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5-7 繋がり

 俺と心光は、とある廃屋を見つけ、その夜の宿とした。  陰陽師を見逃し、街道を外れた場所を進むうちには、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。俺たちは雨宿りできる場所を探し、その古びた小屋を見つけたのだ。誰かが住んでいたのはずっと昔なのだろう。ところどころ壁にも屋根にも穴は開いているが、雨の中ではあるだけましというものだ。  釜戸もなにもかも使い物になりはしない。薪も湿気を帯びてなかなか火を熾せず、俺たちは濡れた衣を脱ぎ捨てて寄り添っている。  月も無い室内は暗く、雨音ばかりが大きく響く。肌の触れ合う場所が温かくて、俺は無意識に心光を抱き寄せていた。そして彼もまた、俺を拒みはしない。  互いの鼓動と、呼吸が伝わるほどの距離。穏やかな時間が過ぎたが、俺の心の内はといえば複雑に渦巻いている。  心光から、全てを聞いた。彼の身に起こったことを思えば。いかに清廉な僧といえど、人なのだから。憤るのは当然だろうし、恐怖と不安、そして絶望に染まった心の闇を、何かに付け込まれても仕方はないかもしれないと考える。 「……蘇芳は、優しくて、温かいですね……」  そんな俺の気持ちを知っているかのように、心光がぽつりと呟いた。彼のほうへ顔を向けたけれど、不思議と俺には心光の姿がうっすらと見える。光ひとつない、真っ暗な夜のはずなのに。  心光は穏やかな表情を浮かべて、俺を見上げた。その亜麻色の瞳が、僅かに濡れている事さえ見て取れるほどだった。 「あなたがわたくしを、人の僧だと信じて下さったおかげで、今は元のわたくしに近付いております。けれど……」  心光の手が、ゆっくりと俺の腿を撫でる。その仕草が意味するところを理解しながら、俺は黙って心光を見つめていた。 「わたくしとあの影とは、魂の深き場所で繋がり、もはやわたくしと影とを完全に分けることができませぬ。今でさえ、こうして話しているのがわたくしなのか否か、己にもわからないのです」 「…………心光……」 「人を憎みたくも、殺したくもない。ですがわたくしの自由になる時間は限られて……影はわたくしの身体を動かし、わたくしの心を濁った言葉で語るのです。だというのに、影の望みがわたくしの思いとかけ離れているか、もはやわからないほど、魂が混ざり合ってしまっている……」  ああ、と心光は溜息を零し、その胸に手を当てた。白い肌を、細い指が撫でる。その動きさえ、どこか扇情的なもので。  確かに、これは心光であり、そうでもないのだろうと感じた。 「血に飢えたこの身が、乾いて仕方ありませぬ……。陰陽師を見逃したことに、「あれ」が納得していないのです。血を啜れ、そうでなければ鬼の精を貪れと、わたくしの中で蠢いて身が疼く……」  はぁ、と熱い吐息が漏れる。長い睫が伏せられて、心光は小さく首を振った。 「この身はもはや魔なれば、わたくしひとりの力や心では如何ともし難く……。もし蘇芳が良ければ、わたくしを打つでも絞めるでもして、眠らせて下さいませんか。そうすれば、あなたに迷惑をかけることも……」 「俺は構わない」 「え……」  言葉を遮って伝えれば、心光は驚いたように俺を見つめる。その瞳を真っ直ぐに見返しながら、俺ははっきりと言った。 「お前の心が傷付くのなら無論しない。だが、お前がそれで良いというのなら、俺の精ぐらい分けてやる」 「……それは、……ですが……」  心光は困惑したようにその表情を翳らせ、目を伏せる。だが彼は、俺の腕の中から出ようとはしない。それこそが、答えなのだろうとはわかっている。わかっていて、俺は心光の答えを待った。 「……わたくしの身体は、穢れていますし……あなたのことを無理矢理……」 「俺は、構わない。恐らくそうしなければ人を殺め、血を吸ってしまうんだろう」 「…………ですが、あなたに迷惑ばかりかけてしまう……」 「なにを言う。人は乳飲み子として生まれるんだ、最初から最後まで誰かに助けられねば生きていけないというものだろうに」  それが俺だというのなら。百年も眠りにつき、全てを失った俺にできることがあるというのなら。  俺を人喰い鬼ではないと信じてくれた、心光がそれを望むというのなら。俺は応えたい。  そんな思いを告げれば、心光が揺れる瞳で俺を見つめる。その唇が小さく動き「わたくしとて、あなたなら」と紡ぐ。そんな彼を、優しく抱きしめた。  鬼の両腕には、あまりに細い身体。孤独な身体を互いに温め合いながら、俺は心光をそっと床へ横たえる。「すおう」と名を呼ぶ彼に、囁いた。 「俺に、させてくれ。俺がそうしたかったのだということにしたらいい」  清廉な僧としての心光が、自ら求めたのではない。抱きたいと言われたのだということにして構わない。指と指を絡めあい、唇を寄せ。俺たちは静かに重なりあった。  傷つけたくない。苦しめたくない。辱めたくない。  俺は心光を抱いた。これ以上なく優しく。涙を零す心光に、何度も口付けを落としながら。  お前は何も悪くなどない、他の誰がお前を責めても、俺は受け入れると。お前が俺を受け入れる限り、見捨てはしないと誓い。俺を誰かに重ねて泣くのを抱きしめ、大切に大切に、愛した。

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