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山賊の女房 1.因縁
十三夜の月下、十一 は息を殺した。一帯の笹籔 が、山が真っ黒なバケモノじみてざわめく。初めて夜の山に入った日は、小便をちびるかと思った。今はそんなことはない。いや、今でも少しおっかない。けれど、そんなそぶりを見せようものなら、笑われる。斜めまえに相棒の夷虎 がいる。風よりも微かにささやく。
「来たぜ」
じゃん、じゃん、じゃん……どこかできいた鉄 の音。月よりも眩しい提灯 。二つの灯影 が、竹林の道をやってくる。折り目正しい草鞋 の跫音 ……二、三、四、五人。山路 に慣れたやつらだ。檜笠 に法衣 、たずさえた錫杖 の小環 が鳴る。
「坊主だ」
「そりゃいい、やっちまえ」
夷虎はいうやいなや飛びだした。月に光る乱刃 。ばっさばっさと二人を斬って捨てた。先頭 の提灯が悲鳴をあげて駈けだす。十一は肩から尻まで掻 っ捌 いた。明 りが潰れた。血が臭う。あと二人。
坊主の一人が、錫杖を上下に割った。刃のきらめき。仕込刀だ。夷虎は間合をとって、刀身をかざす。
「でけえのは、おれがやる。その小せえのやれ」
「逃げろ」
坊主が最後尾 の提灯にいった。灯影がよろよろと後ずさる。
夷虎が斬りかかった。赤い火花が散って、仕込刀が折れる。裂けた顔面から血を噴いて、坊主は倒れ伏した。
提灯が駈けだす。十一は斬った。寸前、灯影が転 けた。ひゃあ、と女みたいな悲鳴。地に落ちた提灯の油紙がめらめらと燃え、相手を照らす。編笠の切れめから白い細面 、瞠 いた涙目。数えで十五のおれよりも若そうだ。
「何やってる、早く斬れ」
夷虎が進みでて、血塗 れの刃を突きだした。十一は相棒の肩を押さえた。
「いや、待て。よく見ろ。美僧だ」
あゞ? と夷虎は破 れ笠をはいだ。あらわになる玉のような頭、ほっそりした鼻梁と、ふくよかな唇。まつ毛を伏せたまま、声もなく泣いている。
「たしかにアマみてえなつらだ」
夷虎はにたりと下卑た笑みを浮かべ、小僧の衣に手をかける。この場で犯して殺す気だ。十一は肩を引っぱる。
「待て、待て。まずはお頭に進上しよう。兄 ぃらもよろこぶ」
「おれらに回ってこねえじゃねえか」
「ばかか。めぼしいモンはおれらがいただいちまって、こいつだけ差出しときゃいいんだ」
「なるほどな」
夷虎は納得したのか、死人 の荷を暴 きはじめた。十一はしゃがみこんで、小僧にいいきかせる。
「おとなしくついてくりゃ、命まではとらねえ。だが、逆らうと、あゝなる」
十一は切先 で四体の仏 を示す。小僧は泣き濡れた頬で、こっくりと頷く。
相州鎌倉を縄張とする〝梟 〟一味の根城は、武相 国界 の峠だった。足を挫 いた小僧をおぶって、十一は夜更けの峠路 を急いだ。背中が温かい。故郷 で弟のお守 りをしていた頃を思いだす。
「山賊の背で寝るたぁ、ふてえタマだぜ」
夷虎があくびまじりにぼやいた。小僧の首がこっくり、こっくりとゆれる。旅の疲れがでたのだろう。ずり下がる躰を、十一は跳ねるように引きあげた。
峠の越の掘建 小屋 だった。漏れくる仄 明りと、男たちの大笑 。もう出来あがっているようだ。夷虎が間口の簾 を捲った。
「ただいま戻りやした」
灯台の暗い火。それぞれ手酌で呑んでいた烏帽子 の三人が、いっせいに睨む。
「こんどは空手じゃねえだろうな」
百舌 がぎょろりと右目をむいた。左目のあるべき箇所は、攣 れた傷跡だ。
「こいつが獲物でさ」
十一は横向きに背の小僧を見せた。小太りの牙良 がばか笑いした。奥のぶ厚い畳のうえ、お頭 の銀鴟 が盃を呷 った。
「おれぁ坊主は嫌 えだといったろう」
「それが小利口なつらしてやしてね、おれらの代わりに下働きをさせたらいいんじゃねえかと……」
「話がさっきとちげえだろ。美僧だから進上するっつったじゃねえか」
夷虎が口を挟んだ。余計なことを。銀鴟がゆらりと腰をあげる。男の影が壁を、天井を覆った。丈六尺に届かんばかりの大男だ。十一はつい後ずさった。銀鴟の彫りの深い顔は陰になって、感情が読めない。
「起こせ」
おい、おいっ、と十一は背の小僧をゆすった。小僧が身じろぎして、きょろきょろと頭を振った。十一は小僧を土間へおろした。足首を痛めた小僧は、すとんと尻もちをついた。銀鴟が問う。
「おめえ、おれらがなんだかわかるか」
細い震え声。「……緑林 の徒、でしょうか」
「そんなところだ。おめえはどこのモンだ」
「……房州、玄應寺 の者です。本山の極聖寺 へ遊学に――」
「極聖寺! 畜生め」
不意の怒声に、小僧は身を震わせた。
「おめえの名は」
「……天翰 と申します」
「字は?」
わずかな間 があった。破落戸 に字がわかるのか、と。「……天地の天に、書翰 の翰」
「あゝ、名づけ親は天鵞 だろう」
ぱっと顔をあげる。「猊下 を、ご存じなのですか」
「知りたいか。なら脱げ」
銀鴟は袈裟 をつかんだ。天翰はおのが肩を抱いた。銀鴟は頬をぶった。
「脱げといったんだ。早くしろ」
いまにも泣かんばかりの天翰は、袈裟を脱いで畳 もうとした。
「誰が畳めといった」
銀鴟がまた頬を張った。天翰は涙を呑みつつ右足で立ちあがり、墨染の直裰 ・灰色の単衣 ・白い襦袢 を脱いで落とし、銀鴟の顔をうかがってから褌 も解 いた。ほとんど無毛の花奢 な裸が、目に痛いほど白い。十一は、さっと目を背けた。
「十一、見とけ」
銀鴟は天翰の後ろ首をつかんで引き寄せた。とっさに天翰は両の手を突っぱったが、大の男に敵うべくもない。天翰の唇に、無精髭の顎が食いついた。顔を背ける天翰の顎をつかんで、無理やり口をひらかせる。銀鴟の太い舌が小さな唇を犯す。胃から喉まで裏返る気が十一はした。目を背けても、見ろと命じられる。天翰は顔を赤くして噎 せた。それでも銀鴟はやめない。しだいに天翰はぐったりとして抗わなくなった。
銀鴟は畳の座に戻り、胡坐の膝に天翰を乗せた。天翰の膝の裏をかかえて、おまけみたいな魔羅 と陰嚢 を四人に見せつけた。ちっせえの、と百舌が嘲 った。牙良と夷虎が笑った。銀鴟が三つ指で魔羅をつまんでしごいた。親指ほどのそれが、足の親指ほどに腫れあがる。天翰は顔をうつむけて声を殺すも、息の乱れは隠せなかった。灯台の暗がりにも、肌に差す血の気が明らかだ。十一は褌が張るのを感じた。となりの夷虎は口が半びらきだ。天翰は仔犬のように鳴いて、あっけなく果てた。細面の忘我の色と、薄い胸に照り光る精水。十一は身震いした。銀鴟は手に唾 を吐いた。それを菊門に塗りたくって、指を押しこんだ。天翰の目が驚愕に瞠 られる。
「色白の美童との姦淫が、天鵞の道楽なのさ」
天翰はかぶりを振る。「うそ、です。猊下が、そんな……」
色不異空空不異色色即是空空即是色……と銀鴟は経を諳 んじてみせた。「おれの昔の名は天鵠 といったよ。天鵞の左腕 を見てみるがいい。おれがつけてやった刀傷があるだろうよ。あのとき、あの狒々 爺 を仕留められなかったことが、おれの今生 の悔恨だ」
いや、いやあ、と天翰は泣き騒いだ。銀鴟は袴の紐を解いて、滾 った魔羅を菊門にあてがった。
「恨むなら、天鵞を恨め」
十一は目をつむった。射 たれた鵠 のように悲しい声をきいた。
灯台の火を掠 めた蛾 が、燃えつつ墜ちた。つかのまの明るさののち、嫌な臭いが立ちこめる。
男と小僧の交 む影が、土壁に映じていた。うつぶせに高く突きだした天翰の尻に、ぬめぬめと出入りする魔羅。ひたすら長さの限りに引き、深さの窮 みに沈める。おぞましいと思いながらも、十一は目を逸らせなかった。最奥まで抉 られるたび、天翰は顔をゆがめて苦しい息をする。褌のうちで張り詰めたおのれの魔羅、おれにも獣 の血が流れているのだ。
銀鴟は虎のごとく咆 え、天翰の内奥に注ぎこんだ。息を整えると天翰を投げだし、つまらなそうに酒を呑みはじめる。天翰は背を丸め、唸るようにしゃくりあげた。
だが、悲しみに浸るまもなく、牙良に抱き寄せられる。牙良は天翰にのしかかり、十ぺんも突いたかと思うと、痙攣 のごとく震えて果てた。
「ったく、情味がねえ」
百舌が舌打ちし、天翰を奪いとった。
「よぉし、よし。こわくねえぞぉ」
泣き濡れた頬を舐めまわし、百舌は天翰におのが腰を跨がせた。面構えこそ強 いが、百舌は女 を手荒にあつかうことはしない。時間をかけて、じっくりと交合 うのが好みだった。あまりに悠長すぎて、仲間の興 を殺 ぐこともしばしばだが。
赤子でもあやすかに、百舌はごくゆったりと動いた。肩口に額をつけて天翰は呻いていたが、徐々に声の調子が高くなった。
「おっ。よくなっちまったか、坊主?」
むずかるかに天翰は首を振った。百舌は天翰の背を筵 に横たえた。その棒切れじみた足を左右に高くあげさせて、小さく丸い尻を、魔羅を呑んだ菊門をさらす。天翰の魔羅は真っ赤に腫れ、甘露をしとどに滴らせている。
「よしよし、極楽へつれてってやるからな」
拡がった菊門に唾 を塗りこみ、百舌は天翰の魔羅をつまんだ。やわやわと揉みしだきながら、変わらずゆったりと腰を前後させた。天翰の声が、やがて……はっきりと艶 をおびた。顰めた眉根・虚ろな目・喘ぐ唇・濡れた前歯。知らず十一は息が、胸が早くなり、褌の股間をぎゅうっと握った。夷虎はすでに手を褌に突っこんでしごいていた。
「銀鴟のお頭。おれらもやっちまっていいでしょう」
銀鴟は眇 で睨んだ。「烏帽子も無 え小童 ぁせんずりこいてな」
夷虎は首をすくめて、股間の手を止めた。
「そうとも、おめえらには十年早い」
百舌がにやりとして、天翰の胸乳 をきつく吸った。天翰の背が弓なりに反りかえって、法悦の声が峠の夜に響いた。
夜明けの青さと寒さが、掘立小屋に忍びこんだ。男たちのてんでないびき。丸まった裸の天翰を、十一は見おろした。夜っぴて牙良と百舌に取 っ競 らされて、花奢な躰は精と土埃まみれだ。涙の乾いた寝顔。ほんの童 だ、と思った。十一は墨染の直裰を天翰にかけてやった。そして、気がつく。天翰の左の足首に、腫れが兆していた。
「十一」
銀鴟の声。ぎくりとして、十一は身構えた。
「その小僧の世話を焼いてやれ」
畳に半身を起こし、銀鴟は薄く笑った。酒の残りを、すべて盃に注ぐ。天翰は生かされる、しばらくのあいだは。
「ただし手はつけるな。ましてや逃がそうなんて考えるなよ」
すべて見透かしたような、銀鴟の凄涼 たる目。ぐっと奥歯を食いしばって、十一は頷いた。
「へい」
日が昇ると、烏帽子の三人は消えた。小屋には夷虎と十一と、天翰ばかり。眠る美童に、夷虎はにたりとする。
「やっちまわねえか」
「手をつけるなといわれた」
「口止めさえすりゃ、わかりゃしねえさ」
いや、銀鴟にはわかるだろう。鬼神のように勘の鋭い人だ。十一は銚子と盃をありったけ洗桶に揃えて夷虎に押しつける。
「それを洗って、水を汲んでこい」
「おめえも手伝え」
「こいつを見張らにゃなんねえ」
「なら、おれが見張ろう」
「世話を焼けといわれたのは、おれだ」
夷虎は不服の色を濃くしたものの、桶をかかえて出ていく。近くに沢があるのだ。
天翰を見ぬようにしつつ、十一は炉端で燧石 を叩いた。十何べんめかの火花で、鳥の羽毛が燃えてちぢれる。小枝を組みあげ、火が育ったら薪 をくべた。
人目の気配に顧みる。天翰が横たわったまま、じっと見ていた。
「躰は平気か」
ばさりと直裰で顔を隠した。十一は溜息をつく。
「左足のことだ」
天翰は目ばかり覗かせた。手を左の足首に伸ばす。きゅっと眉根が寄る。昨夜 の艶態がよみがえり、十一は目を背けた。
「天かん といったな。おめえは運がいい。いっぺんもてあそんだら始末されるやつもいるんだ」
「始末」
細い声、怯えた目。十一は炉の灰を掻いた。
「女は売られちまう。男は……さあ、どこに埋まってんだろうな」
「虞淵 どのは……」
「ぐえん ?」
「兄弟子 です、太刀を抜いて斬られた。どこに埋めましたか」
「籔んなかで野ざらしさ。そのうち獣 が喰っちまう」
「どこの籔ですか」
「きいて、どうする」
天翰は強情な目で黙っている。かちゃかちゃと磁器のぶつかる気配がして、簾が捲られた。夷虎は洗桶を置き、十一と天翰を交互に見やる。
「どうかしたか」
「いや」
十一は銚子の水を桶に注ぎ、麻の布巾を絞った。天翰へ膝行 りよる。
「躰をふいてやる」
天翰は直裰を抱いて、幼子のようにいやいやする。十一はかまわず天翰の肩をつかみ、背をふいた。天翰の細い声。
「あの、ほかの衣は」
「お頭が持ってっちまった。あとで代わりを探してやる」
十一は天翰の胸をふきにかかった。汚れの落ちた肌の生白 さ。点々と散った赤い痕。百舌がつけたのだろう。何かむしゃくしゃして、つい布巾に力がこもった。天翰の乳首が、ぷつりと尖る。十一は直裰をはいで、腫れ具合を見るつもりで左足を持った。
「待って、あっ……」
天翰の泣きそうな声。うりゅうりゅうりゅ……と音を立てて菊門から昨夜 の精がこぼれでる。
「うえ、汚ねえ」
夷虎が罵った。十一はむっと口を結んで、天翰に濡れ布巾をつかませた。
「そこはてめえでやんな」
天翰は真っ赤になって涙ぐんで、こそこそと直裰で隠しながら尻をぬぐう。
日が高くなった頃、烏帽子の三人が小屋に戻る。どこかで奪ったのか、あるいは奪った銭で購 ったのか、大荷物だ――牝鶏、根菜、塩やら醤 やらの壺、酒甕。当面は籠る気なのだろう。
銀鴟が唐棣色 の衣を天翰に投げる。
「そいつを着な」
坊主頭にかぶさった絹衣 をはがして、天翰は瞬きする。はなやかな孔雀羽に桐紋様。
「これは、おなごの衣では」
「文句ねえだろう、おめえは女 だ」
銀鴟の母は、蕃人 の血を引いた白拍子 ときいた。白昼の光の下 、銀鴟の目玉は殆ど黄金 色に見える。天翰は目を伏せた。あの眼光を正視できる者など、まずいない。
「十一、着せてやれ」
銀鴟は襦袢と鬘 を投げた。十一は受けとめ、襦袢を天翰に羽織らせた。
「あの、褌は」
「女は褌はしめねえ」
「私は男です」
「お頭が女だといったら、女だ」
天翰は唇を結んで、襦袢に袖を通した。
つややかな女の鬘と衣の天翰に、ほうと十一は息をついた。やんごとないお姫 さんみてえだ、と思った。夷虎はぽかんと口をあけて見とれていた。百舌がいう。
「そのなりで天翰 てえのもなんだな。なあ、銀鴟」
銀鴟は口をゆがめる。「おめえは今から日羽 だ。お日羽。わかったら返事だ」
「いやです」
凜たる声に、十一は肚 の底が冷えた。天翰は唇を震わせつつも、銀鴟をまっすぐに見すえた。
「あなたがたは私の兄弟子たちを殺 め、私に狼藉を働いただけではあきたらず、名まで奪おうというのですか」
銀鴟は薄笑いを浮かべ、顔を天翰の顔に寄せる。
「おれぁ山賊の頭 だ。奪えるモンはなんだって奪う。銭だろうが、女だろうが、名めえだろうが、命だろうがな」
「天鵞さまの左腕 には、たしかに刀傷がおありでした。忘恩負義の謗法者 に斬られたのだと」
天翰は妙に静かな顔つきをしていた。銀鴟の目が細くなる。
「おれがうそをついたとでも」
「わかりません。なれど、あなたの怒りは、うそではない。それはわかります。なればこそ、あなたは他 の者に対し、このような行いをくりかえしている。ちがいますか」
「賢 しら口 をきくな。ここでは、おれが掟だ」
銀鴟の右足が飛んだ。鳩尾 の衝撃、十一はくの字に跼 った。まるきり油断して、腹に力を入れることもしていなかった。酸っぱい虫唾 。十一は這いつくばって呻いた。背にふれる天翰の手のひら二枚。
「十一どのっ」
「おめえが楯突くたびに、そいつは痛え目を見る。それでも、いやだというか」
天翰は睨んだ。「好きな名で呼ぶがいい。私は二度と口をききません」
銀鴟は笑った。「その依怙地 がいつまでもつだろうな」
小屋の炉の鍋を、山賊五人が囲んだ。煮汁に蕩 ける猪肉 と脂。鳩尾の鈍痛のせいで、十一は箸が進まなかった。
女装の美童は蓮花坐 を組んで暝目したきり、微動だにしない。いや、唇が小さく動いている。経を唱えているのだ。椀によそった猪汁には手をつけていない。十一はささやく。
「食わねえと、もたねえぞ」
天翰はきこえぬかのようだった。
鍋を空にした四人は、大甕から酒を汲んでは呷った。十一もひかえめに呑んだ。酒は好きではなかった。呑めばのむほど正気を失い、獣 に近づくと思えた。
「なんだ、十一、ちっとも呑んでねえじゃねえか」
百舌が盃につごうとする。十一は手で拒んだ。
「もう、酔っちまいやして」
銀鴟がいう。「十一、夷虎。呑み競べしろ。勝ったほうは、お日羽を好きにしていいぞ」
「ほんとですね?」
夷虎は前のめりになった。きこえているだろうに天翰は、変わらず蓮花坐で瞑目している。十一はいっぺんに酔いが醒めた。あの美童を、このばかにだけは好きにさせるもんか。
「はじめ」
銀鴟がいった。夷虎の盃に牙良が、十一の盃に百舌が酒をついだ。ふたりは同時に、一息に飲みほす。銀鴟がいう。
「ひとぉつ」
漆の盃につがれる酒は、天翰の精水のような淡い白だ。艶 めかしい連想を振り払い、十一はそれを呷る。くわっと喉が焼ける。
「ふたぁつ」
夷虎は炯々 たる目で、十一を見すえている。根っからの勝負好きなのだ。端折った裾から覗く褌がしっかりと張っていて、十一はむかついた。
「みぃっつ」
杯を重ねるごとに、躰の芯が熱 ってくるようだった。しかし、反対に頭は深閑と冴えていった。十一は変わらぬ呑みっぷりで、淡々と盃を空けた。おれは案外いける口なのかもしれない。
対して、夷虎は猿公 じみた赭顔 になり、しきりにもぞもぞと足を組みかえては目をこすった。盃を口に運ぶ仕草も鈍くなる。
「八十八」
十一は一息に呷った。夷虎の手は止まったきりだ。牙良がいう。
「ほら、早う呑め」
夷虎は眉間を皺 めつつ、どうにか呑みほした。すかさず盃が満たされる。十一は一息に呷った。
「八十九」
夷虎は盃を落とした。筵に滲 みいる諸白 、むっと鼻を突く酒の気。夷虎はふらふらと小屋を出た。反吐 す気配。銀鴟がにやりとする。
「勝負あったな」
十一は一礼した。すっくと立ちあがり、瞑想する美童へと近づいた。酔ってないと思っていたが、ふわふわと雲を踏む心地がした。天翰を背から抱きすくめ、頭を肩に靠 せかける。さすがの天翰も、びくりと身を硬くした。そのまま十一は目をとじて、じっと動かなかった。ただ、天翰の温もりを感じ、あどけない香を嗅いだ。銀鴟の声。
「どうした。好きにしていいんだぞ」
「へい。ですから、こうして好きにしておりやす。こりゃあ極楽でござんすね」
一瞬の沈黙。三人の大笑が轟いた。百舌の声。
「銀鴟、一本とられたな。こりゃあ傑作だ」
天翰の肩から、力が抜けた。十一はぎゅっと両の腕に力をこめて、うつらうつらと舟をこいだ。
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