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エピローグ2 罰
雪子と心光は互いに笑顔で別れ、屋敷には再び静寂が落ちた。国親はといえば、雪子を送るとか言って片目を瞑って見せる。心光に会っていけ、ということだろう。
ここのところ、国親の使いとして仕事をしていたから、心光に会えなかった。いや、俺が心光を避けていた、が正しいかもしれない。卑怯な手で心光をこの世に繋ぎとめてしまったことは間違いがなく、負い目はあったから。
心光の部屋に近づくと、のそのそ白虎が出てきた。ごろごろ喉を鳴らして俺の脚に絡みついたが、そのままどこかへ消えてしまう。やれやれ、式神まで俺たちに気を遣っている。俺はひとつ苦笑して、部屋の中へと向かった。
心光はぼんやりと、外の景色を眺めていたようだ。それでも、俺の姿を見ると「蘇芳」と微笑んでくれて安心する。彼が内心俺をどう思っているかはわからないが、少なくとも拒絶はされていないようだった。
「……具合はどうだ。その、……母親とは、よく話せたか」
「ええ、近頃は随分良くなりました。それに母とも十分すぎるほど話せましたよ」
「そうか……」
それで、会話が途切れてしまう。ううん、と気まずい思いをしていると、心光がくすりと笑う。
「どうしました、蘇芳」
「いや、その……」
「わたくしにしたことを、気にしているのですか?」
「う……」
図星だ。おずおずと心光を見れば、彼はやはり穏やかに笑っている。
「わたくしはあなたに感謝していますよ、蘇芳。あなたは全てをなげうってまで、わたくしと、大切な人を守ってくれたのですから」
「だが、俺はお前を生かし、苦しめる選択をした」
「蘇芳」
心光が俺の名を呼ぶ。その白く細い手が、やんわりと俺の手に触れる。骨ばった逞しい手を、優しく撫でてくれるのが、心地良い。
「わたくしは真実、あなたを恨んでも厭うてもいません。あなたは……わたくしに生きて、罪を償う機会を与えてくれたのですから……」
ただ。
心光は愛しげに手を撫で、俺の顔を見上げる。その瞳には、僅かに憂いが宿っていた。
「わたくしは、贖罪をし仏の道を歩まねばなりません。故に……あなたと共にいるわけにはいかない……」
「心光……」
「あなたといると、わたくしは救われてしまう。罪人であるというのに……この胸に熱く甘い心が湧き、愛着と未練が渦巻いてしまうのです。それが故に、わたくしたちはもう共にはいられない……」
目を伏せる心光に、俺も静かに俯いた。
心光なら、そう考えるだろう。自分のせいばかりではないとはいえ、たくさんの悪事をはたらいたと……少なくとも、彼自身は思っているのだから。己ばかりが生きて、幸せになることなど許されない、と。それに、幸福さえも欲として捨て去る仏の道にはそぐわない。
だが、俺はそれに対して、「そうか」と頷くわけにはいかなかった。
俺は、仏の道を歩む者ではない。心光ほど無欲ではいられない。俺は彼を愛し、共に生きたい。そうでなければ、己の在り方を変えてまで心光のそばにはいなかっただろう。だが、その思いを心光にぶつけることは、彼を余計に苦しめはしないか?
そうした葛藤から、俺はしばらく心光から距離を取っていた。何が心光にとって良い選択なのか、俺にとっても幸せなのか。それをよくよく考え。
その結論をもって、俺はここにいる。
すう、とひとつ息を吸って、覚悟を決める。それから、心光を見つめて口を開いた。
「俺は、人ではない。鬼だ」
「……蘇芳……?」
「鬼というのはな、心光。奈落で罪人を見張り、罰する存在だ」
「……ええ、そう伝え聞きます」
「そしてこの世は生き地獄ともいう。お前は自分を罪人と思っている。ならば、条件は整っているだろう」
「……条件、とは……まさか」
はっとする心光に、俺は頷いた。
「俺は、この奈落でお前という罪人を見張る。仏の道を歩み、真の救いを求めようとするお前を、絶えず俗世へ還るように誘い、お前を惑わせる。俺に向ける想いが、お前自身を焼く、そんな奈落だ。それが俺の与える罰」
それでは、だめか。
問いかけに、心光は動揺するように唇を動かし、けれど、しばらく言葉を失っていた。懊悩するように顔を逸らし、それから「そのような」と小さく漏らした。
「それでは、まるで……」
まるで。
そこから先を口にできないまま、心光は目を閉ざす。それからひとつ震える息を吐き出して、それから頷いた。
「あなたは、わたくしの救いであり、そして縋ることこそが仏の道に至れぬという罰……」
そう、仰るのですね。
心光の言葉に、俺もまた深く頷いた。彼はゆっくりと顔を上げ、俺を見つめる。その瞳は涙で滲み、複雑な色をたたえて揺れた。見つめ返せば、彼は泣き出しそうな表情をしつつも、微笑む。
「ああ、それはなんと優しく、そして残酷な……」
「……」
「されど、償いましょう。この生涯をかけて。あなたのそばで、わたくしは悔い続ける。あなたに救われるたび、罪を思い返し祈りましょう。あなたを愛すたび、仏へ至れぬ罰に身を焦がしましょう……」
あなたが、みなさまが。それでよいと言うのなら。そう呟く心光を、強く抱き寄せて俺は頷いた。
そして俺たちは踊る。この世の奈落で。罪と罰、善と悪のはざまで。ただただ、償い、傷つけ、愛し、苦しみながらも。そうして深い業の中にも俺たちは、決して離れずに踊り続けるのだった。
おわり
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