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偏愛Ⅱ《ハルカside》1
俺が音楽に興味を持ったのは5歳の時。
幼少期アメリカに住んでいた俺は、同じ年のハーフの男の子と友達になった。
その少年は、後にMAR RE TORREのギターとなる陽だった。
陽は幼い頃に両親を亡くしていて、親代わりをしていたのは祖父のヴァイアさんだった。
ヴァイアさんは世界的に有名なロックバンド【DEStroy 】のドラマーをしていて、陽の家で遊んでいると常にバンド仲間がいて俺も遊んでもらった。
親の都合で俺は日本に引っ越すことになったが、それでも母方の祖父母がアメリカにいたので春夏冬休みには必ず長期滞在し、その度アメリカで陽と遊んだ。
DEStroyのメンバーに陽はギターを、俺はベースを教わり、「ジュースだ」と言われた飲み物を飲んで二人でぶっ倒れた。
それがのちにジュースじゃなくてスパークリングワインだと知って大笑いされ、俺たちも爆笑した。
そして俺が中1のとき、陽たちも日本にきた。
俺がいるから俺を探して一緒にバンドやりたくて、同じ中学を選んだそうだ。
中2の時、二人でバンドを組んだ。
名前は『アスティ』
あのときぶっ倒れたスパークリングワインの名前だった。
俺はベース&ボーカルとして歌い、アスティは瞬く間に人気になった。
しかし俺の母親は俺が楽しんでいるの気にくわない。
アメリカの祖父母が亡くなったころから、心理的虐待がひどかった。
特に姉貴に対しては異様なぐらい酷かった。
高3の時、ライブ当日に母親にベースを破壊された。
そのベースは飛び降りたアイツからもらったものだったし、今までのこともあって糸が切れた俺は母親をぶっ殺そうと思った。
「ごめん、ハルくん!私が悪いからっ!ごめん…ごてん」
姉貴に渡していたライブのチケットをリビングに置いていたから、そのせいで俺がまだバンド活動していることが母親にバレてしまった。
だから母親に洗脳し続けられていた姉貴は自分のせいだと責め続けた。
きっといつもみたいに何時間も正座をさせられ母親に罵られたんだろう。
次の日学校から帰ると、姉貴はアスティの俺の歌を流しながら瓶2本分の薬を大量に飲んで、カッターで何度も自分の手首を切りつけていた。
母に叱咤されてもいつも笑顔で優しく強い姉貴の精神は、大分前からボロボロだったのだとその時気付いた。
過呼吸になり痙攣し嘔吐しながら大量に出血して謝罪している姉貴の姿を見た俺は、震えて救急車に電話するのが精一杯だった。
俺にとって昔から姉貴は大切な存在。
俺のバンド活動のせいで、そんな姉貴を苦しめてしまった。
救急隊が来るまでの間、今にも死にそうな姉貴を目の前にしてずっとかかっていたアスティの曲を思い出すと怖くてたまらない。
血だらけのリビングに、俺の歌声―…
それからしばらくは歌うこともベースも弾けなくなった。
高校卒業後は陽とアスティとして音楽活動をしようと思ったが、ベースは弾けるようになっても歌うことは出来なかった。
俺の歌は、姉貴のあの光景を思い出してしまうから。
陽は俺が歌えなくてもベースが弾けるなら一緒に音楽活動をしたいと言ってくれた。
俺が歌えないことを知り、現れたのは13歳の宝だった。
ヴォーカルを宝、ギターを陽、ベースを俺、ドラムはサポートメンバーとしてヴァイアさんとしてMAR RE TORREが結成された。
DEStroyの元ドラマーWeiaHの孫がボーカルとギターであることと、WeiaH本人がプロデューサー&サポートメンバーとしてデビューしたMAR RE TORREは海外からも人気を得た。
本当は俺も前みたいに歌いたい。
でもカラオケで自分の歌声を聞くだけであの光景を思い出し、吐き気がする。
その度になぜ俺がボーカルを辞めたのか聞かれるのが苦痛で。
「下手だから」と言ってもアスティ時代の俺を知ってるやつは勿体ないから俺にもう一度歌えと言ってくる。
お前らに分かるのか?
歌いたくても歌えないこの気持ちが?
だからあの時、竜の「だからそのままベースオンリーで、歌わなくていいですからね!」という言葉が嬉しかった。
いつか歌えたらな、と心のどこかでは思っている。
もう歌うことはできないだろうけれど―…
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