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第9話

 21時まであと10分というところまで迫って来た。今日この時のために、編集作業も、ジムも、買い出しも1日のスケジュールを全て調整した。晩飯も片付けまで済ませ、テレビの前で待機する。ローテーブルにはノートパソコンも用意していて、動画サイトの他に作業用のメモアプリも立ち上げておく。 『前に話してた、仲間内で集まってプレイする予定だったサバイバルゲームを、明日から始めることになった』  昨日、拓也から業務連絡ついで話を聞き、おまけに中村も参加する予定であることを教えてもらった。そこに中村がいるのであれば、観ないという選択肢は無い。生配信を動画にする依頼も受けているため、リアルタイムで確認しておけば作業効率も良くなる。一石二鳥だ。  視聴のお供にカフェインレスコーヒーとドーナツも用意していた。コーヒーを啜り、待ちに待って21時を15分ほど回ったところでテレビとパソコン、両方の画面が切り替わった。髪型や顔つきが異なる複数の男性アバターが現れ、「こんばんはー」といくつもの野太い声が聞こえてくる。  拓也が進行役を務め、一人ずつ挨拶を始めた。最後に中村が名乗ると、「誠さん!」とあちこちから名前を呼ばれる。 「良かったですよ、ほんと。間に合って」  どうやら間に合わない可能性があったようだ。「遅れて申し訳ない」と詫びる彼へ、ゲーム仲間だけでなく、視聴者からのコメントでも中村がこの場にいることを喜び、労う声が寄せられていた。そこから察するに、どうやら彼が勤め人であることは周知の事実らしい。  彼ら7人はこれから飛行機の墜落事故で生き延びたプレイヤーとして無人島からの脱出を目指す。拓也と渡辺を含めた4人は動作確認も兼ねて先立って触っていたようで、ゲームを起動したばかりの他のメンバーへ基本的な操作方法を伝えていく。どの画面を開き、何のボタンを押せば手持ちのアイテムを相手に渡して受け取れるのか。拓也が中村へ伝え、言われた通りに操作した彼が、拓也へ木の実を差し出した。何だか妙に微笑ましく映り、思わず唇が緩む。  テーブルに肘をつき、パソコン画面へ視線を落とす。ひっきりなしに流れていく視聴者コメントを目で追いかけていく。拓也と中村のレクチャーを面白がっている人や自分と同じく心和ませている人、「さっさとゲームを始めろ」と催促する人もいる。そんな中、突然ハートマークが目に飛び込んできた。  「誠さん一生懸命でかわいい♡」  白いクマのぬいぐるみをアイコンにしているそのアカウントは他のコメントに流され、あっという間に画面から消えていった。ものの数秒間の出来事なのに、字面が脳裏に焼き付いてしまってなかなか消えてくれない。マグカップを掴み、ほろ苦い液体をゴクリと喉を鳴らして流し込む。 『じゃぁ、俺とカズと誠さんで食料集めようか』  拓也は中村とカズという男に声をかけ、食料調達を名乗り出た。寝床を確保する必要もあり、そちらは渡辺と残りのメンバーで担うことになった。視聴者的にも順当な班分けとなっているらしく、好意的な反応が伺える。「誠さんただの子守じゃん」なんて冗談に続いて、「誠さんの料理食べてみたい♡」という文字列が流れてきた。またあの白いクマのぬいぐるみだ。  女性なのか、男性なのか。年下なのか、年上なのか。画面の向こう側に一体どんな人物がいるのか。知る由もないその姿をついつい想像してしまう。  食料調達班は獲物を狩るための道具としてひとまず槍をこしらえ、森の中へと駆け出した。目に付いた木の実を採取しつつ、怪しげな洞窟も発見しながらも、肝心の獲物が全く見当たらない。無暗に突き進んでしまうと拠点に戻れなくなってしまう可能性も出てきた。辺りを見渡しても草木が生い茂っているだけ。映像も代わり映えしない。 『この島、生き物いんの⁉』  絶叫するカズが拓也に詰め寄って来る。その後ろに立つ中村も『さすがにちょっと困ったねぇ』と顎に手でも当ててそうな口振りだ。 『俺に言われたってどうしたらいいか……あっ!! 鳥だ!!』  拓也も内心焦っていたのかもしれない。なかなか聞いたことのない大声だった。画面の右から左へと、カズと中村の頭上を白い鳥が横切っていく。突如出現した一筋の光を逃すまいと、槍を振り上げ、3人は走り出す。その矢先、突然視界が開けた。 『海だ!!』  拓也とカズが同時に叫ぶ。さながら、無人島を丸一日彷徨った人間の心の底からの絶叫だった。テレビ画面がビリビリと振動するほどの音圧で、思わず仰け反ってしまった。視聴者からのコメントも「声デカすぎ!」、「うるさい!」、「ビックリした!」といった類で埋め尽くされていた。  真っ青な海に気を取られて呆気なく鳥を見失った男達は、獲物を魚へと変更する。 『こうなったら魚だ! 魚! 魚しかない!』  現時点で確保できているのは木の実だけ。3人で採取した分を寄せ集めたとしてもメンバー全員の腹を満たせるほどの量もないだろう。  何が何でも獲って帰るぞという勢いのまま、拓也とカズが海に向かって突っ込んでいく。 『ちょ、ちょっと! 潜るの⁉』  中村の呼びかける声は波音に掻き消され、画面は水中へと切り替わる。  澄み渡る水の中は海草が揺らめき、色鮮やかなサンゴの上をこれまたカラフルな魚が悠々と泳いでいた。海面から顔を出し、拓也はカズと顔を見合わせた。 『めっちゃくちゃいるじゃん!』 『生態系どうなってんだよ、この島!』 『おーい! 魚ー、いたー?』  近くに岩場があり、そこから拓也達を見つけた中村が尋ねてくる。泳いで彼の元へ向かうと、中村はいつの間にか釣り竿を手にしていた。 『めちゃくちゃいますよ!』 『そうか。じゃぁ、僕はここから海釣りするよ』 『その釣り竿、どうしたんですか?』 『ロープが浜辺に落ちてて、木の枝と組み合わせて作れたよ』 『よしっ。海釣りと素潜り、どっちが獲れるか勝負だ!』  カズが言い放ち、拓也もそれに続いて海へと潜る。『あんまり沖の方に行っちゃダメだよー!』という中村の声もすぐに聞こえなくなる。  ところが、張り切って槍で突いてみるものの、なかなか魚に刺さらない。槍を構え、しっかりと狙いを定めて放った刃は確かに刺さっているように見えるのに、魚はすいすいと泳いで行ってしまう。 『シビア過ぎるだろ。もしかして……槍だと獲れないのか?』  視聴者の中にも、銛でないと魚に刺さらないと指摘している人がちらほらといた。それならばと銛を作ろうとするが、どうやらレベルが足りないらしい。カズと一緒に意気消沈した拓也は、海釣りの様子を窺いに、中村の元へ向かった。 『誠さーん。どんな感じですか? 釣れてます?』 『うん。まぁまぁ釣れてるよ』 『何匹釣れたんですか?』 『6匹。あと1匹釣れば、1人1匹は食べられるよ』 『この短時間で!? やっぱり釣りの方がいいんじゃね?』 『ただ、魚の色がすごくカラフルなんだけど、大丈夫かな……』 『あー。食用っていうか、観賞用って感じですよね。オレンジとか黄色とか』 『俺、昨日ちょうど水族館に行ったんだけど、似たようなのがいた。確かに』 『え。カズ、水族館とか行くの?』 『なんだよー。意外と面白いぞ。魚見るのも』 『水族館かぁ。もう何十年と行ってないなぁ……』  海面へロープを垂らし、立ったまま海釣りをするアバター。ぼんやりとした口調がやけにマッチしていた。フッと鼻で笑ってしまったのは自分だけではなかったようだ。「おじいちゃんみたい」、「ジジイか」なんてコメントが複数流れていく。 『誠さん、一匹一匹解説とかできそうですよね』 『あー、わかる。見ただけで、この魚はね〜って言って生態とか語りそう』 『えぇ? 僕、そんなうんちく語りそうな人間に見える?』  中村があまりにも情けない声を上げるので、堪らず画面の前で首を振ってしまった。けれど目線を下げれば、「なんかわかる」、「それはウザい」、「っぽい」などと好き勝手に書き込まれた視聴者コメントが流れていく。眉根を寄せてそれを追っていると、またアイツが現れた。  「誠さんと水族館デート行ってみたい♡」 「…………これは…………」  この白いクマは間違いなく中村のファンだ。ファンというには発言が若干逸脱しているところもあるけれど。  そう言えば、中村にはファンがついていると、新年会で拓也が話していたのを今更になって思い出す。配信者として活動しているわけでもないただのサラリーマンに対して、ここまで主張する人物がいるとは驚きだ。  これまでも、配信する度にこんな調子だったのだろうか。 「…………まさか他にもいたり…………」  両手で顔を覆い、大きく息を吸い込み、吐き出した。するとテレビ画面から「やったー!」という歓声が響き渡った。 『これで1人1匹食べれるぞー!』 『よし! 帰りましょ!』  どうやら中村がもう1匹釣り上げたようだ。大事な瞬間を見逃してしまった。あとで見返す場面としてメモアプリに記録しておく。ついでに森の中を駆け回って鳥を見つけてから海へと辿り着くまでの一連の流れも、動画として使えるので簡単にアイディアをメモしておこう。  キーボードを叩きながら、視聴者の反応にも目を遣る。中村の活躍を称賛するコメントの中に、例の白いクマが紛れているのを目敏く見つけてしまった。 「……『誠さん、さすがです♡』って……俺だってまだ名前で呼んだことないのに……」  どうしてこんなにも、中村は好かれてしまうのか。  職場ではアルバイトから好意を寄せられ、ネット上でゲームをすれば熱烈なコメントが寄せられる。かくいう自分も、飲み会で出会って一目惚れしてしまった口だ。  彼自身、少しでも意識して振舞っているならまだしも、全くの無自覚な上で人たらしなのが厄介だ。  長らく恋人はいないようだが、だからと言ってこの先も独りでいるという確証にはならない。現に自分だって中村にアプローチしているのだ。自分と同じように中村を狙っている人がいて、ある日いきなり彼を掻っ攫われてしまうかもしれない。ふっと湧き上がった妄想が体中を這い回り、何だか無性に落ち着かなくなった。目についたドーナツを掴んで齧り付いてみたものの、どれだけ頬張っても甘さが今ひとつ感じられない。 「…………ちゃんと気持ちを伝えないといけないな…………」  せっかく何十年と水族館に行っていないことが判明したのだ。ぜひとも一緒に行ってみたい。遅い時間帯であれば館内の照明も抑えられているだろうし、人目も気にせず、落ち着いて鑑賞できるだろう。ロマンチックな雰囲気の中で告白している様を思い描く。  ただ、水族館へどうやって誘うか、そこが問題だ。「水族館に行きませんか」なんて直球で誘ったところで、断られるのは目に見えている。「男2人で行く所じゃない」とか、「オジサンが行く所じゃない」なんて彼は言うに違いない。何かしらの策が必要だ。  ゲーム内では1日目を無事生き延び、2日目の朝を迎えていた。今はとりあえず、想像上ではなく画面の向こう側にいる中村に集中しよう。  コーヒーをおかわりして気を取り直すと、3つ目のドーナツを齧った。今度はちゃんと甘さが感じられた。  

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