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第3話

 待ち合わせ場所は駅の西口出口。出口全体が見渡せる、少し離れた場所で相手を待っていた。  20時を回り、駅前は家路につく人達が足早に行き交っていた。その中には自分と同じように待ち合わせている人の姿もぽつりぽつりと見受けられる。ダウンパーカーに両手を突っ込み、駅から出てくる人の顔を一人ひとり確認していく。 「…………ぁっ」  中村の姿を見つけると、自然と背筋が伸びた。以前、居酒屋で会った時と同じ、黒のコートにグレーのマフラーを巻いている。ソワソワと周りを見回し、俺の姿が見当たらないことに焦って、辺りを見渡すように首を伸ばした。こちらに顔が向いたので右手を挙げて大きく振ってみると、遠くからでもわかるほど、相手の肩から力が抜けていった。  小走りでやって来る彼を、惚れ惚れしながら眺める。 「申し訳ない。遅くなって」  つむじが見えるほど深々と頭を下げられてしまい、慌ててその顔を覗き込む。 「いやいやいやいやっ、顔上げて下さい。俺は全然。そこのカフェでのんびりしてたんで」 『仕事が押して、今、店を出たところなんだ。30分くらい遅れると思う』  そんなメッセージを受け取った時、自分はすぐ近くのカフェで時間を潰していた。この日を待ちわびて30分以上も前に到着してしまったのだが、そこからさらに30分かけて一杯のホットコーヒーを堪能した。 「それより、仕事の方は大丈夫でしたか?」 「あぁ。それはなんとか……」 「だったら、良かったです」  眦を下げて笑みを浮かべても、中村の顔つきは曇ったままだ。 「とりあえず、行こうか。お店への連絡もお願いしてしまって、本当に申し訳ない」 「全然っスよ。店員さんも『気をつけてお越し下さ~い』って言ってくれてましたし」 「そう……。お礼がしたいってこっちから誘ったのに、本当」 「そんなに気にしないで下さい。大丈夫ですよ。俺、今日は腹いっぱい食べさせてもらう気満々で来たんで」  したり顔でニカっと笑ってみせれば、ようやく彼の表情も綻んだ。 「……そうだね。今日は好きなだけ食べてくれていいから」 「ありがとうございますっ」  声を弾ませれば、相手も釣られるようにして笑みを零した。  ――よし。感触は悪くない。  もっとよそよそしい雰囲気になってしまうかと思ったが、予期せぬアクシデントのおかげで良い感じに和んだのではないだろうか。足取りも軽く、駅前の大通り沿いを10分ほど歩き、目的地へと到着した。  2階建ての小洒落たレストラン。1階はカウンター席のみで、ガラス張りの入り口からは満席であることが窺えた。出迎えてくれた店員に名前を伝えると、「お待ちしてました」と爽やかな笑顔で2階の個室へと案内された。  肉バルの店というだけあって、メイン料理以外にもふんだんに肉が盛られていた。続々とテーブルに並ぶ肉料理を、中村と2人で覗き込むようにして眺める。 「すごい光景だなぁ……」 「どれもウマそう」 「久しぶりだなぁ。肉、食べるのも」 「肉、食べないんですか?」  店選びの際、特別苦手な食べ物はないと聞いていた。気を遣わせていたのだろうか。顔を上げると、相手は片手をひらひらと振って否定した。 「苦手とか、そういうのじゃないんだ。歳のせいか、進んで選ばなくなっちゃって」 「歳って、まだそんな年齢じゃないですよね」 「いやいや、今年でもう41だからね」 「41なんて、全然若いっスよ」 「20代の子に言われてもなぁ……」  苦笑いを浮かべる相手を尻目に、小皿を手にして前菜を取り分ける。前菜にもベーコン、生ハム、ローストビーフの3種類が乗っていた。 「そういうのは気の持ちようが大事なんですよ。たくさん肉食べて、体力も気力もつけましょ」  肉しか乗っていない皿を差し出せば、さらに苦笑いを濃くしつつ、ひとまず受け取ってくれた。自分の分も取り分けると、「いただきます」と手を合わせた。  まずはローストビーフを口へと運ぶ。 「ウマっ」  目を瞬かせ、小皿を見つめる。柔らかく、牛肉の味も濃い。加えて和風ドレッシングのおかげでさっぱりとしていて食べやすい。  向かいから、ふっと笑う声が聞こえた。 「旨そうに食べるなぁ」 「ウマいっすよ、マジで」  小皿と箸を持ったまま身を乗り出して勧めれば、「どれどれ」と中村はようやく箸を手にしてくれた。 「……本当だ。美味しいね」  ぱっと表情が晴れた。そのまま箸を進めていく姿を眺めながら、俺はゆっくりとハイボールを喉へと流し込んだ。  美味しい、美味しいと一通り味を堪能したところで、中村は改めて話を切り出した。 「それにしても、まさかあんな所で井上君に会うとは思わなかったよ。おまけに万引き犯まで捕まえてくれて、本当に助かったよ。ありがとう」 「いやぁ、お役に立てて良かったです」 「店から出てきたように見えたけど、あそこにいたの?」 「カフェの方にいたんですよ。で、本屋があるってことに気づいて、『中村さんいたりしないかなー』って思って覗いてたら本当にいたんでビックリしました。飲んでたフラッペ噴き出すとこでしたよ」 「そう、だったんだ」  中村は笑みを浮かべつつも、何かを噛み締めるようにグラスを呷った。 「最近の本屋さんってオシャレですね。お店の雰囲気もですけど、制服も」 「制服?」 「ホテルマンみたいですっごいカッコ良かったですよ。似合ってました」 「そんな、大袈裟な……」  相手は逃げるように視線を逸らしてしまった。その先で俺のグラスが残り僅かとなっていることに気づき、メニュー表を差し出してくる。 「何か呑む? 遠慮しなくていいよ」 「じゃぁ、遠慮なく」  ハイボールをおかわりすることにしつつ、ハラミ丼も食べたいとメニュー表の写真を指させば、「いいよ」と優しく頷いてくれた。  中村が牛カツを摘まみながらちびちびと飲んでいる前で、丼に食らいつく。 「食べ盛りって感じだね」  頬張る姿を眺めながら、相手は楽しそうに目を細める。 「いい食べっぷりだよ。だから体もそれだけ維持できるんだろうなぁ」 「俺の場合は元々肉が付きやすいっていうのもあると思います。部活やってた頃、同じように体を動かしてても拓也はスラっとしてましたし」 「そうなんだ」 「中村さんも、スマートっスよね」  本音が零れてしまわないよう言葉のチョイスに気をつけながら、さり気なく話を振ってみる。 「僕は単純に貧弱なだけだよ。若い頃は中村君みたいな逞しい体に憧れたなぁ」 「そうなんですか?」 「男なら一度は憧れるもんじゃない?」 「そうっスかね。現実問題、服とか結構困りますよ」 「そうなの?」 「俺、肩幅もあるんで、合う服っていうのがなかなか限られてくるんですよね。冬場はほぼスウェットになっちゃって」  上半身へと視線を落とす。黒地で裾には白いロゴがプリントされている。大切な日に着るようにしているものだ。 「もうちょっとバリエーションを増やしたいんですよねぇ。一緒に探してくれませんか?」 「ん? あぁ、いいよ」  何とも軽い調子で中村は頷いた。愛想よく笑みを浮かべているところから察するに、単なる社交辞令だと思ったのだろう。  まぁ、言質は取れたし、とりあえずいいか。  心の内で独り言ちながら、「締めにデザートも食べていいですか?」とさらに図々しく申し出た。  そうしてバニラアイスがやって来た頃合いで、俺はいよいよ本題を切り出すことにした。 「今日、こうやって一緒に食事ができて本当に嬉しかったです」  しみじみと話しながら、まだ少し凍っているアイスにゆっくりとスプーンを差し入れる。視線を上げれば、中村が不思議そうな目でこちらを見ていた。 「ゲイだって言うと、素っ気なくなったり、疎遠になっちゃう人とかいるんですよね」  掬い上げたアイスを口へと運ぶ。舌の上でじんわりと溶けて、濃厚なバニラの味が口の中に広がっていく。 「ウマっ」 「………………」  静まり返った部屋に弾む声が虚しく響いた。壁の向こうから一際高らかに笑う男女の声が漏れ聞こえてくる。  中村はグラスを掴んだまま微動だにしない。 「中村さんにも、避けられてるのかなって思ってました」 「えっ……」  反射的に彼の目がこちらに向いた。その双眸を捕まえて、気になっていたことをぶつけてみる。 「ゲイだって言ってから、中村さんと全然目が合わなくなったんで」 「それはっ、違う。違うんだ……誤解で……」  上擦った声に、中村自身が驚いているようだった。目を瞬かせ、握ったままのグラスへと視線を落とした。 「あの時も話したけど……本当に、驚いただけなんだ……」  男の喉仏がゆっくりと上下する。 「…………昔は、隠すのが当たり前だったから。あんな風に人前でさらっと話してるのを見てビックリしちゃって……。だから、井上君のことを避けてたとか、そういうわけじゃないんだ。……むしろ、その……」 「………………」 「………………」  続きを待ってみたものの、半端に開いた唇からは何も発せられることはなかった。力尽きるように口を噤んだ相手は、少し間を置いてから取り繕うように笑った。 「……とにかく、誤解させてごめんね」 「……いえ。中村さんくらいの歳の人で理解してくれる人ってなかなかいないんで、嬉しいです」 「…………そっか…………」  中村はグラスを持ち上げたものの、口を付けようとはせず、じっと黄金色の液体を見つめている。  そんな彼を自分もまた見つめながら、溶け始めてしまったアイスに真顔でぱくつく。  これは、もしかするとアリよりのアリなのではないか。  ごくりと喉を鳴らしながら、甘い液体を飲み込んだ。  店を出たところで、ダウンパーカーの上から膨れた腹を両手で撫でた。 「ごちそうさまでしたっ。マジで腹いっぱいです」 「いやぁ、井上君は本当によく食べてくれるから、奢り甲斐があるよ」 「またご飯食べさせてください」  冗談交じりにねだると、中村はくすぐったそうに微笑んだ。 「いいよ。また行こうか」  のんびりと歩き始めた彼の隣に並び、大通りを駅の方面へと向かう。  最寄り駅までは信号を挟みながらほぼ一直線の道のり。所要時間は10分程度。飲食店が立ち並んでいることもあり、まだそこそこの人が行き交っている。そうなると、もう少し時間もかかるだろう。  さて、どうやって勝負に出るか。  道の先を見据えていると、一際強い風が吹いた。 「うーっ。寒いねぇ……凍みるなぁ……」  白い息を吐きながら、中村は肩を竦ませた。少しでも暖を取ろうとマフラーに顔を埋める。  そんな仕草に目を引き寄せられていると、突然右肩に何かがぶつかった。思わずよろけた俺の背中を支えようと中村が腕を回してくれたが、それでも体が後ろへと倒れてしまいそうになる。踏み止まろうとして咄嗟に伸びた手が彼の腰を掴み、気づけば抱きついてしまっていた。 「どこ見てんだぁ!」  酔っ払った男の怒号が背後から飛んでくるものの、それどころではない。こちらを見上げる中村の顔が間近にある。アルコールと、それに交ざって香水とはまた違った清潔感のある匂いが微かに鼻腔をかすめる。  じんわりと体が熱くなるのを感じる。 「……だ、大丈夫?」  尋ねてくる声音には戸惑いが滲んでいる。見開かれた垂れた目、白い頬、そしてかさついた唇を目で辿る。 「……井上君……?」  「すみません」と詫びて、さっさと腕を解け。頭ではそう思いながら、開いた口から出てきたのは的外れな言葉だった。 「中村さんって、明日も仕事ですか?」 「えっ……?」 「もし良かったら、俺の家でもうちょっと飲みませんか?」 「………………」  中村は呆然とした顔でこちらを見つめてくる。何を言われてるのかわからないといった様子だ。背に添えられていた手がするすると滑り落ちていく。道の真ん中で見つめ合う2人に、突き刺さるような眼差しを感じる。  どさくさに紛れて誘うにしても、あまりにも唐突すぎる。下心のせいでこれ以上余計なことを口走れば、トチ狂った奴だと思われてしまう。 「すみません。突然」  へらりと笑って、一歩後ろへと下がった。その時、中村の右手がパーカーの裾を掴むような素振りを見せた。空を切り、握り締めた拳はそのままコートのポケットへと隠してしまう。  この瞬間、行き先が決まった。 「……行きましょうか。ここから2駅なんです、俺の家」  彼はこちらを上目に見つめ、小さく頷いた。その頬は薄っすらと色づいていた。

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