて頷き返し、フィルは表情を和らげる。 「健闘を祈っております」  告げたのと前後して、白馬が待ちくたびれたように後ろ足で砂利を蹴った。御者台に座る青年――柔らかな茶髪にそばかすがトレードマークのフランツが、焦ったように声をかける。 「どうどう、ロッキー。リース様を急かしちゃいけないよ」  フランツの言葉が効いたのか、振り返ったリースの鋭い視線に萎縮したのか、白馬のロッキーはすぐさま大人しくなった。 「それでは坊ちゃま、そろそろお時間ですので」  苦笑したフィルに向き直り、リースは何やら物言いたげに口ごもった。 「その、フィル……」 「はい」  相槌に、ピクリとリースの肩が跳ねる。常々はっきりと物を言う性格のリースにしては珍しい動揺っぷりだった。  訝しく思い首を傾げたフィルに、リースはもごもごと口を開く。 「もし、例の件が上手くいったらなんだが……今宵、ともに月を見てはくれないだろうか」 「……え?」  咄嗟に、フィルは目を見開いた。真っ赤な頬をして俯くリースを前に、しばし、その場で硬直する。  ――坊ちゃまとともに、月……。  意味を理解しかけたと同時、リースがぱっと顔を上げて、慌てたように付け足した。 「こ、今宵は数百年に一度の、赤い満月が見られるそうだ。だから、その……」 「光栄です、坊ちゃま。それでは今宵、満月を見に必ず坊ちゃまの寝室へ伺わせていただきます」  にこりと微笑んで言うと、一際リースの頬が赤くなった。隣に立つクラウスが、何やら察してニヤニヤと笑っている。  今宵、リースとともに満月を――。想像して、胸の奥が熱くなった。  えっへんというわざとらしい咳払いを聞いて、フィルは慌てて背筋を伸ばす。 「ではフィル、俺はもう行く。信じて待っていてくれ」 「もちろんです、坊ちゃま。お気をつけていってらっしゃいませ」  お辞儀したフィルを一瞥して、リースはクラウスと連れ立って馬車に乗り込んだ。 「よし、行くぞロッキー」  フランツの掛け声を合図に、馬車が走り出す。  最後にもう一度だけ視線を交わした後、リースは人目を避けるようにカーテンを下ろした。

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