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第7話
そう言えば、ここにも本屋があったんだった。
シェアラウンジの入り口で手続きを済ませてふと思い至る。外での打ち合わせの際に時々利用しているというのに、隣が書店であることにまるで気づいていなかった。
中村と出会ってからというもの、街中で書店を見つけると、ついつい目が行くようになってしまった。最近では店先からその中へと視線を巡らせてしまう。このまま癖づくのも時間の問題かもしれない。
目が書店内をぶらつく人を追ってしまう。それに気付いて力技で引き剥がした。お前はこれから打ち合わせだろう。しかもその相手である渡辺から、10分ほど前に到着したとの連絡が入った。約束の時刻を過ぎてはいないものの、ラウンジ内のボックス席へと急ぐ。
俺の姿を見つけた渡辺が、こちらに向かって手を挙げ、立ち上がった。
「わざわざ出向いてもらって申し訳ない」
モスグリーンのニット姿はカジュアルな雰囲気だが、その所作はドラマで見るビジネスマンそのものだった。自然と背筋が伸び、勧められるまま席に着いた。
新年会以降、渡辺とは動画編集の依頼を正式に引き受けるため、諸々の条件確認を行っていた。ジャンルや納期、金額などの大枠については早々にまとまったものの、肝心の動画の完成イメージについてはなかなか掴むことができなかった。指定された構成案に加えて彼自身が編集して投稿している動画にも参考のため目を通したが、どうにもまとまりがない。実際、何点か確かめたところ、本人も言語化するのが難しいらしく「直接会って打ち合わせができないか」と打診がきた。
渡辺が顔見知りであり、かつ中村の知人であることを大いに鑑み、俺は快諾した。
お互いコーヒーカップを片手に、ノートパソコンの画面を時折指し示しつつ、編集方針について確認し合う。
「……そうなると、流れとしては面白い方向に振り切っていいって感じですかね」
顎を撫でながら、聞き取った内容を改めてざっと見返す。
「そうだね。プレイを魅せるとかじゃなくて、ゲーム性能を活かして楽しむって方向に重きを置いてるから。『見てると自分もやってみたくなる』とか、そんな感じで」
「なるほど」
「ただそう思って自分で編集すると、どうしてもゴテゴテした感じになるんだよね。それをもう少しスマートにしようとすると今度は味気なくなっちゃって。見やすくしたいんだけど加減ができないんだ」
「見やすさ、ですね。確かにいただいた構成案だと結構情報が詰まってる感じなので……もし良かったら、こっちで少し取捨選択させてもらってもいいですか?」
「むしろ、こちらからお願いしてもいいかな。正直なところ、悩み過ぎてもはや収拾がつかなくなってるんだ。第三者の目で一度見てもらえると本当助かる。申し訳ない」
渡辺は両手だけでなく額までテーブルに付けて懇願してくる。
「そんなっ、顔上げてください……! こっちは全然大丈夫ですから。むしろ、渡辺さんくらい熱量があると助かるくらいです。ただ、当初のスケジュールだと収まらないので、プラス2日は時間をいただきたいんですけど」
「それはもちろん! 本当に無理を言ってすまないっ!」
勢いよく、再び頭を下げる。声を張るものだから、瞬間的にざわめきが止んだ。無数の視線が矢となって四方八方からこのボックス席へ飛んでくる。けれど、ゆっくりと顔を上げた渡辺の真剣な顔つきが、その矢を全て弾き飛ばした。
溢れ出した熱意がこちらに伝わってくる。その熱さは動画編集だけで食べていこうと決意した、あの日の自分を呼び起こす。
フリーへ転身した当初は実績作りのためにと、どんな案件でも引き受けていた。中には構成案も無く動画一本だけを丸投げされたり、6時間の映像を翌日までに30分にまとめて欲しいという無茶振りもあった。譲歩案を提示すれば、大した実績もない癖にと罵られることもあった。今では経験談として話のネタにもできるようになったけど、当時は理不尽さに腸が煮えくり返っていた。
ただ、思い返すとやっぱり腹の底から苦々しいものが沸き上がってきてしまう。相手に気付かれぬよう鼻から静かに息を吐き出す。彷徨う視線が紙コップを見つけて手にするものの、中身はもうほとんど残っていない。ちょうどいい。一飲みして、おかわりでもしてこよう。甘いものが飲みたい。
そんなことを考えていた矢先、不意に渡辺が「あっ」と何かを閃いた。
「よかったらこの後、メシでもどう? ちょうど誠さんと食べる約束してるんだけど、良かったら一緒に」
今、「誠さん」って言ったよな。
思わぬところで思わぬ人の名前が飛び出して、咄嗟に反応できなかった。聞き間違いではないことを確かめるべく、まじまじと相手を見つめ返す。
「覚えてない? ほら、新年会で遅れて来た人いたでしょ。スーツ着てた」
「あー……、はい。覚えてます」
聞き間違いなどではなかった。やっぱり中村だ。
「その人と、この上のレストラン街で食べる約束してるんだけど、井上君もどう? お礼って言ったらアレだけど、奢るからさ」
「い、いいんですか……? じゃぁ……、せっかくなんでご馳走になってもいいっスか?」
旨い飯がタダで食べられるなんて運が良い。調子のいい後輩感を出して頭を掻いた。
「よしっ。じゃぁ、誠さんにも連絡しておくよ」
「俺、コーヒー淹れて来ます。渡辺さんも飲みませんか?」
「あぁ、ごめん。頼んでもいいかな」
渡辺がスマートフォンを操作し始めたので、俺は席を立ってドリンクバーのカウンターへと向かった。
中村は俺と対面してどんな顔をするだろうか。彼には相変わらず他愛もないメッセージを送り続けている。実のところ、今日の渡辺との打ち合わせも、昨夜に伝えていた。
『そうか。仕事、頑張ってね』
渡辺と食事の約束をしているなら、一言言ってくれてもいいのに。返信はたったのそれだけ。最近はめっきり簡素な言葉しか返ってこなくなり、彼の心意がまるで読めなくなっていた。次へと進むきっかけをひらすら探し続けていたところに降って湧いたこのチャンス。絶対に逃すわけにはいかない。
中村は渡辺と2人でよく食事をするのだろうか。新年会に出席していたメンバーの中では比較的年齢も近い。ゲーム仲間の中でも、特に親しい間柄だったりするのだろうか。そう言えば、中村が職場のアルバイトから迫られている事情を口にしたのは渡辺だった。
もしかして、中村が渡辺との予定を伏せていたのは「彼と2人きりで食事がしたい」なんて理由だったりするのだろうか。
コーヒーメーカーに紙コップを置くつもりが、思わず握り潰してしまった。はっとして左手を広げてみたが、カップは見事にひしゃげていた。新しいものを取ろうとして、ドリンクサーバーの前にいた女性と目が合う。185センチの厚い体躯にすっぽりと隠れてしまうほど小柄だ。見下ろされた相手はこちらが愛想笑いを取り繕う前に、飛び跳ねるようにして逃げ去ってしまった。
肩を落として席へと戻れば、渡辺はまだスマートフォンをタップしていた。
「誠さん、もしかしたら早めに着くかもしれないって」
何も聞いていないというのに、彼は自ら進んで状況を教えてくれる。
中村と、現在進行形でやりとりをしているのだと。
両手に持つものを再び力任せに握り潰しそうになる。湯気の立つ液体をノートパソコンにぶちまけ、大火傷を負い、中村との食事どころではなくなる。
そんな大惨事を回避できたのは、ひとえに画面から顔を上げた渡辺がスマートフォンを投げ出し、俺の手から二人分のコーヒーカップを救い出してくれたおかげだった。
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