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第2話

「…………って、聞いてんの?」  拓也のやや不機嫌な声が聞こえてきた。 「聞いてる、聞いてる」  ローテーブルに肘をつき、ノートパソコンの画面をぼんやりと眺めながら空返事をする。  ゲイだと話した直後、中村は席を外してしまった。しばらくして戻って来た彼は、つい1時間ほど前にここへ到着した時と同じように、にこやかな笑みを浮かべていた。そのまま友人達とゲーム談義に花を咲かせる姿はまるでループ映像を見ているようだった。時折、俺が口を挟んでも愛想良く相槌も打ってくれた。ただ、その瞳が俺を映すことはなかった。  宴は終始和やかな雰囲気だった。3時間ほどでお開きとなり、店を出るとその場で解散となった。中村とは結局最後の最後まで目が合うことはなく、渡辺とともに早々に去ってしまった。  こちらが少しでも彼から注意を逸らしていたら、きっと気づくこともなかっただろう。それほどに、男は実に自然な仕草で俺を避けていた。  ふと視線を上げると、ソファーに座った拓也が冷ややかな眼差しでこちらを見下ろしていた。  ここは拓也の自宅で、今は企画の打ち合わせ中。そして目の前にいるのは仮にも依頼主だ。わかってんのか。  そんな無言の圧力をひしひしと感じ取り、カーペットに床座していた自分はゆっくりと居住まいを正す。 「……すみませんでした」 「だから……、もっと気軽に見てもらえる動画を増やそうと思ってさ。総集編とかじゃなくて、どっちかっていうと見所をピックアップしたやつ」 「見所、ね。それは、えーっと対ゲーマーに向けて?」 「いや。一般人向け。思ってたよりゲームをしてない人も見てるっぽいんだよね、実況動画。コメントもくれたりしてるし」 「今や音楽、映画、テレビに並ぶ立派なコンテンツだもんなぁ。でもゲームをしない人間をターゲットにするってことは、タイトルによっては難しくないか。面白さに重きを置くってことだろ」 「ちょうど来月からいつものメンバーでサバイバルゲームを始める予定なんだよ。男7人で無人島からイカダで脱出するってやつ」 「ほぉ、なるほど。……って、それってもしかして、中村さんも一緒する?」  私情丸出しの問いかけに、拓也はあからさまに眉を寄せた。 「お前……まさかとは思ってたけど、誠さんのこと狙ってんの?」 「狙うだろ。あんなどタイプな人、この先の人生で二度と出会えないもん」 「もんってお前、マジかよ……」  眉間にさらに深い皺が刻まれる。 「何。なんかマズいの?」 「マズいっていうか……ノンケってのもあるし、この間の飲み会でも言ってたけど、『その気』がないんだよ。誠さんには」 「あぁ、そんな感じだったな」  それの何が問題なのかと暗に問いかける。相手は逡巡するように視線を彷徨わせ、再びこちらを見た。 「前に一度だけ聞いたことがあるんだよ。頑なに独りがいいって言い張ってたから、もしかして俺と同じなのかなって思って」  拓也は恋愛感情を持たないタイプの人だ。恋愛というものがよくわからないという指向は人からなかなか理解されにくく、草食系だと勘違いされるのが常だった。「相手がいないなら誰か紹介しようか」とお節介を焼かれるのも面倒で、自身をネトゲ廃人だと揶揄することでカモフラージュしていた。  そんな中、色恋の話になると消極的な中村の姿を見て、同じ指向を持っているのではないかと思ったらしい。 「そしたら、若い頃に付き合ってた女性と色々とあったらしくて、それに懲りて独りでいるんだって」 「何それ。どういうこと?」 「詳しいことは話してくれなかった。話したくもないって感じだったから、相当揉めたりしたのかもよ。未だに引きずってるくらいだしさ」 「ふーん……。でも過去の話だろ。俺としては脈があるのか、ないのか。そっちの方が重要だしな」  ゲイを毛嫌いしているなら諦めるしかないけど、中村からはそういった空気を感じない。避けられていることには何か別の理由があるような気がしてならないのだ。 「よく言うよ。お前だって過去引きずってるじゃん」 「…………引きずって『た』、な。それこそ過去の話だっての」  語気を強めて言い返せば、鼻で嗤われてしまった。  もう2年も前の話だ。フリーランスでようやく独り立ちできた頃、当時付き合っていた10歳年上の相手にプロポーズをして断られた。  パートナー探しで利用していたマッチングアプリを通じて会社員の彼と出会った。フリーに転身したばかりでがむしゃらに働く自分を励まし、支えてくれた彼こそが運命の相手だと本気で思った。2年の交際期間を経て、相手の誕生日に一大決心をした。 『これから先もずっと隣にいて欲しいんです。一緒に暮らしましょう』 『……気持ちは嬉しいよ。けど、将来のことは考えられない。翔太とは今の関係がちょうどいいかなって思ってる』  今思えば、勢いだけでプロポーズまで突っ走っていた。困ったように薄ら笑みを浮かべていた彼もそれを見透かしていたにちがいない。断られたことに悲しみよりも羞恥心が勝ったのも、きっとそういうことなんだろう。 「ほら、引きずってる」 「うるせぇ。もう終わった話だって言ってるだろ。俺は新しい恋を始めるんだよ、これから」 「ハイ、ハイ。やりたいようにすればいいけどさ。連絡先も聞いてないんだろ?」  どうやって始めるつもりなのかと視線を寄越しくるので、そんなの決まってるじゃないかと期待に満ちた眼差しでもって見つめ返す。 「お前……」 「頼む! 食事の席を用意していただけませんでしょうか!」  正座し、カーペットに手を付くと恭しくひれ伏した。 「どうかっ、この通り!」 「……まぁ、そうなるか」  仕方がない。そんな声が聞こえてきそうな溜め息だった。顔を上げれば、腕を組んでこちらを見下ろす彼が眉をハの字に垂らしていた。 「連絡はしておくけど、すぐにどうこうっていうのは難しいと思うぞ」  持つべきものは友だ。飛び上がり、両手を広げて突進したら足で腹を押し返されてしまった。 「いいって、そういうのは。それにしてもお前、本当年上が好きだな」 「たまたまだって。好きになった人がみんな年上だったってだけで」 「それを世間では『好みのタイプ』って言うんじゃないのかよ」 「ちなみに、中村さんっていくつ?」 「40。今年で41だったはず」 「12歳差かぁ……。俺史上最高だな。燃えるぜ」 「燃えるなよ。マジで不思議なんだけど、お前のその自信はどっから湧いてくんの?」 「いやぁ、だってさ~中村さんのあの哀愁漂う妖艶な微笑み……手の平で転がされたら堪んないよ、あれは」 「お前の性癖は聞いてねぇよ」 「あぁーっ、転がされたいっ」  声に出して発散すると、大の字を描くように寝転がった。  職場では運営責任者としてその責務を全うする一方、2人きりになると途端に甘えてきたりして。そんな彼とじゃれ合っていい雰囲気になってきたところで、「それ以上はダメだよ」なんておあずけを食らってみたりして。  想像するだけでも堪らない。そっと目を閉じようとしたのを、荒っぽく足を蹴られて阻まれた。 「オイっ、いい加減にしろ。さっさと終わらせるぞ」  起きろと言わんばかりにつま先で突かれる。視線を遣ると、顎をしゃくって俺のノートパソコンを示した。画面上には開きっぱなしのウインドウが表示されている。  「ふぁーい」と間延びした返事をしながら、渋々体を起こした。    打ち合わせを済ませ、中村との食事会について再度念を押してからマンションを後にした。  突き刺さるような冷たい風が吹き荒ぶ。少しでも肌の露出を減らそうとネックウォーマーを引っ張って口元を隠した。最寄り駅へと向かう足取りも早くなる。  街を彩っていた正月飾りもすっかり見なくなってしまった。日常が舞い戻ってきた街並みへと視線を巡らせる。  ふと駅の斜向かいに立つ商業ビルへと目が行った。1階に、贔屓にしているコーヒーチェーン店の看板が見える。いつの間に店舗を構えたのだろう。期間限定の新メニューが発売されたばかりであることを思い出し、少しばかり寄り道することにした。  外観も内観も、どこもかしこも真新しい。素敵な笑顔で迎えてくれた店員さんの初々しい接客に、こちらもつられて微笑んでしまう。受け渡し専用のカウンターへと促され、そこで初めて奥に本棚が並んでいることに気づいた。視線を上げれば大手書店名が天吊りされている。どうやら本屋が併設しているらしい。  商品を受け取り、店の隅、書店との境目の席につく。  本屋なんて学生の時以来、来たことがない。働き出してからはその存在すらも頭から抜け落ちていた。けれど現金なもので、中村が関係していると思うと視線が吸い寄せられてしまう。今後の会話のネタに、店内を見て回ろうか。  ワンチャン、中村の職場だったりしないかな。  ドラマのような展開を妄想しながら、ストローを啜る。書店の奥へと目を向ければ、レジカウンターが見えた。 「ンぐッ……!」  フローズンミルクを噴き出してしまいそうになるのを、すんでのところで堪える。それなりに距離もあるため、見間違えかもしれない。目を凝らして改めてカウンターを見つめる。 「…………嘘だろ…………」  グレーのシャツに黒のスーツベスト姿はまるでホテルマンのようだった。清潔感に溢れ、上品な出で立ちでありながら、どこか色っぽい。スーツベストが際立たせているのか、腰回りがやたらに細く見える。  エロい。違う、そうじゃなくて。  心の内で盛大にツッコミを入れて、目の前の現実を三度確認する。  間違いない。中村だ。  運命、としか言いようがない。こんなにも運命的な出会いがあっていいのだろうか。偶然入った店で一目惚れした相手と再会。男女の恋物語であれば、恋が始まる予感しかない。  そう、男女であれば。  視線の熱が徐々に冷めていくと、彼の様子がおかしいことに気づく。隣にいる女性店員と話すその顔つきは硬い。そこへ男性店員もやって来て、中村に何やら耳打ちしている。どことなく不穏な空気が漂っている。  彼らはある方向をチラチラと見遣っては様子を窺っているようだった。ここからだと本棚に隠れてしまって見えない。中村達に視線を貼り付けたまま、手探りでストローを口元へと持っていく。どこからともなく警備員まで現れて中村と言葉を交わす。そのまま巡回するように店内を歩き始めた。  何やら雲行きが怪しい。1ミリも関係ないというのに、じっと座っていられなくなってしまった。  カップを片手に席を立つ。平日の、これから帰宅ラッシュがやって来る。それでも書店内は駅前という立地もあってか老若男女問わずそこそこの客がいた。  そんな人達に紛れつつ、店内をゆっくりと歩きながら本棚越しにレジカウンターを覗き見る。すると中村がカウンターを出て書店側の出入り口へと向かって行った。後を追いかけると、店先で先ほどの警備員がスーツ姿の中年男性と何やら話し込んでいる。小柄ながら恰幅の良い男は、肩から提げたブリーフケースを警備員から守るようにして抱え込んでいる。  もしかして、万引き犯だったりするのだろうか。そこへ中村が到着し、一言二言声をかけたところ、男は突然2人を振り切って走り出した。警備員が慌てて後を追う。  俺もまた、条件反射のように駆け出した。中村の傍を走り抜け、警備員を追い抜くと数メートル先にいた相手の前に回り込む。 「すみませーん」 「何だっ。どけッ!」 「ちょっ、そんなに急いでどうしたんですか?」 「うるさいっ。邪魔だ!」 「まぁ、まぁ。そう言わず。ほら、話も終わってないみたいですし」  右へ左へすり抜けようとする男の前に立ちはだかり、適当なことを言ってのけている間に警備員が追いついた。その後ろには中村もいた。  俺の顔を見て、彼が目を丸くする。そんな些細な反応でも心は弾み、はにかみながら会釈した。相手は表情を崩すことなく目礼すると、中年男性の前に立った。 「すみませんが、事務所までお越しいただけますか?」  男3人に囲まれ、さすがに逃げる気力も削がれたようだ。舌打ちした上、盛大に溜め息を撒き散らしながらも「わかったよ」と呟いた。  マウスをクリックしてファイルが問題なく送信されたことを確認すると、大きく背伸びをした。足先から手の先まで、座ったまま思いっきり伸ばす。硬くなった筋肉が解れ、全身に血が通っていくのを感じる。卓上の時計に目をやれば、そろそろ午前2時を迎えようとしていた。 「あぁー…………」  しわがれた声に流行りのダンスナンバーが重なる。世界的にヒットしているだけあって中毒性があり、耳に入れば自然と体が揺れてしまう。  リズムに合わせて首を縦に振りながらスマートフォンを手にした。何通か届いているメッセージの中に拓也の名前を見つけた。「もしや」と思い、すぐさまタップする。 『お前、何した?』  相手の言いたいことがその言葉に凝縮されていた。にんまりと唇に弧を描く。  ほんの数時間前に「食事の席を用意して欲しい」と懇願していたのだ。怪しまれても致し方ない。 『何もしてないよ。ちょっとイロイロと偶然が重なっただけ』  もったいぶってそう返せば、5分と待たずにメッセージが届いた。 『また詳しく話聞かせろ。とりあえず、誠さんからお前の連絡先を教えて欲しいって言われてるけど、このIDでいい?』 『ありがと。頼むわ』  スマートフォンをデスクに置いて、どかりと背もたれに体を預ける。流しっぱなしのプレイリストからは、まるで空気を読んだかのように甘酸っぱいラブソングが流れてきた。爽やかなメロディーに乗せて女性ボーカリストが「運命」というフレーズを口にした。 「……運命、かぁ……。いやぁ、本当に運命だよなぁ……これは間違いなく」  こんなにも偶然が重なり、そして好転することがあっていいのか。今日で人生の運を全て使い果たしたかもしれない。真っ白な天井を見上げながら、中村との別れ際を思い返す。  警備員と中年男性が店へと引き返していく中、彼は傍へとやって来てそっと告げた。 『ありがとう。助かったよ。また後日、改めてお礼させてね』  踵を返して去って行くその後ろ姿を見送った後、人目も憚らず声を上げてガッツポーズをした。 「こんな展開があっていいのか……。連絡先はゲットできるし、おまけに2人でご飯にも行けるし」  我ながら気が早すぎるとは思う。けれど、頭の中ではもうシナリオができあがりつつあった。  こういった場合の「お礼」で一般的なものと言えば食事会だ。持ち前の甘えん坊根性で「以前から気になっている店がある」という体で切り出せば、相手も了承してくれるにちがいない。個室は必須だけど、変に気負わないよう明るい雰囲気の所がいい。あくまでも食事がメインでカジュアルな店。顔見知りの男2人が気軽に立ち入ることのできるような、そんな店はあるだろうか。 「……どっかイイとこないかなぁ……」  パソコンへと向き直り、AIチャットサービスを立ち上げる。思いついたそれらの条件を打ち込んでいき、ピックアップされた店を一つひとつさらに調べ上げる。最終的に候補を2店舗まで絞り込んだ頃には空も白み始めていた。

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