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第1話

 双龍会事務所は、今日も平和だった。  若い者たちは集まって、相変わらずバカな話をしているし、姫木はその馬鹿話をパーテーションの前に設えたソファに座って雑誌を読みながら聞くとはなしに聞いている。  戸叶と佐藤が姫木と同じテーブル周りのソファの片隅で、今日牧島の元へ持ってゆく上納金の計算をしながら、こちらも勝手な話をしていた。 「そういやさ、俺おじさんになんのよ」  10枚の一万円札を束ねては置きながら、戸叶がニコニコする。 「おじさん?その年で?」  佐藤はその束ねられた10枚を、また10束集めていた。 「兄貴とは12歳離れてるからな、嫁さんの恵さんも30超えてるし焦ってはいたみたいだけど、漸くなー」  戸叶の兄、陽一は戸叶家三兄弟の長男で、学生時代は中高で喧嘩1番で通ってきた強者だ。  昔ほどヤンキーが突出しない現代でも、それなりのヒエラルキーはあって、陽一も次男の|大貴《たいき》も順番にそのトップを守ってきていた。もちろん末っ子の戸叶和也もである。 「今じゃ嫁さんにデレデレのただのおっさんだけどさ、子供なんかできたらもっとデレデレになんだろうな」  ケヒヒと嫌な笑いをして、最後の束を置くとソファに寄りかかった。 「でもま、俺はその子に会えるかどうかわかんねえけどな」  両腕を頭の後ろで組んで、天井を見上げる。  戸叶はこの世界に入った時に、家族との交流を一切絶ったのだ。  実際籍からも抜けている。  何があるかわからないこの世界で、少しでも家族に迷惑がかかることのないように…兄たちは学生時代ヤンチャしただけで、今は普通の家庭で育った奥さんと結婚している。そこは守りたかった。  しかし、長男の陽一は洋食屋「おさんぽ亭」を開業するときに、どこから聞きつけたのか戸叶にLINEを入れてきて、そこからオンラインだけの交流は続いていた。  自分に何かあったときは真っ先に携帯をぶっ壊してくれと佐藤には言ってある。 「赤ん坊か…家の母親も、俺が家出る時に産んでたな…」  佐藤の言葉に、戸叶とそばに座っていた姫木までもが「!」と顔を上げた。  その視線に苦笑して、 「ああ、うちのかーちゃん俺を16の時に産んでて、俺が家でたの17なんで当時まだ33っしょ。男いたみたいでね」  10枚の束を10束集めたものを3つまとめ、あとは銀行で帯付きにしてもらうだけ、とテーブルに置いた。 「ま、17違う弟だか妹だかには一回も会えてねーけど」  封筒にしまいながらそんな悲しいことを話す。  ここにいる奴らは、なんかしら背負ってるのは仕方ないけど、なんだか具体的に聞いてしまうと、色々思う姫木だ。  そして姫木が開いている雑誌のページは『都内でランチの美味しいお店50選』とあり、ちょうど開かれたところの片隅に、戸叶の兄陽一の店『おさんぽ亭』が載っていた。  姫木はじっとそこを見つめ何やら思案顔。 「準備できたか?」  隣の部屋で電話をしていた佐伯が入ってきて、戸叶と佐藤が束ねていたお金の確認にやってきた。 「はい、300です。途中で銀行で換金しないとですけど用意はできてます」  封筒を掲げている佐藤にうなづいて、 「じゃあ俺と戸叶で行ってくるな。姫木、松田さんとこ頼むぞ。いいな出かけるなよ」  と念を押すが、姫木は顔も見ずに手を上げて、佐伯に応える。  今日は珍しく佐伯と姫木は別行動だ。  そんな様子に佐伯は佐藤を呼んで 「松田さんとこ行くの夕方だよな。それまであいつがどっか行かないように見張っといてくれな」  佐伯がそんなことを言うのには理由があって、最近姫木が1人で出かけると高確率で組を上げての大トラブルを背負い込んでくるのだ。  今年になって2回あったので、3度目の正直を佐伯は恐れている。  なんせ前回は、榊まで巻き込んでの大騒ぎをしたものだからもう勘弁してほしいところだ。 「はい、ちゃんと見てますから」  佐藤がきちんと仕事をするやつだと言うのは十分わかってはいるのだが、それ以上に姫木の行動や態度に難があり過ぎて、もし姫木が出かけるなどと言った時に、佐藤1人で平気かな…の懸念はある。  なんせ佐藤も戸叶も『上司の言葉絶対』が身に付いているから… 「取り敢えず行ってくるわ。本当に抑えられなかったら、すぐに連絡しろよ」 「わかりました」  佐藤も気を引き締めて頷いた。  携帯が鳴ったのは、それから20分もしない頃だ。  助手席の佐伯は、スマホの画面の「佐藤」の名前を見て嫌な予感しかしない。 「おう、どうした」 「姫木さんが〜〜〜〜」  ほぼ泣きの入った声で、佐藤がそう叫び佐伯はため息をついた。  佐藤の話はこうだ。  佐伯と戸叶が出かけて数分だったらしい。 「出かける」  姫木は急に立ち上がって、事務所入り口のコートを取りに向かう。 「ご一緒します。どこですか?」 「いや、いい。ちょっと昼飯食いに行ってくるだけだ。ついてくるな」  言われて気づくが、もう11時半を回っていた。  そうは言っても、食事だって毎回一緒について回っている。そのためのお付きだ。 「そう言うわけにはいきません。お一人で出かけるのはダメなことわかっているでしょう。一緒に行きます。それに佐伯さんにだって…」  姫木は立ち止まって佐藤の顔を見る。長めのツーブロックの前髪から見える目は冷たく佐藤を見下ろし、佐藤は小さく声を上げて縮こまるほどだ。 「おめえは誰に付いてんだ」 「あ…姫木…さんです」 「じゃあなんで佐伯(あいつ)の言いなりになってんだよ」  グイッと迫られて、尤もなことにぐうの音も出ない。  パーテーションの向こうの馬鹿話はすでに止んでいて、ことの成り行きに聞き耳を立てている様子が窺えた。 「い…いやそういう訳では…」 「お前は俺のいうこと聞かねーの?」 「いえっ、そんなことは…」 「じゃあ聞け。俺は、1人で飯食ってくる。ほっとけ」  10月に入ってもまだ緩い気温ではあったが、薄手のコートは必須で姫木はそれを引っ掛けて1人事務所を出て行った。  我に帰った佐藤は、でもダメですって〜〜〜と追いかけたが、一睨みされて尻込みをしてしまったのである。  佐伯は話を聞いてもう一つため息をつき、 「で、どこ行ったんだよあいつ。もうすぐ牧島さんとこ着くから、早々に帰らせてもらって迎えに行くわ」 「いや、それが…」  わからない、という答えに珍しく佐伯が声を荒げた。 「徹底的に痕跡を洗え!あいつが見てたもん触ってたもん、ヒントになりそうなやつ全部で推理しろ!牧島さんとこ引けた時また連絡する!」  そう怒鳴って電話を切ってしまう。  運転している戸叶も驚いて肩をすくめていた。 「お前さっきなんか話してたろ、佐藤と」  お金を数えてる時かなと思い 「ええ、うちの兄貴に子供できる話と、佐藤に17歳年下の妹だか弟だかがいる話っすね」  そう聞いても何のヒントにもならねえな…と、佐伯はイライラしながらタバコに火をつけた。  もう勘弁してほしいのだ。あのトラブル拾いが自由に動くのは…。  事務所は一転大騒ぎ。  姫木が何をしていたか、何を見ていたか、何と言って行ったか。  とりあえず座っていた周囲を探り、確か新聞読んでて…いや、ジャンプ…ちげーよこの雑誌…とワタワタし、佐藤は姫木が出てゆく際の言葉を反芻する。 「1人で行かせろ…違うな…ん〜〜あ、昼飯!昼飯食いに行くって言ってたな。その辺に昼飯がどうのっていうなんかないか??」  全員『なんだそれ…』だが、それっぽいものを探さなければならない。  それにしたって、昼飯食いに行くと言っただけで、雑誌に何か関連があるとも限らない。…が 「あ、この雑誌、都内ランチの美味しい店なんとかって」 「それさっき姫木さん読んでたな」  児島がそのページを開け、何かヒントになりそうな店を探る。近い店?姫木さんが好きそうな物…車で行けそうな場所…  待機組総勢4人が顔を突き合わせて雑誌を見つめる。 「あ、ここって」  児島が指差したところは、確かにさっき姫木が見ていたページの「おさんぽ亭」の記事。 「ああ、ここは戸叶の兄貴がやってる店だな。子供ができるっていう話聞いてたし…ここか?」  あたりをつけるとすればここくらいしかない。あとはもう範囲が広すぎて…。 「取り敢えず、ここを佐伯さんに知らせよう。他ももう少し探ってみるけど」  佐藤は言いながら、佐伯の手を煩わせぬよう『可能性その1』と称しラインに店の名前と住所を入れて送っておいた。

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