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5-6 月に紅さし奈落に踊る
その言葉は甘い毒のようで、わたくしはその影を払うように這いずり、逃げました。しかしそれはどこまでもわたくしを追い回すのです。
『なぁ、なぁ。私と共に恨みを晴らそう。力が有れば、お前の大事な宿陽も助けられるぞ。それにお前を身勝手に捨てた者たちへ報いも与えられる。地位をいいことにお前を好きなようにした生臭坊主の男根をちぎり落してやれ! あはは、あははは』
なぁ、なぁ。わたくしに囁く声は大きく、森の木々に反響してわんわんと響くようでした。わたくしはその抗い難い欲望に心を蝕まれていくようで、思わず耳を押さえてうずくまりました。
『なぁ、知っているか? お前はな、呪詛を向けられたんだよ。誰かに呪われた、はるばる都からな。あの村にもいたろう、陰陽師だ。やつらは陰湿でな、虚を実に変える噂を立てるのよ。それこそが呪いだ。だからお前はここで死ぬ。だがなぁ、お前と一緒なら愉しそうだ、お前の苦しむ様を見るのは面白そうだ。なぁ、だから私と一緒になれ、そうしたらお前は死なずに済むし、この生き地獄をどうにかする力も与えられるぞ』
「うるさい、うるさいっ!」
わたくしが叫ぶと、辺りはしんと静まり返りました。一体何がどうなっているのか、わからぬままの私は、誰かに後ろから殴られ、それきり意識を失ってしまったのです。
気付いた時には、燃え盛る篝火の前に転がっていました。わたくしの手足はきつく縄で縛り上げられ、何度も殴打されたのか全身が痛み、身動きひとつとれませんでした。
憎しみと残酷な愉悦に満ちた無数の目が、わたくしを見下ろしていました。その様はまるで地獄の鬼のようでした。そして彼らはわたくしを罰すると言うのです。
わたくしが一体何をしたというのでしょう。仏に問うても答えなどあるはずもなく。また人の形をした鬼たちも、わたくしが口を開けば蹴りを入れるのです。暴力に耐え、痛みに呻きながらわたくしはそれでも、彼らに願いました。
宿陽は。宿陽だけは、見逃してほしいと。彼はわたくしとは違い、なんの罪も穢れも無いのだから。
そんなわたくしに、彼らは笑って見せたのです。
終わりのない暴力の果てに命を失ったと、ひと目でわかる。無残な姿に変わり果てた、宿陽の亡骸を。
その刹那、わたくしの胸に沸き起こったあの感情を、わたくしの頭を支配したあの熱く冷たい何かを、どう言い表していいのやら。
わたくしは知ったのです。この世は奈落。ならばこの人の形をした鬼たちを、正しき地獄へ落とすことに、なんの罪があるだろうか。わたくしを捨てた全て、わたくしを穢した全て、わたくしの大切なものを奪った全て、わたくしを呪った全ての罪人を、等しく、等しく、等しく、仏の示す先へと導かねば。
それが憤りだと、絶望だと、知らぬまま。
『なぁ、お前。私と一緒に、都へ行こう。みんな殺して食ってやろう。奴らがそう信じた通りに。呪いを振り撒き、亡骸を喰らってやろう。人喰い僧の怪異になってやろう、奴らがそう望んだのに、願いを叶えることになんの罪がある?』
さぁ、私と共に踊ろう。この奈落を。
わたくしは耳元で囁く声の主にひとつ頷き。
そうして、成ったのです。正しく、人喰い僧の怪異に。輝く月の下、紅を散らして村ひとつ滅ぼし、その亡骸を喰らい血を啜る化け物に。その時確かに、心光という僧は死んだのです。呪詛の通りに。
だからわたくしは、帰ってきたのです。わたくしの願いを叶えるために。この世の全ての罪人を、浄土へ送るために。子を捨てる罪を、望まぬ者を色欲で犯す者たちを、嘘を重ねて人を貶める者たちを、盗みを働く者たちを、呪詛を放った者たちを。等しく正しき地獄へと導くために。
その為だけに、わたくしはまだここに、あるのです。
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