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14「ミルフィーユ」5

* 「どうぞ。狭いから、ベッドに座っててくれる? あ、そうだ。レイさんがケーキくれたんだ。せっかくだし、食べながら話そう」  どんな話になるのかがわからなかったため、俺は元々一人で住んでいた部屋に彼を連れてきた。彼の話を聞いて、万が一「一緒にいるのは無理だ」と判断した場合には、ここに残ることにしようと思っている。  彼もそれをわかっているのだろう。追い詰められて後が無いという悲壮な表情を浮かべ、どんどん顔が蒼白になっている。いつまでも長引かせると彼は倒れてしまうかも知れないと思い、さっさと話をしてしまおうとした。 「大和さん、あのさ、まず一番疑問なのは、レイさんと大和さんの関係なんだよね。俺に関することでレイさんに協力してもらっていたことがあるんでしょう? それに、二人は店員と客っていう感じでも無かったよね。そのあたりをまずは聞かせてくれない?」  大和さんは俺のベッドに腰掛けている。その美しい顔と身なりは、この狭小な部屋には恐ろしく不釣り合いで、貴族が使用人の部屋に遊びに来ているようだった。  だからというわけでは無いだろうけれど、彼は居心地悪そうに視線を彷徨わせ、なんと答えるべきなのかを思案しているようだ。 「レイは……」  大和さんの口からは、カサカサに乾いてしまった音が飛び出してきた。俺はレイさんから預かったコーヒーを手渡して、背中を軽く打った。 「ほら、しっかりして」 「ごめん、ありがとう。……レイはね、あいつは大学の同期なんだ。大学の時は女装子でも無かったし、ゲイだということも隠してた。だから俺とも普通に友人関係を築いてたんだ」  レイさんが渡してくれたコーヒーを啜りながら、大和さんは目を細めた。この先の話は、多分俺たちにはありがちな内容だろう。 「でも、そう思ってたのは大和さんだけで、レイさんは大和さんの事が好きだったとか?」  俺の問いかけに視線だけをこちらへ向けると、無言のまままた目を逸らした。そして、小さく頷く。 「卒業するときに告白されて、俺にはその気がなかったから断った。そうなるとどんどん疎遠になって行くだろう? でも、就職してしばらくしてから、先輩と飲みに行った店がactの前身の店で、そこでバッタリ再会したんだ。その頃にはあいつもマスターと一緒に暮らしてて、俺とは完全に友人としての関係が確立した。でも今は仕事上のパートナーってところだな。マスターが亡くなってからは、俺と共同経営だから」  言葉もいつもより少しだけ荒くなっていて、本当に俺が見ていた大和さんは作り物だったんだなということが、じわじわと伝わってくる。そのことに多少の寂しさは感じていた。でも、それはきっとこの関係を保つ上では瑣末なことだろう。 ——そもそも、彼がどうヤバいかは、既に知ってるんだから。 「で、その友人でありパートナーであるレイさんに、何を協力してもらってたんですか?」  二人分のケーキを入れるにしては大きなケーキボックスを開けてみると、中にはカットされたミルフィーユが入っていた。一つはイチゴとカスタードクリームのもの、もう一つはアーモンドクリームとレーズンのものだった。 「本当に、俺のことを考えてくれてるんだな」  その中身を見た瞬間に、この二つを選んだレイさんの笑顔が思い浮かぶようだった。これはあの人しかしない選択だろうなと思い、思わずくすりと笑った。 「渚……? どうかした?」 「これ見てください。この組み合わせだと、俺が食べるのはどっちだと思います?」  大和さんは箱に印字されている店名を確認すると、「これ、俺の顧客の店だな」と呟いた。そして、アーモンドクリームのミルフィーユを指さすと、「こっちだろ? いちごは嫌いだったよな」と言った。 「そうです。多分、俺の見た目のイメージで選ぶ人たちは、イチゴを選ぶんですよ。でも、俺はいちごだけは二度と食べられない。ゲイだとバレた日に、母さんと食べるはずだったデザートがイチゴのミルフィーユでした。今も見るだけで泣きそうになるんですよ」  何層にも重なった小麦粉とバターの集合体に、カスタードクリームと苺、僅かに生クリームが使われるくらいのような、シンプルな食べ物だ。  でも、食べにくさではケーキとしてはダントツで、上手に食べられないことが多い。それでもなかなかの人気を誇るスイーツであるはずのこれを見て、号泣するのは俺くらいだろう。 「見るたびに、俺は生まれてこなければ良かったんじゃ無いかって思わされるんですよ。この店のウリはこれなのに。だから、こっちは大和さんが食べてくださいね。俺はアーモンド貰いますから」 「わかった。ありがと……」 「で、どうしてそれを知ってるんですか?」 「え……?」  デザート用の小さなフォークにダウンライトの光を反射させると、暖色光が一瞬だけギラリと鋭い一面を覗かせた。それを大和さんに見せつけると、艶出し用のジャムの塗られたイチゴをブスリと刺す。  そしてそれをゆっくりと持ち上げて、大和さんの目の前に突きつける。 「この話をあなたが知っているのは、おかしいんですよ」  俺はこの話はレイさん以外にはしていない。色んな人に話せるほど、この出来事を消化しきれていない。そして、これほどデリケートな話を、レイさんが好んで他人に話すとは思えなかった。たとえそれが、昔好きだった友人だとしても、それは無いと思った。  そうなると、誰かがこれを盗み聞きしていた可能性が高くなる。 「渚……」  俺が大和さんをそういう目で見ていることがはっきりわかったのだろう。絶望の潜む光が、目の中に浮かんでいる。 「このことは、レイさんには話しましたけどね。ここまでデリケートな話を、あの人が好き好んで人に話すとは思えないんです。そうなると、あなたが調べ上げたと考えるのが自然でしょう? でも、出所が俺かレイさんしか無いのに、どうやって調べたんだろうって思ってたんですよね。結局そういうことなんでしょう? あなたが恐ろしい理由。違いますか?」  大和さんは俯いてしまった。つまり、盗聴の類をやっていたことを認めるのだろう。でも、俺はそのこと自体はなんとも思っていない。  親子関係が拗れたことにより捻くれた俺には、病的な束縛くらいが丁度いいのだろう。この事実に思い至ってから、俺はむしろ喜んでいる。 「大和さん、答えてください。そして、ちゃんと俺の顔を見てよ。あなたが思っているような絶望はないんだよ。むしろ、俺が嫌われそうで怖いんだけどね」 「……え? それはどういう……」  美しい顔を弱気な心に歪められていた大和さんが、徐に顔を上げる。その目の前に、盗聴器や追跡の痕跡、動画アプリの改ざん履歴等の犯罪行為にあたる証拠をばら撒いた。 「……すごいでしょ? 俺ね、趣味ハッキングなの。誰かの好きとか嫌いとか信じられないから、相手の身辺を徹底的に調べ上げるんだ。つまり、俺たちお互いに同じことをしてたみたいよ。まあ、俺がそれを知ったのは二週間前だけどね」 「自分で調べ上げたってこと? じゃあ、GPSを仕込まれてたのも、盗聴されてたのも、セフレたちを買収してたのも……」 「うん、もう知ってる。知った時は驚いたけどね。ただ、どういう関係なのかとかは知らなかったよ。大和さんしか盗聴してないから。関係ない人のプライバシーを侵害しようと思わないからね。でも、ケイタのことだけはわからないんだ。この二週間でケイタと連絡を取ったのは、あの時だけでしょう? 調べればわかると思うけど、もう教えてよ」  大和さんは俺が見せたメールの解析結果やアプリの改ざん履歴を見て、長くて大きなため息をついた。ガックリと項垂れたかと思えば、突然大声で笑い始めてしまう。 「わかった。白状するよ」 「よし、じゃあ食べながらね。はい、あーん」  フォークの先に滴る水分が、まるで血のように赤く染まっていた。それが彼の美しい顔を汚さないようにと、口の中へイチゴを押し込んだ。 「俺のことを好きになりすぎて、たくさん知ろうとしたんだよね? それで、いっぱい悪いことをして、ケイタには何をさせてたの?」  クリームとジャムに塗れたイチゴをむぐむぐと噛む大和さんは、とても可愛らしい。少し涙を浮かべているのは、舌の根本を押したからだろうか。 「ほら、かわいそうなネコを拾ったんでしょ? 可愛がるために、何をさせてたの?」  口元のクリームを舐め取ってあげると、顔を真っ赤にした大和さんは叫ぶように言った。 「か、監視だよ! 俺が日本に帰れない間に、渚が誰かと付き合わないように、ケイタに、見張っておいてくれって……」 「見張る? 本当に? それだけじゃないよね。俺、ずっと気になってたんだよ。どうして大和さんが俺にすることが、全部異常なほどに気持ちがいいのかってこと。ケイタに何させてたの。言ってよ」  その言葉を聞いて、大和さんはポロポロと涙を流し始めた。どうやら、彼はそのことを激しく後悔しているようだ。 「相性がいいんだと思って喜んでたんだけど、違うよね? あなたはケイタに俺を抱かせて、報告させてたんじゃないの? ……録画したデータを見ながら、とか?」 「っ……!」 「……そうなの?」  綺麗な顔が歪んでいく。ギュッと握りしめたスラックスの生地は、あのままじゃきっとよれて戻らなくなってしまうだろう。俺は大和さんの手にそっと手を重ねた。そして、出来るだけ優しい声になるように心がけて話し続けた。 「いいんだよ。どうしても手に入れたかったんでしょう? 俺が良かったんでしょう? 俺はもうあなたじゃないとダメだから。そんなことくらいじゃ、折れないよ。あんなに好きだったケイタが、実は指示された通りに俺を抱いてただけだって驚いたけどさ。俺のあの恋心を返せよって、ちょっと思ったけど……。びっくりするくらいにすぐ消えたよ」  いつの間にか、俺の頬を涙が伝っていた。ケイタのことを好きだったのは、本当だ。それが計算された行動にまんまとノった結果だったと思うと、それは辛いに決まっている。そう考えると、どうしても涙が溢れた。 「ケイタが俺を捨てた前の週に、俺に『好きだよ』って言ったんだ。それを聞いて、あなたはケイタとの契約を終わらせた。結婚するっていうのは嘘で、そう言えってあなたが言っただけなんでしょう? 俺とも離れないといけなかったから、フリーなんだよね?」 「……そうだね」 「じゃあ、あの場に呼んじゃダメじゃないの。レイさんのいう通りだよ。なんで呼んだの?」  俺がそう問うと、大和さんは俺を抱きしめた。その腕にギュッと力を込めて、涙で言葉が遮られるのを必死に耐えている。ふるふると震える体と、抱えきれない感情の波を、息に込めて必死に逃がしていた。 「俺のものだって言いたかった」 「……ケイタに?」  抱きしめて隙間なく触れ合いながら、大和さんは被りを振った。それは否定じゃなくて、甘えの現れだ。俺の鎖骨にあたる彼の額が動くたびに、ゴリゴリと鈍い痛みが走る。 「そう。だって、ケイタと渚は両思いになっただろう? 俺だけが好きな今の関係じゃ、いつか……」  俺はカチンときて、その口を塞いだ。 「んっ……」  思い切り吸い上げて、息もできなくなるほどに食らいついた。  許せなかったんだ。  俺の好みを調べ上げ、それをさせたケイタを好きにならせておいて、突然その彼を奪われた。  そして、その後釜に据えた自分を喜ばず、いつまでも自信無さげに嘆いていることが、許せなかった。 「ふざけんなよ。俺にここまで好きにならせておいて、被害者ぶってんじゃないよ。死ぬほど愛してよ。俺がよそ見しないように全力を尽くせばいいだろ。綺麗に食べようとするからいけないんだよ。汚くてもいいから、ちゃんと全部食べて」  そう言って、アーモンドクリームのミルフィーユを手で掴み、そのままザクっと半分まで噛みちぎってしまう。  バラバラとこぼれ落ちる折パイ生地が、まるで涙のように落ちていく。そのままザクザクと噛みちぎるように食べすすめ、全てを食べてしまった。 「食べ方なんて、そのうち俺たちの形が出来るようになるんだよ。みっともなくてもいいから、全部食べて」  大和さんは、盗聴器の一つを持ち上げて、俺の目の前に突きつけた。そして、カラカラに乾いた声でまた小さく戦慄いた。 「……こんなものを使うのに? まだ好きでいてくれるの?」  俺は目の前のそれを、彼の手ごと叩き落とした。そして、彼をベッドの上に押し倒すと、ゆっくりと優しいキスを送った。 「よそ見しないならね。俺のことは死ぬまで見張っておけばいいよ。穴が開くほど……っていうか、穴を穿つほど?」 「ふはっ……! 下品だな、渚」  そう言って、涙を浮かべたまま笑う大和さんにしがみついた。二つの鼓動をシンクロするほどに合わせていく。 「こうしてれば、何も怖くないし、すごく満たされていくよ。だから、ずっとこうしてて」  目から熱い雫が溢れていく。大和さんは、それを拭うと、あの日と同じ言葉をくれた。 「もちろんだよ、……渚」

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