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無頼のすゝめ

「またあんただろう。この育ちの悪い(てて)なし子が」  酒屋の勘定台のまえ、女房のお(いま)が喚いた。喜作(きさく)はかぶりを振る。 「あっしじゃござんせん」 「あんたじゃなきゃ、誰がやるってんだい」  お今が手を振った。頬が()ぜて、痛みがふくらむ。喜作は頬を押さえ、女の目を見つめかえす。 「なんといわれても、やっとらんものはやっとりゃしやせん」  お今は眉を逆立て、また手を振りあげる。喜作は身構えた。まあまあまあ、と亭主の吉蔵(きちぞう)が割りこむ。 「わざとちゃう。きっと、かぞえまちごうたんやろ。大目に見たりい」  あくまで喜作の(とが)だと思いたいらしい。吉蔵には恩義を感じている。みなしご同然の喜作をひきとって世話を焼いてくれた。けれど……喜作は唇を()んだ。 「けど、おまえさん、これで五度目ですよ。それも一文や二文じゃないんだ。やだやだ、家に(ぬす)()がいるなんて。この子も生まれるってのに」  お今はふくらんだ腹をこれ見よがしにさする。その瓜のような腹をかち割れたら、どれだけすっきりするだろう。喜作はきいっと睨んだ。 「あっしはやってない。そんなに疑うなら、裸に剝くなり家探しするなりしたらいいでしょう」 「いったね。きょうこそはっきりさせようじゃないか。弥平(やへい)、弥平」  女房は気入りの下郎を呼びつけた。喜作は溜息をつく。これであらぬ疑いは晴れるはずだ。  二階の大部屋の一隅、喜作の蒲団を(まく)りあげ弥平が叫ぶ。 「おかみさん」  蒲団のなかに満貫(まんがん)宋銭(そうせん)。喜作は(うつつ)を疑った。ざっと顔から血の気がひいて、唇が、指先がわななく。 「……あっしじゃ、あっしじゃねえ」  女房の勝ち誇った笑み。「ほら、あんたじゃないか。この恩知らずの野良犬め」 「往生際が悪いぞ。さあ、お代官のとこに行くんだ」  弥平が喜作の腕を掴んだ。吉蔵がいう。 「待っとくれ。喜作は姪の子ぉや。外聞が悪いわ」 「この恩知らずを見逃せと?」 「ほんの出来心やんな。そうやろ、喜作」  吉蔵はいいふくめる調子だった。喜作は怒鳴る。 「あっしは何も盗んじゃいねえ。誰かが()めたんだ」  吉蔵は青ざめて、首を振った。弥平が喜作の肩を掴んで、ひきずった。  酒室(さかむろ)土倉(どそう)のまえ、年嵩(としかさ)の下郎五人は無言で喜作を蹴りつけた。弥平は執拗に尾骨を狙った。こいつ、殺してやる、と喜作は思った。  喜作は納屋(なや)にほうりこまれた。狭くて埃臭(ほこりくさ)く、日が陰れば真っ暗だ。躰の節々が痛み、腹の虫が鳴いた。しかし痛みよりも飢えよりも、怒りが喜作の(はら)に据わっていた。誰があっしを嵌めたのか? お今か、下郎の誰かか、それとも……。  納屋の戸がひらいて、蠟燭の火がゆれた。まぶしさに、喜作は目を細めた。 「すまへんなあ。腹減ったやろ」  吉蔵だった。盆に載せた飯と汁物は冷めきっている。くやしくて悔しくて涙が滲んでくる。大きな手が頭を撫でた。 「かわいそになあ」  吉蔵の目に憐れみの色。この優しい若亭主が、喜作は好きだった。けれど……。 「あんたが盗んだのでしょう」  喜作のことばに、吉蔵の顔はこわばった。それで十分だった。喜作は拳を吉蔵の腹に叩きこんだ。亭主が尻もちをつく。喜作は飛び越えて、夜明けのなかへと転げでた。  腹が、減った。酷いめまいがして、喜作はしゃがみこんだ。頬を打つ朝風の砂埃。小町大路の往来。茅葺(かやぶき)(ひさし)の下、市の売子たちが威勢よく声を張りあげる。牛の()え声。町人の子らの遊ぶ声。喜作を気にかける者はなかった。いつだってそうだった。あっしが生きようが死のうが―― 「おい、坊主。どうした」  声の主を見あげて、仰天した。その男には片目が無かった。戦で矢でも受けたんだろうか、()れた醜い傷跡になっている。いつもの癖で、喜作は笑った。おまえは器量が悪いんだから、せめて笑っときな、と母親は幼い息子にいいきかせた。色の白いのが自慢の母親は、そばかすを嫌っていた。おのれそっくりのそばかすの息子の顔も。  片目の男は、にんまりと笑いかえした。男の右目の光は強かった。烏帽子(えぼし)を戴いてはいたが、かぞえで十二の喜作と、(とお)もちがわなそうだ。 「坊主、腹減ってねえか」 「……減ってやす」 「あんまり持ちあわせがねえんだよなあ」  男はふいと離れていく。喜作はあっけにとられた。あっさり見捨てられて、目頭がじんとした。熱い涙がぼろぼろと湧く。喜作は袖でこすった。 「坊主。ほら」  片目の男が突きだす何か、笹にくるんだ(ちまき)。見捨てられたんじゃなかった。喜作はしゃくりあげて、温かい粽を受けとった。笹の香りの飯は砂糖で甘い。一口、二口でたいらげてしまう。じゃりじゃりと砂粒が残ったが、かまわなかった。胃袋が急に騒ぎだして、余計に腹が減ってきた。 「おれぁ百舌(もず)ってんだ。おめえは」 「……喜作」 「ふん。もし行くあてがねえなら、おれらんとこに来るか。飯はあるぞ」  喜作は首がもげそうなほど頷いた。  まさか山を登らされるとは思わなかった。夏の初めの青葉の(とうげ)。喜作は息切れして、なんべんも休んだ。百舌はいう。 「男五人で住んでんだ。いや、今は六人か。おめえも入れて七人だな」 「猟師ですか」 「山賊だ」  喜作は驚かなかった。山で暮らす盗っ人かあ。その程度の感慨だった。 「山賊ってな因果な商売でな、おれの百舌って名ぁかりそめ(丶丶丶丶)なんだ。おめえにも、かりそめの名をやる。おめえは今から喜々須(きぎす)だ。いいな?」  喜作は――、喜々須は頷いた。  一刻ほど登ると、いい匂いが鼻をくすぐった。峠の(こし)に、(あし)()いた掘建(ほったて)小屋(ごや)。間口の(すだれ)を百舌が捲る。 「おっ、うまそうなモンがあらぁ」  喜々須よりも年嵩の(わらべ)女童(めわらべ)が、()の大鍋をかこんでいた。童が女童の髪をぽんと撫でる。 「こいつが煮たんでさ。で、そいつは?」  のっぽの(わらべ)はうさんくさそうに見た。紹介もそこそこに、相伴(しょうばん)にあずかった。肉の入った粥だった。喜々須のあまりの勢いに、童と女童――十一(じゅういち)とお日羽(ひわ)がたじろいでいる。わかっていても、空腹はいかんともしがたい。 「お代わりは?」  お日羽が手を差しのべる。いまさらに気づく。えらい美貌だ。涼しい目もとに、紅い唇。色は白いが、そばかすなどない。どっかから(かどわか)してきたのか、と喜々須は思った。  烏帽子の者が現れた。丈六尺に届きそうな大男。男の黄金(こがね)がかった目が細くなる。 「誰だ」  渋く深い声。こりゃ(かしら)にちげえねえ。喜々須は跪いて、一礼した。 「きさ……喜々須と申しやす。百舌の(あに)ぃに拾っていただきやした。お世話になりやす」 「銀鴟(ぎんじ)だ。怒らすとこええぞ」百舌がささやいた。お頭にいう。「見てのとおり、ちいっとばっかし滋養がたりてねえが、しばらく食わせりゃ使いモンになるだろうよ。酒屋に奉公してたそうだ」 「酒屋か」  銀鴟はにやりと無精髭の口をゆがめた。人は笑うと可愛らしくなるものだが、この男の笑いは(けだもの)が舌なめずりしているようだ。喜々須はどぎまぎして目を伏せた。  つづけざまに小太りの男と、ざんばら髪の童が戻った。その童は喜々須をじろじろと見た。(あざ)に傷に(あかぎれ)――ひどい姿をしている自覚はあった。なんだ、と喜々須は見返した。童はにたりと笑った。  山賊どもは肉粥にありついた。大鍋はあっというまに底をついた。ざんばら髪の童がいう。 「お日羽の汁は天下一品だな」 「あっち(丶丶丶)の汁もな」  百舌が笑った。お日羽は耳を染めて顔を伏せた。あっちの汁って? と喜々須は思った。  山賊五人は盃を傾けつつ話した。ざんばら髪の童は夷虎(いとら)といって、威勢のいい口をきいた。烏帽子の小太りは牙良(げら)といって、大工くずれらしかった。五人の話がシモがかってくると、牙良がお日羽を抱き寄せた。 「おゝ、ちょうどいいところに()がいたぜ」  銀鴟が牙良を張り倒して、お日羽をさらった。丹色(にいろ)の衣を捲りあげる。喜々須は息を呑んだ。お日羽の股ぐらには、魔羅と陰嚢(ふぐり)があった。  銀鴟は袴を解き、膝立ちのお日羽の背を抱いて、激しくゆさぶった。肉が肉を打つ音。お日羽のせつなく寄せた眉根、うわずった喘ぎ声。喜々須は文字どおり首をかしげた。何がどうなってる? どうやら魔羅を尻の穴に押しこんでいるらしい。なんで? と思った。疑問だらけながら、喜々須の胸は早くなり、股間は(うず)いていた。銀鴟はお日羽の首をねじって、唇をねっとりと吸った。喜々須の心の臓は熱くなった。  百舌が膝行(いざ)って、お日羽の衣をほどいた。妖しく白い肌に、ぷつりと尖った乳首と、赤く熟れて蜜を滴らせた魔羅。喜々須は生唾を呑んだ。百舌がお日羽の乳首を吸って、もう一方を()ねた。あゝ、とお日羽が身をよじる。おのれの魔羅にふれようとして、百舌にひょいと両手を押さえられる。 「お日羽。おれは教えたよな。それはおめえのだが、おめえのじゃねえんだ。勝手にさわっちゃなんねえ。そういうときは、どうするんだ?」  お日羽は泣きそうに顔をうつむける。そのあいだも、銀鴟が容赦なく腰をたたきこみ、百舌が(くび)から(わき)から胸乳(むなち)をねぶる。お日羽はぶるぶると(もも)を震わせて、ようやっと口にする。 「……ま、魔羅を、……てくださ……」 「魔羅が、なんだ。はっきりいってみな」 「……魔羅を、しごい……てください」 「そうだ、よくできたな」  百舌は口づけをくれると、三つ指でお日羽のそれをつまむ。お日羽は身をくねらせ、おゝん、おゝん、と高く咆える。あんなふうに乱暴にされて、気持ちいいのか。牙良も夷虎も十一も、お日羽の艶態に釘づけだ。お日羽と代わってみたい、と喜々須は思い、思ったことに惑う。こんなみっともねえあっしじゃ……。泣きたい気がして、喜々須は簾を捲って宵闇へ逃げだす。  酒屋の女房が喚いている。また銭がたりない。あんたがくすねたんだろ。下郎たちの冷ややかな目。喜作は抗弁しようと口をひらくが、なぜか声がでない。亭主の優男(やさおとこ)がいう。わざとちゃう。かぞえまちごうたんやろ。怒りのあまり、頭も肚も煮えそうになる。あっしは何もしちゃいねえ。盗んだのはあんただろう。善人ぶるんじゃねえや。叫びたいのに、喉からは呻き声だけ。女房に顔をぶん殴られる。  薄闇。男の(あしうら)が顔を押していた。夷虎だ。のんきないびき。むらむらと腹が立って、脇腹を蹴りとばした。夷虎はまぬけな声をあげたが、すぐいびきをかきだす。未明の小屋のなか、むさ苦しい男たちの酒臭い息。あっしはもう、お人よしの喜作じゃねえ。山賊の喜々須だ。  山賊というのは、豪快で破茶滅茶な暮らしをしているものだ――おのれがなってみるまで、喜々須はそう思っていた。喜々須に割り当てられたのは炊事・洗濯・掃除・道具の手入・牝鶏の世話・町への買出(かいだし)……諸々の雑用だった。酒屋での奉公とたいして変わりやしねえ。それでも喜々須は文句はいわなかった。よっぽどのへまをやらかさないかぎり殴られることはないし、飯は腹いっぱい食えたし、小遣いももらえたからだ。  下働きはもっぱら(わらべ)らの役目だった。喜々須とお日羽と十一と、夷虎。だが夷虎はどこをほっつき歩いているのか、顔をあまり見なかった。十一は寡黙で何を考えているのかわかりにくかった。お日羽は喜々須の直観どおり、拐されてきた寺の小僧だった。法名は天翰(てんかん)だそうだ。喜々須は()せなかった。 「なんで逃げねえんです」  お日羽は縛られても見張られてもいない。逃げようと思えば、いつでもできそうだ。お日羽はうつむいて、沢のせせらぎで包丁をすすいだ。 「十一どのに累がおよぶ」  十一が思いつめた顔で、お日羽の頭をぽんと撫でた。あゝ、こりゃ(ほだ)されちまってんだな、と喜々須は思った。  夜ごと山賊どもは宴をひらき、酒を()んだ。そして酔いが回ってくると、お日羽を(なぶ)った。銀鴟は手荒で、おのれ本位だった。牙良はせっかちで、しかも長くもたなかった。百舌はあくまで優しく、あの手この手で弄んだ。百舌が抱くとき、お日羽はあきらかに()がった。喜々須は合点(がてん)がいった。男をとっかえひっかえつれてきては、夜な夜なおかしな悲鳴をあげていた母親――これをしていたのだ。  もし抱かれるんなら、百舌の兄ぃがいい。  けれど、こんな美しくもない(わっぱ)がいい寄ったところで、苦笑されるだけだろう。いたたまれなくなって、喜々須は小屋を抜けだす。  正しいようで、てんでな水音。宵の沢に、うすみどりの暗い光が無数に明滅する。疼きの残る股ぐらを持てあまし、喜々須はぼうっと口をあけた。蛍は光ると気持ちいいんだろうか? 気持ちいいから、あんなに光るんだろうか?  するりと頸に絡む腕。ひっ、と喜々須は息を止めた。低めた笑声(しょうせい)。 「こんなところでひとりじゃ、すだまに喰われちまうぜ」 「……す、すだま?」  心の臓がずきずきする。顔の真横で、夷虎が笑った。 「そうさ。夜の水辺にゃ寄ってくる。人をとって喰うのさ」 「すだまって、どんなんで?」 「さあ、見たこたぁねえからな。けど、すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう」  夷虎は後ろ手をついて、素足をせせらぎに投げだした。その腕の逞しい筋骨。ふれてみたくなって、けれど喜々須は目を背けた。何しに来たんだろう。 「夷虎の兄ぃは……」  夷虎がはじかれたように笑った。「夷虎(丶丶)()()ぃときたよ。まいったな。おめえ、いくつだ」 「十二」 「おれぁ十四だ。まあ、兄ぃにはちげえねえか」 「兄ぃは、いつから山賊に?」 「おめえと同じで十二からさ」 「その(めえ)は何を?」 「忘れた」  そこはきいてほしくないのだな、と思った。沢の涼しさに、喜々須は身震いした。夷虎が肩を寄せてくる。 「なあ、どう思った。兄ぃらがお日羽をやってるのを見て」  喜々須は困った。お日羽と同じことをされてみたい、などといえるわけがない。 「てめえもやってみてえ、って思わねえか?」 「よく、わかんねえです」 「あそこが張るだろう」  喜々須はかぶりを振った。夷虎がむんずと股ぐらを鷲掴みにし、揉みしだく。 「いっちょまえに硬くなってんじゃねえか」 「……や」  いやにくすぐったくて、喜々須は躰ごと背いた。夷虎はさらに身を乗りだす。 「おめえ、せんずりはわかるか?」 「せんずり……?」 「だから、これをこうして」  夷虎はおのれの袴をずらして、魔羅をむきだしにした。大人並に立派で、ぬらぬらと光る。かあっと(なずき)が焼けつくようで喜々須は、つい凝視した。夷虎はにやりとして、 「こうするわけよ」  見せつけるかにそれを両手で(せせ)った。喜々須ははっとして目をつむったが、遅かった。 「おめえもやんな」  袴に夷虎の手がかかった。喜々須は這って逃げたが、なかば抱きあげられて夷虎の胸におさまった。袴と褌を解かれて、魔羅をじかに握られる。しごかれると、ひとりでに腰が跳ねて、あられもない声が喉を突く。 「うるせえな」  夷虎は口に口を咬みあわせる。魔羅をまさぐられつつ唇を吸われて、頭んなかがぼうっと霞んだ。間近に童の精悍な顔。 「おめえのさわってやるから、おれのさわれ。な?」  右手を導かれる。夷虎のそれ、熱くて硬くて湿っぽい。喜々須はこわごわと撫でさすった。夷虎も喜々須のを同じようにした。声をあげると、また口を塞がれて、こんどは舌を吸われた。湿った音がこだまして、喜々須は何も考えられなくなった。 「あっしがいたのは、柳楽(なぎら)()ってえ酒屋でさ」  小屋の裏手、山賊五人の真顔にかこまれ、喜々須の声は硬かった。喜々須は小枝で地べたをひっかいた。(たな)の間取と、土倉の間取。 「これが小町の(たな)。間口四(けん)、奥行三(けん)。人は二階で寝起きしやす。亭主と女房と、下郎が五人。これが酒室。間口四(けん)、奥行六(けん)ってとこでしょうか。冬に仕込んだ酒甕が、ざっと九十、秋には飲み頃だ」 「九十も運べねえだろ」  夷虎がいった。百舌のあきれ声。 「おめえは酒池肉林でもしようってか? (とお)もありゃたくさんだ」  牙良がばか笑いした。銀鴟がいう。 「いっぺん下見に行かにゃなんねえな」 「そうですね。けど、あっしは面が割れてるんで」  喜々須は山賊一同を見まわす。銀鴟と目が合った。黄金色(こがねいろ)双眸(そうぼう)。 「おめえは誰が行けばいいと思う」  試されている、と思った。「銀鴟のお頭と百舌の兄ぃは目立ちすぎる。夷虎の兄ぃは……まあ、アレです」 「アレたぁなんだ」  夷虎は嚙みついた。十一が頭を指差す。 「ここがたりねえ、といいてえんだろ」  あゞ? と夷虎は凄んだ。この(わらべ)がいつも姿を(くら)ませるのは、下働きを怠けたいばかりでなく、十一と反りが合わないせいだ。夷虎の目は敵愾心(てきがいしん)むきだしで、十一の顔はいよいよ冷たかった。 「(たな)を下見に行くなら牙良の兄ぃと、十一の兄ぃが適当でしょう。牙良の兄ぃは大工あがりだから建物(たてモン)に強そうだし、十一の兄ぃはまともに見える」  喜々須はいった。銀鴟は百舌に頷いた。合格みたいだ。つい、安堵の息をつく。 「この女房が見栄っぱりで、衣に草履に(かんざし)にと、とにかく金を食う。亭主もばくち狂いで、借財をごまんとかかえてる。銭をちらつかせりゃ、いうこときくでしょうよ。ところで、いざ柳楽屋を襲うとなったら、(たな)の者はどうしやす」 「朝まで気づかれねえのが一番だが、気づいて騒ぐなら殺す」  銀鴟はいった。喜々須は笑う。 「できたら皆殺しがいい。それがだめなら、亭主と女房だけ殺すんでもいい。殺すのは、あっしがやりやす」 「機会があればな。勝手はするな」  銀鴟の口は笑っていたが、目は笑わなかった。牙良がいう。 「下見はいいとして、盗みの当日はどうする。六人で行ったら、誰がお日羽を見てるんだ」  夷虎が手を挙げる。「おれが残ろう」 「だめだ」  銀鴟と十一が同時にいった。十一はいう。 「おめえはすけべなことしやがるからだめだ」  そうとも、こんなうらなり(丶丶丶丶)青瓢箪(あおびょうたん)にさえ手をつけやがる男だ、と喜々須は思った。 「十一、おめえもだ。また妙な気を起こされちゃ困る」  銀鴟がいった。十一はぐっと奥歯を嚙んだ。喜々須は意外だった。この堅物がお日羽に手をつけようとしたのか? 「いっそ、つれていっては?」 「それもだめだ」  十一はいいはった。お日羽のこととなると、この(わらべ)はてんで阿呆になる。 「ひとりで留守番させりゃいい。おい、お日羽」  銀鴟が呼ばった。小屋から襷掛(たすきがけ)のお日羽が転げでた。夕餉の支度をしていたのだろう。銀鴟は薄笑いを浮かべる。 「近えうちに、おれらは留守にする。逃げようなどとゆめゆめ考えるなよ。おめえがいなくなったら、そのときは十一が死ぬ」  お日羽は澄んだ目を(みは)って、十一を見やった。十一は、何もいわずにそっぽを向いた。  鳩合(きゅうごう)の果てたのち、十一とお日羽は深刻な顔で何やら話しあっていた。十一の肩に、お日羽は頭を乗せた。お日羽は逃げまい、と思った。ふたりの仲が、喜々須にはまぶしく映った。  夕刻、驟雨(しゅうう)が峠を通りすぎた。山賊どもの夜の宴を、喜々須は抜けだした。雨後、沢の蛍の光は(おびただ)しかった。すだまとは蛍火のことじゃねえだろうか、と思った。  まもなく夷虎はやってきた。話もせずに、いきなり衣を剝ごうとしてくる。(かん)(さわ)った。 「あっしはお日羽の姐さんの代わりですか」  夷虎はにやりとする。「なんだ、妬いてんのか」 「べつにかまやしません。あんたのことは、なんとも思わない」  夷虎が眉を(ひそ)めた。こういう男を幾人も見てきた。初めはいいことをいって下手(したて)にでているが、枕を共にするなり、まるでてめえのモンだといわんばかりに女をぞんざいにあつかう。いつだって母親がつれてくるのは、そんなやつらばかりだった。 「あんたが誰を抱こうが勝手だ。ただ、姐さんには手をださねえほうがいい。十一の兄ぃが黙ってねえ」 「十一」夷虎は鼻を鳴らした。「あいつはハナから気に食わねえ。わかったようなつらで人を小ばかにしやがるくせに、あんな小僧に腑抜けにされちまって、情けねえったらねえ」 「穴が空いてりゃ見境ねえあんたよか、十一の兄ぃのほうがましさ。あんたは木の股でも抱いときゃいい」  あゞ? と夷虎が胸ぐらを掴んだ。「ずいぶんとなめた口を利くじゃねえか」 「あっしの親分は銀鴟のお頭と百舌の兄ぃらで、あんたじゃねえ」 「このっ……」  顔を打つ拳骨。喜々須は舌を嚙んだ。血の味。岩陰の得物を、喜々須は振った。夷虎の左目の下が裂けて、血が滴る。夷虎の目が動揺し、血に染まった切先を認めた。喜々須は笑った。夷虎は手を伸ばす。 「こっちによこしな」  喜々須は包丁をまっすぐ握りなおした。夷虎の炯々(けいけい)たる目。男が、豹のごとく咆えた。一瞬の怯みを突かれ、手首を捻じられる。包丁が水へ没した。喜々須を組み伏せて、夷虎は笑った。 「おめえとは場数がちげえ。観念しな」  両腕で絞めあげられる。息ができない。おのれの頸の脈動を感じつつ、喜々須の眼前は暗んだ。袴と褌が剝ぎとられる。尻を撫でる夜気の冷たさ。ぬめった魔羅が割れ目に当たる。ぬめぬめと滑ってから、尻の穴に定まった。(やいば)で裂かれるごとき痛み。喜々須は暴れた。けれど腰骨を掴まれ、力ずくで奥まで(えぐ)られる。内と外があべこべになるようだ。悲鳴が掠れた。ぎゅっと目をつむると、冷やっこい涙がでた。 「くそ、硬えな」男の声も苦しげにきこえた。「初めてか」  喜々須は頷いた。背から抱きかかえられ、男の膝に乗せられた。萎えた魔羅をしごく、優しげな手つき。 「おとなしくしてりゃ、悪いようにゃしねえ。ほら、力ぬけ」  胸乳(むなち)を抓られ、右耳を食まれる。荒い息、濡れた音、硬い手のひら、熱い背中と、尻のなかの重たいもの――こんなの、ちっとも()かねえ。喜々須はただ声を殺して、浅く早く喘いだ。瞼裏(まなうら)に無数の蛍が明滅した。  十三夜の月が、深閑とした小町を照らす。柳楽屋の土倉が白く映える。酒室の観音扉に、牙良は(のみ)と金槌を使った。海老錠(えびじょう)が繋いだ金具を、漆喰ごと削りとろうというのだ。半刻(はんとき)ほどで牙良はやってのけた。喜々須は感服した。 「すげえ」 「へへ、大工の腕は悪くなかったんだぜ」  牙良は扉の片方からばきりと金具をもいで、あけ放った。銀鴟が顎で合図する。まず十一が踏みこんでいき、やがて中から手招きした。  高窓から差す月明り。ずらりと揃った常滑(とこなめ)の甕。下見の際に目星をつけた甕を、山賊どもは一口(いっこう)ずつかかえて持ちだす。荷車に十二口をならべきり、牙良と百舌が大路を()いていった。  銀鴟の(たたず)まいから緊張が失せていた。これっぽっちで(しま)いにする気なのだ。喜々須は金槌を拾って、土倉に駈けこんだ。酒甕をぶっ叩く。がぢゃん、とあっけなく割れ、酒の波が草履の足指を洗った。喜々須は続けざまに酒甕を叩いた。がぼん、がぢゃん。 「この大ばかが」  羽交い絞めにされた。夷虎だ。喜々須はもがいた。 「潰れちまえ、こんな(たな)」  銀鴟と十一も顔をだす。銀鴟がいう。 「おい、喜々須。人が来るぜ」 「来たら殺す」  あゝ、誰も彼も殺してやる――  十一がいう。「殺すほどの恨みなのか」 「亭主が(たな)の金をくすねてたのを、あの男、あっしになすりつけやがった。あっしに行き場がないのを知っていて。下郎に折檻されて、女房に飯を抜かれて、あっしは死ぬところだった。あんな男を親のように思ってたなんて。許せるわけがねえ」  血を吐くように喜々須はいった。銀鴟の手が、太刀へ伸びた。斬られるなら、それでいい。こんなくだらねえ娑婆(しゃば)に未練なんか――  十一が動いた。ばぼん、と大甕が真っ二つになり、酒の波が股を通り抜けた。鞘の太刀を手に十一は銀鴟にいう。 「なら因果応報だ。そうでしょう」  銀鴟の黄金(こがね)の目が細くなる。十一の喉仏が上下した。銀鴟はおもむろに甕を持ちあげ、甕の列へ投げつけた。いっぺんに四つ砕けて、派手な音が(むろ)を満たした。銀鴟は手を叩く。 「みんな割っちまいな」  夷虎が金槌を奪い、片っぱしから甕を打った。 「南無・阿弥・陀っと」  高窓からの淡い月光の(もと)、三人の山賊が暴れまわる。がぢゃん、ばぼん、ぐゎじゃららら。陶片と化す甕、むっとする酒の匂い。喜々須は痺れたかに立ちつくした。三人にとっては何の得もない、それどころか身を危うくする行為だ。おのれのために誰かが動いてくれたのは、思いだせぬほど昔のことだった。  誰ぞおるんか、と外から人声。銀鴟が近づいて、喜々須の手に匕首(ひしゅ)を握らせた。美しい(やいば)。銀鴟は(けだもの)のごとく笑った。 「それで()んな」  喜々須は頷いて、酒室を飛びだした。  提灯を下げた弥平と、吉蔵が庭に佇んだ。喜々須を認め、それから匕首を認めて、二人の顔が引き攣った。弥平がいう。 「喜作。てめえは恩を仇で返したうえに、よくもそんな」 「先にあっしの信頼を無下にしたのは、どこのどいつだ。吉蔵、あんたはよくわかってるはずだ」  吉蔵は下郎の図体に隠れるかに後ずさった。喜々須は刃を振りかざした。弥平は匕首を奪わんとした。喜々須のほうが素早く、弥平の手が血だらけになる。ぐぶりと嫌な手応え。押さえた腹から血が黒々と溢れ、弥平は倒れた。吉蔵が逃げだす。喜々須は腰を突き刺した。悲鳴をあげて吉蔵が這いつくばる。 「……す、すまんかった……喜作、ゆるしてく……」  喜々須は掻っ(さば)いた。頸からどぶりと血を噴いて吉蔵は黙った。痙攣する、なりかけの死体(ほとけ)が二つ。燃える提灯。かたわらの鍵束を、喜々須は拾いあげた。 「あっしはもう、喜作じゃねえ」  ただの人殺しだ。  柳楽屋の(たな)は静まりかえっていた。喜々須は跫音を忍ばせて階段をあがった。夫婦の寝所の(ふすま)を叩きあける。  お今は布団に半身を起こしていた。()飛沫(しぶき)を浴びた喜々須に目を丸くし、血塗られた匕首にさらに目をひんむいた。喜々須は笑った。 「野良犬が恩を返しにきましたよ、おかみさん」 「誰の血だい」 「あんたの亭主と、弥平のさ」 「弥平、弥平をどうしたんだい」  女の半狂乱の形相(ぎょうそう)。吉蔵の初めの女房は郷里に帰され、お今は二人目だ。しかし二年経っても懐妊の兆しがなく、三人目をもらえと吉蔵の老母が騒ぎはじめた。その矢先の子宝だった。喜々須は口をゆがめた。 「へえ、吉蔵の旦那は気の毒に。その胎の子は弥平のか」 「弥平は」 「庭で死んでる」  あゞゞゞゞゞゞ、とお今は絶叫した。孕婦(はらめ)とは思えぬ動きで喜々須に迫り、突き飛ばして去った。喜々須は追った。  月下の庭、お今が弥平にすがりついていた。名を呼ぶか細い声。亭主から見れば不義にせよ、この女が弥平を思うのにうそはなかった。 「おれと取引しねえか」  ごく自然に、おれ(丶丶)と喜々須は口にした。お今のつぶらな目、宿る月影。 「銭をいくらか分けてくれ。その代わり、おれは胎の子の素性は口外しねえし、あんたのまえにも二度と現れねえ」 「いやだといったら?」 「あんたの目を潰す。あんたも、胎の子も、後ろ指さされる。どうする」  喜々須は匕首の血を、親指でぬぐって舐めた。お今はわなわなと震えて、顔を背けた。男のように太い声をだす。 「銭でもなんでも持って、とっとと行っちまいな。そのそばかすづら、二度と見せないどくれ」  喜々須は(たな)へ歩を進め、ふと顧みる。「あゝ、あとひとつ。その子は男だと思うぞ。弥平に似ねえといいが」  腰に差した匕首が、かたかたと鞘鳴(さやな)りする。(ふところ)に銭を持てるだけ持って、喜々須は峠を登った。吹きあげてくる夜明けの風。生きている、と無性に思った。山麓の森と遠い町。風は冷たかったが、ひらけた眼下に闇は見えなかった。  がさり、と藪が鳴った。喜々須は身構えた。するりと頸に絡む腕、その抱き方で夷虎だとわかった。やらせろ、と息を耳孔に注がれる。背筋がぞくぞくした。すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう。喜々須は、力を抜いた――

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